ハッピハピ

大河かつみ

  

(1)

 私の営業成績が悪かったせいだろうが直属の上司に執拗にパワハラを受けた。これ以上そこに居たら心が壊れてしまうと思い、その会社を辞めた。

再就職活動をするも、すっかり自信を無くしており、本来ならまだ三十歳手前でもあるし正社員を目指すべきところだが、アルバイトの求人にすがった。ハローワークに通い、求人案内をパソコンで目視すると、ひとつの案内が目に飛び込んできた。


 社名 ヒューマンカンパニー 

仕事内容 人助け全般

募集要項 年齢不問 学歴不問

     副業可 服装自由 交通費支給

応募資格 ポワ~ンとしている方

就業日時 案件による。※週一日からOK

基本9時~17時 残業手当有

給与   時給 950円及び諸経費

    

 この応募資格に興味がわいた。ポワ~ンという擬音が可笑しい。察するにポワ~ンとはのんびりした感じだろうと思われる。特に~(波)線を使って表現している辺りにそのニュアンスが表れている。この会社にお世話になりたいと思った。この会社ならポワ~ンとした人ばかりで、ぴりぴりとした雰囲気もなく、パワハラをするような上司がいない様に思われたのだ。


事前に連絡を取って面接の為、そのヒューマンカンパニーなる会社に向かった。駅前通りの路地裏にある雑居ビルの二階にそれはあった。

マンションの一室で、ドアの横のチャイムを鳴らすと程なく温厚そうな初老の紳士が出迎え、中に通された。

「しばらく、ここでお待ちくださいね。今、ササッと社長を呼びますから。」

応接室に通されてソファに座ると、その社員は部屋を出て行った。

 ふと床を見ると茶白の猫が寝転がっている。緊張が少しほぐれた。猫は気楽でいいなぁ等と思いながら見ていると、猫もこちらに興味を持ったらしく、のそのそと起き上がり近づいてきた。そして私の右足に頭をこすりつけてくる。随分と人懐っこい。

「ニャ~ン。」

と猫は、ひと鳴きして私の膝の上にヒョいと飛び乗るとゴロゴロと喉を鳴らしたので、背中を撫でながら、そのままに放っておいてあげた。

 その時、ドアが開き、度のきつそうなメガネをかけたおばさんがやってきた。私は急に立ち上がると猫に悪いと思い、座ったままで会釈した。その様子を見たおばさんは

「採用!」

とだけ言った。社長であるらしかった。


 翌日から早速、出社する事となった。9時少し前に出社すると、首からぶら下げられるよう、紐のついた社員証が出来ていて、それを貰った。社員証に「緒方幸一」と私の氏名が印字され、スピード顔写真が貼られている。

「それでは緒方さん。今日から早速、ピューッとお客さんの所に行っちゃってください。」

昨日の紳士が、にこにこしながら言った。この社員は佐久間さんという方で、専ら私達アルバイトに仕事を割り振る役目だった。

「ちょっと待ってください。いきなりですか?普通、研修とかしません?第一、仕事内容を聞いておりません。」

至極当然の要求だと思う。佐久間さんは微笑みながら言った。

「仕事は主に人助けです。案件によって内容が違ってくるのでカキッと説明できないですが、比較的ホニァ~とした仕事から割り振ります。大丈夫。スイスイってな、もんですよ。」

佐久間さんはニコニコしながら、私の肩をポンと叩いた。この人は、やたら独特な擬音でニュアンスを伝えようとするらしい。どうやらあの求人広告を書いたのもこの人だろう。


(2)

 昼前、佐久間さんに言われた場所に到着した。都内A町にある比較的に大きい公園で、噴水の前のベンチだ。そこに白髪を短く刈り込んだ小柄な老人が座っていた。佐久間さんから容姿の特徴を聞いていたので直ぐに判った。

「大滝さんですね。ヒューマンカンパニーの緒方です。」

そう言って首からぶらさげている社員証を見せた。老人ははじめ警戒していたようだったが、社員証を見せると安心したようだった。どこか気難しく神経質そうな雰囲気がある。

「どうもご足労頂いてありがとうございます。大滝です。」

そう言って老人はベンチの自分の横に座るよう促したので腰を下ろした。

「直ぐに判りましたか?ここ。」

「えぇ。それにしても。・・・」

「それにしても・・・なんだい?」

「・・・いいお天気ですね。」

私が笑うと大滝さんも拍子抜けしたようだった。そして柔和な顔になった。

「良かったら召しあがりませんか?」

大滝さんはそう言って持っていた紙袋からアンパンと缶コーヒーを差し出した。

あらかじめ用意してくれていたのだ。

「ありがとうございます。いただきます。」

大滝さんも自分の分のアンパンとコーヒーを出し、二人してアンパンを頬張った。

大滝さんは気難しそうな雰囲気とは裏腹に優しい人だった。


 快晴の秋空の下、噴水を見ながらのんびりとした時間だった。暫くして大滝さんが要件を語りだした。

「佐久間さんからも聞いているとは思いますが、緒方さんにお願いしたいのは、私の代わりにここで待っていて欲しいんです。」

「はい。ここが待ち合わせ場所なんですね?」

「そうです。只、待っていてくれればいいんです。」

「でも来ますかね?その“幸せ”というの。」

「はい。必ず来ます。私はそう信じています。」

「・・・なんでも占いの先生からそう言われたとか、聞きましたが。」

「ええ。もう病気で死んじまった私の古い友人なんですがね。そいつが言うのには、ここで私はいつか“幸せ”と出会うらしいのです。」

「場所ははっきりしているのに、いつかは判らないんですね?」

「そこまでは判らないようでした。」

「何時頃、その占いを聞いたんですか?」

「う~ん。かれこれ十年程前になりますかねぇ。」

「ま、まさか十年前からここで待っているんですか?」

「ええ。そうですよ。ずっと待っています。」

私は感嘆の声を上げた。なんという根気だろう。

「信じているんですか?」

「ええ。アイツは嘘をいう様な奴じゃあないです。」

大滝さんは穏やかに言った。

「まさか夜中も野宿しているとか?」

冗談のつもりだったが

「夜はテント張っています。」

と大滝さんが言ったので愕然とした。すると

「ハハハ!冗談ですよ。夜は家に帰ります。」

と笑ったのでこちらもホッとした。聞けば大滝さんはちゃんと家も家族もあるし、アパートの大家さんとして収入もあった。要するに家賃収入なので自分の時間はたっぷりと取れるからこのような酔狂な事が出来るのだ。

「で、肝心な事をお聞きしたいんですが、その幸せとは一体何なのですか?待ち合わせという事は人ですか?人が運んでくる物ですか?」

「さあ、そこは判りません。彼にも判らなかったようです。」

「雲を掴むような話ですね。」

「全くねぇ。」

大滝さんが他人事の様に笑ったので、こちらもつい笑ってしまった。呑気な話だ。


 大滝さんは自宅に帰っていった。元々糖尿病の持病持ちで、最近は寄る年波に勝てず、疲れ気味で長くはここに居る体力がなくなってきたらしい。その為、待ち合わせの交代要員をウチの会社に依頼してきたらしかった。


 それにしても、なんとのんびりとしたひと時なのだろう。午後の太陽を浴びてゆったりとした気分で噴水の水の動きを眺めていた。いつしか鳩が数羽やってきたので、その様子をボーッと見ているとあっという間に時間が過ぎた。

夕方、佐久間さんがやってきた。

「お疲れ様。だいじょうぶですか?飽きて困りませんでしたか?」

「いいえ。」

「大滝さん、気難しかったでしょう?」

「いいえ。優しい人でしたよ。」

「ほう?」

そう言うと

「うふふ。」

と佐久間さんが笑った。

「何か可笑しいですか?」

「いやいや。緒方さんって思った通りポワ~ンとしていますね。けっこう、けっこう。」

「はぁ。いいんですかね?」

「いいんです。前の人は2日で辞めてしまいましたからね。退屈すぎたようです。」

なんだ。前任者がいたのか。

「今日はもう帰っていいですよ。この勤怠票に今日の日付と時間、サラサラと記入してね。」

言われた通り記入しながら尋ねる。

「これから当分、この仕事なのですね?」

「そう。あなたなら問題ないでしょう?」

「ええ。でも、これでお金を頂けるなんて、なんだか申し訳ないような。・・・」

「ハハハ。ですよね。でもちゃんと大滝さんから依頼された立派な仕事ですから。」

「それにしても“幸せ”って何なんですかね?もし本当に来たとして私にこれが“幸せ”だと判断出来るでしょうか?」

「どうでしょうねぇ。まぁ、緒方さんがピーンときたらそれが“幸せ”って事でいいんじゃないですかね。そしたらチャチャッと大滝さんに連絡してください。」

「はぁ。」

腑に落ちないまま帰路についた。


(3)   

 翌日以降、公園に出向する日々が続いた。のんびりと時間だけが過ぎてゆく。暇なようで案外、散策する人を見たり、やって来る鳩や野良猫を観察したり、お散歩中のワンちゃんが近づいてくるので頭を撫でたりしているとあっという間に時間が過ぎる。

そのうち大滝さんも時間が許す限りは、顔を出してくれたので他愛もない話をしたりして時間を潰した。

「ところで緒方君は将棋をさせるかい?」

「いえ。全く分かりません。」

「じゃあ、今から持ってくるから教えてあげるよ。」

大滝さんは自宅に一旦帰り、将棋盤や駒を持参した。その後は大滝さんの手ほどきを受けながら少しずつ覚えていった。

 一週間、二週間と過ぎ、将棋も結構上手くなり段々と面白くなってきた。その頃には大滝さんと将棋をさす為に公園に通っていたと言っていい程に頻繁にさした。

 面白いのはヒマな老人やサラリーマンなどが我々の対局を観戦に来たり参加したりするようになったことだった。正直、見ず知らずの人と交流を持つのが苦手な自分なのだが、将棋という共通言語で繋がりを持てたので上手く交流が出来たのが嬉しかった。大滝さんも、それを楽しんでいるようだった。時には勤怠票を持ってきた佐久間さんまで加わった。なんだか不思議なほど、その後も色々な人がやってきて皆で将棋をさしたり、くだらない話で盛り上がったりした日々が続いた。何故か野良猫もその辺りでくつろいでいるので子どもたちが撫でにきたり、相変わらず鳩や雀、お散歩中のワンちゃんもご主人と共にやってきて賑わった。おかげで大滝さんは私と交代するのを惜しんで、結局その場にいつ続けた。そしてニコニコ笑っていた。身体はしんどくないのだろうか?


(4)  

 ある日の午後、雨が降ってきたので将棋を止めて近くの木の下で雨宿りした。思えば初めての雨だった。大滝さんが

「こんな日は酒でも飲みに行くか!」

と言った。

「昼間からですか?」

「いいじゃない。たまには。」

「そうですね。」

一応、会社に電話して確認する。佐久間さんが電話に出て了承してくれた。但し自費である。勤怠票は後で飲み屋に持っていくから場所を連絡するように言われた。そのまま参加するに違いない。

 駅前の古い居酒屋がもう空いていたので焼き鳥とビールで乾杯した。年齢差で四十は違う人とさしで飲むのは初めてだったが杯を重ねる毎に親しくなっていく。その内に色々な話をする。

「大滝さんはなんで、そんな占いを本気で信じているんですか?」

「う~ん。判らない。でも奴はいい男で親友と呼べる奴だったからね。だから俺は信じてあげたいんだ。周りの人間は鼻で笑っていたから余計にね。そいつらとは絶交したよ。」

「え?随分、極端ですね。」

「友達の悪口を陰でコソコソ言う奴らとは付き合いたくないよ。」

「それじゃ世間が狭くなりませんか?」

「構わない。性分だな。」

「大滝さんは強い人ですねぇ。・・・」

焼酎、日本酒と酒を変えて飲み続ける。

何せ、まだ日が暮れ切っていない。

「俺、弱い人間なんですよ。上司に何も言えずに辞めてしまいました。まぁ、元々は自分の実力不足が原因なんですがね。」

「緒方君。俺に言わせりゃ、その上司の教え方が駄目なんだ。上司は部下を育てるのも大事な仕事だ。どうしたら緒方君が伸びるか。そこを考えずにただ叱責だけしたら誰だって萎縮して心を病んじゃうよ。だから、あんたが落ち込むことはないやね。」

それを聞いて元気が出てきた。霧が晴れたような気がした。

しばらくして佐久間さんが勤怠票を持ってササッとやってきた。場所を伝えていたのだ。案の定、佐久間さんもムヒョ~ンと加わって乾杯をした。


どれだけ飲んだかわからない。二次会でカラオケに行き、大滝さんと佐久間さんの歌う昭和歌謡を俺は平成ニューミュージックで対抗して歌った。

午前に日付が変わった頃、解散した。帰り際に大滝さんが

「今日も楽しかったよ。ありがとう。」

と言った。俺と佐久間さんも笑顔で見送った。


(5)

 翌日、公園に大滝さんは来なかった。(昨日飲み過ぎたからかな)と思い一日を過ごした。ところがその翌日も来なかった。スマホから電話連絡してみたが応答がない。佐久間さんにその旨を伝える。数時間後、佐久間さんが真っ青な顔でやってきた。嫌な予感がした。

「大滝さん、亡くなっていたよ。」

「えぇ!」

絶句した。ご家族の話によると、あの占いをした友人の月命日で、墓参りをした帰り、急に心筋梗塞で倒れ、そのまま亡くなったそうだ。そう言えば糖尿病を患らっていたっけ。

 私と佐久間さんで大滝さんの通夜に出席した。お焼香をあげ、お清め会場で献杯をした。

「それにしても驚きましたね。」

と佐久間さんのグラスにビールを注ぐ。

「ウン。大滝さんと緒方君と三人で飲んでから、まだ一週間もたってないんだからなぁ。」

佐久間さんが私にビールを注ぎ返す。その際、「トクトクトクトク」

と小声で擬音を言うのが可笑しい。そう、あの飲んだ席でも私と大滝さんで、その変な癖に笑ってツッコミを入れたのだ。でも今、一緒にからかった大滝さんは、もう、この世にいない。・・・不思議な気がした。

佐久間さんがそう言った後、しばらく二人して黙って寿司をつまんだ。後ろで数人の参列者がお酒を飲みながら話をしているのが聞こえる。

「へぇ~。大滝、とうとう“幸せ”が来たって言っていたのか?」

「あぁ。だから明日、タナカの墓参りして報告するって。その電話が最後だったな。」

「で、その“幸せ”って何なんだい?」

「判らん。お前らには教えない、だと。」

「ケッ。じゃあ本当かどうか。」

「なんだい。せっかく奥さんから連絡があったから通夜にも顔出したのになぁ。」

 彼らのやりとりを聞いて絶交した友人達だと判断した。それにしても“幸せ”が来たって?いつ?少なくとも私は知らない。

「佐久間さん!“幸せ”が来たんですって!」

「うーん。」

と佐久間さんは腕組みをして唸った。

「宝くじで大金でも当たったんでしょうか?それとも家にお宝が眠っていたとか?」

佐久間さんは腕組みしながら

「いや、あの場所に来たものでなきゃ占いは当たったことにならんでしょう。」

「じゃあ、何です?少なくとも自分は気づきませんでしたが。・・」

「お金とか物とかじゃあ、ないんじゃないでしょうかね。もっと、こうジワ~ンとくるような。いや、パハーッとも言えるな。ここ数週間、大貫さん、ハッピハピだったですし。」

「ハッピハピ?」

「それでね、実は大滝さんったら、請求分の支払いとは別に、我々に謝礼金を用意してくださっていたんです。粋な計らいですな。亡くる前に家族に託してね。昨日、ご遺族から有難く頂戴いたしました。」

佐久間さんが懐から茶封筒を取り出した。

「で、ですね。社長と話し合って、謝礼金の方は全額を緒方さんに差し上げようという事になりましてね。」

「私に、ですか?」

「今回のお仕事は緒方さんのおかげでいい感じにグオーンと行きましたからね。まぁ、大滝さんの“幸せ”のお裾分けです。」

そう言って私に差し出した。

「いいんですか?」

「いいんです。それと、これも社長と話し合って決めたんですけどね、緒方さんさえ、良かったら正社員としてウチで働きませんか?

何せ、緒方さんってポワ~ンとしているからね、ウチにピッタリです。」

そう言って私のグラスにビールを注いだ。

「トクトクトクトク。」

と呟きながら。


 私にはよく判らない話だった。これも私がポワ~ンとしているせいなのか?いや、何せ佐久間さんは擬音が多いし抽象的過ぎる。大滝さんが来たと言っていた“幸せ”とは何だったんだ?

 いずれにしても新しい就職先が決まった。こういう気持ちをハッピハピと言うのかもしれないと思った。

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