第63話「旅行」

 マンガ家が旅行に行くというのは、それこそかなり前から予定を立てて、締め切りに余裕を持った進行をしてようやく叶うことなのだけど。


「すみません。大塚先生、今度サイン会で山梨へ行く気はありませんか?」


 河林さんの申し訳なさそうな声が電話口から聞こえてくる。

 どうやら新連載のグルメマンガの人気が良いようで、なぜか山梨でのサイン会の依頼があった。


「締め切りもあるので、本当に可能ならでいいのですが。一応時期的にさくらんぼが旬なのですが、先方からギャラの他にお礼としてさくらんぼ食べ放題とかも付けてくれるそうです」


「しばらく、旅行らしい旅行もしてないわね。一応仕事が絡むとはいえ、この機を逃したらそれこそそうそう旅行なんていけないですよね。でも、足がないですよね?」


「それでしたら、東京まで来てくだされば、こちらでご用意させていただきます」


「じゃあ、そういうことでしたら、お受けいたします」


「ありがとうございます!」


 母さんは電話を切ると、さっそくマンガに取り掛かった。


「今月はいつも通り3本。お題はすでにそれぞれ決まっているし、1本はもうすぐ終わるから、急いで2本描けばいいだけね。ミト、あたしは、これを23日までに終わらせるわ!」


 本来の締め切りはもう少し先なのだけど、母さんは自分で締め切りを作って、そこに向かって仕事を始めた。


 普段でもかなり仕事をしている方だけど、旅行が決まってからは、いままでのんびりしていたところも仕事をしている。


 ついでに今までの母さんの一日はこんな感じ。


 母さんの朝は早く。8時には起き出していて、猫のサバの世話、洗濯、朝食の準備としていく。

 その後で、ようやく身支度を行い、仕事に取り掛かる。

 お昼ごろまで、録画してある海外ドラマを垂れ流しながらマンガを描きつつ、所々でサバの世話をする。

 お昼ご飯は適当に済ませ、その後、買い物へ。

 母さん曰く、買い物はストレス解消手段らしく、毎回色々と余分なものも買ってくる。そのおかげで、我が家には何でもあるんだけども……。

 その後は家事を行い、私が帰ってくる頃には夕食の準備が済んでいる。

 夕食が終わると、そこから少しバラエティ番組を観たりとまったりしつつ、10時くらいから2時まで仕事をしている。


 今も、ほとんど休まずにマンガを描き続けている。


 描いて、描いて、描いていく。

 

 根の詰めすぎに心配になるけれど、母さんは「さくらんぼの為ならこれくらい余裕よ」と笑顔を見せる。


 そして、再びペンを持つ手を走らせる。


 その真剣な眼差しに私は何も言えなくなり、せめて邪魔しないように、そっとお茶を出してから就寝するのだった。


 たまたま、私が深夜3:30くらいに起きてしまったので、そのままトイレへ向かっていると、まだ居間に電気がついていた。

 

「ん? 母さん、まだ仕事してるの?」


「…………」


 こんな遅くまで仕事しているのが心配になって、声を掛けるけど返事がない。


「大丈夫?」


 座椅子に座ったままピクリとも動かない母さんに私は心配になって駆け寄る。

 マンガの神様と呼ばれている方は、描きながら亡くなっていたっていうし。そうじゃなくても、こんな時間まで居るのは心配よ!


「母さんっ!!」


「くかぁ~~」


 しかし、母さんは器用にもペンを握ったまま寝ているだけだった。


「もう母さん、起きて! こんなところで寝てると風邪引くよ」


 私は無理矢理に起こすと、母さんは寝ぼけ眼で、


「ああ、ミト? そうね。ちゃんと寝なくちゃねぇ」


「仕事忙しいのは分かるけど、体を壊したらもっと遅くなるじゃない」


「う~ん、でもねぇ、今じゃ、


 仕事がそこまで忙しくないときは1年に1回、旅行はしていたけど、ここ最近はめっきり旅行なんてしていない。

 最後に旅行したのは5年前に仙台に行ったきりだ。

 母さんが楽しみたいっていうのもあったとは思うけど、私の為にも無理してくれていたんだ……。


「母さん……」


「ん~?」


「体壊さない程度に頑張って」


「は~い」


 眠そうな足取りで寝室に入って行く母さんを見送ってから私も自分の部屋へと戻っていった。

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