03作品目
Nora
01話.[分かったことは]
僕はいま凄く悩んでいた。
横の席の女の子を起こすかどうかで真剣に。
もうじきこの列に先生がやって来る。
そうなったら大噴火、彼女の後頭部に本の攻撃が加えられてしまう。
ええいっ、起こす方がいいっ。
なるべく触れないようにして揺すってみた。
「ん……」
う、ただ漏れただけの声がなんか色っぽい。
でも負けない、ここで挫けたら恐らくこちらまで怒られる。
なにより中途半端なことは1番駄目だろうから。
「津郷さん起きてー」
自分でも驚くぐらいには小さな声を出せた。
幸いなことに先生には気づかれていないうえに目的の人物である津郷さんには届いたらしく、先生が来る前に起きてくれた形になる。
が、僕にとって問題だったのは寧ろこれからだった。
分かるのだ、前を向いていてもその視線が。
僕の横顔に突き刺さるその視線が痛い、何故にそんな見続ける?
だから授業が終わった頃にはすっかり疲弊し、机に突っ伏すことに。
「山口君」
話しかけられたら反応するしかないから横を見たら津郷さんと目が合ってしまった。翡翠色の瞳は正直綺麗だったけど、こちらからすればそれがまた見にくさを加速させるわけだから微妙だ。
「さっきはありがとね」
「え、なんの話?」
「起こしてくれたでしょ? そのおかげで先生に怒られなくて済んだから嬉しかったよ」
それでも異性に触れたことは褒められたことではないし、お礼を言ってもらうことのほどはしていないからそれ以上は言わせなかった。
にしても、初めてこうしてまともに話した気がする。
異性を正面から見るということを全然しないからかなりドキドキしたのは内緒にしておきたい。
「時に山口君、どうしてこっちを見てくれないの?」
「眠たくて」
「授業中、途中からはずっと見ていたけど真面目にやってたじゃん」
違う、真面目にというか目立ちたくないからああしているだけ。
いやまあ真面目にやっているというのは間違ってもいないんだけど。
とにかく、異性を長時間見るとこちらのメンタルが保たないから無理なんだ、特に津郷さんは余計に見ていられない。
彼女はよく寝ているから眠り姫だなんて言われて笑われているが、僕からすれば綺麗な子が横にいて落ち着かない毎日だから。
「なに山口に絡んでんだ?」
「やだなー、そんな言い方しないでよ」
「あんまり会話をするのが得意じゃないんだろ、うざ絡みするな」
会話をするのが苦手というわけでもない。
語彙はないが、話しかけられたらちゃんと対応はできる。
目を見て話すことはできないものの、これまでコミュ障とかって考えたことは一切なかった。おまけに、それはあくまで異性に対してというだけであって、同性の目は普通に見て話せるのだ。
というかさ、綺麗な子の側には格好いいとかイケメンとかそういう人が集まるんだなってなんとなく感想を抱いたよ。
「とにかく、さっきはありがとね」
「うん」
別にどもるわけでもない、見なければ完璧なんだ。
ただ、いつかは直したいと心の底から考えていた。
その後は特になんの変化もない至って普通の1日で。
放課後になったら帰宅部の自分は帰るだけ。
「にゃ~」
「よしよし」
自宅近くをよく歩いている猫が今日も来てくれた。
猫が相手だったら仮に女の子でも話せるんだけど。
「ただいま」
これはなんの意味のない挨拶だ。
でも、意味はちゃんとあるような気がしてずっと続けていた。
僕の毎日は基本的にいつの間にか終わっていることが多い。
起床登校下校、それが真っ直ぐに結び付けられている。
変わることはほとんどない、寄り道とかもしないからある意味安定した毎日を送れている気がした。
教室には40人分の机が並べられており結構狭ぜまとしている。
つまり列と列の間が狭くて、隣の子とは真隣と言ってもいいぐらい近いわけだった。隣と言えば津郷さんで。
幸いな点は、休み時間は絶対に寝ているということ。
だから距離が近くても気にならない。
そもそもの話、別にそういうことはあまり関係ないのだ。
「山口、ちょっといいか?」
「うん」
話しかけきたのは三島君だった。
「こいつなんだけどさ、授業中に寝ていたら遠慮なく叩き起こしてくれればいいから」
「え……流石にそれは……」
「できるなら自分でやりたいが距離があるからな、お前にしかできないことだ、いいか?」
津郷さんの右隣の子は女の子なんだからそっちに頼めばいいのに。
起こすにしても声をかけるだけじゃ起きてくれないから困るのだ。
これからはペンとかを使って起こす……のはなんか嫌だな。
直接触りたくはないから教科書とかそういうのを利用するしかない。
嫌だとか思わないのかな? なんかふたりは親密な関係っぽいのに。
「もー……余計なこと言わないでよぉ」
「お前が寝るのが悪い、山口に起こしてもらえ」
「えー、私が寝ちゃう前提なの?」
「当たり前だ、その証拠にお前は毎時間寝ているだろうが」
正しいようで正しくない。
始まってからすぐは寝ているだけで、後半の集中力は凄まじい。
……ただまあ、三島君の言いたいことも分かるなあ。
後半に集中力が高くても最初からできなければ意味ないと。
「大丈夫だよね? ちゃんとやれてるもんね?」
「うん、最初以外は」
なんならたまに教えてもらうこともある。
こちらが寝落ちしそうになったときは起こしてくれたこともあった。
そのため、責められるようなことばかりではない、ということだ。
「う゛……」
「はははっ、言われてるぞお前っ」
「お前じゃないっ、
「はいはい、眠り姫の渚沙さん」
「むきー!
やっぱり仲がいいんだな。
本気で怒っているような感じはしない、仲良し同士がじゃれているような感じだ。楽しそうなのがこっちにまで伝わってきていい。
「山口君、孝輔の味方しちゃだめだからね!」
「これについては三島君が言いたくなる気持ちも分かるから」
「え、むぅ」
寧ろこちらの方がヒヤヒヤして疲れる。
起きていてくれるのなら結構、これから楽しく授業を受けられる。
「こら、もう1回言ってみなさい」
「え……」
「大体さっ、会話しているときに相手の方を見ないって失礼じゃん!」
もっともな意見です、はい。
昔からそうなんだ、異性をまともに見ることができない。
相手が可愛いや綺麗でも、失礼な話だが普通でもだ。
なんでだろうな、特になにかがあったというわけではないんだけど。
「だから山口にうざ絡みするな」
「違うっ、これは私の言い分が正しいと思うけどっ」
「だそうだが、山口的にはどうなんだ?」
隠す必要もないからそのまま全て説明しておいた。
三島君は「そういうこともあるんだな」と少し驚いたような反応。
が、津郷さんはまだ納得できないようだった。
なんだか凄く嫌な予感がする、そして大体こういうときの嫌な予感というのは当たってしまうものだ。
「なら私で練習しなよっ」
「え……?」
「私を相手に練習すれば今後失礼なことをしなくて済むでしょっ?」
「それなら山口が起こす役をやれば等価交換みたいなものだな」
「そうだよっ、そうしよう!」
まともに会話をすることができていれば例え顔を見れていなくたって問題はないと思うけど。
そりゃ、社会に出て働き始めたら変える必要はある、でも、いまはまだそのときではないのだ。
「練習しなくても大丈夫だよ」
「だめっ、だって失礼だもんそれっ」
「でも、三島君とか同性とは普通に見て喋ることができるからね」
「んー! その視界に私も入ればっって、なんで目を閉じるの!」
うーん、困った子だな。
別に特に不都合もないんだから放っておいてくれればいいのに。
後で三島君に頼んでおくことにしよう、それしかできない。
「渚沙、やめてやれ」
「うぅ……」
「悪いな山口」
「ううん、大丈夫だよ」
それからもしつこく練習と言ってきた彼女を躱し続けた。
その度に三島君に助けてもらう形になって申し訳ないぐらい。
解放されたのは放課後になってから2時間後だった。
「はぁ……」
席に座ってのんびりとする。
早くに帰っても仕方がないから疲弊したこと以外は意外とありたいことでもあったんだ。他人とあそこまで1日で話したことは初めてだったからそこそこ楽しかったし。
僕なんてそんなものだ、単純、ちょろい、それっぽいことを言われたら簡単に影響を受けてしまう。だからこそでもあったのだ。
だって好きになられたら困ってしまうでしょ?
もしかしたらそういう風に言い聞かせているだけなのかもしれない。
「山口」
「あ、またいたんだ」
部活の時間のはずなのにここでなにをやっているんだろう。
「今日はあいつが悪かったな」
「大丈夫だよ、言いたくなる気持ちは分からなくもないから」
「あいつは基本的に真面目なやつなんだけどな」
それは横で過ごしているからよく分かる。
それに気さくでよく人が来るからその度に明るく対応している津郷さんを見ることができるから。
「津郷さんとはどういう関係なの?」
「俺か? 幼馴染だな、家は隣同士ってわけじゃないが」
「じゃあお互いに意識していたりするの?」
夜とかに家を抜け出て会ったりとかしてそう。
容易に想像できてしまうのがすごい、基本的には津郷さんが三島君を振り回しているところばっかりだけど。
「そういうのはないぞ、少なくとも俺にはな」
「え、もったいないじゃん」
「もったいないか、よく言われるがな」
他の人から見たらかなり羨ましい関係だと思う。
なのにその片方はこんな感じ、かなり贅沢だなあ。
「本当に普通に喋れるんだな」
「うん、顔さえ見なければ津郷さんとだって話せるよ」
ちなみに先生とかは苦手ではなかったりする。
要は少しでも若くてキラキラしている子は駄目なんだ。
「あいつなんて米粒かなんかだと思っておけばいいんだよ」
「いや無理だよ、綺麗な子だったり可愛い子だったら尚更ね」
「あ、あいつが綺麗? はははっ、まじかよ、そんなこと言う奴初めて見たぞ」
幼馴染だから感覚が麻痺しているのかもしれない。
僕だったら絶対に大人になったなとか、めちゃくちゃ綺麗になったなあとかっていつも考えると思う。
「そういえば山口って友達いるのか?」
「いないかな」
「なら俺達となればいい、退屈はしないぞ」
「あ、それならなってもらおうかな」
困るのはあの子があのままあの態度を継続する場合だ。
そもそも顔を見て話せないなら友達にならないとか言い出しそう。
「ちゃんと話せるようになるまでならないから!」
結果は予想通りだった。
あくまで相手を見られなければ会話にはなっていないそうだ。
このままだと疲れてしまうから津郷さんの方を向く。
「これでどうかな?」
「目を見て、1分ね」
ま、見続けても別に死ぬわけじゃない。
が、段々と逸らしたくなってくるのは自分が弱いからだろう。
彼女も逸らさない、そうだよな、別に僕を見続けたってなにも変わらないわけだから。こちらにとってはかなり辛いことだけどさ。
「あ……本当に1分……」
「うん、これでいいかな? 友達になってくれる?」
「ま、まだだめ! だっていまは必死に我慢しただけかもしれないし」
毎時間勝負を仕掛けても「まだだめ」攻撃は続く。
単純に友達になりたくないということならそう言ってくれればいい。
こっちは頑張って耐えているんだ、これ以上はやめてほしかった。
「面倒くさいやつだな渚沙は」
「しょうがないよ、相手は幼馴染以外の異性なんだから」
あったことを三島君に報告するのが日課となっていた。
彼は「それでも面倒くさいことには変わらないだろ?」とこちらに聞いてきたが、面倒くさいというよりただただ困るというのが正直なところだった。
「というか、どうやって乗り越えてんだ?」
「うーん、翡翠色の瞳が綺麗だなあってずっと考えてかな」
「よく分からねえな、それなのに顔は見えないのか?」
「やってみて分かったんだけどさ、そこまでではないかもしれない」
食べず嫌いみたいなものだと考えている。
重く捉えすぎていて見れなくなっていたというか、自己暗示をかけていたようなものだったのかもしれない。
放課後までずっと付き合ってきたがその全てを乗り越えた、しかも頑張っていたとはいえ少しの余裕を残してだ。
こんなことで思い込みが解けてくれるということならかなり嬉しい結果と言えた。
「じゃあ後はあいつが納得するかどうかか」
「うん、そういうことになるね」
仮にこのままを続けるのなら根気良く付き合って友達になって貰う予定だ。友達になってほしいと頼んだのは自分で、勝負を仕掛けてきたのは向こうなんだからこちらも頑張らなければならない。
「三島君は部活に行かなくてもいいの?」
「俺が行っていたのはあくまで助っ人としてだからな」
「そうなんだ、じゃあ津郷さんと一緒に帰ればいいのに」
「渚沙ならそこにいるぞ」
あ、本当だ、体は隠しつつもこちらを見てきているようだった。
これまで全く気づかなかった自分は馬鹿だな、見ないようにしていただけとも言えるかもしれないけどさ。
「私は別に盗み聞きしたかったわけじゃないから、帰る方向が一緒なのに孝輔と別行動する意味もないかなって考えて待っていただけだから。てか、こういう風にふたりでこそこそするとか最低じゃん、山口君も言いたいことがあるなら私に直接言えばいいのに」
あ……対象が途中でこちらに変わったぞ。
言いたいことはちゃんと言ってた。
約束を守っているのにどうして認めてくれないのかって。
嫌いとか友達になりたくないということならはっきり言ってくれともちゃんとぶつけた。そういうところを我慢するタイプではないから、僕は基本的に○○と言えなくて困るということがない。
悪いことだと分かったらきちんと指摘するし、逆にこちらが悪いことをしていたらきちんと謝罪もする。一応、最低限の常識は備わっているつもりだった。
「なに自分が悪くないみたいに言ってんだよ、お前が1分間目を見つめられ続けたらって話だっただろうが。で、山口は実際にそれをした、なのに認めようとしないのはなんでだ?」
「それは違うじゃん、あくまでそういう条件があったから我慢していただけのようなものでしょ? 友達になってからまた同じようになる可能性は高い、そうしたら嫌だもん」
「あ、別にいいよ? 友達になれなくても」
「は?」
たった1度だけじゃない、僕はその度に付き合った。
でも、信じられないということならしょうがない、諦めるしかない。
そもそもこれは三島君が言い出したこと、僕も同意はしたわけだけれど、本人が嫌だということならこちらは手を引くしかないでしょ?
「どんなに頑張ったって津郷さんが嫌なら意味ないわけだしね」
「そういうことか……、俺はてっきり渚沙とはなれなくていいのかと思ったぞ」
彼は「紛らわしい言い方するなよ」と重ねてきた。
そんな言い方したかな? 基本だと思うけどね。
「仮に津郷さんがみんなに好かれているのだとしても、みんながみんな興味があるわけじゃないんだよ、そこだけは分かってほしいかなって」
「って、つまりお前は渚沙に興味がないってことだろ?」
「ただ席が隣の子ってぐらいかな」
「興味ないんだな、なんか意外だ」
地味系がこういうキラキラ系に惹かれるというのはありがちだけど、たまにはこういう風に対象外ってのもいるというだけだ。
てか、彼女側から見て対象外なのが正に自分というわけだが。
「ふんっ、山口君なんて大嫌いっ」
「おい渚沙!」
「知らないっ」
いや、もしかしてみんなに好かれてるとでも思っていたのかな。
あ、僕がこんなに地味なのに靡かなかったからプライドを傷つけられたというところだろうか。
「ま、気にするなよ山口」
「うん、嫌われても別に構わないよ」
さてと、僕もそろそろ帰らないと。
自宅近くでまたあの猫、テトラを撫でてから屋内に。
「なんか寂しい空間だなあここは」
だからこそひとりでいるのに慣れてしまったというのもあるけど。
「すごい自信だよなあ」
みんなに興味を持たれている、好かれているという捉え方。
僕では真似できないことを津郷さんはしている。
こっちなんか最低みんなに嫌われているぐらいの考え方で生きているというのに。死ぬ間際になっても変わることはないかもしれない。
「ま、これで睨んでくることとかもなくなったよね?」
その点だけはただただ救いだった。
「うーん」
そろそろなにか新しい料理を作ってみたい。
探求しているわけではないものの、なんでも焼くばかりでは飽きてしまうからだ。そのため放課後遅くまで居残って調べまくっていた。
「まだ残っていたのか? 早く帰れよ」
「あ、すみません、もうそろそろ帰るので」
「おう、帰るときは気をつけてなー」
スーパーに寄っていくつもりだからここで決めなければならない。
が、なんでかこれだというレシピが見つからないのだ、簡単とか書いておきながら家に必ずはないような調味料を使用していたりするから。
図書室でも行くか? レシピの本が確か置いてあった気がするし。
「お」
あー、こちらも手軽にはできないようなものばかりというか、寧ろネット上で紹介されているユーザーレシピよりも面倒くさそうだった。
本当に手軽で簡単で美味しいご飯が食べたいのだ。
「なにか悩んでいるの?」
「え? あ、はい、簡単に作れて美味しいご飯ってないかなと」
受付のところで本を読んでいた人だった。
正直に言って開いていないと思ったからいてくれて助かった。
「どうして男の子であるあなたが気にするの?」
「あ、自分で作らないと誰もいないので」
「ふーん、珍しいわね」
なんだかいい匂いがする。
もう今日は帰って卵焼きにでもして食べよう。
卵の個数によって満足度が変わるというのが面白い。
「待って、私が作ってあげるわ」
「え……いや、いいですよ」
「なんで? 私みたいな美人に作ってもらえるのよ?」
みんなこういう風に自信満々で生きているんだ。
こちらはもう1度断って図書室にあとにした。
なんてことはない、お米と卵と油揚げと玉ねぎがあれば普通に生きていける。それでたまに野菜なんかも買ったりしたら栄養も偏ることなく済むわけだ。そも、誰かに作ってもらうなんて自分には似合わない
「テトラー?」
今日は残念ながら会えなかったが気にせず家の中へ。
「へえ、ここにひとりで暮らしているのね」
「はい、そうなんで……え?」
「大丈夫よ、食材は買ってきたから任せなさい」
こちらは食後すぐに入浴できるようにお湯を溜めたりしておく。
違う、そうするしかできないんだ、自分の家でなにが起こっているのかを本能が理解したくないと訴えてきているのかもしれない。
「はい、中華丼よ」
白菜、人参、筍、エビ、豚肉、きくらげにうずらの卵か。
白い湯気といい匂いでなんとも食欲をそそられる。
「早く食べなさい」
「あ……いただきます」
ツッコミたいことは沢山あったがそれどころではない。
口に含んだ瞬間、昔給食で食べた八宝菜を思い出していた。
でも違う点は、こちらは温かくて美味しさが跳ね上がっていること。
だから完食するのに時間はいらなかった。
「凄く美味しかったです」
「ええ、それなら良かったわ」
「あの、でも良かったんですか? 簡単に異性の家に……」
「どうでもいいわよそんなの。貸しなさい、洗うから」
「あ、それは自分でやりますから」
そこまで任せるわけにはいかない。
というかこの人がゲストなんだからこちらが作る側でしょうがと今更ツッコんでいた。
「それならもう帰るわ。あ、残念だけれどこの1回だけだからね」
「分かっていますよ、あと送ります」
「いいわ、すぐそこだから。さようなら」
結局すぐに出ていってしまった。
出ていってから調味料をどれぐらい使うとか聞いておけば良かったと後悔したがもう遅い。先に後悔はできないからなんて片付けたが。
「にゃ~」
「えっ、て、テトラ!?」
こちらの足に体を擦り付けてきているのは間違いなく彼女だ。
真っ白な子だから綺麗でいいけど、どういうことだと内側は大混乱。
それでも少ししたら落ち着いて、いつものように撫でておいた。
ここは別にペット禁止のところじゃないから気にする必要もないし。
明日になったら外に出してあげれば問題もないだろう。
いまの問題は、あの名前も知らない先輩になにをすればお礼になるのかということだ。
生憎と、異性がどのようなことを、物を好むのか分からないから。
例えばこのテトラだったらあごの下を撫でてあげれば喜ぶのに。
流石に先輩にすることはできないからほぼ詰みのようなものかも。
「――というわけなんだけど、三島君は異性にお世話になったらどういう風にお礼をする?」
「物とかは買わないな、飯を奢るとかそういうぐらいかな」
「そっか」
あ、昨日の食材費を聞いてそのままお金を返すのが1番かな。
今日も放課後に図書室へまた向かったら先輩はいてくれた。
「昨日はありがとうございました、あの、これを受け取ってください」
「ふふ、なるほどね」
「どうお礼をしたらいいのか分からなかったので」
「あなた、あまり他人と一緒にいたことがないでしょ?」
「はい、基本的にひとりでしたからね」
それどころか小中では嫌われていたと思う。
でも気になるようなことはなかった、いつの間にか終わってた。
ひとり暮らしをしている理由は他県へ行くことを親から進められたからだが、僕は別にあっちのままで良かったんだけどね。
「お金で返すのは1番駄目ね」
「そうなんですか?」
「まあいいわ、これがあなたの考えたお礼なのだから」
受け取ってもらえて良かった。
たまにはとそのまま残って読書でもしていくことに。
色々な本があって見ているだけでも面白い、問題だったのはそれだけで満足してしまい結局読むまでいかなかったこと。
「山口君、お客さんが来ているわよ」
「え? あ……」
不機嫌そうな顔、いつもと違ってぼさぼさな翡翠色の髪。
こちらを同じく翡翠色の瞳で捉えている彼女は横の席の子だった。
「どうしたの? 三島君といなくていいの?」
と聞いてみても返事はせずに睨んできているだけ。
固まったままの僕らに先輩が席に座ったらどうかと提案してきた。
あまり遅くまでいると先輩が帰れないからと言ってみたものの、先輩は全然気にせず図書室が好き的なことを言って読書に戻ってしまう。
こちらとしては先輩の前で情けないところを見せたくなかったからだったんだけど……残念ながら届かなかったようだ。
「ちょっと来て」
「あ、うん」
わざわざ図書室前の階段を下りてからの話し合いになった。
「結局綺麗な人に興味があるんじゃん」
「違うよ、昨日ご飯を作ってくれたからお礼をしただけ」
「はあ? なんであの人が山口君にご飯を作るの?」
「分からないけど作ってくれたんだよ」
「分からないっ、なんでそうなるの!?」
分からないんだよ僕も。
気づいたら家の中にいて作り始めてしまったし、見返りを求めずさっさと出ていってしまった、テトラという可愛さを具現化した生き物を家の中に残して。
しっかりと環境が整っているのならテトラを招き入れたいんだけどなあというのが正直なところ――なんて現実逃避している場合じゃない。
そもそも、津郷さんがいちいち気にすることじゃないだろう。
先輩がご飯を作ってくれたことで問題が起きたわけでもなし、なのに何度も聞かれても困る。
「どうでもいいでしょ、津郷さんには関係ないことだよ」
「は……」
「戻っていいかな? 鞄を置いたままなんだ」
うーん、嫌われる理由を作っていたのは自分かもしれない。
そういうところがむかつく、と何度も言われてきたからだ。
もっとも、いま津郷さんからなにかを言われたわけじゃないけど。
大体はそんな展開に繋がるんだ、大嫌いとか空気読めないとかさ。
でも、他人に悪く言われて傷つく子の気持ちが分からなかった。
言わせておけばいいじゃん、どうせ誰からも理解されるようなことにはならないんだから。
悪口だけに留まらず物を隠されたり捨てたられたこともあったが、その場合は両親への申し訳なさしかなかった。流石にあのときばかりは怒って衝突したけどね、お金がかかっているんだから。
「おかえりなさい」
「はい、といってももう帰りますけど」
しょうがない、津郷さんは僕が合わなかった、嫌いだったというだけだから気にする必要もない。この先何人もの人間から嫌われるだろうが同じようなスタンスでやっていけるとしか思えなかった。
「あなたも対応が下手くそね、あれでは絡んでくださいと言っているようなものじゃない」
「実際そうじゃないですか、あの子はこのことに関係しているというわけではないんですから」
「悪いことは言わないから、これからはせめて8割ぐらいに抑えなさいな、そうしないと周りが敵ばかりになるわよ」
「いいですよそれでも、両親がくれたお金で買った物を失くされたりがなければ構いません。悪口を言われても、例え殴られてもです」
挨拶をして図書室をあとにする。
ここに味方がいてくれているなんて考えていない。
僕はただただ僕らしく生きているだけだ。
このままいけば死ぬときに自分のやり方を貫いてきて良かったと言えるはず、後悔だけはしない終わり方を望んでいるだけだから。
「で、なんで君もいるの?」
「うるさい……」
「あ、テトラだ」
「猫っ!? い、いやあああ!?」
「お、落ち着いて、どうしたの?」
どうやら猫が苦手ならしい。
昔、野良猫に手を近づけたら噛まれたからだそうだ。
テトラは大丈夫、噛むなんてとんでもない、逆にぺろぺろぺろーと舐めてくるぐらいだぞ。
「え、な、慣れてるの?」
「うん、テトラはすごい優しいよ」
今更ではあるがこの名前も僕が勝手につけたもの。
意味は特にない、響きが可愛いかなって思っただけで。
「どう?」
「ひ、ひぃ、だ、大丈夫だよねっ?」
「にゃ~」
「ひゃ~!?」
やばい、面白い。
こういう風に感じる能力は自分にもある。
一応こちらがテトラを抱いておいた。
「大丈夫だよ、テトラは優しいから」
「う、うん……えっと、そーっと、あ」
触っても怒らないと分かってからは必死だった。
焦げちゃうんじゃないかってぐらい擦って、目は真剣で。
テトラは余裕たっぷりで、途中であくびをかいていたぐらいだった。
「ありがとねテトラ」
「にゃ」
必ず向こうの方へ帰っていくから今度行ってみようと決める。
「送るよ、もう暗いからね」
「え」
「なに? なんか用でもあった?」
「ううん、じゃあ送ってもらおうかな」
歩いている最中、特にこれといって会話はなかった。
たまに彼女が口を開いても道案内程度だけ、まあらしいけど。
そんなに時間はかからなかったのは良かった。
「あのさ、気軽に家を教えたりとかやめた方がいいよ? そうでなくても君は沢山の人といるからさ、中には良くないことを考える人がいないというわけでもないから」
「ふん、どうせ山口君は私に興味ないからいいんだよ」
「まあその通りだけどさ、次からは気をつけてね」
大嫌いな相手だからこそ普通は教えたくないはずなのに。
あと、彼女は少し感情的になりすぎるところがある。
それじゃ人間関係は上手くいかない、いま問題なくいっているのは周りが我慢してくれているだけだ。
自分で自分の良さを潰すのはもったいないだろう。
必然的に嫌われる自分とは違って、本来は好かれる要素ばっかりなんだからね。
あれだけの魅力を備えているのに嫌われていたらなにやってんのって、真顔でツッコミたくなると思う。
ただまあ、上手くやるだろうから気にすることはやめておいた。
ぼうっとしていれば終わる毎日はどこかにいってしまった。
なにをしていても翡翠色の瞳が追いかけてくる、僕じゃなければ視線恐怖症になってもおかしくないレベルのそれ。
ただ黙って見られているというだけでどうしてここまで疲れるうえに怖いのか、小中時代は見られていても悪口までセットだったから一切気にならなかったのに。
悪意が込められているのかどうか分かりづらいから余計に影響が出てしまっているというわけだ。寧ろ悪意全開の方が対応しやすい。
「もしかしてまたテトラに触れたいとか?」
「ううん、ただ山口君を見ているだけ」
「なんで?」
「ただ見たかったからだよ」
これはこの前の仕返し、というわけではないんだろうな。
僕なんか見ても人がどうすれば嫌われるのかということしか分からないんだけどね、三島君からも対応が下手くそだと言われたし。
「そこっていいね、外を見ることができるし」
「うん、そうかもね」
「隣には私みたいな可愛い子もいるし」
「うーん、津郷さんは可愛いより綺麗系だと思うよ。あと、隣の席で嬉しいかと聞かれればそうじゃないって答えるかな」
「綺麗なんて初めて言われたー」
大事な情報の方はなんにも聞いてくれてねえ……。
こういう都合の悪いところをスルーできるスキルは必要かもだけど。
「私、山口君のこと知りたいな」
「うーん、といってもあんまり教えられることってないかな」
「えー、なんでもいいからさー」
「じゃあ、小中は多分苛められていたと思う」
「え……」
きっかけはなんだったっけ、色々なことで色々な絡まれ方をしたから思い出せない。とにかくまあ、子どもの頃から好かれていなかったということだけは自信を持って言うことができる。
「だからこっちの県にひとりで来たんだ、学費も安かったからね」
それでも賃貸の家賃のことを考えたら地元の高校に進学するのが1番良かったし、僕は特に気にしていなかったからあのままでも良かった。
でも、しょうがなかった、両親にあそこまで悲しそうな顔をされてしまえば従うしかない。子どもの僕に選択権はほとんどないからだ。
けど、いまなら分かる、恐らく同じ学年の親からとかも色々と言われていたりしたんだろうって、そりゃどっか行ってほしいよねという話。
うん、親だって結局は自分達で自分達を守るしかないから間違っていない、責められるようなことではない。
「それ以外は特にないかな」
「ど、どういう反応を見せればいいのー」
「嫌われて当然だとか言えばいいんじゃない?」
「言えないでしょ……、そこまで悪魔にはなれないよ」
それはなんとも珍しい。
いや、僕を相手にしているときだけおかしかっただけなのか?
やっぱり僕みたいな地味野郎が靡かなかったから気にしていると?
「同情してもらいたいわけじゃないんだ、津郷さんが知りたいって言ったから答えただけで。それに僕に悪口を言っても無駄だからね、大嫌いとか言われてもそうだねって納得することしかできないから」
興味がないって言ったのは強がりではない。
昔から好かれるわけがないと考えて生きているから仮に相手のことを知ることができてもなんの役にも立たない。
ならレシピのひとつやふたつでも教えてもらった方がマシだった。
「あ、聞きたいことがあるんだけどさ」
「な、なに?」
「津郷さんは三島君のことどう思ってるの?」
これだけは気になったことだ。
不思議なんだよね、三島君に聞いたときもそうだったけど。
少なくとも色々な方向でこちらに影響を与えているのは確かかも。
「も、もしかして私のこと狙っちゃってる感じで――」
「違うけど、三島君が津郷さんのことをそういう意味で意識しているわけではないって言ってたからさ」
「私も好きじゃないよ、孝輔と違って好きな人がいるってわけじゃないけれども」
へえ、三島君は好きな人がいるんだ。
近いからこそ相手をそういう目で見られないということなのか?
「教えてくれたから私も言うけどさ、私は山口君と違って悪口を言われたら凹んじゃうかなって」
「普通はそうだと思うよ、おかしいって思ってはいないけどおかしいって僕は何度も言われてきたから」
「あと、無関心でいられるのも嫌です……」
「そればかりはそれぞれにそれぞれの生き方や考え方というのがあるからね、こういうやつもいるんだな程度に考えてもらうしかないかと」
分かったことは嫌われる能力が健在だということ。
正直に言ってこのままでいいと考えている、好かれることはないだろうが好かれるよりもマシだから。
「だからさ、嫌いなら嫌いなままでいてくれないかな」
「……そんなの寂しいじゃん」
「僕は違うんだよ」
「…………」
相手が嫌いでいてくれるならフラットに対応できる。
けど、変に距離が近かったりするとこれまでのこともあって上手く対応できなくなってしまうのだ。
「矛盾しているけど、話しかけてくれればいいから」
「嫌いなら話さないでしょ……」
「じゃあ嫌いじゃないってこと?」
「……山口君は意地悪だから嫌い」
「ははっ、じゃあこのままでいようかな」
色々言ったが自信がないからこんなことを言っているだけ。
そんなことは自分が1番分かっているに決まっているのだ。
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