第24話 いつも通りの朝
彩愛先輩に好意を抱いていると自覚したからといって、日常が大きく変わるわけではない。
今日も今日とて傍迷惑な爆音アラームに起こされ、窓枠に手をかけて身を乗り出し、向かいの窓をノックする。
「彩愛先輩、起きてください! いますぐ起きないと、うろ覚えの知識でロールキャベツを作って口に詰め込みますよ!」
「――っ、起きた! 起きたわよ! だから命だけは!」
至近距離でのアラームでも目を覚まさなかった彩愛先輩が、慌てて飛び起きて勢いよく窓を開けた。
手料理を致死性の毒物みたいに扱われたのは腹立たしいけど、朝の忙しい時間を無駄にせずに済んだと考えよう。
「ちゃんと玄関から入ってくださいね」
「分かってるわよ。あんたこそ、せめて食べれる物を出しなさいよね」
今日の朝食担当は私だ。後ほど、学校へ行く支度を整えた彩愛先輩が我が家へやって来る。
習慣とはいえ、好きな人に自分の手料理を振る舞えるのだと思えば、いつも以上にやる気が湧く。
「さて、と」
部屋の中で軽く体を伸ばし、洗面所で一通り済ませたらキッチンで朝食の準備に取り掛かる。
炊飯器のセッティングは完璧。成長した私は、高校生になってから一度も炊飯を失敗していない。炊き込みご飯はノーカウント。
彩愛先輩が唯一褒めてくれるお味噌汁。彩愛先輩のことを意識しながら愛情を込めて作っていたら、恥ずかしくなって悶絶することになった。
おかずは難しい物を作ろうとすると九割九分九厘の確率で危険物が生まれるので、シンプルに目玉焼きとほうれん草のお浸しにしておく。
まずは目玉焼きだ。フライパンに油を敷いて、玉子を落とす。殻が入ったので菜箸で取り除こうとしたら、黄身が割れて気分が萎える。
めげずに次へ。茹でたほうれん草を少し冷ましたら、切ってから器に移し、目分量で醤油を回しかける。ついでにゴマもパラパラと。
「うーん……もうちょっと、かな」
ゴマは栄養豊富なので、ほうれん草が隠れるぐらい振っておこう。
炊飯器の電子音が鳴ると同時に、玄関の方から物音がした。
徐々に近付いてくる彩愛先輩の足音を聞きながら、配膳を始める。
「おはよ。ヘアゴム忘れちゃったから、あんたの借りるわね」
彩愛先輩は一瞬だけ顔を出してそう言うと、私の部屋へと向かった。
いつものツインテールが一番よく似合うけど、髪を下ろしている状態も可憐な印象で魅りょ――いやいや、そういうことじゃなくて。
「すぐ隣なんだから取りに戻ればいいのに……」
コップにお茶を注ぎながら愚痴をこぼしてみたけど、慣れているので別段怒ったりはしない。
それに、私物を好きな人に使ってもらえると考えれば……。
どうしよう。なにかにつけて恋愛に結び付けてしまう。
「お待たせー」
「用意できてますから、早く食べましょう」
再び姿を現した彩愛先輩と食卓に着き、「いただきます」と声を合わせて食事を始める。
彩愛先輩はお味噌汁を一口すすり、表情を緩めて静かに息を漏らした。
「相変わらず、冗談抜きで味噌汁だけは上手に作るわよね。心からホッとする味だわ」
「ありがとうございます。他のもおいしいですから、どんどん食べてください。品数が少なくて申し訳ないですけど」
「これって目玉焼き?」
「それ以外にどう見えるんですか?」
「…………。えっと……こ、こっちはゴマのサラダかしら? ゴマが主役ってのも珍しいわね」
「ほうれん草のお浸しです」
シーン、という効果音が目に見えるほどの沈黙が私たちを襲う。
元はと言えば自分の腕が悪いとはいえ、少なからず気分を害されてしまった。
私は無言で箸を伸ばし、ほうれん草を口に運ぶ。
「――っ!? ごほっ、げほっ、か、からっ……っ!」
想像を絶する塩辛さにむせてしまい、慌ててお茶を飲む。
ゴマで幾分かマシになっているとはいえ、醤油があまりにも多すぎたらしい。
どうにか吐き出さずには済んだけど、これを成功と呼ぶのはほうれん草のお浸しへの冒涜に他ならない。
「ご、ごめんなさい、醤油の分量を間違えたみたいです」
「そうみたいね。あんたの分もあたしが食べるわ」
言うが早いか、私の手元にあった小鉢を手に取り、止める間もなく中身を口に放り込んだ。
「一限目の体育で汗をかくから、事前に塩分を多めに摂取しておくのも悪くないわね」
「いくらなんでも多すぎると思いますけど……」
私が不安気な視線を向けると、彩愛先輩は心配なんて無用だと言わんばかりにパクパクと食べ進めていく。
おいしくないはずなのに、嫌な顔をせず平らげてくれる。
こういう優しいところにも、惹かれてしまったのだろうか。
いつも通りの朝なのに、いつもと違う思いがたくさん浮かんでくる。
どうやら、彩愛先輩を好きになる理由は、あまりにも近く、あまりにも多く、私の日常に隠れていたらしい。
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