03_一番酷い期間は自分でも引く

 ありふれた日常を説明させて頂いた際に、「もっと酷い場合もある」と書いた。今回はその件について語りたいのだが、その前に少し、私の認識についても説明したい。最初に書いた私の日常については、正直のところ、人から指摘されるまで特別なことと思ったことは無かった。「夢中になっている趣味なんてのは得てしてそういうものだろう」、「文字書きは皆、文字を書くのが楽しくて幸せでならないはずだ」、「一分一秒でも多く書いていたいと思っているはずだ」などと、そこそこ本気で思い込んでいた。私は文字書きという幸せを見付けてしまうまで、愛せる趣味を持ったことが無かったせいかもしれない。何かに打ち込む人達に憧れを抱いた末に、こんな偏った認識が出来てしまったのだろう。何にせよ、苦しみながら文字を書いている文字書きも居るのだと聞いた時、最初は全く信じられず、呆然とした後で、ゆっくりと、『趣味』は同じ言葉であっても色んな愛し方があるのだと知った。ついでに、自分の入れ込み具合について異常と捉える人が多少なりと居るのだということも。

 何故このような説明をするかと言うと、今回説明する内容は、そのように思い込んでいた私でもゾッとするような状態を説明しようと思っているからだ。自分で自分に引く期間がある。包み隠さずに表現してしまえば気が狂っているのではないかと真面目に疑った。いや、私は極めて正常だ。そうでなければ今回説明する件についても「何もおかしくない」と思っているに違いない。おかしいと分かっているだけ、私は正常だと思う。まだ説明に入っていないので頁を閉じることなく留まってほしい。本題は次の行からだ。

 物語が出てくる勢いがあまりに酷く、他の思考の邪魔をして、私の生活を圧迫してくることがある。折角調子よく進めている連載があろうとも、何かしらの締め切りが迫っていようとも、お構い無しに物語は膨れ上がる。自分の思考であるのに、どうにもならないことがある。そう多いことではないが、二か月に一回くらいはある気がする。そのような時、書き方は異常になる。毎日仕事があるのだから、タイムスケジュールにはそう変わりは無い。始業前に書いて、昼休みに書いて、業後に書く。ただ、腱鞘炎になるほどの勢いでキーボードを叩き続ける。大抵の場合は二日目からもう指の関節が三、四か所ずきずきと痛む。手首も痛い。しかし止めるわけにもいかないので、いや別に止めてもいいのだけど、とにかく止まらないので、冷却スプレーなどを噴き付けたり、湿布を貼ったり、氷を巻き付けたりしながら書き続ける。痛みを邪魔だと感じる。「身体が悲鳴を上げているのだから止めた方が良いだろう」「少し休もう」という思考は一切無い。「痛みが邪魔だ、これが無ければもっと円滑に書けるのに」「どうしたら邪魔が無くなるのか」と思う。後から考えれば普通に頭がおかしい。しかしこの期間の私はとにかく馬鹿なのだ。書くことが先決だという一心で、書き続ける。

 平日の夜は、それでも手を止めて休まざるを得ない。私の本職は頭を使うのだ。業務時間中に眠気があると、本当に困る。きちんと睡眠時間は確保しなくてはいけない。だから私はこう考える。

「一日二時間までの睡眠不足なら保つはずだ」

 横から誰かが思いっきり殴ってくれるのが一番手っ取り早い気がしてならない。仕事に対して生真面目な私は、どんなにハマっているゲームや漫画があっても平日の睡眠時間は削らない。そんな自分を許さない。それでも、文字書きだけは別だった。

 ただ、私の平均睡眠時間は一日六時間から七時間なので、それが四時間から五時間となるくらい、ぎりぎり問題ないのではないだろうか。もっと少ない睡眠時間で日々お仕事を頑張っていらっしゃる勤勉な労働者はこの日本には多いだろう。普段からそのような生活をしていない人間がすべきではないことは分かっているし、言い訳であることは、身をもって理解している。大体、結構、しんどい。

 でも考えてほしい。此処まで語ってきたような人間である私が、この程度で自分に引くだろうか。答えはノーだ。私はこの時点でも「こういう時もあるよね」「ちょっと盛り上がっちゃった」程度の考えだった。この程度で済むことがあるのも事実で、それはまだ軽度であると言える。

 本当に酷かった時は、いつもより少し夜更かしをした後、「流石に疲れたな、そろそろ布団に入ろう」と、メインで使っているデスクトップPCの電源を落とすと、部屋の電気を消し、タブレットPCを片手に布団に入った。まだだ。ゾッとするのは此処ではない。とにかくタブレットPCを大事に抱えて布団に入った私は暗闇の中、デスクトップPCで書いてクラウドへ同期していたテキストを開き、引き続き作業を進めた。わざわざベッドに移ったことに意味があるのかと疑問に思う方も居ると思うが、眠いとなったら即座に眠れるという環境であることは大事なのだ。少なくとも私にとっては。つまり眠気が深まるぎりぎりまで作業がしたかった為、ベッドの上で続きをしようと思って移ったのだ。此処には私は私の行動に引いたりはしていなかった。怖かったのはこの後だ。

 目蓋が重くなり、思考が惚けてきて、「もう寝よう」と思った私はタブレットPCを閉じて、枕元へと避け、横になった。そして無意識にスマートフォンへと手を伸ばすと、クラウドに同期しているテキストを開き、つい先程まで書いていた内容の推敲を始めた。寝ようと思って閉じたのにも関わらず、私は全く無意識に続きを始めたのだ。そして十数分この異常さに気付くことなく作業をして、再び「限界に眠い」と思ったところで、ようやく、ゾッとした。眠れない日であれば、横になりながら推敲などをして、眠くなるまで時間を潰すようなことはある。しかしこの時の私はそうではなかった。眠くて横になったのだから、何もせず目を閉じれば、頭の中で続きを考えたとしても、長く保たずにすんなり眠るはずだったのだ。何故こんなことをしようと思ったのか、まるで分からない。明確な理由はおそらく無かった。とにかく推敲をしたかったのかもしれない。続きを書きたかったのかもしれない。横になった時、スマートフォンで推敲をするのは当たり前の時間と思った可能性も否めない。何にせよ、自分でも、こいつ何やってんだとドン引きした。我に返った私は慌ててスマートフォンから手を離し、スマートフォンに背を向けるようにして寝返りを打って、身体を丸めて眠った。本当に自分の行動が怖かった。

 だがこんなにゾッとしたのにも関わらず、これは一度きりの経験ですらない。どうしてかと言うと、先にも述べたが、限界に眠いと思って横になった後、『スマートフォンに手を伸ばして作業を続ける』という動作が無意識だからだ。初回は怖いと感じたが、最近は呆れている。とんだ癖が付いたものだ。依存症には『癖』という性質も少なからずあるのではないだろうか。習慣になってしまったから、ついつい手を伸ばしてしまう。言うほど本物の依存症みたいで嫌になってきたから、この件について掘り下げるのは此処までにしておこう。

 とにかくこのような期間は、全ての場合において、頭の中の内容がある程度まで吐き出せたら終了する。言い換えれば気が済むまで終わらない。幸せは幸せなのだけど、発作のようなこの期間は度々、私自身も厄介と思わずにはいられない。規律正しい私の生活リズムが、多少なりと崩れてしまうのだから。

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