橋の端と端(6)

 無防備な私の耳を急に針で突くような言葉にドキッとして、足がすくんだ。

 エリスがここの企業オーナーの娘?まさかでしょ。そりゃ“様”づけで呼ばれるわけだわ。

 しかも父親の名前がジィオス?日本人なのかな、顔知らないよ。ホントにヤバイよ。

「もしお願いできましたら、とても幸いに存じます」

「ああ、そうだよね。お父様ね、いいよ渡して来るよ」

「それは本当にありがとうございます、キョコは心から感謝いたします」

 もうそろそろ引っ込みがつかない所まで追い込まれてるのかも。自分の状況が崖っぷちだってことに今さら気付いても、もう遅かったりする。

 去り際、振り返りながらペコペコ頭を下げて礼をするキョコ。見送る私は、彼女の頼みを引き受けたことをすでにとても後悔していた。


『これはさすがに試合終了ではないだろうか』

あきらめたら、そこでね。でもまだ終わってないし」

『どうするのだ、その届け物は』

 私は手元の大きな封筒をジッと見る。

「届けるしかない」

『策はありそうか』

「ない」

『おいおい』

「けれど、私をエリスと呼ぶこの人たちが、あの亀の集団とまったくの無関係でない可能性がある以上、とことんまで突っ込まなきゃ来た意味ないでしょ」

『そうか、では付き合おう』


 オーナーの娘。

 つまりお嬢様。

 自由に世界を飛び回るオテンバ娘?

 それは周囲がうらやんだりねたんだり色々だろうな。

 それはそうと、当のご本人は今どうしてるのかな。旅の途中?


「私、そんなにエリス様そっくりなのかな」

『そういうことだろう』

「テキトーすぎだってば」

 お嬢様ならどこをウロついても問題ないってことだけは好都合だよね。

 でもエリスの父親はどこにいるんだろう。オーナーだから社長室的な特別な部屋にいるとか?

 私はズンズンと気の向くままに屋内を進んだ。オーナーの部屋ならオフィスの一番奥とかなんだろうけど、ここってそもそもどんな会社なの?旅のお手伝いはお任せの宇宙旅行代理店って感じなのかな。

 まずそっちの方が気になる!

「ほーいっ」

 私は勢いよく“STAFF ONLY”のゲートを開いた。表へ抜けた店舗エリアは、どちらかというと近未来っていうよりレトロな演出が存分にほどこされたイメージ空間って印象だった。

【VlaСhiMa】

 お店の看板、ヴィアチマ?うーん何て読むんだろ。

「なんか不思議。古代ローマかギリシャの神殿っぽくもあるし、三国志とか朝鮮史に出てくるお城にも感じる統一感とういつかんのなさは狙いなの?」

『あれで旅のプランニングシュミレーションができるらしい』

「あれ私に操作できるの?」

 守護神の提案はかなり無理があると思う。やってみたいけど私に空中の透明なタッチパネルは無理。

『難しそう、だな』

「だから無理だってば。でも……イメージ写真や映像を見る限りはなんだか普通、だね。ふーん、どこかの惑星とかなのかな……地球っぽいけど」

『亀らしさも感じられないが』

「そうだよ守護神、本当の私は潜入中だった」

『忘れないでほしい。梓はもう今にもこちらの別人に取り込まれてしまいそうに危うい』

「そうなの、すごく変な感覚。気を付けなきゃ、私には一番の目的があるんだから」

 亀の奴らに奪われた、大切なおばあちゃんの本を取り返す。

 アイツらが私をエリスと呼んでいた以上、この場所が関係してることはたぶん間違いないんだから。

 私はまたスタッフゲートから裏に戻り、屋内を探索する。

「働いてる人に会わないなあ」

『やはり勘だけでは無理だろうか』

「さっきの休憩フロアからの方が忍び込みやすかったかな」

『先ほどは重要なことを聞きそびれたな』

「いや、そうでもないかも」

 私にも知り合いがいた。さっきは少しだけしかお話しできなかったし。

「ねえ、ヒネちゃん!」

 急に後ろから名前で呼ばれて驚いた様子の彼女は、書庫らしい部屋から出てきたところのようだった。

「まあエリス様、先ほどは大変失礼を」

「ビックリさせてごめんね、あのさ……」

「どうされました?」

「ちょっと言いにくいんだけど……」

「ええ、どうぞ」

「今日はあの、何て言うか、亀のスタッフに会わないなあと思って……えへへ」

「ああ、セキュリティは普段こちらにはおりませんもの」

「そーだよねー、うん。いつもは待機中だもんねーどっかで……」

「ええ、メカニックプラントの方で」

「そうそう、メカプラだよねー、思い出したかなー」

「よかったです、では私、また叱られちゃう」

「あっ、ごめん、ありがとうね」

 ヒネちゃん。すごくいい子じゃん。

 彼女を見送る私はまた忘れていた。


「エリス、帰ってたのか……」

 また油断してた。でも現れた人物はエリスを知ってるみたいだし、もう仕方ないよね、ここもさっきと同じやり方でエリスとして接してみよう。

 けど……。

「あ、あなたって」

 目の前の男の子に会うのは2度目だった。私はしっかりと憶えてる。この男の子は三賀山遺跡で真夜中に真っ赤な乗り物で……そうだ、ということは。


 宇宙旅行じゃない。

 時間旅行なんだ。


「エリス、どうしたんだ?僕だよ」

 私は首をめられたみたいに声が出せなくなった。

 そうだった……亀の集団が私たちを邪魔したのは過去で、真夜中の三賀山も過去の出来事だった。そして今、前ジャンプで未来に来ている私の目の前に、あの時の少年がいる。

 私はどこか浮かれていたのかな。亀の集団と結び付けた段階でよく考えたら分かることだった。


 この人たちは私と同じように“とき”を移動してる。


 でも何か喋らなきゃ。

「回収は……成功したの?」

「なぜ君がそれを……なぜ遺跡のことを知ってるんだ?!」

「いや、それは……」

「エリス、君はどこに行ってたんだ?!今まで何してたんだ?!」

「わ、私は……自由だよ」

「なぜそんなことを言うんだ、エリスどうしちゃったんだ君は!!」

「今から、ああ、パパのところに行くの」

「ジィオス様に?!何だって?!おいエリス、その封筒は何だ?!」

「届けるんだよ、パパに」

「まさか、どうかしてる。届けるなんてやめてくれ、以前の君はどこにいってしまったんだ!!」


「うるさい!!ほっといて!!」


 私は、無我夢中で走り出していた。

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