第三十六節 自殺未遂#14


 母さんが帰ってからずっと息苦しかった。何故、来たんだろう。何で誰も止めてくれなかったんだろう。首を絞める意味も体を揺さぶる意味も分からない。


寝ようと思っても寝れなかった。夢に出てくる気がして。


僕が生きてる意味ってあるのだろうか。僕が死んだら此葉が悲しむ。此葉と幸せになる選択をしたい。なのに、涙が目から溢れてくる。首を絞められた感覚が忘れられず、苦しい。


 母さんが残していった紫桔梗ききょうが下を向いて俯いている。もうすぐ消灯時間だ。夜ご飯は無理やりにでも完食した。母さんと何か揉め事があったと思われたくないから。看護師騒動で相当心配掛け、迷惑掛けた。これ以上、心配事を増やしたくない。そういえば、紫桔梗の花言葉って何だっけ?


「お母様とどうだった? 楽しく話せた?」


ここは嘘を吐くしかない。


「楽しく話せたよ」ニッコリと笑う。片手でピースサインもしてみせた。


「そう。首に痕あるけど」


気づかれてしまった。まあいい。


「服とかでかな。それか自分で絞めた」


平静を装ったつもりだったが、看護師は機敏に反応した。


「服だったら調節しようか? 自分で絞めたって苦しかったんだね、つらかったんだね。何かあったの?」


何も分かってくれないくせに。


「服はこのままでいいです。何にも無いよ」


配薬が終わり、去っていった。


今日1日のスケジュールが終わり、此葉にメールした。


『母親が来た。だから服は持ってこなくて大丈夫』


すぐに返信が来た。

『え、大丈夫なの!? 服じゃなくてお母さんのほう。誕生日すら祝ってもらえなかったって言ってたじゃん』


『傷ついたけど何とかやってるよ』


死にたい。死ぬなら此葉と別れてからがいい。だけど、それを言い出せない。此葉と会えないし、今の僕はなんも幸せじゃない。こんな日々を過ごしていくのは嫌だ。


『そっか。一緒に頑張っていこうね』


『元気?』


『私は元気だよ。この前、恋渕先輩が退職されて、同僚や先輩は謝ってくれた』


これは朗報だ。良かった。此葉の職場がブラック企業にならずに済んで。謝ってくれたってことは恋渕先輩が黒幕だったってことか。だけど、いつ反撃してくるか分からない。僕の顔を覚えられてるかもしれない。元気そうで何より。


『良かった。これで僕も安心だよ。楽な気持ちで出勤できるね』と励ました。


『僕のことってニュースになってたりする?』唐突に質問してみた。


『ああ。なってないけど、ネットで騒がれてる。ちらっとニュースでも報じられたよ』


それはニュースになったってことじゃん。だから、母さんも嗅ぎつけたってわけか。患者さんにも知れ渡ってる。


『ニュースになったんだ、やだな』


『だから、ニュースになってないって!』


『それで、紫桔梗の花言葉って何だか知ってる? 此葉って花言葉に詳しくなかったっけ?』


それが一番知りたい内容だ。気になってしょうがない。


『確か、永遠の愛。又は変わらぬ愛、気品だったはず……』


永遠の愛、変わらぬ愛、そんなの母さんが僕に抱くはずがない。僕はそのように感じない。それでも愛を注いでいるつもりなのか……? 気品は品を良くしてという願いからなのか。花言葉を此葉に聞く癖。それが無ければこんなにモヤモヤすることもなかった。


『そうなんだ。教えてくれてありがとう』


そっと布団を被り、寝た。だけど、全然眠れなかった。こんなに眠れぬ夜があるんだと気づかされるくらい、眠れなかった。


 もし、母さんが意味を知ってて紫桔梗を届けたのだとしたら僕が改善するしかないのかもしれない。生まれてすぐに旦那が死んだ。1人で2人も育てるなんて大変だっただろう。そのストレスをどちらかに当たり散らすしかなかったのか。

何で母さんに同情してるんだろう。


そんなこんなで朝の4時になった。薄暗いが紫桔梗の存在が影として見える。


 また時間が過ぎ、朝が来た。紫桔梗の綺麗さと儚さが見える。ずっとその花ばかりを見つめていた。雄蕊おしべ雌蕊めしべ側が濃い紫で花弁は薄紫だった。綺麗で凛としている花だなーと思った。花瓶が豪華になる。窓際に凛と咲いているのが好きだ。


花が飾られたことにより、部屋が一層豪華になった。花は此葉に持ってきて欲しかったなーと本音がこぼれる。


 僕がモデルとして活躍し続けていたら、母さんはそのままの態度でいてくれたのかな。包丁を突きつけられたりしないで済んだのかな。笑っていてくれたのかな。

だけど、手のひら返しのように振る舞われてもらっても気持ち悪い。ずっと差別し続けられてたのだから、変わらず接してほしい。


 そういえば、此葉に財布投げつけられたことメールで言えなかった。ごめんねって謝れなかった。本当に未練がましい。

でも、言ったらきっと悲しむ。メールの裏で泣いてる姿が想像できるのは大概にしたい。僕が守ってやれなかった。僕のせいで此葉の大切な財布が傷つく羽目になった。


何だか幸せや絆や信頼の硝子がバラバラに割れた気がして、怨念が憑いたようで呪われたような感覚に陥った。


朝ご飯を食べた後、看護師に聞いた。


「レターセットってありますか?」


これは遺書なのだ。此葉に送る過去からの手紙。


「何で?」


遺書だと察したのか、それとも……急に聞いたからなのか。


「あんまり来れてない彼女に、来た時、渡そうと思って」


「そっか、ならナースステーションまで来て」


そうして、午前中は遺書を書いていた。後悔は無い。


昼ご飯が届くまでに書き終えた。最後の晩餐か、と思いながら一口一口噛み締めた。それは味の無いご飯やおかずにしては美味だった。



 そして、この階の最上階までのぼった。屋上の鍵は閉まっていた。ちぇっ、折角飛び降りれると思ったのに。剥げてしまった財布を持って。


“死なないで、颯” どこからか声が聞こえてきた気がした。此葉の声だ。

気づいたら涙を流していた。それはしきりに止まることなく。


此葉との思い出が走馬灯のように流れてきて……やっぱりダメだ……どうしても此葉のことを考えてしまう。残された此葉のことを考えると苦しくて。そっちのほうが苦しくて。


リオちゃんの母親に言われたこと、看護師からのハラスメント、母さんからの暴言と体罰、そして何より此葉に長い間会えないこと、どれも嫌だった。


でもそれは、僕の我儘と現実逃避で。死を選んだ。大抵、人間は生きるのが苦しいから死を選ぶ。それしか選択肢が無いのだ。僕の場合だってそうだ。


僕が死んだって誰も悲しまない。それは嘘だ。此葉が悲しむ。僕の死は此葉によって回避された。


此葉と楽しく毎日過ごしたい。未来にある幸せを掴みたい。過去の幸せを忘れたわけじゃない。


遺書は無駄じゃなかったと思う。いつか使う日が来る。


死にたい。でも、生きていたい。何かに縋って生きている。淫行報道の後、死のうと思った。首吊りだった。だけど、縄からするっと落ちてしまい、失敗した。苦しかった。多分、この時に此葉と巡り逢う運命が決まったんだと思う。


 僕が南京錠と鎖を持ちながら泣いていると、1人の60代くらいの男性、というかおじさんが話しかけてきた。


「そんなところで若者が何、泣いてるんだ?」

「どうしたの?」

「話があるなら何でも聞くよ」


そのおじさんは僕が屋上に来る前から居た。老けていてあまり元気そうじゃなかった。点滴をしていて、鼻のチューブもしていた。ただ、じっと座っていた。屋上に何の用があるんだと思った。もしかして、僕と一緒で飛び降り自殺をしにきたのかな……





















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