第二十五節 お見舞いに来ました#3


 此葉が見舞いに来ると言っていた日の朝、僕は背伸びをして朝日を見つめた。入院してからも早起きは変わらなかった。それは当然ながら意識が戻ってからだ。此葉が来てくれるのを楽しみにして、スタンバイして待っていた。


朝ご飯を食べた。まだ食べづらさはある。酸素マスクを外すとどうしても息苦しさが残る。いつものように片付けてもらってご飯の時間は終わった。


此葉のメールによると10時40分頃に来る予定とのことだった。それまでの間、荷物の整理などをしていた。窓の外を見るのが日課のようになってしまった。ここから此葉が見れるのかなとかいう空想を繰り広げていた。でも、位置が違うから、なわけないよなと正気に返る。


 一方、此葉は病院にお見舞いに行く準備をしていた。大事な物を高級バッグに仕舞いこんで。あの思い出の品を。私は颯が今どんな姿なのか知りたくて急いでいた。ご飯がやっと食べれるくらいというのは心配な出来事だった。あんなに元気だったのに……あんなに笑ってたのに……。今は会いたくてしょうがなかった。


病院の場所、ここで合ってるよね? Googleマップで確かめながら、右往左往しながら進んだ。なにせ、私は方向音痴なのだ。だから地図が必須になる。地図も頼りにならなかったら直感で動くしかない。


病院に着いた。総合病院だからエントランスが広い。センターだけで広く、人が沢山いる。病人がほとんどを占めているので、うつらないよう気をつけなくてはいけない。


 約束の時間まで僕は歩く練習をしたり、外や空を眺めていた。前よりはふらついていないが、少しふらつきとめまいがある。立った時にがたっと周りの風景が歪み、クラクラとする。倒れそうなところを足で力強く支えて、何とか保てている。


約束の時間になっても此葉は現れなかった。今や時刻は12時を過ぎている。これはおかしいと思った。此葉にメールしないと……携帯を取る。メールする。それなのに既読が付かない。まだ帰っていないのか……?


 数時間前のこと。

その頃の此葉は総合病院だから迷路のようで階が9階まであって、しかも科ごとに分かれていて訳が分からなくなって、迷ってしまった。

その迷子で約束の時間に来れなかったわけじゃない。僕は迷子でもして、遅れてるのかなとも思っていた。



颯は過呼吸や息切れが酷かったから呼吸器科だと思い、呼吸器科の5階まで辿り着いた。ナースステーション、スタッフセンターが角を曲がってすぐにあった。


担当の病院スタッフに声を掛けた。


「あの面会に来たんですけど」少し緊張した様子で言った。


「ご家族様以外の面会は禁止されています。あなたは碓氷様の何ですか?」と現実を告げられた。


「彼女です」私たちは確かにカレカノ同士なはずだ。同棲もしてたし、誰に何と言われてもこの関係性に変わりはない。結婚してたら面会できてたってことか? その少しの違いだけで区分されるなんて。結婚しとけばよかった。


「あのぅ、過去のモデルだった雲霧靄、本名碓氷颯様にもう新たな彼女が出来ていらっしゃったんですねー彼は今、VIP室で安静に治療されてますよ。でも、こればっかりは病院のルールなので、もう帰って下さい。会えなくて残念でしたねぇぇ……」と嫌味に言われた。表情もかなりドン引きしている。あの不祥事を起こした過去の芸能人に彼女が出来てるなんて信じられないと言わぬばかりに。


そのスタッフの態度に心底、憤慨した。颯をあんな人間関係の悪い所におきざりにされるのは嫌だと感じた。


「ここで争っても仕方ないって分かっていますけど、その言葉遣いどうにかして下さいませんか?」怒りに身を任せた発言だと思い、後悔した。


「はい。申し訳ありません。以後、改めます」まさかのお辞儀をして謝られた。


そんなあっさり謝れてもとは思ったが、まあいいと許し、最後の想いを託した。


「あの……これ、渡して頂けませんか?」そう頼み、あの、あの時の中身のない財布を手渡した。高級なブランド品の財布だ。金色のワンポイントの装飾も施されている。


「これは貴重品ですね。大切に管理させて頂きます。ですが、財布を届けるのに何の意味が? 与えて元気になるとは限りませんよ」


「いいんです。彼に絶対、届けて下さい」


病院スタッフは軽く頷き、私は立ち去った。


 そうして今、昼ご飯がテーブルに置かれている。僕は食べれなかった。此葉が来てくれなくて、裏切られた気持ちで。期待していた分が重かったから、その反動はいちじるしかった。フォークとスプーンの手が止まる。目から涙が止まらない。喧嘩の時は5日間会えなかっただけで、その時は嫌いの気持ちもあったから受け入れられた。だけど今回は引き離されたという思いが強く、心に沁みる。会って抱きしめられたかった。なのに……それは叶わなかった。


「ごちそうさまでした」と看護師に告げ、僕は俯いた。


“どうしたの”とか“体調悪いの”とか“ご飯を食べるのを敢えてサボっちゃ駄目でしょ!”とか怒られて、僕の気持ちの少しも察してはくれなかった。そしてご飯が下げられた。どうせ、捨てられてしまうのだ。そんなことはどうでもいい。


 13時過ぎてから、僕は死にたくて仕方がなかった。僕は騙されて淫行してからもう、死んでいるのだ。死んだように生きている。常に生きた実感が無い。いつ死んでもよかった。此葉がいるから死ねないけど、会えないなら死んでもいい。死んでもいいけど彼女の泣く姿は見たくない。此葉がいるから自殺はできない。それは絶対に無理だ。だからこの不条理に恨むしかなかった。僕は此葉を恨んだ。何故だか、そうするしかなかった。


病気は苦しい。こんな僕が生きてることも苦しい。僕の死に悲しんでくれるのは此葉だけだ。1人いるだけで嬉しいことなのかなぁ……


そんなことを考えていたら時間が過ぎてしまった。そんな時、2人の看護師が来た。財布を持ってきた。


 差し出すように僕の手に届けられた。まるでプレゼントのように。


「これ、僕の財布じゃないです。他の人と間違えてませんか?」


そう正すように言うと、

「彼女さんから、渡すよう頼まれたんです」と一言。


(これか。とっておきの見舞い品って。此葉、やっぱり来てくれたんだ……)


「ありがとうございます」と泣きながら喜んで受け取った。


そのまま看護師は病室から出ていった。


 僕は午後、ずっと財布を手にしていた。魔法がかかったかのように手放さなかった。窓の外を見て、鳥を眺めて。

そんなことをしていたら、今更ながらあることに気づいた。この財布ってただの僕へのプレゼントでも此葉の財布でもなくて、此葉と出会ったあの日、僕が拾った財布なんだと気づかされた。

そして財布を開けたらこのように書かれたメモが入っていた。


『私のことを忘れそうになったら、この財布で私の顔を思い浮かべてみて』


親切だなぁと思った。僕の性格や気持ちを完全に理解している。見透かされている。分かったと心の中で思った。でも、財布無くて不便じゃないのかなとも思った。しかし、これ以外の財布はまだあるのかと安堵した。


 その日の夜、メールが届いた。


『会えなくてごめんね。会いに行こうとしたんだけど断られちゃった』


『いいよ。財布ありがとう』これ以上ない感謝を述べた。


『会いたかったなぁ……颯がどんな様子なのか知りたかった』私はそのままの気持ちを表した。病院まで行って、病院内の景色も見て、こんな所に入院してるのかと新たに知ることができて、良かった。少し心配にはなった。


『僕も会いたかったよぉ』文面から強い思いが感じられる。会いたいって思うと涙が出て、悲しくなるから言葉にも気持ちにもしたくない。


『VIP病室に入院してるんだって? 驚いちゃった。こんなにも颯という存在が知れ渡ってるんだね』


『そうだね。言う通りだよ。普通病室が良かった。君にも見せたかったよ、壁や手すりが金箔きんぱくでね……』


そんなやりとりをしてると会いたい気持ちが倍増し、眠くなった。


















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