耳なしウサギと銀のイチョウ

michi-aki

耳なしウサギと銀のイチョウ

 耳の片方が半分ないウサギがいた。


 群れで行動するウサギたちの中で、そのウサギは虐められた。お前の耳は普通じゃない。変だ。醜い。ウサギは生まれた時からその耳であったから、周りのウサギたちの声に毅然と立ち向かいながらも、彼らの美しく均等に伸びた耳を密かに羨んでいた。


 ある日、群れが狼に襲われ、耳に傷を持つウサギははぐれてしまった。鼓動が早く、息は荒い。数匹いればなんとか撒くことができても、ウサギ一匹と狼一匹がもし出会えば、勝敗は明白だ。


 ウサギは匂いを辿り群れに戻ろうとしたが、ふと、ギンナンの香りを嗅ぎつけた。イチョウの木が近くにある。この時期のイチョウは葉が黄色く輝き足元にふかふかの絨毯を作る。持ち帰って寝床の蓄えにできないだろうか?


 狼への恐怖も忘れ、ウサギは瞳を輝かせ、匂いの方角へと駆け跳ねた。


+++


 山吹色の絨毯の中心に、白銀のイチョウの木があった。


 ――なんて美しいんだろう?


 根本に辿り着き、首を大きく反らして見上げた。間違いなくイチョウの葉だった。足元にはギンナンが転がっている。よく見ると幹は他のイチョウの木よりも暗く発色していて、コントラストが一層はっきりしていた。


 しばらく見惚れていると、枝が風に揺らされサワサワと音をたてた。


”あなたも、わたしとおなじね”


 ウサギは何故か、このイチョウの木が話しかけてきているのだとすぐに察することができた。


「ぼくは、醜いんだよ。君とは違う。君はきれいだもの」


”そんなことない。わたしは周りの子たちと違って、葉を落とすこともないし、新しく緑の葉を芽吹かせることもできないわ”


「ギンナンの実をつけられるじゃないか」


”他の子のと違って食べられないわ。中がからっぽなの”


 イチョウの声は頑なな響きだった。ウサギは一先ず目的を果たそうと、黄色い葉をかき集め、近くに落ちていた別の大きい葉に閉じ込めて背負った。


「それでも、嗤われたり、石を投げられたりしないだけ、ましだろ」


”あなた、いじめられているのね”


「別に。へっちゃらさ」


 別れの挨拶をしようともう一度仰ぎ見ると、銀色のイチョウの葉が一枚、うさぎの頭に降ってきた。


「きれい……」


”わたしの葉は、すり潰して飲むと、キズを癒し、病を治せるわ”


「すごいじゃないか」


”その一枚だけじゃ足りないわ。もっと枚数が欲しかったら、頼まれごとを聞いてくれないかしら。わたし、退屈してるのよ”


「うーん、言ってみてよ。僕にできるかは、わからないけど」


”あなたを虐めたやつらの、面食らった顔が見てみたいわ。この木の根元に連れてきて、その葉を毒薬だと言って、目の前で飲ませて”


「え? ほんとは毒薬なの?」


”いいえ、薬なのは本当よ。だから、ちょっと嘘ついて、慌てさせてみて。そしたらその葉っぱをたくさんあげる。あなたの耳も、きっと治るわ”


 ウサギは正直、銀のイチョウの話のうち、どちらが真実なのか、はたまた、どちらも嘘なのか、判別することができなかった。しかし、耳が治るという言葉は、他のどんな言葉よりも非常に魅力的だったから、「わかったよ」と呟いて、走り去った。


+++


 ようやく群れの匂いをかぎ取り、戻ってみると、ウサギたちはなにやら慌てているようだった。いつもなら、嫌味のひとつやふたつ、呟いてくるものだが、そんな暇もないらしい。


「どうしたの?」


「村長の娘が、狼に片足を噛み千切られてしまったんだ」


「出血がひどい」


「きっともう、死んでしまう」


「よしなよ。まだ、医者に見せてもいないじゃないか」


「医者は北の集落にいかないといないだろ」


 ウサギたちは不安そうに耳と身体を揺らしながら、ああでもない、こうでもないと喋っている。


 半分ない耳を片手でいじりながら、ウサギは子供の頃を思い出していた。

 村長の娘のウサギは、耳がないことを嗤うウサギたちの中で唯一、それを嗤わないウサギだった。位が高く、また毛並みの美しいウサギだから、変わり者だと村ウサギたちから思われはしても、キズウサギと違い虐められることはなかった。


 そんなウサギが、片足を失い、今にも死にそうだなんて。


 耳なしウサギは鼻を鳴らして、村長のねぐらへと向かった。


「村長、村長。娘様が足を失くしたと聞きまして」


「おまえか……そうだ。嗅覚が鈍り、狼が近付いていることに気付けなかった儂をかばって、足を……」


 いつもは堂々とした態度の村長が、耳を垂らして、すんすんと鼻を鳴らして悲しんでいる。その近くには、薬草で足を覆われた娘ウサギが、きゅうきゅうとか細い鳴き声をもらしている。


 耳なしウサギは考えた。

 医者ウサギは北の集落にいるが、ここから北の集落までは、日が昇って沈むのを2度繰り返さなければたどり着けない。その間に、間違いなくこの娘ウサギは、命を落としてしまうだろう。


 身体に巻き付けていた大きな葉をほどき、中から銀のイチョウの葉を取り出す。きらきらと輝いて、相変わらず美しい。

 耳なしウサギは――自分の左前脚に噛み付いた。皮膚から血がぷつりと浮かぶ。今度は銀のイチョウの葉を前歯でごしごしと擦り、黄色いイチョウの葉に乗せ、九つ数を数えたのち、ぺろりと舐めた。


 苦かった。でも、喉が焼けたり、お腹が痛くなったり、呼吸ができなくなったりはしない。それどころか、前脚についていた歯型の傷が、薄く小さく消えていく。


 耳なしウサギはすぐに村長にこうべを垂れた。


「娘様を生かす方法に、心当たりがあります」


+++


”おかえりなさい。思ったより、早かったのね”


 銀のイチョウがさわさわ揺れる。


 耳なしウサギは、背中に括りつけてきた娘ウサギをそっとイチョウの布団に横たえさせて、銀のイチョウを見上げた。


「銀のイチョウさん。お願いがあります」


”なにかしら”


「さっき、僕にくれると言ってくれた君の葉っぱを、この子にあげてほしいんだ。足が片方なくなっちゃって、今にも死んじゃいそうなんだ」


”あなたを虐めたやつらを見返したらあげると、言ったのよ。それに、私の葉は落ちないし、生え変わらない。その子の足の分をあげたら、あなたの耳はずっと、そのままよ”


 耳なしウサギは、自分の耳の傷を触った。でこぼこして、傷口の周りだけ毛が生えていない。耳も他のウサギたちほど聞こえがよくないから、小さい頃からよく、苦労した。見た目だけじゃない。いろんな思い出があった。


「僕は、このままで大丈夫。今までこれで生きてきたし、僕、他の子の耳は羨ましいけど、意外とこの耳、嫌いじゃないんだ」


”そうなの?”


「耳がなくて、あんまり聞こえない代わりに、僕は鼻がとってもいいんだ。ここを探せたのだって、ギンナンのいい香りがしたからだし、ウサギの群れに戻れたのだって、みんなの匂いを嗅げたからなんだ」


”それは、素晴らしいことね”


「それに、この娘ウサギは、僕のこの耳のことを、嗤ったりしなかった。心の優しいウサギなんだ。この子が死んじゃったら、僕も、ウサギのみんなも、悲しくて悲しくて、やりきれなくなってしまう」


”あなたとそのウサギが優しいことは伝わったわ。でも、そのウサギを助けると、あなたを虐めたウサギは喜ぶわ。虐めてきたことは反省しないし、一泡吹かせることだって、できないわ”


「僕が、僕の耳がこのままでも最高なんだってことを、これから証明してみせるよ。何回、凍えるような冬を越すかはわからないけど、ここに通い続けるよ。そして、できることなら、君と友達になりたい」


 銀のイチョウは、口ごもると、今まで以上に大きく、大きく、幹を揺らした――銀の雨が降ってくる。耳なしウサギは、喜びのまま、その漆黒の幹に抱き着いて、せっせと前歯で銀の葉を潰し、娘ウサギの口に、足に塗り込んだ。


 日が暮れて、夜がきて、日が昇るころ、娘ウサギは、元通り、ふさふさとした綺麗な毛並みと、野を駆ける肢を取り戻した。


+++


 耳なしウサギは約束通り、銀のイチョウの元へと通った。足を取り戻した娘ウサギも、銀のイチョウにお礼を言うため、耳なしウサギと一緒に足繁く通った。村のウサギたちは、娘ウサギがまた野を走れることを喜び、耳なしウサギのことを嗤う事は、少しずつだが、確かになくなっていった。


 銀のイチョウはもう、葉を生やすことはなく、光合成ができなくなって、一度冬を越した後、ゆっくりと、その役目を終えた。


 耳なしウサギと娘ウサギは悲しんだ。そして、たった一枚だけ、娘ウサギの足が元に戻り使うことがなく、お守り代わりに持ち歩いていた銀の葉を、そっとその根元に植えた。そして、命を燃やし、娘ウサギに葉をくれたことへの感謝の気持ちを忘れず、季節が巡っても、何度も何度も訪れた。


 ある年の春、耳なしウサギと娘ウサギは、五匹の仔ウサギを産んだ。

 二匹は喜びのまま、いつものように、銀のイチョウの元を訪れると、枯れた幹の中からなにやら、聞き覚えのない鳴き声がした。


 覗き込むと、枯れた木の割れ目に、スバメの巣が出来ている。

 その近くには、漆黒に光る木の芽と、銀色の葉が一枚、煌めいていた。


【完】

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