第92話 星降り月も堕ちる夜(1)

(7)

 ヴェラッシェンドパレスの、通称“洗濯広場”には、本日も高貴なる者達の影が月に映えていた。

「いよいよか」

テレスコープのレンズ越しにペリシアへと渡り始めた『勇者』と『魔王』を確認した元帥・バーナードは、スコープを外し、一度、敬礼した。

「世界が変わるという実感は、正直無いな」

オレは鈍感なのかもな、と上皇・デュトゥールなどは笑っている。この高貴なる者達も、大なり小なり差こそあれ、『勇者』と『魔王』が今から正にやろうとしていることは理解している。むしろ、デュトゥールなどは喜んでいるのだろう。

「(もう一度、亡くした妹さんやラナ様に会えるかもしれないもんな)」

片や、とバーナードは顧みる。

「……やはり、勝てる気はしないな」

もう一度、テレスコープを頼りに『勇者』たる彼を追いかけて、バーナードは小さく溜息を吐いた。この複雑な劣等感ばかりはこの世界に置いて往けないものか、彼は暫く悩んでいた。すると、

「どうした?」

浮かない顔をしている元上官が気になったのか、上皇は帝国軍元帥に声をかけた。

「欲求不満か?」

気にかけてくれるのは一向に構わないが、こうも情緒が無いと、彼の教育者として責任を感じるので、バーナードは元部下のデリケートに過ぎる部位を力いっぱい蹴り上げて指導を施した。

「そうだな、……不満というべきものは全く無い」

密会だというのに辺りには上皇の悲鳴が木霊しているが、バーナードは遍く一切妥協することにして、もう一度月を見上げた。


 光も闇も孕んで空に架かる月のように、次なる世界とて幸せに満ち溢れているものとは限らないが、この世界で築いたえにしが寄る辺となれば、きっと前へも上へも進めるだろう。

「礼を言う」

バーナードが視線を落としたところ、腰を浮かせてのた打ち回っていたデュトゥールの涙目と目が合った。

「礼よりも、回復呪文(ヒール)くれ……っ!」

彼等はまだ、この世界を生きている――ごもっともである。

(2)

 ペリシア旧帝都・セディアラの郊外にある国立古代魔法研究所は、既述の通り、古代と呼ばれる時代に絶滅した魔物を復元したり、ヴェラッシェンドが技術そのものを封印した魔法化学兵器を復元・生成したり、魔法遺伝子配列の解読やクローン技術を大成してきた機関である。


 職員数は30名、その誰もが“国家的頭脳”と賞賛される軍事魔法科学畑のエリート達である。現在そのエリート集団は、期せずして発射のカウントを始めた魔法核弾のコントローラーの復元を急ピッチで進めているところだ。

「パスワード解読完了しました! カウントの確認を!」

今、研究所に開発成功の声が上がったところである。

「よくやった!」

現場を事実上監督していたシュナイダーが研究者達を労う。

「解除装置作動までのラグと発射までのラグが殆どイコールです!」

「もはや猶予は……!」

つまり、今魔法核弾の発射のカウントを解除したところで、発射停止に持ち込めるかどうかはかなり微妙なところという状況なのだ。

「大丈夫だ。解除開始せよ!」

声を張り上げたのは、現場の最高司令官・メーアマーミーである。

「了解!」

国立古代魔法研究所・職員30名が一丸となって、旧帝都・セディアラに設置された魔法核弾の発射カウントを遠隔操作で解除に当たる。大規模な国家予算を投じて養成したこの科学エリート達がこの土壇場で神頼みとは、滑稽といえば滑稽である。

「(しかし……)」

シュナイダーは目を伏せた。此処に残っている科学者達は、情報統制の為に外出はおろか自宅に帰ることも許されず、故に政変も知らず、極限状態の中、未だに皇帝・ジェフ三世の影に怯えながら仕事に打ち込んでいる者達である。やおら、上官が口を開いた。

「私は、身を尽くし国家の希望のために尽力した各々方を誇りに思う」

軍靴の音が皆を鼓舞していく。シュナイダーは眉間に皺を寄せた。そうでもしなければ、込み上げてくる熱いものの遣り場に困るのである。

「外はもう、自由の風が吹いている。ここを出る時は、顔を上げて胸を張って帰るんだ」

案の定、閣下、と声を上げて慟哭し始める者が出る始末である。軍靴の音が止む。

「――各々方は“勇者”だ!」

国家最高総理権者が、エリートとはいえ、一般シビリアンに最敬礼をしている。旧帝国軍の元帥側近の筆頭であるシュナイダーとしては、なかなかぎょっとする一幕だが、どうも上官の所作は、一々老騎士の胸を打つのである。

「この戦いの結末を、見届けさせて欲しい」

この現場に残ると宣言したメーアマーミーを、総員が拍手で歓迎した。そこで、

「――。」

シュナイダーとメーアマーミーの目が合った。上官の口元が緩む。

「そういうことで、監督交代だ」


 通称として「シュナイダー(仕立屋)」と呼ばれる一族は、代々皇族やその親類の守護を任されてきた一族である。この老騎士は、旧皇帝・ジェフ三世の妹の一族の守護を任されてきており、現在、その血統を継いでいるメーアマーミーを守護している。然して、この世界に終わりを齎す魔法核弾がセディアラに着弾するかどうかというタイミングでの現場監督の交代である。

「なりません!」

当然、シュナイダーは首を横に振った。仕えた歳月が長いだけに、言葉など無くても彼には上官の考え付きそうなことが解るのだ。この老騎士・シュナイダーには、今後永代までメーアマーミーの一族に奉仕する為、家族が在る。殆ど間違いなく、上官は其処へ戻れと言っているのだ。

「私は此処に残ります!」

しかし、上官の口元には不敵な笑みが残ったままである。

「監督が二人もこの場に居ては不経済だ。上官命令と心得よ」

メーアマーミーはそう突き放すとシュナイダーに背を向けた。こうなってしまうと、最早取り付く島も無いのである。

「――御意」

それにしても、心にも無い返事をしたものだ、とシュナイダーは思う。とうとう上官と目を合わせることも無く退出した老騎士は、研究所の壁にもたれて月を見上げた。呟いて、曰く。


「妻よ、息子よ、我々は――働く為に生きるのではない。生きる為に働くのだぞ」


煙草を咥え、火をつけた老騎士が、その現場から動くことは無かったのは記すまでも無いことである。


 丁度、ソドム公国からやって来た政府専用空艇がセディアラ方面へ飛んでいくところであった。

(3)

 異臭さえしてくる細くて暗い小道を抜けると、ガラクタの山が聳えていた。

 「此処ももう使えないな」というシュリのボヤキはジェフ三世の老いた耳でも聞こえるが、この場所が元は倉庫であり、先日凍馬という名の元盗賊により瓦礫に変えられたばかりの場所であることを、彼は知らない。


 すれ違う子供の着ているものの粗末さはさることながら、そういう子供とすれ違う度に「金を」「モノを」と声をかけられる。

 働き盛りの壮年男性が生気を失った虚ろな目を向けてくる。

 ゴミかと思った紙箱は住家の一部を成しており、ゴミかと思った布切れは衣服であるようだ。

 向こうの方で女の悲鳴が聞こえたが、誰も意に介さない。

「アンタが民に強いた痛みや苦しみ、憂鬱、不安――そういうのを取り除くにはどうしたら良いんだろうって、ずっと考えてたんだ」

不意に、シュリがそう声をかけてきた。

「そういう時、至極真っ当な人間なら、誰かに助けを乞うんだろうけどさ、ここに転がっている人たちは、誰の助けも借りられなかった可哀想な人たち」

通りは一層狭くなった。シュリの言う“転がっている人”が、奇声を発してこちらを見ている。

「愚かな。ロータスがどういうものか、知らないわけでは無いだろうに」

ジェフ三世は、シュリの言う“可哀想な人たち”をそう言って切り捨てた。シュリは背中でそれを受け止めると、足を止めた。


 遠くの方から音楽が聞こえてきた。弦楽器だろうか、重低音ばかりが扇動的なリズムを刻んでスラムの儚い壁を虚しく震わせている。

「誰からも見放された人間や頼るものが何も無い人間が、最終的に行き着く場所がココ。せめて人生の拠り所に、ボク等は彼処で酒や音楽や快楽を提供しているんだ。アンタの尻拭いみたいで癪に障るけどさ」

背中ばかりが向けられているのだが、このシュリは立派な社会活動家の佇まいをしている。何時かは彼に、己の政治生命を全て託して余生を楽しむつもりだった――そんなことを思い出して、ジェフは大きく溜息をついた。

「余の所為、ひいては国家の所為とは、随分ではないか」

社会不適合と蔑まれる者達さえも国家が救おうとすれば、先ずは国家そのものを強く豊かにしなければならないのだ。弱き者は弱みを強みに変えてしまう。それを逆手に強く在らんとするのだ。

 己の尊厳を守るために。

 より良い明日を迎えるために。

「お前達は知らないのだ。ヴェラッシェンドより固有の地を追われた我々の祖先が、どれだけ惨めだったか。我々は漸く、此処まで上り詰めたのだぞ!」

きっと、シュリは偉大なる祖先や自分を超える優れた王になるものと、ジェフ三世は確信していた。だからこそ、

「やっぱ、アンタとは合わないや」

こう言って、また背を向けて歩き始めた息子の見つめていたものを、

「ならば、余を殺してみるか?」


――最後の機会に信じても良いと思ったのかもしれない。


「アンタとよく似た血が流れてるから、」

シュリは一度、親父を振り返った。


「アンタに引導渡しておくのも、悪くないと思った」


スラムの四角い空満面に月の架かる夜、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。

(4)

 ざわざわと風が戦ぐ。現れたのは、総ての竜を統べる王である。

「随分待たせるのね?」

白い外套を朔風に翻し、天辺の丸い月を仰いだ竜王の声に導かれるように、神獣達が大地に降り立った。

「ゴキゲンそうで何よりじゃねえか!」

着地を待ちきれず、炎鳥の背から威勢よく飛び降りた魔王が、盟友たる竜王に声をかけた。彼女達を見守る白き勇者と黒き勇者もそれに続く。

「一刻を争うわ!」

竜王は勇者に時の到来を告げて不敵な笑みを見せた。

「上等だ」

双子の勇者が互いに頷き合う。

「始めましょうか」

(5)

一体これはどこからどこまでが仕組まれた茶番なのだろう――そんなことを、ジェフは思うのである。

息子より父へ、半月刀が手渡される。「真剣勝負」と言わんばかりに、躊躇われるほど正々堂々と高貴なる父子が月下に対峙する格好となった。

「何に怯えてたのかは知らないけど、やっと、向き合ってくれる気になったんだね」

侮蔑の表情さえ見せたシュリが、スラムの空を埋め尽くさんばかりの月を仰ぎ、大義名分を唱えた。

「アンタに殺された兄上達の仇、同志達の仇、救えなかった民達の仇……!」

ならば、とジェフも半月刀の鞘を捨て、月明かりに翳した。

「取り返しのつかぬことを。余が名の下に、全て、切り捨ててくれよう」

ジェフは神に祈る。自分が正義と信じ疑わなかったものの為に犠牲を強いた者に捧げるにはあまりに惨めなものかもしれないが、それらの救済のために息子が犯した数々の過ちについて、

「(神よ、どうか此者の罪をお赦しください)」

宥恕を請うたジェフは、剣を構えた。

「上等だよ!」

シュリは炎魔法分子を召喚する。瞬く間にそれらは赤く色付き剣のかたちとなった。


 風戦ぐ月の夜である。

 かつて皇帝と呼ばれた男と皇子と呼ばれた男が、互いに利き足に重心をかけたところ。ジェフの殺気に呼び寄せられた水魔法分子がキラキラと明滅し、まるで星屑のように風に巻かれていった。


 その風に抗うように、シュリがジェフの間合いに飛び込んだ。


(6)

 ――その日出た月は今にも落ちてきそうなほど大きく、円かった。

「いよいよ、か」

と月を見上げたエリオがポツリと“その時”の到来を呟いた。

 

 「救済」と呼ぶよりも混沌とはしているが、「終幕」と呼ぶよりも希望に満ちたそれである。光も闇も与えられた民が、“縁”なるものを頼りに、また一から世界に放り出されるのである。その労を慮ったネハネが、心許無さそうに月を見上げたところである。

「不安か?」

無理もないことだ、とエリオは思う。世界に革新を齎す『勇者』などは、特にそうなのだろう。少し時間をかけて、ネハネが応えを寄越した。

「また、お待たせさせてしまいそうですね」

さらりと伸びた白い指が、ミルクティーを差し出している。つくづく、彼女は気が利いていた。エリオはマグカップを受け取ると、口元を緩める。


 冷たい風に窓がカタカタと震えている。この温もりの、何と有難いことか。

 暫くカップに口を付けられずに、二人は窓辺に寄り添っていた。

 光の民や世界そのものを混沌に貶めて『終幕』を回避しようとしていたら、この穏やかな気持ちを知ることはなかっただろう。

「なるべく近くに居てくれ」

やおら、エリオは指示を出した。

「……見つけ易かろうからな」

マグカップの中でミルクの甘い香りを立てているそれを、漸く、一口口に含んだところである。温もりがじんわりと喉元を伝って下り、もう胸がいっぱいになった。

「承知しました」

ネハネは半歩分だけ彼の方へ身を寄せた。少し高めの体温が仄かに伝わるくらいの、気の利いた距離である。これなら必ず再会できる――そう確信した二人は、漸く安心して月を見上げることができたという。

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