第91話 最後の戦いへ 

(1)

 死後の世界があるとすれば、もっとそれと分かる工夫がされていても良さそうなものである。

 このような照度の低い屋根裏部屋の煤けたベッドの上に転がされていた程度では、生きた心地もしない代わりに死んだつもりにもなれない。

「(殺されたわけではないのか)」

ペリシア帝国最後の皇帝・ジェフ三世は大きく溜息を吐いた。刹那に喉に痰が絡まり咳き込んだところ、厳冬だというのに汗まで滲んできた。どうやら無事である――今更ではあるが、そんなことをこの老人は確認していた。

「(一体此処は何処だ?)」

ジェフ三世は身体を起こす。例のシュリの襲撃により、肋骨を折ったような覚えはあるが、不思議と痛みは無い。

 とにかく一々驚くことばかりで気は休まらないのだが、自分の身に起こった事を確かめなければならないと思った彼は、身体を起こして間も無く目に飛び込んできた円いテーブルの上のパンの山には目もくれず、扉を目指して進んだ。

「!」

扉を開いた瞬間、何やら紙の束が音を立てて落ちてきた。ジェフ三世の目が捉えた驚愕の文字が綴る単語は“暗殺”という不穏な名詞である。嫌な動悸を覚えた彼は、気が急いて取り乱すままに、落ちてきた薄く頼りない紙の束を床に広げた。


***

ペリシア帝国最後の皇帝ジェフ三世暗殺

***


「どういうことだ!?」

思わず声を上げたジェフ三世は、細かく文字の書かれたその薄く頼りない紙の束、もとい、日報を床一面に広げる。諷刺画が民主主義の勝利なるものを謳い、魔物や化け物にも似せて描かれた彼自身やペリシア帝国の祖は歴史の汚点として蹂躙されている。“青褪める”とはよく言ったものだが、それを自覚できるくらい彼の全身からは血の気が引いて、嫌な汗まで噴き出てきたところである。

「ふざけるな!」

ジェフ三世はやり場の無い怒りを紙面にぶつける。

 ヴェラッシェンド帝国より押し付けられたこの偏狭の地で大国としてのし上がるまでに、一体どれだけの先人達が腐心し、どれだけの血と汗と涙が流れたことか――彼はそれを知っているだけに、この民の声はあまりにも残酷で無念であった。そこへ、

「……うるっさいなァ」

と水を差す声があった。あまりにも唐突なその声に驚いたジェフ三世は、心臓を掴まれたような胸の締め付けを感じ、思わず天を仰いだところである。

 丁度、不服そうに眉を顰めてこちらを覗き込む派手な髪の色をした男と目が合った。そう、シュリである。

「慎ましくしてなよ。アンタ、とっくに死んだことになってるんだから」

先程まで仕事していたのだから寝せろとか何とか、腹が減ったのならパンでも食えば良いとか何とか、全く自分勝手で他愛も無い御託を並べて、さっさとシュリは二度寝に戻って行った。

「(何が起こっているのだ?)」

ますますジェフ三世は混乱してしまった。そう、彼は、ほんの数日前まで、この実の息子・シュリに命を狙われていたのだ。

「一体何が……」

ジェフ三世は、床を敷き詰める日報に目を落とした。老いた目で読み取れる文字は限られているが、少なくとも、自分が既に死亡したことになっているのはよく分かった。ただ、実際はこうして無事に生きており、どういう訳か、政敵である息子に庇護されているのだ。

 こんなどんでん返しがあるのだろうか。

 世界は丁度、朝を迎えたところである。

(2)

 旧ペリシア帝国は、かつて無い政変の時を迎えていた。

ジェフ三世の暗殺の一報は民主主義を盛り立て、各地で民衆の生活再建や政治の民主化を訴えるデモンストレーションが勃発している。

 その声の多くは、皇帝による恐怖政治に反発して謀反を起こした為に一度は失脚したものの、この国の窮地に再び尽力した竜王・イオナが主導する民主政治を要求している。


 「正直、驚いたわよ」

率直に、イオナはメーアマーミーにそう告げた。

「何の話だ?」

と、多忙な彼は素っ気無かった。無理も無いことである。

 魔法核弾のカウント解除装置の複製の完成を現在も急がせており、その陣頭指揮を彼が執っていた。『シェラード“赤い月”戦線』による例のイオナ拉致事件の解決から、あまり顔を合わせて話す機会も少なかった二人である。

「政治の民主化は、むしろ皇帝の御意思でもある。お前に意欲があるのなら、私は総理権を引き渡すことに異論は無い。ヴェラッシェンドとの協調もあるだろうから、タイミングはお前が決めろ」

さらりとそこまで述べて外套を翻した元婚約者の、相変わらずの無表情は、何だかやけに晴れやかなものだった。読心術マインドリーディングを使えば分かりそうなものだが、それでは少し勿体無い気がして、イオナはあえて訊いてみた。

「アタシ達は、まるで貴方の掌の上で弄ばれているみたいよ?」

即ち、全て仕組まれていた事か、とイオナは問うているのである。

「勘違いするな。皇帝と国民の総意だ」

相変わらずな彼の対応に、イオナは小さく溜息を吐いた。そこへ、

「ただ、」

と、イオナの不意を突くように、珍しく後に続く言葉があった。


「――ただ、私は少しホッとしている」


 軍靴の音が近付いてきて、ノックの音が聞こえたと思ったら、シュナイダーが報告事項を抱えてやってきたところである。一連の書類よりも先ず、シュナイダーが渡した茶色の油紙で包まれた小さな包みを手に取ったメーアマーミーは、小さく笑い声を上げながら、その封を解いた。

「何かしら?」

イオナは無造作に放られた油紙を処分すべく、手に取った。宛名なのか、“大根役者へ”と書いてある。

「さしずめ、結婚指輪といったところか」

などと不敵な笑みを見せて元婚約者が答えたので、イオナは思わず動揺してしまったが、物はテレポートリングである。メーアマーミーは自分の左手の薬指にテレポートリングをはめて翳してみせて、曰く。

「エリオに逮捕状を出しておけ」

御意、と退出したシュナイダーまで笑っているようであった。

「アタシも、」

言うべきかどうか少し迷っていたが、最早杞憂だと判断したイオナは思い切った。

「アタシも、ホッとしているの」

互いに互いの幸せを願えるくらい、大切な存在であり続けることができたことに。

(3)

 凍馬から一通りペリシアの現状の報告を聴いたアマンダは大きく一つ溜息を吐いた。

「魔法核弾か」

そこまで敵国に開発を許しているとは、情報戦に長けた彼女も思ってもみなかったところである。改めて、メーアマーミーという男の狡猾さを思い知らされていた。

「発射予定は二週間後だそうだが、ペリシア当局が情報をコントロールしてるみたいで、一般民衆は全く知らないようだ」

まあ、知ったところで具体的に発射を回避する方法が無い以上、徒に民に知らせても混乱を招くだけだという理屈はよく分かる。凍馬も小さく溜息を吐いてみた。そこへ、

「『勇者』としては、何か良策が有るん?」

上官から“勇者”などと声をかけられたので、凍馬は苦笑を返してしまう格好となった。

「まあ、悪いようにはしねえよ?」

イェルドとランが口にした、「民を作り直す」という意味を、凍馬は暫く考えていた。ろくでもない事もそうでない事も、これまで起きたそれなりの事象は、一度、リセットされるのだ。

「何を難しい顔をしとるん?」

アマンダに話しかけられ、凍馬はふと我に返った。

「イェルドのぼんやり病が伝染ったかな」

民を一から作り直して、また仲間と巡り合う為に費やす時間はどれくらいだろう――その時には、せめて“お尋ね者”にはなっていない事を祈るばかりである。

「自分は嘘が下手やねえ」

一体何処まで見透かしているのか、この上官はあざとくそう言って口角を上げると、もう一つ溜息を吐いた。悩んでいるなら相談に乗るぞ、と今にも言わんばかりである。

「敵わねえな、姉さんには」

凍馬は苦笑を返して繕う。この悩みばかりは、実際に「その時」を迎えてみなければ解決しない、今悩んでも仕方の無いことである。凍馬はそれを確かめると、

「大丈夫。心配無い」

という旨、上官に伝えた。

「そ、か」

分かったような、納得していないような――複雑な返事を端的に返したアマンダは、一度時刻を確認する為に懐中時計を確認した。

 

 冬の雁の群れが、規則正しい隊列を成して塒に戻るところである。

 こういう鳥は、独りで飛ぶよりもずっと遠くへ行けるのだと、アマンダは聞いたことがある。人の上に立つという立場を任されるようになった今となっては、それが大人の嘘でも詭弁でもないことを、彼女もよく理解できるようになった。

「相変わらず、忙しそうだな」

そんな声をかけた凍馬に、「まあな」と生返事をしたアマンダは、パチリとケジメをつける音まで立てて、懐中時計の蓋を閉じた。その不意に、

「バーナード元帥に、」

などと凍馬が切り出したため、驚いたアマンダは思わず小さく肩をすくめてしまった。

「バーナード元帥に、暇が出来たら、是非手合わせ願いたいと伝えておいてくれ」

まだ気後れしたままだったのだが、アマンダは凍馬の打診に頷いた。またも生返事気味になってしまったが、最早、彼女に取り繕う心の余裕は無いのである。何故なら、

「……次は、オレが負けちまうかもしれないケドな」

などと、凍馬がニッと笑って擦れ違っていくものだから。

(4)

 ヴェラッシェンド帝国では、本日同盟国の国賓を迎え、新たなる発展的な貿易の在り方と対ペリシア政策についての協議が執り行われる。ヴェラッシェンドの皇帝が、所謂魔王サタンに交代したこともあり、ヴェラッシェンドパレス・謁見の間は、一目陛下にまみえんと、何時にも増して、沢山の人の往来があった。


 冬の冷たい風に色素の薄い長い髪を靡かせた男が、スコープでパレスの謁見の間を確認して大きく溜息を吐いたところである。そのレンズのフレームに、不慣れな公務をとりあえず何とか形だけでもこなそうと奮闘する彼の愛娘の姿と、その危なっかしい君主に慈愛の眼差しを向けている不躾な天敵(もとい、ロイヤルガード)の姿が一緒に映り込むものだから、男は堪らなくなるのであった。

「おのれイェルド! もっと離れぬか!」

男、もとい、デュトゥールはスコープに噛み付かんばかりである。

「父上皇様ァ、いい加減諦めましょうよォ」

そんなにイェルドを罵倒するくらいなら早々と彼をロイヤルガードに任命しなければ良かったのに、と僭越ながらアイリーンは思うのだが、これはこれで皆幸せそうなので、アイリーンは放っておく事にした。

「これで勝ったと思うなよ!」

「父上皇様ァ! こちらではお静かに!」

時に、デュトゥールとアイリーンの潜伏先は、敵味方を問わず隠密が往来するような場所である。これだけ騒げば何時刺されても可笑しくないのだが、最早ヴェラッシェンド帝国に敵国など無い状況である上、敵国であった旧ペリシア帝国の隠密部隊は、ほぼ壊滅状態である。

「(平和は我々が維持しているという自負は、所詮自惚れだったか)」

これから護るべきものは一体何だろう――生粋の暗殺者アサシンであるアイリーンは、最早殺気など無くなった辺りを睨みつけては溜息を吐いてしまっていた。

「だあぁっ! 目を合わせて微笑みあうな! 仕事しろ仕事!」

「もう! やかましいですってばァ!」

例えば、傍らで喚くこの男のように自らの愛情に忠実であれば、少しは笑って生きられるだろうか。しかし、それはあまりにも想像がつかなくて、アイリーンは苦笑してしまったところである。

(5)

 ペリシア帝国の祖・ジェフの名の下に、建国以来守り続けてきた皇帝の「冠」が外れて、もうどのくらい経っただろうか。老齢まで華やかな皇室しか知らない高貴な身の上であっても、屋根裏の小部屋で身を隠す生活が10日を数える頃にはすっかり慣れもする。

 魔法核弾の処理は進んだのかどうか定かではないが、老い先短いこの命を今更惜しいとも思えなくなってきたのは、この質素な暮らしが原因だろうか。

 はたまた、世界を未曾有の危機に晒した政敵である実子との生活を強いられているからだろうか。

 ところが、この政敵、もとい三男・シュリは至って普通であり、

“殺すも何も、ボクもアンタもその内死ぬでしょう?”

などと言っては、せっせと木の皮を紙で巻いているのだ。

 ――その木の皮こそがロータスという麻薬なのだろう、とジェフ三世は勘ぐっている。

「(愚か者め)」

と、あえて父の顔をしてジェフは嘆いたところである。というのも、この外貨獲得政策的にペリシア帝国中枢が長年に亘り利用してきたロータスの齎した罪について、ジェフ三世は、推奨したとまでは言わないにしても全くの善意ではないからである。

「愚かな」

そして、彼自身も、この“金のなる木”と引換えに失うものの重さくらいは知っているのである。


 何時にもましてバタバタと音を立てて、シュリが戻ってきた音がした。抹殺の対象かどうかはさておき、未だに互いに「政敵」であることに変わりはない。ジェフ三世は息子と顔を合わさぬように、日報を広げた。


 老いた目で追えるのは見出しとリード記事くらいだが、それでも拾えた世間像はかなり不穏なものであった。

“同盟国軍の所有する飛空騎の3分の1が壊滅状態”

“世界中各地から動植物が謎の大量死の報告がある”

“ペリシア各地で地震や暴風雪の被害”

原因は詳らかでないとされているが、“識者”にとっては明白だった。

「(世界中から魔法分子がセディアラに集められている影響か。)」

 扉が開き、脱色した髪がこちらを覗く。

「ねぇ、」

シュリの口が開いた。いよいよか、とジェフは日報を畳んだところである。

「世界最後の日くらい、外に出てみよっか?」

父譲りの赤みの強い薄い唇の端がニッと上を向いていた。

(6)

 ヴェラッシェンド帝国からペリシア旧帝都・セディアラへ向けて、3騎の飛空騎が離陸準備を整えているところである。


 そのセディアラに設置された魔法核弾の発射カウントの影響で、世界中からセディアラ目掛けて無量大数単位の魔法分子が集っている状態である。


 『光』も『闇』も兼ねた民を一から作り直し、あらためて世界に放り込まんとしている『双子の勇者』と『魔王』が、この機会を逃す手はなかった。

 ――彼等は、魔法核弾を格納しているペリシア城(パレス)で、全てを決しようとしているのだ。


 「結構な博打だぞ、こりゃあ」

凍馬が指摘した通り、一歩間違えば世界そのものから民を失う『終幕』の惹起である。

「結局、神頼みとなりますかね」

イェルドまでそんな事を言い出すものだから、ランは少し驚いてしまった。

「アンタが神頼みするのか?」

それなら御利益があるかもしれない、と素直にランは思ったのだが、イェルドは困った顔をくれただけである。

「“言葉のあや”というやつです」

ただ、明護神使や暗黒護神使が使うように、『終幕を神の名で代行する者』という狭い意味で『神』という言葉を使うならば、遠からずその通りである――こればかりは口に出来ず、イェルドは苦笑するしかないのだが。


 その狭義の『神』・ランは、今にも降りかかってきそうなほど大きな月を前に、凛としていた。

 携帯物は、『炎』・『風』・『水』・『大地』のルーン。

 “金と銀のブレスレット”。

 そして宝剣・『ハガル』。

世界を貫く普遍のテーゼを具現化した、所謂『神』に通じる力である。


 『双子の勇者』と『魔王』は、それぞれ月を見上げた。

「行くぞ!」


――最後の戦いへ。

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