第70話 MOON LIGHT SONATA(2)
(1)
ソドム公国・メダラルフォールへ急ぐイェルドを狙って、“シェラード「赤い月」戦線”の狙撃班も動く。何処に兄・凍馬が居るかも知れない“修羅の森”の中で、行く手を塞ぐ数々の障害に不眠不休の飲まず食わずの体で単独で挑まねばならず、いまいち冷静になれないイェルドは「止む無し」と、かの呪文の使用に踏み切っていた。
『召喚・狂信者!』
イェルドの詠唱により、大地を削るように六芒星が発現した瞬間、光の中から呻き声が聞こえ、這い上がるように狂信者(自らが召喚した悪魔に魂を喰い尽くされて廃人になった悪魔崇拝者の成れの果て)が次から次へと現れた。
「あ゛あぁぁぁ……」
狂信者はイェルドの指差す方向へと這い蹲って敵に襲い掛かる。
「ぎぃやああああ! 来るな! 来るなよ!」
ペリシア帝国第三皇子・シュリの集めた精鋭中の精鋭である彼等といえども、奇特な聖職者が暇つぶしに覚えた不気味な召喚呪文に加えて、丑三つ時という現在時刻も相まって、“修羅の森”にはスナイパー達の悲鳴が轟いていた。
「……時間が惜しいな」
背後はなかなかの恐怖絵図だが、イェルドは爽やかに汗だの何だのを拭って先を急ぐ。
「おのれ! 奴は一体何者なんだ?!」
「何故こんなえげつない召喚術を……!」
スナイパー達の嘆息という名の突っ込みは木枯らしに巻かれて消えた。
誰の塒なのか知れない倒木群を一気に乗り越えたイェルドは、崖に沿って流れる大きな川を淡々と渡る。豊富な量の水魔法分子に少しでも自分の光魔法分子が混和すれば良いと願ったものの、得策かどうかはさっぱり解らない。
何処からとも無く、イェルド目掛けて強化魔法球(ブラスト)が飛んできた。
「くっ!」
何とかそれを躱わしたイェルドは一度木陰に身を隠して、辺りを注視する。
「(キリが無い!)」
追っ手の気配が何処にあるのか、イェルドの方からは一切分からない。逆に、追っ手には自分の居場所など知られてしまっているのだろう。
「(どう出る?)」
しかし、シミュレートしてみる時間も無く、幾つもの強化魔法球(ブラスト)がイェルド目掛けて飛んできて、彼は呆気なく潜伏先を失う。ただ、追っ手もその数は減らしているのだろう。イェルドは追っ手の攻撃呪文の詠唱の隙に乗じて飛空騎・
「うっ!」
離陸と同時に傷が疼き、イェルドは光明獣の頚部にもたれ掛かる。疲労困憊した体が動かなくなってきていることは自覚せざるを得ない。イェルドは最早、夜空を翔る光明獣の背から振り落とされぬよう掴まっているのが精一杯な状態である。
もう少しでも気を抜くと寝入ってしまいそうだった。
「(違う、これは……)」
イェルドは赤黒く色付いてしまった光明獣の白い鬣(たてがみ)を撫でた。全身黒い服を着ている所為で傷が目立たない為に治療が遅れていたが、それにしても、やや傷の治りが悪いとは思っていたのだ。
「(毒か)」
仮にそうであれば、この体の重たさは眠気の仕業だけではないだろう。
「治療を……」
そう、一刻も早く状態回復呪文(リカバー)を唱えなければならない。当然、イェルドは自覚している。それなのにもう、眠気に負けてしまって詠唱するだけのチカラが残っていないのだ。
(2)
さらさらと乾いた音を立てて触れ合う草の生い茂る大地を月光が撫でる。この青白い静寂を乱す一陣の風が、張り詰めた緊張感を劈開していった。
「覚悟は良いな?」
その一瞬で黒い刀剣を召喚した栗毛の青年は冷笑を浮かべた。見たこともない程禍々しい形をした剣だが、感じる負のチカラは相当なものがある――凍馬は息を呑んだ。
風が止み、世界が静まる。森羅万象全てが息を潜め、晩秋の夜風に研ぎ澄まされた森が二人の剣士の闘志を受け止めてはジリジリと焼き付けていた。互いに隙は無い。
「(ならば紛れるのみ!)」
再び風が戦ぐ。そのタイミングと同時に二人は一気に間合いを詰めた。
光芒一閃。
鍔際がギリリと悲鳴を上げて斥力を支配する。
「(力では不利!)」
そう判断した凍馬はいち早く身を翻す。左足を軸に重心を低くし、柄尻で相手の剣の軌道を防ぎながら、死角に飛び込んだ。
「遅い!」
死角を狙った筈が、何時の間にやら栗毛の青年の剣の切っ先は凍馬を捉えていた。止むを得ず、凍馬は右手に逃れる。そのどさくさに紛れて、凍馬は右に持ち替えた半月刀で相手の脇腹を狙ってみたが、斬撃は浅い。軽く躱わされて間合いを広げられてしまった。
「どうだ? 長生きしたくなったか?」
栗毛の青年は冷笑を見せた。この面影、確かに凍馬には見覚えがある。だが、彼は同時に、それ以上の追究は無用であるとも思っていた。この月の沈む頃には……
「満ち足りてるさ。お陰様で」
やっと、凍馬は微笑むと半月刀を翳した。
互いに隙は無い。
紛れるならば、秋の夜の風、森のざわめき、月の影……息をも潜めた剣士二人の張り詰めた視線上に集まった闇魔法分子が、互いに共鳴して音を立て始めた。
仕掛けたのはまたも同時――下に、右に。右に、下に、左に、上にと襲い掛かる凶刃と正確に渡り合い、その度に刃の摩擦で火花が散る。そうこうしている内に、互いに互いの剣の軌道に隙を見ていた。
「(今!)」
研ぎ澄まされた戦闘本能が凍馬の刃を敵の喉元に滑り込ませる。しかし、自らの喉元にも黒い刃が滑り込んでいることに気が付いた時には、もう遅かった。
単純にリーチの差、あえて測るなら丁度握り拳の幅くらいの差が、凍馬と栗毛の青年の実力の差だった。
凍馬の半月刀の切っ先は栗毛の青年の首を今にも切り落とさんばかりに捉えているものの、凍馬の喉元には栗毛の青年の黒い凶刃がピタリと張り付いていた。
「……やるよ。この首」
“伝説の盗賊”と形容された凍馬の首の価格は国家予算規模に上る。正確な値など、本人の知るところでは無いが、ソドム公国にそんな大金を払う国力などは無いだろうことや、少なくとも一生食うに困らない生活保障分の支払いはなされるだろうことくらいは解る。
しかし、むしろ何に躊躇っているのか解らないくらい、青年の黒い刃は動きを止めたままだった。凍馬の怪訝そうな表情に気付いたのか、青年は一応の回答をくれた。
「……抵抗してない者を斬っても、何も楽しくない」
どうやら、この栗毛の青年はだいぶ性格が破綻しているようだ。困惑した凍馬は、半月刀を下ろし、小さく笑って「惨め」を隠した。
「それに、」
まるで止めを刺すかの如く、栗毛の青年は凍馬を見据えて言った。
「勝手にくたばってもらっちゃ困るんだよ」
夜半も過ぎた風が丘を駆け抜けていく。冷たい筈が、熱く感じられたのは錯覚だろうか。
「何を言い出すのかと思えば……」
本当に、この栗毛の青年は知り過ぎている。凍馬は動揺を隠せず、思わず満月を見上げた。構わず、栗毛の青年は続ける。
「お前の、幸せを願う“物好き”がいるだろう?」
刹那、何処からともなくやってきた光魔法分子の塊が森の上空を過っていくのが判った。こんなところに現れる光魔法分子の持ち主など、何処を探したって世界に一人しかいない――凍馬は、頭を抱え込んでしまった。
「アイツが、……終わらせてくれると信じていた」
ヴェラッシェンド帝国お抱えの聖戦士長であり、バウンティハンターまでしている双子の弟・イェルドなら。
ポツリと漏らした凍馬の一言が、月光に晒されて露になる。
護られる度に、「違う」と感じていた。顔向けできないほど惨めな自分のことを、高貴な弟がずっと探していてくれたんだと知って、嬉しかったのも嘘ではないが、計り知れない虚無にも襲われた――何故か息が詰まりそうになった凍馬は、栗毛の青年を見上げた。
「有り難く救われてろよ」
しかし、栗毛の青年は凍馬に背を向けて続けた。
「たかがお前如きに一丁前な大罪人の器があるんだとしたら、それはお前を加護するオレの所為だ。独りで勝手に粋がるんじゃねえ」
栗毛の青年が黒い剣を月影に翳すと、剣は見る見る内に竜のような大きな羽を持つ怪物に姿を変えた。この怪物は凍馬もよく知っているので、思わず声をあげてしまった。
「暗黒獣(アミュディラスヴェーゼア)!?」
ならば、眼前のこの青年は――凍馬が彼の正体を確かめようと口を開く前に、青年は舌打ちをくれた。話しかけ難いことこの上ない。
「罪悪感を覚えるのは勝手だが、死んで罪を贖うなんて、お前にはムシが良過ぎる」
……そう思い込んでりゃあ良いじゃねえか、などと言い捨て、栗毛の青年は姿を眩ませた。
月光が丘の背を撫でている。
凍馬と
「カツアゲと説法を同時に食らったみたいな気分だな……」
(3)
光明獣にもたれたまま、イェルドが何とか顔を上げると、見事な月の架かる空である。この満月に吸い寄せられていくような錯覚に陥ったイェルドは、僅かな光魔法分子の結晶を握り締めていた拳を解いた。ついでにふわりと身体が宙に浮いたような気がしたのも、錯覚だろうか。
「(治療を……)」
解毒しなければならないことは解っているのに、イェルドの目は完全に閉じてしまう。毒による麻酔作用なのか、痛覚や触覚がどんどん薄れていく。これでは未来を悲観的する暇も無い。何処か安心しているのは、まだ自分が
すると、
「少し休んでも大丈夫だよ」
覚束ないイェルドの視覚と聴覚は、しかし確かに此処に居るべくもない筈の人物の声と姿を捉えていたのだ。くっきりとした深い二重の瞼、筋の通った鼻、唇に湛える柔和で悪意の無い優しい微笑――
「明護神使さ……ま?」
彼が夢幻か否かを吟味する疑い深さも今は持ち合わせていないイェルドは、促されるままに意識を投げ出す。緊張の糸がぷつりと切れた音まで聞こえたような気がした。
間も無く、光魔法属性の飛空騎一騎が、森の某所に不時着した。
「――そういえば貴方も、“独りで無理してる”なんて、言われてたな」
夜闇に閉ざされた森に、白い法衣が翻る。満月にそんな事をそっと呟いた栗毛の青年は、毒に侵されて飛空騎から投げ出された“白き勇者”をそっと横たえた。自ら加護している彼を直ちに解毒してやれないこともないが、それは此処が本来居るべき場所ではない青年の役目では無い。
「でもそういう無理は、決して独りじゃないからこそ、できることなんだ」
満月に耳を澄ませば祷りの声が聞こえてくる――神の為かも知れないし、空蝉の誰かの為かも知れない。
「暗黒護神使、お前にしちゃあ随分お節介じゃねえか?」
無茶苦茶ばっかしやがって、などとゆっくり一つ溜息を青年は、月を見据えて然るべき場所へ戻った。
(4)
老齢の所為か、最近は喉に痰が絡み発声し難いのだろう。ペリシア帝国皇帝・ジェフ三世が謁見の場を設けることは少なくなった。彼は、ヴェラッシェンド帝国をして剥奪された主権の回復の為に諸国を東奔西走していた先代、先々代皇帝の意思をその名の下に継承しており、とりわけ国土奪還の志は堅固たるものがある。
しかし、当の彼の意思を継いだ者は、血を分けた三人の息子達ではなく、皇家の意思を実現する為に組織されたペリシア帝国軍であり、帝国軍元帥のメーアマーミーであった。
「何が良くなかったのだろうな」
続けて、「時の流れは残酷なものだ」などと自嘲した皇帝は、足元に跪くメーアマーミーの畏まった後頭部を見つめては、溜息をくれた。
皇帝・ジェフ三世にしてみれば、ヴェラッシェンド帝国の一大国支配体制からの脱却を図る為、帝国軍事体制を規律し国家一丸となって秩序維持を図りながら、臣民を然るべく指導し、とにかくも理不尽に奪われた固有の国土の奪還の為に邁進してきた筈であった。
しかし皮肉にも、ペリシア帝国自体の政治が安定し、二大国冷戦と言われるまでに国力が上がるにつれ、民の心は次第に国家から離れ、国家からの解放と同時に福祉を政策に求めるようになってしまった。
歯車が狂ってしまった、などと機械に例えて国勢を嘆く皇帝の知る、最も命令に忠実で正確な僕(しもべ)からは、相槌はおろか異論も反論も出てこない。勿論、それを「好し」として、皇帝は彼を召喚したのだ。
「余の不徳の致すところよ」
まるで懺悔のような一言から、その命令は下された。メーアマーミーは心して主君の声を聴いていた。
「ペリシア帝国は、皇帝に代わり政を司る総理官位を定めることとする。それに先だって、汝に特命を下す」
御意、と応えるメーアマーミーの全身に戦慄が走る。この皇帝の言葉の意味するところを察してしまった為である。心して、彼は勅命を拝した。
「第二皇子・キリエと第三皇子・シュリを抹殺せよ」
メーアマーミーは一度面を上げた。無礼は承知だが、そうせずには居られなかったのだ。構わず、皇帝は続けた。
「余の意思を継ぐのは汝であろう。余も永くは無い。現実的で建設的な我が国の趨勢の為でもある。余の遺言だと思って聞いてくれまいか」
皇帝はそう言うと、帝国軍元帥に刀剣を差し出した。
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