第61話 再見

(1)

 イオナがペリシア帝国で復軍したというニュースは直ぐにヴェラッシェンドに伝わった。

 当然、寝耳に水のランとイェルドはその情報を直ぐに信用できなかった。立場上、ランもイェルドも会ってこの件について話すことができておらず、一体何が起こったのか解らないまま、それぞれ個々に彼女を信じて無事を祈るしかなかったが、どうやら情報は確からしいというので、今は一応事実として、各々認めているといったところだ。


 手を打つに打てないジレンマが、とりわけランにとっては焦燥感となってしまっていた。

「(……またか)」

ランは冷や汗を拭って溜息をついた。イェルドへ下した「凍馬逮捕命令」から7日が過ぎようとしている。

ここ最近、何かと戦っているような壮絶な夢を見てしまうため、ランは眠った気がしていなかった。夢の内容はというと、状況は様々だが、とにかく戦場なのだ。

 戦場は青い海の上の軍事基地だったり、雨降りしきる荒野であったり、廃墟の孤島であったり。“勇者”と呼ばれる人柱や、”魔王”と呼ばれる闇の民の首長。そうした者達の果てしなく続いた戦いの歴史が、あたかも現実的な臨場感を持ったまま“夢”として出てくるのだ。流石のランも、少し、辟易してきた。

「(まあ、こんな時だからこそ見る夢なのかもな)」

ペリシア帝国との戦い――そうなると、このままでは、盟友・イオナと戦う羽目になる。それだけは絶対に避けたい!

「信じて良いんだよな、イオナ?」

こんな時、ランとしては、自由に身動きの取れない自分の立場が辛くもどかしいばかりである。直ぐにでもペリシアに乗り込んで、無事かどうか確認できるものならどんなに良いだろう。

「(いっそ今から赴ってやろうか……)」

そんな事を考えながら、とかく喉が渇いたので、ランは扉の前に控えていたメイドに水を頼んだ。少し前までは、頼まなくてもイオナがお茶を淹れてくれたのだが――

 「姫様、お水をお持ちしました」との声と、扉の閉まる音が聞こえた。メイドを私室に入れるのは昔から嫌いだったので、

「そこのテーブルに置いてくれ」

といつものように指示を出し、「かしこまりました」との声と、ボトルとグラスをテーブルに置く音と扉の閉まる音を聞いて、ランはゆっくりベッドから出た。

“貴女の単独行動は非常に危険です。以後は慎んでください”

ふとイェルドの言葉を思い出したランは、ボトルの栓を開けてふとグラスに目を落とした。

「(心配性め)」

しかし、悪い気はしない。ランはグラスに手を伸ばした。

「(今頃、何をしているだろう)」

――イェルド。

「(絶対無茶してるよな、アイツ)」

“勇者”だから大丈夫だとは思う反面、未踏の地である北方大陸で、移動手段はどうするのだろうとか、お金に困りはしないかとか、寝る場所とかどうするのかとか……そんなことが気になり始め、ランは亜麻色の髪を掻き毟った。

「(ったく、アンタこそ他人の心配してる場合じゃねえんだって、いつもいつも!)」

ランは大きく溜息をついた。「ランちゃんも充分心配性ね」と突っ込んでくれそうな目敏い盟友は、もういない。


 ヴェラッシェンドという大国の第一皇女は、現在無力を感じていた。

 この城(パレス)の中というのは一見政治的なようでいて、実に生産性の無い場所である。ランは空っぽのグラスを手にとって頬に当てると、また一つ大きく溜息をついた。

「アタシにできることって何だろ……」

そんな事を考えてはぼんやり窓の外の円に及ばぬ月を見上げていたランだったが、ふと、何やら思い至ったのか、ニンマリ笑って紙とペンを探し始めた。

(2)

 何時梳られたのかも分からないほど伸ばし放題の白髪頭の女は、働きもせず、ただの野良盗賊である青年に向かって祈りを捧げていた。「飢えを凌げますように、惨めを凌げますように、と――要は、物乞いである。

“ババァ、”

眼前の媼があまりに惨めに見えた青年は、ふと、彼女に声をかけてしまったことがある。“祈るだけで、飯でも降ってくりゃあ世話ねえな”とか何とか、皮肉めいた言葉をかけたのだったか。

 生きる為であれば、彼女は何でもできるだろうと思っていた――我が子さえ捨てた彼女ならば。しかし、

“分かったような口を利くんじゃないよ!”

彼女は青年の服に掴みかかってきた。

“覚えとくんだよ。金さえあれば、金さえあればなんだ! 神も要らない! 祈りもいらない! そんなもの無くたって、生活できるんだよ!”

この女の剣幕に押される形で、青年は言葉を失ってしまった。

“金を得る為に生きるのなら、盗みでも人殺しでもするさ! でもね、”

かさかさに乾いた唇を歪めて、女は泣いた。

“――私はね、人並みの幸せが欲しいだけなんだよおお!”

騒ぎを聞きつけた彼女の夫が、彼女を連れ戻しにやってきた。

 “いつも済まない”

老いた男が深く頭を下げる。この男は足の先を失っていて、うまく歩けないようであった。此処から直ぐに居なくなりたくなった青年は、金を置いて立ち去ろうとしたが、引き止められてしまった。

“遠い昔のことだが、私達は、双子の子供を『修羅の森』に捨ててきてしまった”

男は静かに告白し始めた。

“ハッ、ザマァ見ろ。罰が当たったんだなァ”

毒つくのが精一杯であった青年は、夫婦をしっかり見つめることが出来ずに目をそらした。その時の形容しがたい気持ちは、いくら溜息をついても吐き出しきれずに、未だ胸の奥に溜まったままである。

“そうだ”

反論も言い訳もせず、男は認めた。

“しかし、私達が生き長らえることはできている”

“そうだな。良かったじゃねェか”

青年は気持ちを落ち着ける為、一度目を閉じ、ゆっくり開けた。

“何故だと思う?”

唐突に、老いた男は青年に尋ねた。驚いた青年は、一度だけ、男の表情を見てしまった。多分、「世界で一番辛そうな顔」というやつを見てしまったのではないかと、青年は慌てて顔を背ける。

“神サマに祈った甲斐があったんじゃねェか?”

異国に住む青年の弟が聞いたら小一時間説教くらいそうな返事だったが、これが当時の青年がしてやれた精一杯の解答なのだから、仕方が無い。

“神は、私の息子達をお守護まもり下さっただろうか?”

“バーカ。オレに聞くんじゃねぇよ”

――我が子を棄てておいて今更何を言っているんだ、と呆れた青年は、思わず溜息をついてしまった。

“私達は、生きていてはいけないのかもしれない”

ふと、男が発したこの言葉に、青年は心臓を掴まれたのではないかと錯覚するくらい嫌な動悸を覚えた。秋口の冷たい風が吹いたところで、この重苦しい沈黙が流れては行かず、男の妻の咽び泣く声が白い壁の向こうから聞こえてくるばかり。

 

 冬が近かった。

 建物に住むだけで税金がかかるソドム公国では、貧しい者は、天井をあえて作らず、隣家と外とを隔てる壁だけがある集落に追いやられている。

 世界の無情な平等原則に基づき、屋根代わりに麻の布を敷くだけの家が多いこの付近の住民にも、とてつもなく厳しい季節がやって来る。人々の心象は弱りきっているようだった。

 青年は鞘のベルトの金具を外し、男に差し出した。

“これ、やるよ”

青年は、年老いたその男に半月刀を渡した。売り払えば、防寒具程度の金にはなるだろう。

“もしも、……”

老いた男は、早くも背を向けて何処かへと歩き出した青年に声をかけた。

“もしも、息子達が生きていたならば、私達を殺しにやって来るだろうか?”

青年は即答した。

”たかだか、赤の他人が2人死んだところで、世界の何が変わるもんか”

と。


***


 白い壁に黒く、二つ、×(バツ)印が刻まれている。思うところがあって其処を

訪ねた青年はその印を指でなぞってみた。まだ新しいのか、指に黒い粉がやたらとはっきり付いてきた。

「ああ、あの夫婦かい」

隣でモノをたかっていた老婆がゆっくり腰をあげた。

「あの夫婦は、……ここだよ。今はもう」

老婆は爪の剥がれかかった素足で、地面を踏みつけて言った。

「アンタ、あの夫婦の知り合いかい?」

唐突にそのような事を訊かれて困惑した青年の様子を見て、「肯定」と判断した老婆は、布に包んだ筒を、白い壁の向こう側から取り出してきた。いや、それは筒ではなく、青年にとっては馴染みのある半月刀がきちんと収まっている皮製の鞘である。

それ以上何も問わなかった老婆は、半月刀の収まった鞘を青年に渡して舌打ちした。

「このまま売り払っちまおうと思ったのに」

それが本当かどうかはともかく、青年は、溜息をついたその老婆の視線の先を見つめた。白一面に、赤黒く模様が入った壁である。

「アイツ等、オカシくなっちまったんだよ」

老婆は静かに言い放った。

「読めるかい?」

青年の顔をじっと見ていた老婆は、堪らなくなったのか、その場から離れてまた物乞いを始めた。

壁一面にある赤黒い模様は、血液で、青年が読める数少ない名詞の二つのみで綴られた文字列である。青年は、ゆっくりその壁に近付き、暫くその壁の真ん前に立ち尽くしていた。


……ツェイユイェルドツェイユイェルドツェイユイェルドツェイユイェルドツェイユイェルドツェイユイェルド……


白い壁の向こうから月が出てきていた。

「――ちっとも悲しくなんか、無ェ」

青年の口からやっと、言葉が零れた。

(3)

 ヴェラッシェンド城下町・リトリアンナは、休戦中ということもあり、久々に戦場帰りの兵士や国土奪還を祝う人々の酒盛りで賑わいを見せている。仮初の安息とはいえ、有事ムード漂う最中とは思えないほどの活気を見せ、暫しの安息の日々を謳歌するようであるのだが、勿論、メインストリートを外れると一種独特の混沌カオスに支配されている場所がある。

 例えば、クリミナルコードと呼ばれるナンバーを持つ者や、その首金を狙う賞金稼ぎバウンティハンターが対峙していることもしばしば。

「おのれっ!」

怒号と共に突き出されたクリミナルの拳を相手の右下方に滑り込んで躱わすハンターは、相手の死角からカウンターで蹴りを見舞う。

「(浅い、か)」

ハンターに自覚はあったので、とりあえず一つ間合いを作り、相手の出方を見る。暫く、両者の睨み合いが続いた。緊張の糸が切れるまで、じりじりと殺気の応酬が続く。

「!」

刹那、両者は一気に間合いを詰め、拳でカウンターを狙う。

「(否。ここで切り札だろう)」

これはハンターが導いた計算と言うよりは直感というべきものであったが、経験則である。案の定、クリミナル側が直前で武器(十中八九剣であろう)を召喚する構えを見せたので、こちらもそれに応じた。

「な……っ!?」

召喚された大鎌の刃を受けたクリミナルは、武器を召喚する前に現れた巨大な凶刃の前に為す術無く、対角の壁に勢いよく叩きつけられ、そのまま失神した。

「あいにく、リーチで負けたことは無い」

刃渡り4尺強もの鎌の刃の陰からバウンティハンターの暗がりの金髪が揺れた――

 この夜、ヴェラッシェンド帝国軍内にある刑務局管轄のリトリアンナ治安部保安室に、大口の賞金首が担ぎ込まれたという。


 「まだこんなコト続けていたのね」

リトリアンナのとある酒場で、高額賞金首の情報を扱う彼女は、久しぶりに現れた常連客に小さく感嘆の声を上げた。

「今回は、半分、勅令ですよ」

イェルドは引き出してきたばかりの金を情報屋に渡す。

「どうしても、彼を捕らえなければなりません」

積まれた金額の多さよりも、イェルドの決意に気圧されて、情報屋は息を呑んだ。

「どうも、貴方は……」

言うのは野暮だが、情報屋としても訊かずにはいられなかったのだろう。少し間があった。

「凍馬の首が目当てという訳ではなさそうね?」

そこでイェルドが嘘でも吐けば良かったのかも知れないが、上手く切り返せなかった為、情報屋に一つ、確信を与えてしまったようだ。

「貴方が登城した直後、貴方がずっと探していた凍馬は、ヴェラッシェンドに来ていたわ。しかも、貴方の居る城(パレス)にわざわざ侵入して――とうとう貴方が凍馬を仕留めたんじゃないかって、業界中ちょっとした騒ぎになったわよ」

情報屋は飲みかけのグラスをテーブルの隅に追いやり、受け取った紙幣の勘定に入る。

「凍馬を深追いして生きていたのは貴方が初めてよ。流石ね、と言いたいところだけれど……貴方と凍馬、何かただならぬ因縁があるように思えてきたわ。邪推かしら?」

イェルド殿、と声を掛けられ、少し上の空になりかけていたイェルドは何とか我に返る。

「ここ数日、ペリシア帝都・セディアラで凍馬を見かけたという情報があるわ」

情報屋は積まれた金の勘定を始め、対価に見合う情報の提供を始めた。

「恐らく、今現在もセディアラに居るでしょう。手に入れたヴェラッシェンドの軍事機密をペリシアに売ろうとするんじゃないかしら。イオナ前元帥が復軍したとはいえ、現況はペリシアがまだ劣勢だから、ともすると凍馬を勢力に取り込もうとするかも知れない」

このような統計に基づく推測を一通り述べた上で、

「彼は徒党を組まないから、情報は推測の部分が多くて、正直、大枚積まれるほどのネタが無いの」

と、律儀に詫びた。それはそうだろうとイェルドは思ったが、兄がペリシアにいるということが確信できただけでも収穫である。となると、あまり彼に大きな移動をされない内に出立したくなってきた。話を切り上げようとした客の様子に気付いた情報屋が、すかさず回り込んできた。

「貴方の持っている情報を売って頂けないかしら? 何ならこのお金、そのまま貴方に返したって良いわよ?」

高額情報を扱う商売上手ならではの魅力的な打診をしてくれたが、そのつもりは毛頭無い。その代わり、情報屋の情報の訂正箇所を指摘しておいた。

「凍馬が盗んだのは、軍事機密ではなく国宝です」

凍馬がペリシアにいる理由は、十中八九、イオナの件だろう――人一倍面倒見の良い彼のことだ。ヴェラッシェンドにもペリシアにも与しないとは口では言っていても、この期に及んで、両国を気にしないで居られるほど冷徹な人物ではない。こうなるともう、イェルドの出立の決意は固まっていた。


 情報屋の打診を体よく断ったイェルドが、店を出る支度を始めた丁度その時。

 店の外が騒がしくなったところ、男が一人、店内に飛び込んできた。

「人が怪我して倒れているんだ! 誰か、回復呪文の使える者は居ないか?!」

イェルドはすぐにその客と目が合ってしまった。「神父様」などと呼ばれてしまうよりも先に「直ぐに参ります」とイェルドは席を立つ。そんな彼を見送りつつ、情報屋は一つ釘を刺した。

「凍馬に挑んだアタシの常連は、皆殺られたわ」

それは、兄が身を守る為に止むを得ずにしたことである――そうとは言えずに立ち尽くしたイェルドを避けるように、情報屋はカウンター席に移った。

「貴方に売るものは、もう何も無いから」

(4)

 案内されるままに進むと、現場は野次馬で溢れかえっていた。このリトリアンナの町ではイェルドの素性を知っているものが殆どで、時折歓声が上がる。

「神父様、こっちだよ。助けてやってくれ!」

通された先に女性が倒れている。長い暗めの金髪が流れる背中に、大きな負の魔法分子による傷痍がある。服が熱で焼け溶けた跡があるので、彼女を襲ったユーザーの魔法属性は『炎』であろう。周囲に延焼した様子もないので、至近距離から不意を打たれたものと見られる。

 しかし、夜半の刻とはいえ、こんな街中で不意打ちを食らう事情のある者など限られている。

「(クリミナルか? それともバウンティハンターか? いや……)」

有事という国家情勢下、隠密や亡命者の線も濃い――イェルドは、彼女を攻撃した者がまだ周囲に潜んでいないことを一通り確認した上で施術に入った。


 それにしても、その背に流れる暗めの金髪には見覚えがある、とイェルドは思っていた。その黒い衣服からすらりと伸びた色白の細身の手足にも。

 嫌な予感が彼の脳裏をよぎったが、治療を優先させるべく、回復呪文(ヒール)と状態回復呪文(リカバー)を唱えた。イェルドが召喚した見慣れぬ光魔法分子に逐一やじうま達がどよめくので、周囲はまるで祭りのような騒ぎとなっている。

 

 怪我人を安静にさせる為、やむを得ず、彼は少し前まで自分が住んでいたリトリアンナの教会を訪ねることにした。

 数人の野次馬に依頼し、彼女を担架に乗せた時だった。

「貴女は……!」

イェルドは嫌でも確信せざるを得なかった――この女性は、今の今まで此処に居るべくもないと思っていた人物だったのだ。


「イェルド君、彼女は一体?」

エリオという名の神父も、穏やかでない様子のイェルドに尋常でないものを感じ取ったのか、今は何も聞かずに、直ちにイェルドの指示通り人払いをし、傷痍から来る発熱を下げる為の準備を始めた。

「ネハネさん……」

小さく名を呼ぶと、彼女は弱弱しく瞼を開けて見せた。

「お前か……悪運が強くて、良かったよ……」

ネハネは自嘲気味にそう言うと、再び瞼を閉じた。


 ――時代は激動へ突入した。

 その出来事も一つの予兆に過ぎない出来事だったのだ。

 丁度時を同じくして、ヴェラッシェンド城では世界を震撼させる事件が起こっていた。

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