第51話 ナイトメア(1)

(1)

 いつにも増して熱い風がサルラ山地の針葉樹の森を揺らす。

 3人の戦士が暗黒の渦目掛けて木々を縫う音が、勇ましく轟いていた。

「闇魔法分子が濃くなってきたな」

先頭の凍馬が声を上げた。エリオが待つという、元居た世界へ続く「穴」は近い。

「少し前見た時よか、穴が塞がってる気がする」

凍馬の脚力に遅れてついていくランが額の汗を拭う。少しでも気を抜くと、あっという間に引き離されてしまうところが「お育ちの違い」というやつか。先程まで瀕死の状態だった凍馬を見ていただけに、少し悔しさを感じつつ、彼女は足を速めた。

「ポープがいない所為で、空間の穴が収斂しているんでしょうね」

急がねば、穴が自然に塞がってしまうかもしれない――イェルドの分析に煽られ、更に3人の足は速まる。

「お?」

引き離されかけていたランの視界に、この暗い森によく引き立つ「赤いもの」が飛び込んできた。

「どうしました?」

ランの速度が鈍ったのを気にしていたイェルドが、すぐに気付いて彼女の横に控える。

「あれ、……」

ランは足を止めて後方を指差した。見れば、この森ではあまり見られなかった果樹である。

 背丈は林檎の木ほどだか、林檎よりもやや小さい、赤黒く熟した果実をぶら下げた木がこの針葉樹林地帯では場違いとも思える異様な雰囲気を醸し出していた。

「何だよ腹でも減ったのか?」

呆れた口調で凍馬が引き返してきた。

「アンタが一番好きそうじゃないか、こういう木」

言い返してやった空きっ腹のランの目に、その赤い果実がとても魅力的だったのは言うまでも無いが、

「この実は止めとけ」

凍馬は苦笑いをして補足した。

「“ロータス”って俗称の麻薬だ」

「マヤク?」

ランは赤い果実を見上げた。

「この樹皮1匁を乾燥させて束ねただけで、1万ゴールドは下らない代物だ」

ペリシア帝国の外貨稼ぎの常套手段であることをよく知っているイェルドは眉を顰めた。ペリシア帝国は、光の民をクスリ漬けにして更に富を得ようともしていたのだろう。

「実なんか食った日にゃ、色んな意味で天に召されるぞ」

凍馬が説明し終わらないうちに、ランが炎魔法分子を召喚して“ロータス”の樹を燃やした。

「あークソっ! 紛らわしい!」

戦う前ではあるがランは苛立つ。空腹の所為だけではないが、寄与していることは間違いない。

「ま、お前が相当腹減ってるってのはよく分かったけどな」

ランを茶化して適度に緊張もほぐれた凍馬は、再び先頭を歩く。

「フン、この件片付いたらアンタ並みに食ってやる!」

ランは凍馬に食って掛かる。それはそれでストレス発散になるのだろう。

「食ってから増えた体重を後悔するなよ?」

「アタシの燃焼系を舐めるな」

……などという喧騒を見守りながら、イェルドは思う。

「(終幕の回避の為に、エリオから何かを得なければ先には進めないが、ペリシア帝国だけはどうも相容れないものを感じるな)」

ヴェラッシェンド帝国で生まれ育ったイェルドには、どうしても永年刷り込まれたペリシア帝国への嫌悪感を今すぐに払拭することはできない。エリオを救うことでペリシア帝国の横暴を助長するようなことがあれば、それこそ次期魔王であるランにとっては思わしくない。

「(解決の糸口は何処だろう)」

今となっては、それはエリオの「人格」とやらに賭けるしか無いのだ。

 一応の結論に達し、イェルドがふと顔を上げたところ、丁度、ランと目が合った。

「まァた、何か悩んでやがるな?」

先に行くぞ、と凍馬すら追い越し、勇ましく走り出したこの健全な姫に幾らか救われて、イェルドも駆け出した。

(2)

 サルラ山脈上空で、一斉に歓喜の声が上がった。

 ――そう、3人の闇の民がこれから正に空間の狭間とも言うべき場所で最終決戦に臨まんとしているところだが、エリオがペリシアへ退却し、ネハネがこちら側に付いた以上、名目的には反体制軍勝利である。

 加えて、帝国軍の宝・ビルフォード元帥がペリシア帝国に戻ったのだから、戦士達の感激は一入だった。


 しかし、やらねばならないことは沢山ある。

 ネハネが秘密裏に作成していた、副脳による懐柔を受けた者のリストを受け取ったビルフォードは息を呑んだ。皇帝・宰相・与党党首・帝国議会議長……

「これは……イェルドさん、大変ね」

イオナは世界唯一の副脳解除ツールを思いやる。

「無理に解除する必要は無い。脳に重篤な疾患でもない限り、こちらから強制的に働きかけないと副脳は作動しない」

ネハネはありったけの資料を机上に並べた。この中から、有益なものを取捨選択する作業も大変なのだが、

「一番大変なのは、レッドキャッスル帝国の国際的地位の回復だろう」

まさか、今まで皇帝がいわゆる「魔族」に懐柔されていましたなどと暴露するわけにも行くまい。

「だからこそ、エリオの首は欲しかったんだがな」

ビルフォードは淡々とネハネに言ってみた。

「分かっている。ただ私は……」

彼が任務を完遂する前に、誰かに止めて欲しかっただけ――そうとは言えずにうつむいたネハネを見てニンマリしたイオナを見て、ビルフォードは溜息をついた。

「先ずは、サンタバーレはじめ連合国側に出した宣戦布告を破棄する」

すっかり旧反体制派の顔となってしまった自分が表舞台に立てば、国際連合に信用を取り付けやすい。ビルフォードはハーピー(飛竜)を呼び寄せた。

「行くのね、サンタバーレに!」

またもやニンマリしたイオナに「仕事だぞ」と念入りに釘を刺して、ビルフォードは西へと飛んだ。


 「蛇足かもしれないけれど、」

ビルフォードを見送ったイオナは独り言のように呟いた。

「エリオの方が考え方を変えてくれなければ、彼等だって、エリオを救ってあげられるかどうかは微妙なところよ?」

それだけ、エリオは強いのだから――彼女に言ったところで仕方のない話ではあるが、やり場のない不安感を、イオナとて、持て余している。

「一つだけ、言わせてくれ」

ネハネは暗黒の渦を見下ろした。もうそろそろ戦いは始まっている頃だろうか。

「エリオ様を置いてこの基地に戻る間までは、私はお前達と戦うつもりでいた」

正確には、戦って玉砕するつもりでいたのだということくらい、イオナには分かる。

「ポープの最期を見た時に、ふと思ってしまったんだ。お前達なら、あの人を救うことができるのではないか、と」

私が勝手に期待しているだけ、と言い切ったネハネは暗黒の渦から目を逸らした。

「責任の所在が欲しいのなら、総て私が引き受ける。ビルフォード元帥にもそう伝えて置いてくれ」

ヒールの音が遠ざかる。片付けなければならない資料なら、まだ山のようにあるのだ。

「んもう、素直じゃないワね!」

イオナはネハネの眼前に素早く回り込み、ネハネの口元の頬を抓ってやった。

「!? お前は何処から現れるんだッ!」

やや突っ込み慣れしている(エリオとアユミのお陰だろう)ネハネの攻撃をものともせず、

「愛すべき彼の為になら命を懸ける……美しいわ!」

イオナはランとイェルドに代わる新たなカモを見つけたことに大満足しているようだ。

「不埒な。私とエリオ様はお前が思っているような間柄ではない!」

神託という「神の声」を聴く能力があるというエリオと、神の教えに背いて死者を拐かし支配する死霊使いネクロマンサー・ネハネは、傍から見れば、何故一緒にいるのかもよくわからない二人である。

「雲の上の人だ、言うなれば」

溜息と溜息のほんの合間にネハネのポツリと漏らした一言が、何者よりも雄弁に二人の絆を教えてくれた。だが、イオナは気づいてしまった。

「分かったようなこと、あんまり言いたくないのだけれど、」

詰るようにネハネを見据え、イオナは言ってやった。


「――本当に彼を救えたのは、貴女だったんじゃなくって?」


外を吹きすさぶ風でかき消されそうな小さな声が、「そんなことは」と震えている。ネハネは収斂し始めた暗黒の渦を見つめ、視線を落とした。

(3)

 3人は暗黒の渦の前に佇んでいた。

「飛び込むしかないか」

凍馬が決断を下した。正直、何があるのか全く分からない異次元の空間に飛び込むことに若干の躊躇はある。しかも、収縮し始めているその異次元への扉は、あたかも巨大な怪物の口がうごめいているようで、何とも不気味な代物だった。

「何だか気は進みませんね」

イェルドをしても本音が口から出てしまうレヴェルであるが、無理もない。少なくとも、もう一度此処に戻ってこられるという保証は欲しいところ、正直な弟に免じて、良き兄・凍馬が千里眼呪文を発動して分析し始めた。

「穴……というよりは、小径だな」

凍馬が明言した。

「ただ、その先に――元居た世界が続いているようだ」

3人は互いに顔を見合わせた。


 長いような、短いような……それは個々人がこの数ヶ月間の戦いに想いを馳せる時間と同じくらいだっただろうか。少なくとも、かの世界では、ランは「闇の民の皇女」、イェルドは「ヴェラッシェンド帝国軍聖戦士長」、凍馬は「伝説の盗賊」というレッテルがつくのだという事を、各々一度だけ、思い出した。


 「行くぞ! 準備しろ」

先頭を切って凍馬が暗黒獣・アミュディラスヴェーセアを召喚した。まだ、先刻の傷の痛みが残っていると体が錯覚するようで、凍馬の左肩から向こうにかけては、動かそうとするだけで汗が滲む。そうでなくとも、回復呪文の正のチカラを存分に浴びた細胞が躍動するので、だいぶ体が熱っぽい。まるで悪酔いを醒ますように、凍馬は深く息をついた。

 「これで、最後にしような」

ランが声を張った――この戦いが終われば、きっとより良い世界になるのだろうと彼女は純粋に信じている。先程、ネハネに指摘された「貴女が一つ舵取りを誤れば、それだけで全世界規模の損失が出る」というのはまさに、漠然と責任から逃れ続けていた自分の未熟さそのもので、ランとしては悔しかった。善し悪しの判らぬ今はせめて、信じる未来の為に、自ら進んで戦わなければいけないと、彼女は心の中で神に祈りを捧げた。

 「ええ、きっと……」

言葉とは裏腹に、イェルドの迷いは深く、混沌としている。いわゆる「魔王」は、どのように「終幕」をもたらすのだろうか――風護神使ディストから”誰のこともよく知らない”と言われたばかりだ。まずは、エリオのことをよく知る必要があろう。

「(そうだ)」

これは間違いなく最後の戦いである。後方から聞こえてくるそれぞれの召喚呪文の詠唱を聞きながら、凍馬は無言で同意した。この戦いが終わる頃には、もう……


 間もなく、3つの飛空騎が暗黒の渦の中に吸い込まれていった。黒い霧のような闇魔法分子を潜り抜け、どんどん闇の濃くなる方へ。

(4)

 一体何処を目指しているのか分からないほど不安定な空間だった。神獣にしがみついているからこそ何とか上下を把握できているようなもので、出口さえ判然としない夜闇のようなこの場所に、3人は少なからず不安さえ覚えてきたくらいである。

 行く手に人影を捕らえた先頭の凍馬が暗黒獣アミュディラスヴェーゼアに停止命令を出した。

「エリオ……」

イェルドとランの目にも彼の姿ははっきりと捉えられた。ゆっくりと旋回しながら下降する3つの神獣達に、彼は取り囲まれた形となる。眠っているのだろうか、エリオの瞼は軽く閉じられている。その瞼にかかるやや長めの髪は、以前よりも彼をだいぶやつれさせて見せた。

「(皮肉だな)」

イェルドは思った。エリオの佇まいは、どことなく、何処ぞの亜空間で光と闇との均衡を維持する為にチカラを使い果たし、疲弊しきっていると言われている明護神使を連想させて、イェルドは胸を痛めた。

「貴方もまた、光と闇の均衡を目指す為に腐心している、と?」

彼と会話するつもりは一切無かったので、それはイェルドの呟きにしかならない筈だったのだが、まるでイェルドの声に応えるように、彼はゆっくりと目を開けた。

「エリオ?」

己を包囲する由緒正しい神獣達を気怠そうに迎え、イェルドの呼びかける声に無言で応えた彼は、しかし、一切慌てた様子も無く頭上を仰いだ。

「アンタは、……もう負けたんだよ」

ランの声が暗黒の亜空間にやわらかく響いた。

「大人しく、レッドキャッスルへ出頭しなよ?」

ヴェラッシェンドではなく「レッドキャッスル」と言うところが、いかにもランらしい。この姫にも、独り闘うエリオが少なからず痛々しく見えているのだろう――イェルドは、彼女に救われた。

「(妙だな)」

一方、凍馬は不気味な感覚に囚われていた。嵐の前の静けさや、戦いの前の戦慄とは全く異なる、言い知れぬ違和感である。それは、眼前のこの男の生気の無さとも言うべき沈黙の所為だろうか。

 今、やっとエリオが口を開いた。

「――夢を見ていた」

エリオの言葉があまりにも唐突かつ不相応だった為、凍馬の違和感は更に強まった。


「夢を見ていた。悪い夢だ」


覇気の無い声なのにこの亜空間ではよく通る。辺りの濃い闇魔法分子に音が共鳴しているのだろう。

「お休み中のところ恐縮だが、」

エリオの不可思議な言動に不快感を覚えたのだろう。少し、ランの声が苛立った。

「そろそろ罪を償ってもらう。光の民を混沌に貶めた罪を、な」

彼女の言葉が終わらぬうちに、エリオが言葉を発した。

「秩序と混沌、相容れぬものを一つにした時こそ、世界は変わる」

彼はそう言うと、ランでは無く、その傍らのイェルドを睨んだ。

「そうではないのか、『勇者』よ?」

突然核心を突かれた気がして、イェルドは言葉を失った。

「何故神は『終わり』を選んだ? 何故オレは『悪』でしかない? 何故お前達が『勇者』なんだ?!」

俄かに、闇魔法分子が負のチカラを帯びてきた。スペルマスターではなくなったものの、エリオの魔法キャパシティーは健在である。

 ただ、凍馬やランの目には、追い詰められたエリオが錯乱しているようにしか見えない。今此処に至っては、彼の嘆きを斟酌できるのはイェルドのみである。


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