第50話 イディオム

(1)

 段々と近付いてくるハイヒールの音は誰のものなのか、全員見当は付いていた。

「ネハネ」

イオナは無意識のうちに、ビルフォードの腕の中にいるポープを隠すように前に進み出た――ペリシア帝国出身の彼女は、裏切り者に下される制裁が何かを知っているからだ。

 「イオナさん、」

イェルドも気付いて進み出た。

「兄とランさんを頼みます」

死霊使いネクロマンサー・ネハネが相手なら、聖戦士ビショップであるイェルドは有利に戦いを運ぶ事ができる。

 現段階では、望むか否かは別として、エリオとハチ合うと十中八九戦闘に突入する、とイェルドは見ていた。それまでに、この闘いで大幅に消耗してしまった凍馬の体力を回復・温存させておかなければ、交渉どころではなくなる。

「やれやれ……」

ランは小さく呟いた。次から次へと現れる敵に辟易したのではない。

「(アタシは、まだ戦えるっつーの!)」

守られてばかりだと、この姫のフラストレーションは蓄積される一方なのだ。

「ん?」

ビルフォードは、腕の中のポープが何かを言いたそうに顔を上げたので耳を傾けた。

 ――丁度、奥の扉が開いて、黒服の背の高い女性が現れたところである。

「……どういう意味だ?」

ポープから囁かれた言葉を聞き返したビルフォードにニッと笑みを返したポープが、背の高い女性の方へと駆けて行った。

「ネハネ……」

彼等のココロの声を聞いてしまったイオナは愕然とした。ネハネが敵として現れたのではない事に気付いたイェルドとランは殺気を解く。

「何故、この者達と戦ったのです?」

ネハネの第一声に、驚く一同は顔を見合わせた。ポープは、どうもエリオの命を受け此処に刺客として現れたわけではないようだ。

「ボク、エリオさんが喜ぶ顔が見たかったんだ!」

彼の任務は、光の民の世界と闇の民の世界を繋ぐ穴が自然消滅しないように、闇魔法分子を送り続ける事と、穴に近付く侵入者の撃退である。いわゆる“エリオの敵”を抹殺する事は任務外なのだ。

 そして、この「任務」とは、目的個体(クローン)として製造されたポープの使用目的に他ならない。イオナは、用途外の使用がなされた目的個体の行く末を知っていた。

「――エリオ様も、大変喜んでおられます。」

ネハネはポープを抱き寄せた。刹那、ポープの身体が発光し始めた。

「あの光は……」

イェルドも気が付いた。

 致死呪文(ネザーベルズ)。この光に包まれた者は死神に祝福された証であり、間もなく絶命する。まさか、任務に失敗したポープをネハネが処したのかとも思ったが、それは全く違うらしい。

「目的個体(クローン)の宿命よ」

イオナが呟いた。ポープが誰のクローンだったのか、そんな事などは言わずもがなである。誰しもが数週間前の悲しい別れを再び思い返していたところだった。

「クローンが我々の脅威にならないための、安全弁ね」

クローンが製造目的外の作用を働くと、突如、致死呪文魔法遺伝子が作動し、絶命する。ポープは5人を抹殺する為にそのチカラを使い過ぎたと言えるのかもしれないが、イオナの言う通り、このことは現代科学を以ってしてでも、民が民を創るおこがましさを神が戒めているかのようである。

 ――即ち、クローンは民ではない。「ココロ」ある「物」なのだ、と。

「エリオさん、喜んでた?」

致死呪文の弱い光に包まれたポープがネハネに問う。何度となく大きく頷くネハネが嘘をついていることも、その救いの為の嘘が読心術で伝わってしまう為に素直に安堵できないポープの苦しみもイオナには分かる。

「ポープ、」

徐に、ビルフォードが口を開いた。

「お前の望み、叶えると約束する。だから、……」

――これ以上迷わないように、そして道を見失わないように、何とか力強く念じた彼のココロの声を聞いたポープの視界に、軽く胸を2度叩いて見せたビルフォードの姿が映る。


 やっと、ポープの顔に安堵の表情が宿った。


 光が途絶えた。緩やかに体温の抜けていくポープの躯を一度強く抱きしめたネハネは、素直に頭を下げた。ポープの絶命は彼女も想定していなかったのだろう、声に動揺がある。

「――礼を言う」

当のビルフォードは目を逸らしただけだったが。


 「……ビルフォード、何て言ってたの?」

気になったランがこっそりイオナに訊いたところ、「さァねェ」と、いつものニンマリ笑みを交わされたという。

(2)

 「お前はどうする? 戦うか、それとも降参か」

凍馬は顔だけをネハネに向けた。かく言う彼は虚勢を張らねば立ってもいられないのだが、幸い、どうもその必要はなさそうだった。

「私は怪我人と戦っているほど暇ではない」

相変わらずの減らず口だったが、彼女の意図はイオナによく伝わっていた。

「エリオの居場所を教えて頂戴。彼を救えるのは、今しかないわよ?」

ネハネは戦う為に此処にいるわけではない。エリオを救う……その一縷の望みを託す為、彼女は現れたのだ。イオナの言葉は、暗にそう伝えていた。

「まあ、イオが言うんなら、間違い無いんだろうケドさ、」

しかし、ランはあえて釘を刺した。

「正直、胸クソ悪ィよ。今の戦いだって、今回の世界大戦だって。ペリシア帝国ってのは、やることエゲツなさ過ぎる!」

気持ちに嘘がつけず、ランの口調はかなり尖る。しかし、ネハネからは反論どころか、

「その通りだ」

と、同意の言葉さえ返ってきたのだから、ランの調子は大いに狂ってしまった。

「――だからこそ、エリオ様はこの任務を一手に引き受けた」

ネハネは既に覚悟を決めていた。そう、「敵国の第一皇女には分かるまい」などと思っていたら、この発言は無かっただろう。

「このプロジェクトは本来、現元帥のメーアマーミーが指揮監督する予定だった。そうなっていれば、この世界は完全にペリシア帝国そのものになってしまい、事態はもっと深刻だっただろう」

確かに、と呟いたイオナは不意に出てきた「メーアマーミー」の名に思わず眼を伏せた。

「だが、」

ネハネはランを諭すように続けた。

「ヴェラッシェンドの全てが正義ではない。だからこそ、ここに第三勢力を創ろうとした。ヴェラッシェンドの姫よ、そこだけは貴女にも心に留めておいて欲しい」

ネハネに対する認識を改めなければならない、と素直に思ったランは、努めて話を耳に入れようとしていた。

「そこまで言うんなら、訊こうじゃねえか。ヴェラッシェンドの何が気に食わないのさ?」

気持ちと裏腹に半ばケンカ腰のランをイオナが諌める。そのやり取りが一応落ち着くのを待って、ネハネが切り出した。


「――魔王は“終幕”を呼ぶ」


何の前触れもなくネハネの口から“終幕”という言葉が発せられたので、イェルドは息を呑む。

「エリオ様が授かった“神託”だ」

やはり、既に、エリオもランが所謂「終幕ヲ呼ブ者」であることを察しているようだ。イェルドは話の展開を積極的に待ったが、それはランに阻まれてしまった。

「んな訳あるか! 適当なことばっか言いやがって!」

当然の反応だろう、とイェルドは思った。自分も、あの人魚の棲家で神使達とのやりとりがなければ、ランと同じようにネハネに食って掛かっただろう。

 案の定、ネハネはこの話の通じない姫の為に、「神託」からの展開を次のように避けた。

「そうだ。貴女のように神託などに惑わされないで済むような鈍感な人間ならば、エリオ様もあのように思いつめはしなかっただろう」

「バカにしてんのか?」

まだネハネに食って掛かろうとするランを諌めつつ、イェルドは慎重にネハネの言葉を分析していた。「真に受けるな」と、ネハネからは冷徹な言葉が放たれたところである。

「つまり、公地公民制が撤廃された現代においても、魔王となる貴女が一つ舵取りを誤れば、それだけで全世界規模の損失が出るということだ」

どうやら、ネハネは“終幕ヲ呼ブ”というかの神託について、自分なりに現実的に合理的な解釈をしているようだ。

「ヘゲモニー体制を布いていた旧世代ならともかく、今や国家はヴェラッシェンド一国のみではないのに、だ。ペリシア帝国建国の理念もそもそもはそこにあった。方便はともかく」

これには反論できずにランが閉口した為、其処には無駄に沈黙だけが取り残されてしまった。

「(エリオを救う、か)」

もしかしたらそれは、いわゆる“終幕論”とは違うところにあるのかもしれない。ランとネハネのやりとりを見ていたイェルドはふと、そう思った。

「で、エリオは何処だ?」

凍馬は凡そ二国間の我の張り合いなど関心がない。閑話休題よろしく、何とか動くようになった左腕を確かめつつ、問うた。

「そうだな」

ネハネは何らかのリモートコントローラーを取り出し、ボタンを操作した。

「?」

けたたましくサイレンが鳴り、アナウンスが聞こえてきた。

「飛空挺出動用意! 飛空挺出動用意! 開門マデ、アト100、99、98……」

呆然としている5人の眼前の壁が大きな口を開けた。見えてきたのは空。続いて森…

「ここは、本来飛空挺を格納する場所だ」

ネハネが説明する。壁だと思っていたそれは、滑走路となって真っ直ぐ対角の山に向かって伸びている。

「此処は……」

ランが気付いた。この滑走路、闇の民の世界へ繋がる穴の真上を通っている。


 ネハネが暗黒の渦の中を指差し、エリオは「そこにいる」と告げた。

「では、エリオはもうペリシアへ逃げたのか?」

ビルフォードの問いに、ネハネは黙って首を振った。

「貴女が来るのを、待っているのね?」

イオナは溜息交じりで暗黒の穴を覗き込んだ。ネハネは沈黙を肯定に代えた。

「これは、ビルフォードには無理そうね……」

穴の中は強烈な闇魔法分子の渦だ。光の民ではひとたまりもないだろう。

「丁度良いかも知れない」

ビルフォードはイオナと逆の方向――空を見ていた。空……いや、このサルラ山脈に向かう際に合流した反政府勢力(レジスタンス)が気になっているのであろう。彼は続けて、曰く。

「お前達には、国交正常化の為にそれ相応の働きはしてもらうからな」

それは暗にエリオへ救いの手を差し伸べていた――ビルフォードの口調は淡々としていたが、ネハネには充分だった。

「感謝する。本当に……」

安心したのだろう。ネハネはその場に崩れ込んでしまった。ランは少しバツが悪そうに彼女から顔を背け、暗黒の渦を睨みつける。


 胸が高鳴るのは、少なからず感じている恐怖と不安の所為だろうか。

 それとも、闇魔法分子をたっぷり含んだ懐かしい故郷の風の所為だろうか。


 熱い空気が纏わりつくように吹き込んできた。原動機のタービンが高速回転する際に生じる摩擦熱なのか、その際に消耗される魔法分子が放つ熱エネルギーなのか、決戦の地を取り囲む戦士達の緊張感が引き起こす錯覚なのかは分からない。


 「イオナ、此処に残っててやってくれないか?」

指揮官・凍馬が決断を下した。

「一日以上経ってもオレ等が戻んない時は、……後始末を頼む」

そう告げた凍馬の胸中は、読心術でも拾いきれないくらいの様々な思いが錯綜し、雑然としていた。

 ただよく分かったことは一つ。

 凍馬は、光の民の世界の秩序維持を優先したのだ――此処へ来て、彼は『孤高の盗賊』からいわゆる『勇者』となった。しかし何故だろう、イオナには、その変化が少し嬉しくもあったが、少し寂しくもあったのだ。

「分かったわ。でもね、……」


 皆、絶対に戻ってきて!


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