第48話 雑念デスマッチ(1)
(1)
ランに続いて結界を出て行ったイェルドとビルフォードを見送り、イオナは小さく溜息をついた――イオナは浮かない表情をしたままだが、凍馬は気付かないフリをした。
時に、敵はもう1つ駒を進めていたようだ。
「エリオが完全に基地から出たようだ。正直、コイツとまともに戦っている場合じゃない」
つとめて現状の打開に徹する凍馬が報告した。丁度、結界を張り続けるイオナと目が合う。彼の努力も虚しく、何処か影を帯びた彼女の眼に自分のココロの中が見透かされているかもしれない可能性に気付くのに、そう時間はかからなかった。
「細かい策を練ったところでポープにはお見通し。貴方の言う通り、まともに戦っている場合じゃないけれど、まともに戦わないと死人が出るわ」
打開には至らない分析をしたイオナもまた、気が付かないフリをしていた。
「瞬発力勝負ってわけだな」
――凍馬は再び半月刀に魔法分子を込め、ポープを見据えた。しかしあくまで目的はエントランスの解放である。
「戦うしかねえなら、話は簡単だな」
半月刀から発せられる負のチカラがイオナの結界をも震わせた。幾らか思い切って、凍馬は続けた。
「……そんなに気にすんなよ」
「え?」
そう声をかけられることを想像していなかったイオナは、気後れしたまま、驚いた顔を彼に向けてしまう――刹那、心の声も彼の声も、重なって聞こえてきた。
「別に心を読まれるくらいなら痛くも痒くもねえし。罪人レヴェルならオレの方が圧倒的に上なんだから」
その昔、怒りに任せては何千何万とヒトを殺し、空しさを持て余しては何十億もの金を盗んでばら撒いたという彼は、うっかり人の心を読んでは傷付いてしまう彼女にとって、今、毒なのか薬なのかは分からない。
ただ、イオナは眼前でクシャっと微笑んだ男が、国家予算規模の賞金が掛かる首を持つ「罪人」である事を再確認した。いや、再確認しなければ忘れてしまいそうだったのだ。
「残念ながら、此処の指揮官はオレなもんで、偉そうなことを言わせてもらうが、」
重罪人は穏やかに続ける。
「お前の仕事は、この強結界を維持する事と、負傷者の回復だ。今は、それに専念しろよ」
以上、と言い残して結界を出た凍馬の想いは、読心術(マインドリーディング)など使うまでもなく彼女のココロに素直に届いた。
(2)
ポープは詠唱を省いて強化魔法球(ブラスト)を発射した。
「チッ!」
ランはそれを避けると、ポープに一気に接近戦を仕掛ける――成る程、とランは鼻を鳴らした。
「(確かに、コイツの 魔法キャパシティーはイオナのそれに間違いないっぽいんだケド……)」
戦えば戦うほどわかるのだが、
「!」
竜に変化したポープよりも更に高い位置に潜伏していたイェルドの飛空騎・ラハドールフォンシーシア(光明獣)が陰となり、その死角から、ビルフォードが飛び降りざまに剣を振り上げている。慌ててそれを避けようとしたポープは顔面から壁に激突し、さながら床に叩きつけられた。
勿論、ここで油断をしてはいけない。ポープはそのままくず折れたと見せかけて、ビルフォードが着地した瞬間を狙って炎を吐きつける。そこに、
「ウラァっ!」
間一髪、盟約により炎のダメージ絶対皆無のランが飛び込みざまに結界を作り、事無きを得た。しかし、今正に炎を吐き出したポープの口から、一転、絶対零度の猛吹雪が放たれると、もう、為す術が無い。
否、ビルフォードの視界に大きな影がちらついた瞬間、この天才の脳裏にはもう打開策が閃いていた。
「くっ!」
ビルフォードがランを担いで飛び上がったのと、上方のイェルドからポープの頭目掛けて強化魔法球(ブラスト)が放たれたのは同時。ポープの当てよりもずっと下方に放たれた吹雪、もとい水属性魔法分子の結晶はビルフォードの左足を捉えただけだった。
「ナイス、イェルド!」
着地したランと、その反対方向からやってくる凍馬がそれぞれポープに突進する。それを見たポープは、壁を駆け上がるように上昇すると、一度大きく羽ばたいた。それだけで、下方にいる者は衝撃波で四方八方に弾き飛ばされる。
「もう一丁っ!」
ポープは上方のイェルドに向かって風圧をかけた。
「――!」
しかし、天井に叩きつけられた光明獣の背には誰もいない。代わりに、ずっと下方から声がした。
『聖伝書第26節【光の神の制裁】(ゴッドパニッシュ)!』
イェルドの放った光魔法分子は真っ直ぐにポープを捕らえ、丁度今、光明獣が辿った軌跡を描いて落下する。いや、どうやらそのまま急降下してきそうだ。
『怒れる海神の裁きの槍(トライデント)!』
凍馬の詠唱と共に、突進してくるポープと同一直線上を逆流するように負のチカラが逆巻く水属性魔法分子の帯状の結晶が上昇する。その強い衝撃に怯んだのか、ポープの落下速度が一度緩んだ。
「全員散れっ!」
しかし、凍馬は声を張り上げた――ポープが水属性魔法に強い耐性がある事を見越していたのだ。案の定、凍馬の放った攻撃呪文の負のチカラをものともせず、魔法分子結晶を掻き分けながら、ポープの降下速度が増した。
さて、その標的は誰か。
「!」
イェルドはポープと目が合う。鋭い牙と足の爪がこちらを向いた!
「させるかっ!」
イェルドとポープの牙の間に、剣を盾にしたビルフォードが割って入った。
「く……っ!」
その剣の刃をポープの牙に掛け、わざとイェルドから己の方へと引き寄せたビルフォードの身体は反動で壁際に強く叩きつけられ、ポープの爪が彼の肩と腕に食い込んだ。いや、どうやらビルフォードの方が、この機を誘っていたようだ。
「嘶!」
強引に身体を滑らせ、ポープの腹側に潜り込んだビルフォードは、そのスピードに乗ったまま剣の鞘でポープの喉笛を力いっぱい突いた。
「ぐっ!」
その強烈な痛みに、ポープは思わず竜の変化を解き、仰向けに倒れ込んでしまった。勿論、それはまたと無い勝機ではあった。それなのに、ビルフォードは止めの一撃をためらってしまったのだ――そう、彼にはポープと同じ年頃の息子がいる。
「……何だよ。手加減したつもりかよ?」
敵に手加減をされた事が不本意だったのだろう。ポープは頬を膨らまし、唇を突き出してそのように切り出した。
瞬間、眼前の血に塗れた男の表情に、俄かに苦笑が滲んだ。まだ幼いこの少年に、解るのかどうかは定かではなかったが、口にしなければ伝わる術も無い。仕方なく、ビルフォードは、切り出した。
「お前みたいなチビ助たちが戦わなくて済むように、オレ達は戦っているんでな」
愛する者達に、傷付け合う事が正義である、などとは教えたく無い――息子と娘の顔が、貧血気味のビルフォードの脳裏にちらついた。
「?」
「(何だろう、この気持ち……)」
何だか心地よくて温かい。それなのに、少年は訳も分からず酷く悲しくなった。
“ポープ様、”
脳裏に響くのはエリオの声――
“貴方は、この世界の終わり『終幕』から人々を救う為に生まれてきたのですよ”
――ジャマする者は、皆、敵です。
ポープにとって、信じられるもの、頼れるものは唯一つしかない。
一度、フン、と鼻を鳴らしたポープはいち早く竜の姿に戻り、急上昇した。
「ジャマする者は、皆、敵なんだ!」
その声と同時に、5人の頭上から無数の強化魔法球(ブラスト)が降り注いだ。この前触れの無い攻撃呪文の展開に、防御の遅れた5人は為す術無く高濃縮の闇魔法分子に灼かれる。
「(ボクは、エリオさんの敵をやっつけるよ。だから……)」
気持ちを確かに保つ為、一度、少年は強く眼を閉じた。それは紛れも無く「祈り」である。
――だから、褒めてね、エリオさん。
(3)
突然堰を切ったポープの膨大かつ強大な負のエネルギーは、さながら集中豪雨のように辺りに撃ち付けた。
「(マズイ!)」
自らが張った強力な結界の中にいて無事であるイオナは、先ずビルフォードを探す。この量の闇魔法分子は、光の民であるビルフォードにとっては猛毒以外の何物でもないのだ。しかし、イオナの懸念を知ってか知らずか、ビルフォードは何とか自力でイオナの結界に潜り込んできたのだ。勿論、先程受けた傷による出血が酷く、痛々しくはあったのだが。
「とりあえず、良かったわ!」
イオナはすぐにビルフォードに回復呪文(ヒール)を施す。
「済まない……止めを刺しきれなかった」
ビルフォードは剣の柄を握り締めた。光と埃で結界の外は何も見えやしない。何とかあとの3人が無事であるよう、祈るしかない。
「だから助かったのよ」
イオナは口元を緩めた。何故彼が無事だったのか、察しが付いたからだ。
「あの子、貴方を避けて攻撃したみたい」
「え……?」
一度、魔法球の雨が途絶えた。ビルフォードは、旋回しているポープを見上げる。イオナはラン達の無事を確認すると、説明を続けた。
「この結界の外の闇魔法分子量は、光の民にとっての致死量を超えているわ。貴方は先刻まで、何時死んでもおかしくなかった」
彼女の説明に、流石のビルフォードも思わずぞっとした。
「もう、此処から出てはダメよ。正直、あの子をナメてたわ」
エリオを目前に、厄介な敵が割り込んできたものだ。なるべく時間と体力と魔力の消費を避けたいところなのだが、それは叶いそうも無い。
「チッ!」
真っ先に凍馬が瓦礫を掻き分け起き上がった。
「(攻撃魔法は殆ど効果が無い相手というのは、正直、魔法攻撃を主とする闇の民には辛い。かといって、ビルフォードを結界から引きずり出す訳にも行かない)」
あまりに相手がバケモノじみている為に気が付き難いが、いよいよ、この戦いは正真正銘の殺し合いの様相を呈してきた。
――ならば、誰が何をすれば良いのかは自ずと見えてくる。
「イェルド、起きろ!」
先程のポープの攻撃を真正面から受けていたイェルドは、その負のチカラで炙られた上、衝撃波で頭部を壁と床に強く叩きつけられていた。凍馬は、まだ脳震盪から意識の定まらないイェルドを強引にイオナの結界の中に押し込めた。
刹那、後方から詠唱の声がした。
『呪縛呪文(コンストレイン)!』
見れば、ランである。ランの詠唱によって紡がれた魔法分子の格子が上空のポープの動きを封じ込める。
「トーマ! 今だ!」
正直、竜形態となったポープの巨体の動きを完全に封じ込める程、ランの呪縛呪文は洗練されたものではない。その証拠に、ポープが呪縛の中でもがく度に、逆流する魔法分子がランの伸ばした腕を傷付けているので、噴き出した血液が彼女の服の袖に滲んできていたのだ。
「任せろ!」
凍馬はアミュディラスヴェーゼア(暗黒獣)を召喚するとポープの眼前に躍り出た。生物であれば、弱点は共通――凍馬は半月刀をポープの眼と眼の間に向けて振り上げた……その瞬間だった。
バチン、と何かが切れる音がしたのと共に、大爆発が起こったのだ。
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