第46話 レッドキャッスル帝国革命(1)
(1)
トゥザナバーレ共和国とレッドキャッスル帝国の境にある山岳地帯を抜けた頃、朝日の赤い光が右手から差し込んできた。
このまま山岳地帯を真っ直ぐ北に進むと、サルラ山脈M・C(マウント・クレノフ)――以前、アユミと一戦交えた場所である。そこからは、凍馬が千里眼呪文で導くという手筈だ。
転々と採石場が見え始めた。此処が国境の真上だ、とビルフォードが説明してくれた。まだ薄紫色をした左手側の眼下には砂漠が広がっている。この砂漠は、サンタバーレ王国との国境だという。
「そろそろ、国境警備隊が来る筈だ」
5人は、一斉に速度を上げた。
「ん?」
凍馬の目が前方から来る不穏な影を捉えた。前方の白い、長い物体には見覚えがある。
「スカルドラゴンか」
何と、サルラ山脈からだいぶ離れたこのトゥザナバーレとの国境にも、既にネハネの手が及んでいたのだった。
「手配が早いな。奴も良い部下を持ったもんだ」
ビルフォードは中堅の飛空騎の高度を下がらせた。イェルドの位置からは、右腕を回して合図を送る先頭の兄が見えた。
「(やはりエリオは、今日我々が乗り込んでくる事を見抜いているのか)」
一体彼がどう出てくるのか、参謀役に指名されたイェルドにもまだ読めない。この靄を払拭できないまま、イェルドは攻撃呪文の詠唱を始める。
予めそのタイミングを計算していた凍馬が高度を下げたところ、イェルドの視野にスカルドラゴン達の群れのみが映し出された。こうなればもう、すべき事は決まっていた。
『聖伝書第10節【楽園追放】(バニッシュ・オブ・エリュシオン)!』
イェルドの詠唱と同時に、燦爛たる聖なる光が前方のスカルドラゴン達目掛けて撃ち付け、木っ端微塵にしていった。
「うんうん、やっぱ、開会式は派手にやんなきゃナ!」
凍馬が高度を戻して前方を確認する。まだまだ物々しい魔物の飛兵軍団がやってくるようだ。
これからの道のりは長い。此処で梃子摺ってレッドキャッスル帝国軍とハチ合ってしまうと、ビルフォードが戦い辛くなってしまうだろう。体力消耗のロスは痛いが、モチベーションの高い「彼女」を使わない手は無かった。
「姫、出番だぞ!」
凍馬はランに先頭を譲った。期待するのは魔王の血統が持つカリスマ――
「うぉっしゃあああああ!」
ランが一挙に炎鳥のスピードを上げた。いつもなら炎魔法分子を召喚するところ、凍馬が「姫」などと煽った為、殆ど思いつきでランは闇魔法分子を召喚した。
『破天荒な姫のお気に召すままに(デスペラード)!』
ランの声に呼応する闇魔法分子が世界の光を反転させた次の瞬間、稲妻の如く虚空を駆け抜けた。この負のチカラを齎す闇魔法分子結晶を待っていた凍馬は、ここぞとばかりに便乗する。
『冥府の覇王に血の杯を(デアプルート)!』
凍馬はすかさず闇魔法分子を召喚し、ランの攻撃魔法の分子結晶にねじ込んだ。同じ闇属性である2つの結晶は互いに親和的で、結晶の放つ負のチカラは相乗効果により澎湃たるエネルギーを放出しながら敵軍に撃ち付けた。
その威力は凄まじく、見える範囲の魔物が全て圧し退けられ、或いは飲み込まれ、或いは灼き付けられてしまった。
「ナイスファイト、2人共!」
ビルフォードが歓声を上げた。
「まぁね(まだちょっと物足りないケド)」
鼻歌交じりのランは、凍馬と再びポジションを交換した。
「(あまりにも派手過ぎないだろうか)」
イェルドは懸念していた。これだけ暴れては、レッドキャッスル国境警備隊の神経を逆撫でするようなものだ。しかし、
「大丈夫よ」
イェルドの懸念に気付いたイオナが速度を落とし、光明獣に接近してきた。
「え?」
イェルドは促されるまま、彼女が指差す採石場の続く裸の山を振り返った。
「!」
見れば、レッドキャッスル帝国軍の象徴である臙脂色の軍服を着た兵士達が、大きく白旗を振っていたのだ。トゥザナバーレの国境警備隊から情報が漏洩していたのかもしれないが、或いは各国に亡命していたビルフォードの同志達が、まだこの近辺に潜伏しながら兵士達の説得に当たっていたのだろう。
「どうやら一番の功労者は、ビルフォードのようね」
イオナの指摘は正しいようで、間もなく、百数騎ものレッドキャッスル帝国飛兵隊が「応援」として付いた。ひょっとしたらこの後続の飛兵隊の中にビルフォードの妻・ハルナが居るのかもしれない。前方を高速で飛ぶ当のビルフォードは決して自分の後方を振り向くことはしなかったが、イェルドやランなどはつい、ハルナの黒いショートヘアを探して再三振り返ってしまうのだった。
かくして、レッドキャッスル帝国はこの日、“クーデター”を迎える事となった。サルラ山脈を囲む飛兵騎は数百に上り、首都カッカディーナから派遣されたレッドキャッスルの正規軍と上空で睨み合いを続けている。
「良いか、正規軍も同胞だ! 攻撃してはならぬ!」
反帝国軍(レジスタンス)の指揮官の一人が声を上げた。本当の敵がサルラ山脈に在るという事を知っている彼等は、そうでない正規軍が勅令によってサルラ山脈への立ち入りを禁じられていると読んでいた。そしてそれは事実であった。
「我々はただ“勇者”を待つ者ではない! “勇者”と共に戦い、勝利しよう!」
――此処で元帥の帰りを待とう、と結んだ指揮官の掛け声に、数百の兵も従った。
(2)
この間、この場所を訪れた時よりも、杉の木の間を駆け抜ける足取りはだいぶ軽くなった。サルラ山脈M・A(マウント・アッバス)二合目である。ペリシア帝国特殊工作部隊執行部基地の入り口の前に、5人は立っていた。
「ひっそりしてるね」
今日は護衛のアンデッド達も居ないようで、ランはほっと胸をなでおろした。一見単なる山の洞穴にしか見えない基地のエントランスは、この日もまた不気味なまでに暗黒の中に閉ざされている。
今日もやはり、先の見えない戦いになるのだろうか。
「目的は、エリオ達の完全撤退だが、」
ビルフォードは一つ、念を押した。
「お前達に生命を懸けろと言うつもりはない」
ビルフォードのその言葉の重たさを、4人は噛み締めた。彼は、此処での戦いの指揮は取らないが、此処での戦いの責任は全て背負う心算である。
「此処まで来たんだ、喜んで付き合うさ」
凍馬が笑った。
「同感だね」
ランが一躍先頭に踊り出て魔法球を放った。基地のエントランスが山肌や基地の壁諸共に破壊され、侵入者の来訪を告げる警報が針葉樹林の一帯に響き渡る。
「魔王の血統舐めんなよ!」
イオナが呆れ返り、イェルドが苦笑した。
勇者、魔王、竜王――よくよく考えてみれば、またと無い絢爛豪華な面子(メンツ)が揃った史上最強パーティである。
「頼もしいな」
ビルフォードが口元を緩め「協力を感謝する」と告げると、再び口角を結んだ。
――警報が止んだ。
敵が侵入者を確認した合図だ。もう、後に引き返す事は出来ない。5人は入り口右手の階段を目指し、一気に駆け出した。
(3)
千里眼呪文(キャットアイ)を発動した凍馬の目に先ず飛び込んできたのは、夥しい量の魔法分子だった。属性は多様だが、実体を伴っていない。即ち、
「死霊(ワンド)か」
思わず凍馬は千里眼呪文を解除してしまった。あまりにも大量の霊が一度に目に飛び込んできてしまったので、かえって視界不良を引き起こしてしまったのだ。
「何? 何処に居るんだって?」
口調は勇ましいが、
「見えないお前等が羨ましいな」
凍馬は冷や汗を拭うと、怯えるランをからかい始めた。
「とにかく、気を確かに保つ事だけに専念してください」
肩書きだけは聖職者であるイェルドがここで兄に代わって先頭に立つ。彼にだってはっきりと見えるわけではないが、取り囲まれている息苦しさは感じ取ることが出来る。
「彼等の狙いは、実体即ち肉体を得る事。隙を見せれば乗り移られてしまいます」
イェルドがそういう趣旨の説明をした途端、凍馬のちょっかいも相まって、ランの悲鳴が地下3階フロア中に響き渡った。どうも彼女は、自分の腕力で事態の解決を見られそうも無いものが苦手なようだ。しかし、ランほどでは無いとはいえ、他3人も薄気味悪さを感じて絶句してしまった。
「大丈夫ですよ。“いざとなったら”、きちんと除霊しますから」
事態のおぞましさとは裏腹に、イェルドは爽やかに笑ってのけた。気さえ確かに保っていられれば、彼等に攻撃される事は無く、「ここでわざわざ除霊呪文を使うのは魔法分子の無駄である」という判断に基づいているようだ。
「敵は防戦から隙を突いて私達を攻撃してくるでしょう。或いは、敵の真の目的は、我々を攻撃する事とは別にあるのかもしれません」
イェルドがそう言い終わらない内に、察した凍馬が見覚えのある壁に駆け寄っていった。
そこは階段の踊り場すぐ横の隠し部屋。例の、「重役専用脱出経路」……水道である。
「まさか、」
珍しく、ビルフォードが語調を荒げた。
「エリオは此処から逃げようとしているのか?」
水道室を覗き込む凍馬の視野に、強い水属性魔法分子が飛び込んできた。今自分達が居るこの階から、遥か遠くの下階――恐らく、最下階地下18階であろう。
「それは大いに考えておくべきかもしれないな」
死霊(ワンド)により、再び凍馬の視界が煩くなった。小さく溜息をついた彼は、もう一度千里眼呪文を解除した。
「逃げると言うよりは、一時避難でしょうね」
死霊(ワンド)に怯えるランを一頻りからかった後で、イオナが分析した。
「忘れちゃダメよ。この要塞に残っているネハネとポープにも、アタシ達を殲滅するだけのキャパシティーが充分にあるわ」
そう、今までだって、敵であったアユミやネハネに何とか生かされてきたようなものである。アユミとの戦いにしろ、エリオとの戦いにしろ、自分達が戦って打開できたものでは到底なかった。
最近イェルドが指摘したように、エリオがこの世界大戦を「全世界の掌握」とは全く異なる別の目的があって惹き起こしているとすれば、ネハネなどがわざわざ自分達を生かしてくれているような動きを見せる理由はきっとそこのところにあるのだろう。イェルドが誰にも事の真相を告げていない為、イオナはそのように解釈することにした。
「敵が敵かどうかなんて、分からないのよね? イェルドさん」
それにしても、イオナの自己解釈とイェルドの懊悩(おうのう)との齟齬が矯正されるのは、最早時間の問題なのかも知れない――イェルドは返事もそこそこに溜息を吐くと、冷や汗を拭った。
ふと、これまで感じていた息苦しさが晴れた。
敵が誘いをかけてきたようだ。
今更迷いは無い――5人は魔法分子の流れに導かれるままに足を進めた。
間もなく、強烈な死臭が辺りに立ち込めてきた。
「さぁ、ランちゃん、覚悟はよろしくって?」
眼前の簡素な鉄の扉の向こうが一体どういう状況なのか、何となく5人は想像できた。
「つべこべ言わずに行くなら行け!」
散々イオナと凍馬にからかわれ続けたランの自棄っぷりは凄まじいものがあったという。
「まあ、そんなに心配なら、……」
そんなラン達の喧騒を見兼ねたイェルドは、首にかけていたロザリオ(聖戦士長任命式の際にランから授与されたもの)を外すと、
「退霊効果があるので、身体を乗っ取られる心配はありません」
ニコリと笑ってランの手にロザリオを手渡した。
「サンキュー、イェルドっ!」
ランはロザリオを受け取ると、彼にありったけの謝意を述べ、すぐに装備する。ただ、2人の斯様な微笑ましい様子を傍から見ていた3人は、
「(そんなものを持っていたんなら、最初からランに貸してあげれば良かったのでは?)」
と思ったとか、思わなかったとか。
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