第41話 四大元素(1)

(1)

 攻撃呪文の詠唱を留保したまま、イェルドは黒髪の女が何者か探りを入れる。

「この聖域や、貴女方に危害を加える目的で此処へ来たのではありません」

一応、イェルドは断りを入れておいた――侵入者には有無を言わさず攻撃を加えるのが彼等なりの法ならば従わざるを得ないが、こちらとしても、目的を果たさぬまま帰っても仕方が無いのだ。そこで、何故、彼女が攻撃をしてきたのかを問うておかねばならなかった。

「四大元素はスペルマスターの支配下にあるべきところ、彼の許諾なしに、勝手に此処を荒らされる訳には行かないのよ」

この女性には先程から驚かされてばかりではあるのだが、これではっきりした。

 彼女は、侵入者が何者で如何なる目的を持って“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)へ来たのかも熟知している。この世界大戦のことも、ひょっとすると『終幕』のことだって知っているのかも知れない――漸く彼女が素性を明らかにした。

「私はソニア。大地護神使の命に従い、主に代わって此処で大地の秩序を守護する者よ」

彼女の言う「大地の秩序」とは、エリオ以外の四大元素への干渉の防止と読み替えるなら、ソニアにとって、“エリオの敵”は”四大元素の敵”であり、”自分の敵”となるようだ。道理で、有無を言わさず攻撃されたワケである。

「エリオの犯した罪を許すわけには行きませんが、彼の“真の目的”を知る必要があるんです」

イェルドは再度、ソニアの説得を試みる。本当の敵はエリオではなく『終幕』という呪うべき運命そのものである。この部分でエリオと目的が一致するなら、此処での戦いは、殆ど無意味に近い、と彼は思っている。

 一方、

「エリオの……真の目的?」

イェルドとソニアとのやり取りを聞いていたイオナとビルフォードは、少し驚いて互いに顔を見合わせた。エリオが世界大戦を惹起させた理由は「全世界の掌握」であろう、と思っていたからだ。

 ソニアの笑う声が聞こえてくる。曰く。

「無駄よ。貴方一人に何ができるというの?」

イェルドが『終幕』の到来を皆にひた隠しているという現状さえも、ソニアは知っているのだろうか。動揺したイェルドの隙を衝くように、ソニアは攻撃呪文の詠唱を唱えた。

『大地属性魔法球(アジタート)!』

簡易魔法球を大地魔法分子でコーティングしたような、重さと鋭さのある魔法分子結晶が不意に襲い掛かってきたので、イェルドは留保していた攻撃呪文を吐き出して、相殺を図る。

『聖伝書第26節【光の神の制裁】(ゴッドパニッシュ)!』

イェルドの攻撃呪文は光属性魔法分子結晶で構成されている。強固な魔法分子間力で硬度を増した光属性の魔法球が負のチカラと強い光を放ちながら、ソニアの放った魔法球目掛けて真っ直ぐに伸び、激突した。

「……!?」

魔法球を繰るイェルドの両腕が、ズシリと重たいチカラの抵抗を感じていた。”金のブレスレット”の補助によってイェルドの繰り出す魔法の効果は引き上げられた筈なのに、ソニアの放った簡易魔法球は、それと互角だろうか。

「ビルフォード、こっちへ!」

辺りに轟いた爆音から戦況を読んだイオナが、ビルフォードを結界内へと一時避難させた。そのイオナの声とほぼ同時に、ソニアの作り出した複数の簡易魔法球が、イェルド達を目掛けて放たれた。

「くっ!」

呪文を放った直後で防御が遅れたイェルドは、何とかそれらの軌道から逃れようと、榕樹の隙間を縫って森を駆ける。決して逃げ切れないものではないにしろ、これでは全く埒が明かない。

 

 「……ビルフォード、」

ふと、イオナが傍らのビルフォードに話しかけた。

「貴方は確か、竜騎士(ドラゴンナイト)だったわよね?」

「ああ、まあ」

この状況下でこの質問が来ると想定していなかったのか、ビルフォードは語尾を濁したが、肯定の意思表示は伝わったので、そのままイオナは続けた。

「竜についての知識があるのを見込んで、頼みがあるの」

質問の趣旨が分かったので、ビルフォードはすぐに一つ頷いた。

「ここは、私に任せて頂戴」

「お前に、か?」

これも想定していない打診だったので、ビルフォードは反射的に問い返してしまったが、進言したイオナの目には確固たる決意の色があった。ビルフォードは、もう一つ頷く。

 ソニアの放った魔法球が降り注ぎ、イオナの作る結界にも激突して爆音が轟く中ではあったが、作戦会議は粛々と進められていた。

「……何だって?!」

イオナの説明の途中だが、職務中殆ど動揺を見せることのないこの帝国元帥をしてでも、思わず声をあげてしまう内容の作戦だった。イオナは不敵な笑みを浮かべて魔法球の飛び交う空を見上げた。ビルフォードもつられて空を見る。今だって、

「空を飛ぶにふさわしい好天じゃない?」

などと、彼女はいたって普段通り、ご機嫌なことを言っている。


 突然、乾いた破裂音が辺り一面に響き渡った。ソニアの魔法球が、榕樹の巨木を引き裂いた音だった。

 この攻撃で生じた爆風と衝撃に聖戦士が耐えている。一向に落ち着かぬ風が、彼の焦りを暗喩しているようだった。

「“勇者”ならば、来る混沌の世界にせめて差し込む光となりなさい」

ソニアは嗤う。

「……断る、と言ったら?」

魔法球の応酬と回避をし続けているイェルドの疲労の色は濃い。それでも、エリオがめざす、光の民同士の世界大戦や光の民と闇の民との先の見えぬ戦争が始まる世界を、彼は肯定する気になれなかった――例え、それが「終幕」を避ける唯一の手段であろうとも……

「“民が民を傷付け合う前世代への回帰など、無意味”」

しかし、気が付けば、イェルドは昨日の暗黒護神使・セイの言葉を反復していた。

「それじゃあ、何処ぞの誰かの台詞と同じよね?」

つくづく、ソニアは何でもよく知っていた。

「でも“無意味”かどうかなんて、やってみなきゃ分からないものよ?」

彼女の声に応えるように、澎湃(ほうはい)たる闇魔法分子が一斉にソニアの元へと帰属した。負のチカラを帯びた大地が逆巻き、ソニアの支配下に置かれたのだ。

『ガイアのためのカンタータ(メテオ・コン・フォーコ)!』

ソニアの詠唱が終結した途端、その負のチカラは一斉にイェルド目掛けて降り注いできた。

 刹那、イェルドの足元は轟音を発しながら激しく揺らぐ。

 大地が割れて、裂けて、砕けて散り、全てが一旦、無造作に宙に投げ出される。

 最早、回避不能・絶体絶命である。完璧としか言いようの無いソニアの攻撃呪文を前に、イェルドは打開の機会すら探れなかった。

 宙に舞い上がった砂塵や岩盤が、負のチカラを纏って硬度を増し、防御不能となったイェルドを狙って撃ち付けて来る。

 万事休す。

(2)

 いわゆる“作戦”の為、イオナはある呪文の詠唱を唱え続けていた。彼女の傍らに控えているビルフォードの目には、ソニアの攻撃呪文の前に為す術も無くなったイェルドの絶望的な戦況が映っていたのだが、せめて助けに入ろうとした彼をイオナは止めた。

「光の民には危険過ぎる高濃度の闇魔法分子が充満しているわ! 絶対に、結界から出ては駄目」

ただ、そうは言ったものの、イェルドの容態が気になったイオナは一度詠唱を中断し、現状の把握の為に目を開けた。ところが、開けたばかりの両眼が捉えた映像を、彼女は真っ先に疑ってしまった。

 そう言えば、此処にいる誰もが感じていたのだ――風が強過ぎる、と。


 「(え?)」

覚悟していたダメージが皆無だったのを不審に思ったイェルドは、砂礫から防御する為に反射的に閉じていた目をこじ開けて状況を確認する。彼の目は、宙に投げ出された自分の身体を抱き止めた何者かの腕と、目の前を豪快に駆ける黒い壁を捉えていたのだ。いや、それは壁などではなかった。

「(これは……竜巻!?)」

どうやら、イェルドは大きな旋風の“目”の中にいるようだ。何とか安全に着地する事ができたイェルドは、すぐに助けてくれた「腕」の主を確認する。肉付からして男性だが、凍馬やビルフォードではないようだ。彼は背を向けて立っていた。

 身の丈はイェルドと同じくらいだろうか。ブロンドの長い髪と白い外套や装束が暴風になびいている。自分を救い出してくれたその腕は、落ち着いて見ると思ったよりも細く、色白でしなやかだった。

「大丈夫ですか?」

風が和らいだところ、漸く、彼はこちらを振り向いた――まず目を引くのは宝石の様な透明感のある碧眼である。堀の深い目鼻立ちに金糸のような美しい髪は、まるで、ロマン主義芸術期に出展された麗人像の彫刻のように美しく整った容貌だ。

「ソニアの非礼はどうかご容赦ください。やや感情的に過ぎるきらいはありますが、彼女はただ、純粋に職務を果たそうとしているだけです」

一度強く風が吹き抜けたと思ったら、ピタリと竜巻が収まった。ブロンドの髪が翻るのを、イェルドは息を凝らして見つめていた。これだけの量の風魔法分子を操縦しているというのに、このブロンドの青年はあまりに穏やかだった。今、彼が優しく手を差し伸べた。

「このままお帰りください。貴方達に勝ち目はありません」

少しずつ、視界が開けてきた。

「いえ、」

突然現れたこの見目麗しい青年に気後れしてしまっていたイェルドは、礼もそこそこに大鎌を召喚し、再度ソニアと対峙する。

「それでも私は……」

ゆっくりと降りてくる砂塵の合間から、こちらを伺うソニアの黒いシルエットがぼんやりと浮かび上がってきた。


 ――今、視界が完全に開けた。

「まあ! 美男子!」

詠唱を中断して戦況を見守っていたイオナの目に飛び込んできた美しいブロンドの青年に、イオナの「アンテナ」(誰しもそういうものを付けて生きているのだと彼女は豪語する)が反応し、テンションが急上昇する。

「良いから、魔法に集中しろな」

イオナの集中力が乱れて歪んでしまった結界の中で、ビルフォードは地味に生命の危機に直面していたという。

 しかし、一方のソニアの反応は意外なものであった。彼女は、このブロンドの青年の出現に特別驚きもせず、ましてや攻撃を阻まれたことに怒りや戸惑いの様子も見せなかった。この青年がどう出るか、伺っているようだ。

「……よく判りました」

暫く沈黙を守っていたブロンドの青年は、やっとイェルドにそう言うと、また優しく口元を緩めた。一体、彼が何を理解したのか、イェルドには全く分からなかったが、どうやら彼に攻撃の意思は無いようだ。イェルドは彼に促されるままに大鎌の召喚呪文を解除した。

 すると、青年はすぐにソニアに働きかけてくれたのだ。

「彼の相手は、オレが引き受けます」

ブロンドの青年はそういう表現を使ってソニアに打診した。

「頼んだわよ」

渋る様子も無く淡々と、ソニアは了承した。まるで示し合わせたような二人のやり取りが、イェルドにはどうも引っ掛かっていたのだが、そこを追及する隙も無く、彼等は再び風に取り囲まれていた。イェルドの不安を悟ったのか、すぐに「ご心配なく」という声が掛けられた。驚くままに顔を上げたイェルドに、

「場所を変えるだけです。此処では貴方も話し難いでしょうから」

と、ブロンドの青年は合理的な説明をくれた。彼もまた、ソニア同様、“事情を知る者”であるようだ。

 間もなく、イェルドは目も開けられないくらいの強烈な風に取り囲まれた。強風や砂埃から目を保護する為に瞑るので、何も見えたものではなかったが、イェルドは自分の身体がフワリと宙に浮いて、強いチカラで何処かに引っ張られて行くような感覚を確かに感じていた。瞬間移動呪文(テレポート)である。


 「あーあ。行っちゃった」

折角の美男子の出現にもかかわらず、話す機会さえ逸してしまったイオナのテンションは急降下する。

「良いから、魔法に集中してくれって」

イオナの集中力が乱れて再び歪んだ結界の中、ビルフォードは再度の生命の危機に地味に直面していた。いや、あながちそれは“地味”とは言い切れない。

「私は先刻から、貴方達の動きが気になっていたの」

丁度良かった、と不敵に笑ったソニアが、イオナとビルフォードの結界にゆっくりと歩み寄ってきた。

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