第40話 破壊の神の目覚め

(1)

 眼前の凍馬がいきなり半月刀を抜いた。突然始まった戦闘に、遅れを取ったラン達が凍馬の剣の切っ先に見たものは――

「タイガー?」

何と、黄褐色に黒の横縞模様の巨体が今、地面に仰向けに叩き付けられて白い腹を見せていたのだった。

「いや、違う」

しかし、凍馬はそう言い切った。その手のケモノの殆どは夜行性であることもそうだが、彼の視点は半月刀の刃にあった。

「コイツ、血が通ってねえ」

不気味なことに、凍馬の刃や服に付いた筈の返り血が何処にも無いのである。

「トーマ! 見て!」

倒れたタイガー(によく似た生物)を見ていたイオナが悲鳴を上げた。丁度、黄褐色と黒が織り成す縦縞模様の毛皮が、見る見るうちに白くくすんでいくところである。何と言うことだろう。それは、瞬く間に砂の塊となって地面の土と同化したのだ。

「……土塊つちくれか」

間違いなく、この砂のタイガーを操縦したユーザーが存在することを意味している。

「どうやら、先住民からは、あまり歓迎されていないようですね」

イェルドは大鎌を召喚しておいた。此処は、これまで結界を張り巡らし民の進入を拒んできた島だ。もし此処に先住民がいるとしたら侵入者を快く思っている筈が無い。イェルドとしても、それくらいは慮ってやれるので、この武器召喚は攻撃の為ではなく、防御の為のものである。

 タイガーは、どうやらただの砂礫を術者の呪詛で意のままに操っていたものであるようだ。ネハネのネクロマンシー(死霊操作術)とも似ているが、それとは比べ物にならないくらいの高度な魔法技術を要する術である。

「誰かいるのか?」

試しにランが呼んでみた、その刹那、

「……うっ!」

ランの眼前に再びタイガーが現れた。当然、攻撃の余裕など無く、タイガーが飛び掛かる軌道から巧く逃れる事で難を逃れる。

「やるっきゃないらしいな?」

一連の動静を見てそう判断したビルフォードは剣の柄を取る。タイガーは即座に方向を変え、丁度、ビルフォード目掛けて突進してきた。鋭い鉤爪が真正面から勢いよく向かって来たところ、

『嘶!』

まさに一瞬――掛け声と共に振り上げられたビルフォードの剣は、瞬く間に虎の砂像を真っ二つにしてしまった。その剣圧たるや凄まじく、真向かいにあった榕樹(ヨウジュ)の巨木の幹にまで刀傷が付いてしまっている。恐らく、(彼自身は全くの無意識であろうが)、剣先に負の魔法分子を圧縮し、振り上げた際の推進力と共に発破させているのだろう。ランがここぞとばかりにこの剣術を学習する傍ら、全員が感嘆の声をあげた。

「……光の民と戦ってない時代に生まれといて良かったわー」

驚くほどあっけなく風に撒かれて形を失っていく砂像を見、凍馬がビルフォードに声をかけた。

「いや、お前達の方が、よっぽどだぞ?」

自分の剣技を見て唖然としてくれている闇の民4人を見て、ビルフォードは苦笑してしまう。

 そこへ、その言葉に便乗してきた者がいた。

「本当、とんだバケモノ達が乗り込んできてくれたわね」

突然聞こえてきた女声に、全員が一斉に身構えた。

「あ!」

ランが榕樹(ヨウジュ)の枝に人影を見つけた。黒いハイネックの装束を身に纏った、長身の美しい女性がそこに居たのだ。くっきりと二重に切れた瞼に縁取られた大きな目と、左の側頭部にきつく結い上げられた長い黒髪が印象的である。今、彼女はその枝から飛び降りた。

「アンタが、庭師かい?」

“庭師”もとい、“禁じられた区域(フォビドゥンエリア)”の先住民であるのか、とランは問いたいようだ。

「フフ。例えそうであっても、貴女の家の庭の手入れは御免よ、お姫様」

驚くべきことに、この黒髪の女性は、此処とは空間を異にするヴェラッシェンドの皇女であるランの素性を知っているようだ。

「驚くことじゃない」

動揺したランを察して、凍馬が簡単に説明した。

「此処は、いわゆる“島”なんかじゃない――空間のハザマだ」

千里眼呪文で見たこの島の中心部は、丁度、サルラ山脈の異世界へと続く穴と同じような、魔法分子の交錯が行われている場所なのだという。

「あの女が向こうの世界の事情を知っていてもおかしくは無い。まァ、何故それと知ってワザワザ攻撃してきたのか、って問題は残ってるが」

凍馬は一応、その黒髪の女性を睨みつけてやったが、すぐにイェルドが止めに入る。

「兄さん、ケンカをしに来たのではありませんよ?」

「それはそうだが、……」

凍馬は黒髪の女性の動きに気を配りつつ、

「あの女次第だろ?」

と続けた。

 どうやら、兄の言葉は確かに的を射ているようだ。

「そうね。私には侵入者を排除するという大義名分の下に闘う義務があるワ」

黒髪の女性は何やら指で印を結ぶ。その動きに合わせるように、ゆらりと先程の砂像のタイガーが姿を現す。それも、1匹や2匹ではない。次から次へとその数は増えていき、とうとう5人は、砂像のタイガー取り囲まれてしまったのだ。こうなれば、迎撃しないわけにも行かない。

『炎属性魔法球(デトネート)!』

『聖伝書第3節【天と地と雨】(ソルズロンド)!』

『闇属性魔法球(パンデモニアム)!』

ラン、イェルド、凍馬が一斉に攻撃呪文を繰り出した。

 ――かくして、戦闘は始まってしまった。

(2)

 その黒髪の女性の正体は結局分からずじまいだったが、何せ問答無用の戦闘開始である。彼女の詠唱により増え続ける砂のタイガー達の相手で、5人それぞれが手一杯となってしまった。

「(数が多過ぎる!)」

時に、凍馬とビルフォードは同じ事を考えていた。それは黒髪の女の思惑なのだろう、5人はそれぞれ巧く引き離されながら戦っていかざるを得なくなっていたのだ。

 個人戦となると、真っ先に窮地に陥るのは戦う術を持たぬ者である。凍馬は先ず、イオナの安否を確認する。

 いつものように、イオナは独り結界の中にいた。このいきなり幕を開けた危機の下で、結界内に控える彼女は全く怯む様子も見せず、冷静に戦況を弁(わきま)え、策を講じている。彼女はまだ大丈夫だろう、と凍馬が判断したところ、今、イオナが彼の方を振り向いて、「ランちゃんを」と唇を動かした。

 そのランはというと、凍馬の位置からは全く確認できない。ムキになってタイガーを追い回したというわけではないだろうが、彼女はやや好戦的なきらいがある。応戦している内にはぐれてしまったといったところか。

「ったく……」

凍馬はタイガー達からの攻撃を掻い潜り、とりあえず、榕樹の太い枝に飛び移り、千里眼呪文でランの炎魔法分子を追跡することにした。しかし、

「ん?」

凍馬の元へ、簡易魔法球が複数個向かってきた。あの黒髪の女の仕業である。凍馬も簡易魔法球で応戦するが、榕樹の根が犇めく不安定な足場が防御の機会を奪い、幾らかまともに負のチカラを浴びてしまう。

「やってくれるじゃねえか!」

さして好戦的ではないが、「やられっぱなしではストレスが溜まる」タイプの凍馬のボルテージが上がる前に、何につけても「好き嫌いの差が激しい」タイプのイェルドの詠唱が飛んできた。

『聖伝書第10節【楽園追放】(バニッシュ・オブ・エリュシオン)!』

彼の詠唱と同時に聖なる光が空を覆い、見える範囲のタイガー達を木っ端微塵に撃ちつける。これにより黒髪の女の注意が凍馬からイェルドに逸れた。

「兄さん、ランさんをお願いします!」

主君の安全確保を兄に託したイェルドはそのまま黒髪の女と対峙する。

「了解!」

そう応答した凍馬は榕樹の森に飛び込んだ。

(3)

 タイガーからの集中攻撃を受け、榕樹のジャングルの奥地へと引き離されていたランは、今、やっと攻撃の手を休めたところだ。

「(いつの間に、かなり離れたか?)」

周囲に殺気の無いことを確認したランは、一つ溜息をついて周囲のジャングルを見渡した。遠くに簡易魔法球の応酬の音やイェルドの声もまだ聞こえるので、ランもさして不安はなかった。

「(戻んなきゃな)」

とランが踵を返したところ、向こうの方から、サクサクと草木を踏み分けてこちらにやってくる者の気配を感じる。

「誰だ?」

例の黒髪の女だろうかと、ランはもう一度剣の柄に手を掛けた。人影は、すぐに顕になった。

「!」

しかし、現れた者の姿を見るや否や、ランは自分の目が正常なのかを疑ってしまった。

 現れたのは、5尺強の背丈の、亜麻色の髪の長い女である。大きい二重の目に小さい口と小さい鼻。そこには、鏡を合わせたように姿形を自分と似せている一人の女が立っていたのだった。

「誰だ、お前……?」

ランの動揺は当然である。これでは、相手が敵なのか味方なのかよく分からないという事以上に、何とも不気味である。やおら、女は口を開く。

「私は、貴女だ」

つまり、彼女は“ラン”であると言うのだ。

「私は貴女。貴女は私。大いなる使命に目覚めし者である」

「……何に目覚めたかは知らんが、寝言は寝て言えよ?」

訳の分からぬ事を喋り出したもう一人の“ラン”に、ランは大いに苛立つ。

「お前は敵か、味方か?――敵ならば、斬る!」

ランは攻撃の意思を持たぬまま、威嚇の為に剣を抜いた。すると、その“ラン”はまるで煙のようにスーッと消えて行ってしまった。

「(何なんだ!?)」

あまりの唐突さに呆然と立ち尽くしてしまったランの背後から、再び声が聞こえてきた。

「私は貴女。貴女の忘れ物を届けに来た。」

「!」

まるで何事も無かったように、もう一人の「ランを名乗る者」が何やらを持って背後に立っている。

「忘れ物?」

しかし、そう言われて目の前に突き出された棒状のもの(形状から察するに、剣であろうか)は、ランには全く身に覚えがない代物だった。

「それは、アタシのじゃない」

尻込みしたランを引き止めるように、

「間違いなく、貴女のものである」

と、「ランを名乗る者」は断言する。かなり風化が進んで傷んだ布から現れたその棒状のものは、やはり剣であった。しかもこの剣、ランの身の丈と殆ど変わらないくらい巨大なものだ。加えて、何処もかしこも禍々しい装飾がなされていて、とてもではないが、ランの手には負えなさそうな代物である。

「クドイ女だね。そんなモン知らないって!」

ランは、「ランを名乗る者」を睨みつけてやった。しかし、見れば見るほど、彼女は自分と同じ顔をしている。言っていることは支離滅裂だが、冗談を言ってからかっている様子でもない。むしろ、彼女の持つ雰囲気は国教会の大司教の如く神々しく、威厳がある――それはそれで苛付くのだが、そんな彼女が眉一つ動かさずに自分を凝視し、大剣の柄を差し出して、沈黙しているのだ。そしてその重苦しさが、ランには耐えられなかった。

「……分かったよ、受け取りゃあ良いんだろ?」

とうとう根負けしてしまったランは、大剣の柄に手を伸ばした。その柄と指が触れた正にその時、

「え?」

大剣はランの手からスルリと滑り抜けて大きな光の塊となってランの身体を包み込んだ。

『――宝剣・ハガル』

「ランを名乗る者」はそう告げると、ランに背を向けた。

「待てよ、何したんだ!?」

彼女を追いかけようとするも、ランの視界は完全に光に遮られてしまった――自分と瓜二つの女の背中が、どんどん白く塗り潰されていく。そんな何とも覚束ない中ではあったが、ランは確かに声を聞いたのだ。


“言ったろう? 忘れ物を届けに来た、と”


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