出来レース開幕
黒い油をたぷたぷにたたえ、もうもうと煙が立ち込める中華鍋に向けて、
「
「単純に寒かったんでしょう。風邪引いたことない感じの顔なんで、どうしたら体が温まるかあれでも一生懸命考えたんでしょうな」
放送席はなおも強風に煽られ激しく回転している。実況の
もう一方の決勝戦進出者、オリーブ・バターフライは寒さに身を震わせながら丁寧にジャガイモを潰している最中である。奇しくも両者最初の品はコロッケになるようだ。
オリーブは丸めたジャガイモの一つ一つに、震える手で丁寧に楕円形の黒いものを埋めていった。それを見た審判の目が光る。ピリピリビャーッとけたたましく笛を鳴らしつつ黄色いカードを掲げ、糸を巻くように両手をぐるぐる回し更に首をかっ切るポーズをした後、怯えるオリーブを見据え審判はようやく親指を立てた。
「おっと、オリーブ選手に対し審判が詰め寄っています。親指がピーンとなっていますが、これは『いいね!』ということとみてよろしいでしょうか、藻共菰さん」
「全然いくないねの方です。アウトです」
「というと、どういうことでしょう」
旋回する放送席で、中年男性二人の体が複雑に絡み合った。
「彼女はコロッケにマカダミアナッツチョコを入れていました。現地のものではないのでアウトです」
「そうなんですね。なるほどですね。完璧に理解しました。どうやら大変なことになってきたようです」
「別に大変ではないですね、アウト一つなんで」
気を取り直したオリーブは、マカダミアナッツチョコを埋めたコロッケを油に投入。高温で長時間揚げ続けた結果、まっ黒に焦げた。しかし慌てた様子もなく、再度真っ黒い塊を油の中へ。短い時間で取り上げたそれを、手際よく皿へ盛り付けていく。
「黒いですね、藻共菰さん」
「黒いですな」
「あれは口にしても大丈夫なものですか」
「食べるのは審査員ですから」
「おっと、空挙選手に動きが。どうやらコロッケが仕上がったようですが」
ボロボロの道着に身を包んだ源太郎は、懐から一段とボロボロな手ぬぐいを芝居がかった手つきで取り出す。次の瞬間、誰もが目を疑った。その手ぬぐいを地面、つまり氷の上に敷き、そこから10センチメートルほど離れた場所にコロッケを並べた。氷の上である。
幼稚な狂気しか感じさせない源太郎の行動に、誰もが息を呑んだ。外見通り目を合わせてはいけない系の人物だったかと認識したのである。
そしてコロッケを転がし、ひっくり返した手ぬぐいの上へ。揚げたてのコロッケはびしょびしょになった。
これには放送席も声が出ない。斜縁は「おっと……これは……」と言ったきり絶句した。下手に喋ると放送禁止用語が止まらなくなることを自覚したのだ。いささかのためらいも見せず、斜縁は全ての責任をくんずほぐれつ絡み合っている解説者に被せることにした。
「藻共菰さん、あれはどういう人物がとる行動に見受けられますか」
「知りません」
「刃物を与えてはならないタイプの選手に見えますが」
「知りません」
何はともあれこうして両者の一品目、コロッケが出来上がった。まずは源太郎のものからの評価である。
「オイラの一品目、その名も『流氷コロッケ』だ!
説明の機会など与えられてはいないが、源太郎は大きな声で喋り出した。すし詰め状態の審査員の一人がもみくちゃになりながらも源太郎に質問をする。
「なぜ氷で冷やしたのですか」
「揚げたてだから熱かったんでさあ!」
「な、なぜ手ぬぐいの上に置かなかったんですか」
「手ぬぐいが汚かったからだぜ! だけど氷で拭いたからきれいになったぜ! ヘヘッ!」
源太郎は一般社会では通用しないヒトだった。人間というよりヒトである。また、一般社会に紛れ込ませてはいけない感じのヒトでもあった。なぜそんなヒトが決勝戦まで上がって来たのかは分からないが、明らかにそのヒトの目は別次元を見据えていた。
底知れぬ恐怖に慄きながらも、審査員たちは流氷コロッケを口にした。仕事だからと割り切っているのではない。インスリンを打った手前、早めに食事を口にしないと低血糖になってしまうからだ。
「水道水の味が染みてる」
「よく冷めてる」
「食べ過ぎないのでダイエットに最適」
「過剰にも程がある塩分が水で薄まってちょうどいい」
「死んだ犬に会えた」
審査員たちはこぞって高評価を示した。日本で開催される世界大会、ならば日本人が優勝しなければならないと勝手に決めつけたスポンサーからの圧力である。無理やりに褒めた感が出るのは致し方のないところであった。加えて源太郎の機嫌を損ねると何をされるかわからないという恐怖が審査員たちの口をペラッペラに軽くしていた。
審査員は中年から壮年の男性または女性、今更嘘をつくのに抵抗する理由がない。かつてはアイドルグループから6人ずつ審査員に起用し、若者からの支持を得ようと画策したSPCだったが、そのアイドルたちが「まずい」「えぐい」「やばい」しか言えなかったので8巡した時点で全員クビになった。
やっとのこと流氷コロッケを口から食道、そして胃へと流し込みながらもニコニコとしている強者審査員たちの前に、それはそれは黒くて黒すぎる黒い物が差し出された。白い皿に置かれているので度を超えた黒さに磨きがかかる。光をも吸収するのではないかと思われたその黒いにも程がある物体は、オリーブの料理だった。
「ワタシのコロッケは黒いだけじゃないよ」
オリーブはハンマーを取り出し、黒い物体めがけて振り下ろす。黒いコロッケだったものの中から現れた小さいものは、やはり黒かった。
「コロッケの中にマカダミアナッツチョコを入れといたのよ。食べるのはここだけなのよ」
審査員の塊がもぞもぞと蠢き、どこかから声が発せられた。
「オリーブ選手、コロッケってご存知?」
「知ってるよ。よく作るよ」
「いつもこんなに、必要以上に黒々と?」
いきなりオリーブの額に青筋が走った。
「日本人はすぐ差別するね。黒人だからといって差別、女だからといって差別、子供がいればまた差別ね。ポリコレに押されまくったHollywoodの現状を知らない黄色いサルどもの分際で」
オリーブは両手を大げさに広げ白目をむき、頭をかきむしった。つける薬が存在しないタイプの本格的なそっちである。
後ろから静かに近づいた審判がオリーブの後頭部を鷲掴みにし、足をかけて顔面を氷に叩きつけたあと靴で踏みつけた。
「おっとオリーブ選手、2アウト。政治やポリシーを前面に出して来ました。ボコボコにされております」
「今の会話の中に、彼女を差別している要素はあったんですかね。もう少し話し合うべきでは」
暴力的にもほどがある様子を斜縁は笑いながら実況、藻共菰は割とまともなことを言った。
生まれたての子馬のように膝をガクガクいわせながら立ち上がったオリーブは、鼻血を手の甲で拭ってから審査員たちに皿を差し出した。黒い残骸の中にマカダミアナッツチョコが転がっている。
「うまい。けどチョコだね」
「ワイハー行った奴が得意げに持ってくるから嫌い」
「流氷コロッケよりは美味しいが、これは邪道」
「コロッケ部分に意味がない」
「焦げてる部分を一口齧ったら死んだ猫に会えた」
必要以上のバッシングを受けたオリーブは再度頭を掻きむしろうとしたが、後ろから近づいてくる審判の気配を察知し、静かに手を下ろした。
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