第16話 リセット

 「原因」なんて忘れてしまった。

 「理由」なんて必要なかった。


お互いにエネルギーの奪い合いを

している日々が続いていた。


 マークは一度不機嫌になると、

2,3日口をきかない。

全身から負のオーラを

出しまくっていた。


 私は常にイライラして、マークが

何をしても、何を言っても

皮肉たっぷりの受け答えをしていた。


「エリーの舌は鋭いナイフ

みたいだ。そんな舌を持った人に

会ったことがない」


私の言葉一つ一つに傷ついて

いるように、マークが言った。


 ある日とうとうマークが私に言った。

「もうたくさんだ。

エリー、お前なんていらない。 

もうおしまいだ」


「わかった。私はかまわない。

おしまいね」


 売り言葉に買い言葉。

なんだかせいせいした。

もうとっくにおしまいに

したかったのに、私からは

言い出せないと思っていたから。


 翌朝、私がキッチンで

朝食の準備をしていると

マークがフラフラと

寝室から出てきた。


肩を落として、今叱られたばかりの

子供みたいだった。


 目が合うと、泣きそうな顔になって

「エリー、別れるなんてできない。

君がいない生活なんてありえない」

と言った。


 この瞬間、

つきものが落ちたみたいだった。


あんなに好き放題していた

「けものフレンズ」が

一斉にいなくなった。


無防備なマークの姿を見ると

ただただ愛おしくて

「そうだね」と返事をした。


今までマークの全てが嫌で

許せないと感じていたのに、

マイナスのポイントが

一瞬でリセットされたみたいだった。


「どこで歯車が狂ったのか」とか、

「これからどうすればいいのか」という

話し合いなんてしなかった。


全てをリセットしてしまったの

だから。


 新婚当初のように、ベタベタした

関係ではなかったけれど

穏やかに時間は過ぎた。


見つめ合っては微笑み、

手を握っては温かみを再確認

していた。


「マーク、あなたが怒った後は

2,3日口もきかないけど、

私はそんなにひどいことを言ったり

許せないほど

悪いことをしてるの?」


前々からずっと気になっていたことを

聞いてみた。


「僕も説明しようと思っていたんだ。

不安症になる人はセロトニンが

足りないんだ。普通の人なら

ショックを受けたり、

怒ったりしても、

すぐにセロトニンが出て 

元通りの状態に回復する。


でも、僕みたいになると

なかなか回復できないんだ。

だから、悪いと思っていても

自分ではどうしようもないんだ」


行き違いの感情は

リセットされたけれども、

マークの不安症までが

リセットされたわけではなかった。


 「幸せホルモン」のセロトニン不足が

原因なのか、過去のトラウマが

セロトニン不足を引き起こすのか。


どっちが先でも、マークの不安症は

複雑に絡み合っていて

単純な解決法はなかった。


 別れ話で一気にエネルギーを

消耗したせいか、マークの精神状態は

また不安定になっていた。


資格を取るために行き始めた学校も

一人では行けなくなってしまった。


歩いてほんの10分ほどの距離

なのに、どうしても行けなかった。


「エリー、一緒に来てくれる?

あと少しで今学期が終わるんだ。

課題ももう少しで出せるから」


 せっかくの努力を無駄にしたくないと

いう気持ちはわかる。


マークが、どうしても一人で行けない

というのなら、彼の中で何かが起きて

いるのだろう。


あのリセットした日から、

マークのことを理解して、できる限り

支えていこうと思っていた。


仕事の後、3時間も付き添いで

行くのは気が重かった。


キャシーとのお楽しみの時間も

なくなる。


私の唯一の安らぎの時間だったのに。


けれども、あと数週間のことだし

仕方がない。

ついていくことにした。


 マークの学校の日はLa Grandeの

シフトを短くしてもらって早く

帰ってきた。


急いでサンドイッチを作って

夕食として持っていった。


 マークの教室はオープンエリアに

あって、授業の間私は近くの

自習用の空いている机に座った。


ノートパソコンを持っていって

借りてきたDVDのドラマを見て

時間をつぶした。


疲れている日は、気が付いたら

眠っていることもあった。


マークのあの無防備な姿が

ずっと目に焼き付いていて、

あの時感じた「愛おしい」という思い

が私を支えているみたいだった。


不安が襲ってきても「大丈夫だよ」

と自分を励ましたり、

「マークのためになるのなら幸せ」

と自分をだましたりしながら、ただ

時間が早く過ぎるのを待っていた。


何よりもマークのことを考え、

行動するように

自分に言い聞かせていた。


それが「しなければならないこと」

のように…。


















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