第四暦・陽 子の親 下
北門がバタンと閉まったのを契機として、集まっていた人々も散開の流れとなり、その場には俺と女の子だけが残る。
「大丈夫だったか?」
とりあえず事が治まったと見えて、俺は立ち上がり女の子の方を向く。
女の子はこくりと小さく頷いた。どうやら怪我はないらしいと分かり安心する。
「しかし災難だったな。あんな奴には不用意に近付かない方がいいぜ」
俺のこの言葉を聞くと、女の子はキッとこちらを睨み付けてきた。
その剣幕に俺は思わずたじろいでしまう。
「
あろうことか、彼女は自分を殴り付けようとした相手を庇うようなことを言い出したのだ。
「巌流様は悪くないもん。お仕事の邪魔をした私が悪いだけなの」
その言い分は巌流の主張と完全に一致していた。
俺は言い知れない危うさのようなものを、この子の眼差しから感じ取る。
「あのなあ、そりゃ仕事の邪魔をするのは悪いことだけど。それに対する罰にしては明らかにやり過ぎであってだな……」
「分かってるもん、そのくらい」
女の子は的外れな心配をする俺を小馬鹿にするように言ってから、さっきの発言の意味を説明した。
「最近の巌流様はちょっとだけ乱暴。でもそれは町のみんなを守りたいって思ってるからなんだよ。
一か月くらい前に夜中にお城に入ろうとする人がいたり、この間の
それで巌流様はもっとお仕事を頑張ろうとしてるだけなの。悪いのはお城に入ろうとした人たちだもん」
女の子の話を受けて途端に俺は罪悪感に
別に巌流が丸っきり悪くないと言う気はないが、俺や
演武芸大会のことはともかく、
「な、なるほどな。うん、俺はちょっと巌流のことを誤解していたようだ」
震え声で応じてから俺は話題を変える。
「ところで巌流に何か聞きたかったみたいだけど?」
「うん……実はいなくなったおっ父を探してて」
話を聞いていくと、女の子――名前はいたちというらしい――の父親は元北門の番兵らしかった。
それが二ヶ月前に命令違反をしたとかで役目を降ろされ、妻(いたちの母親)にも別れを告げられたという。
「おっ母はおっ父が嫌いになったわけじゃないんだよ。私のために別れたの。
今だって、私を育てるために朝から夜まで一生懸命働いてくれてるんだよ。
でもおっ父もね、お仕事やめさせられたのは私とおっ母のことが心配で様子を見に来たからなの。
だから、おっ父も悪くないの。もちろん、巌流様だって悪くないって分かってるよ。
ただ……ただ私はね、一人でお家にいるのがちょっと寂しかったから、おっ父に会いたいなって……」
「………………」
何というか難儀な性格をしているなあ、この子は。
誰も悪くないが不幸という状況が、往々にして存在することは確かだが、この年で直面する問題としては難問過ぎる。
普通の子供ならば、父親でも母親でも巌流でも誰かしらに怒りの矛先を向ける。
その方がずっと楽だし、何なら大人でもそちらに逃げる者は少なくないだろう。
いたちが聡く優しい子であることは間違いないが、そのせいで苦労することも多そうだ。
「実はな、俺は代行屋って仕事をやってるんだけど」
「代行屋?」
「そう。何なら巌流の代わりに、お前の力になってやるぜ」
俺がいたちにこの提案をした理由はいくつかある。
間接的にとはいえ、迷惑をかけてしまった罪滅ぼしのためだったり。
いたちの家族に俺たち
ただ一番大きな理由は、単純にこの子はもう少し幸せになってもいいと、そう思ったからだった。
「でも私、お金ないよ」
「金なんてとらねえよ。俺からやらせて欲しいって頼んでるんだからな」
いたちはここで少し考え込むようにする。
赤の他人から無償で親切を受けるのは気が引ける、でも相手の思いを汲むことも大切。
とか、この子のことだから葛藤しているのかもしれない。
だから六つか七つくらいの子供が考えるようなことじゃねえって。
考えた末、いたちは俺の申し出を受けることを決める。ただし、その依頼は巌流の代理ではなかった。
「じゃあ代行屋さん。おっ父の代わりに私と遊んでくれる?」
父親の代わりになんてなれるわけがないことは分かっていた。それでも――。
「よし、分かったぜ。いたちの父親の代理、確かに引き受けた」
それでも、いたちが一瞬でも父親のことを思い出せたのなら、あるいは忘れられたのなら。
きっと俺のすることにも意味はあるのだろう。
夕刻頃までたっぷりと遊んでから、俺はいたちの家を後にした。
色々と、彼女のこの後が気にならないでもなかったが、そこはもう俺の領分ではない。
先日の
俺がどうにかしないといけないのは、できるとすれば自分の家族のことだけ。
「さて、俺も屋敷に戻るとするか」
さすがに
真っ直ぐ進んで突き当りの角を折れたところで、前から来た人物と危うくぶつかりそうになる。
「おっと悪い」
「い、いえいえ。どど……どうもすみません」
やたら挙動不審な中年の男。どこか見覚えがある気がするが。
男は何やら
「その、代わっていただいてありがとうございました!」
代わっていただいて?
ああ、じゃあこの人は前に代理を引き受けた客の誰かか。
「こちらこそありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」
はっきりと思い出せないまま、とりあえず営業微笑で切り抜けておく。
男は軽い会釈と二度目のお礼をすると、歩いて来たのと反対側へ駆けて行った。
俺が男の正体に行き当ったのは屋敷に戻る途中、
そうだ。演武芸大会のときに裏口をうろついていた奴だ。
ん? だとしたら、『代わっていただいて』というのはどういう意味だ?
考えているうちに屋敷に到着したので門を潜りながら、なお思考を続ける。
俺の頭上に閃きが降りてきた次の瞬間、連続して降り落ちてきたのは日本刀だった!
「ちょ……待っ……!」
ピタリ――と、脳天すれすれで刀は静止した。
「あら、お兄様でしたの」
「だから! 俺じゃなくても無闇に斬りかかるのはやめろっ!!」
本気で怒鳴りつけながらも、いつも通りの千和に安心を覚えたのは確かだった。
「おかげでさっきまで考えていたことが全部吹っ飛んじまったぜ」
「どこへ行ってらしたんですか?」
千和は俺の話を完全に素通りして自分の都合のいいように話を進める。
反省の色が全く見えないが、これはもう諦めるしかないな。
「お前を探しに出てたんだよ。そっちこそ、どこに行っていたんだ?」
「えっと、その……雉ノ丞様のところですわ。お忙しいようでしたので、すぐにお
何だ、俺の推測は見事に外れか。
やっぱり千和のことを理解できる日は遠いらしい。
でもまあ、それでも近付く努力はしていくべきだよな。
「ではお兄様、夕飯にいたしましょうか。今から作りますので」
「いや、今日は俺が夕飯作るよ。作らせてくれ」
俺の言葉に千和は少しだけ驚いた顔を見せたが、すぐに嬉しそうに微笑むのだった。
ところが夕食の席にて、今度は妹の超絶不機嫌顔を見ることになる。
原因は俺の料理の腕が千和より上だったこと。
どうやら、俺がこれまでの食事の不味さに耐えられなくなり今日の夕食を自分で作った、というあらぬ誤解を与えてしまったらしい。
その後、誤解を解くために必死で言葉を尽くし続け、千和の機嫌が治ったのは何と一か月後のことだった。
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