貧乏神のいる店

第1話

 ローカル線の小さな駅の改札を出て閑散としたシャッター通りの商店街を抜け、鞄屋の角を曲がる。裏通りの雑居ビルに「火鳥探偵社かとりたんていしゃ」はあった。昭和のバブル期に建てられた古いビルは築38年。一階は中華料理店、二階は怪しげな占い館、三階に火鳥探偵社がテナントとして入っている。


 表通りの馴染みの惣菜店で買った山菜おこわとさつま揚げを右手にぶら下げた探偵社の主、火鳥遥かとりはるかは事務所のポストを開けた。取り出してみると、事務所の光熱費の請求書、近所にオープンする整体屋の広告、そしてピンクチラシ。チラシお断りとシールを貼っているが、世の中には字が読めない奴が多い。

 古いビルにはエレベーターなどない。郵便物を花柄のエコバッグに突っ込むと、コンクリート造りの狭い階段を上がっていく。


 「火鳥探偵社」と控えめなプレートがついた事務所の扉の鍵を開ける。埃っぽいオフィスにはキッチンと応接スペース、マホガニー製の事務机。壁面の一つは全面本棚にしていた。書籍の他、捜査に必要な資料や結果報告をまとめている。パソコンにデータを保存しまえばかさばらないのだが、紙として残しておくのは探偵社の先代である死んだ親父の習慣だった。


 火鳥は大学卒業後、商社の事務職で2年間働いた。つまらない仕事だと思っていた矢先、25才のときに親父が肺がんで死に、この探偵事務所を継いだ。

 探偵といっても、ハリウッド映画のようにトレンチコートを着てタバコを吹かしながら殺人事件を捜査するようなクールな仕事ではない。浮気調査や雇用や結婚前の身辺調査、人捜しもあるがそれすら稀で、せいぜい逃げ出したペットを探すことの方が多い。ひどいときはまる一月依頼が無いこともある。


 探偵稼業だけでは事務所の維持すらままならないため、火鳥はフリーライター業とブログ収入で小銭を稼いでいる。子供の頃から本は好きで、文章を書くのは得意だ。文豪の小説ではなく、妖怪や怪談、都市伝説などオカルトへの興味が強かった。趣味と実益を兼ねてホラー系ブログを開設しているが、広告収入はそこそこある。二束三文の文筆業だが、ちりも積もれば水道代の足しにはなる。


 瀟洒な応接セットは火鳥の食卓も兼ねていた。そもそも、この事務所に来客などほぼ皆無に等しい。革張りの黒いソファはこの事務所に似つかわしくないが、親父がお客さんが座るものだからと良いものを置いていたのだ。

 お陰様でこうして昼飯を食うときもゆったりと座れるし、昼寝をするにも快適だ。夜遅いときはここに泊まることもある。火鳥は急須に茶葉と湯を注ぎ、湯飲みを持ってソファに腰を下ろした。普段はコーヒー派だが、山菜おこわには日本茶だ。


 割り箸をパチンと割り、山菜おこわとさつま揚げを広げて手を合わせた瞬間、事務所のドアが乱暴にノックされた。まるで刑事ドラマで見るガサ入れのようだ。

 ただでさえ遅めの昼食を邪魔された火鳥は眉根を寄せ、縁なし眼鏡をくいと持ち上げた。ソファから立ち上がり、面倒くさそうにドアを開ける。


「こんにちは、あんたがこの事務所の責任者か」

 不躾な奴だ。黒いスリーピースのスーツにワインレッドのシャツ、グレーのネクタイ。どう見てもカタギには見えない。一応、仕立ての良さそうなスーツを見れば場末のホストではないようだ。背後に白と黒のジャージの明らかにチンピラ風情の手下を二人連れている。

 男は周囲を値踏みしながらずかずかと事務所に入ってきた。背も高いが態度もでかい。そして革張りのソファにどっかりと腰を下ろす。テーブルにあった山菜おこわを見て、火鳥の顔を見上げた。


「悪いな、昼飯の最中か」

 最中どころか一口も食べていない。一ミリでも悪いと思うならさっさと帰って欲しい。付き添いの白と黒のジャージは背後に手を組んで控えている。一体何様のつもりなのだろうか。

「まあ、座ってくれ」

 対面のソファに座るよう促す。ここは俺の事務所なんだが。火鳥は不機嫌を顔に出さぬよう気合いを入れた。一応、客商売だ。

「どういったご用件でしょうか」

 火鳥の落ち着いた声音に、スーツの男はこの男に脅しは通じないと瞬時に見抜いた。


「俺はこういう者だ」

 スーツの胸ポケットから名刺を取り出した。そこには将星会神原組 若頭補佐心得 水瀬博史みなせひろしと書いてある。

「若頭補佐心得っていう役職があるんですね」

「そこじゃねえ」

 火鳥のとぼけた様子に水瀬博史は顔を歪める。ツーブロックショートの黒髪に整えた眉、奥二重の鋭い目つき、年齢は30代半ばだろうか。背後につくジャージの方がおっさんに見えるので、ヤクザ世界でも仕事はできる部類なのだろう。


「手短に言うと、このビルを解体することになった。今月中にここを引き払ってもらいたい」

 つまりは地上げだ。ここに来て、ときどきこういった話が無いわけでも無かった。しかし、このようなヤクザ者が事務所に乗り込んできたのは初めてだ。

「急に言われても困りますね」

 火鳥は腕組をしながら答える。そのふてぶてしさに全く困った様子はない。面倒な奴だ、水瀬は思った。縁なし眼鏡と長めの前髪が目元を隠し、根暗な印象を与えている。しかし、物言いはハッキリしており、その声音に恐れがない。おそらく同年代だろう。


「まあ、考えといてくれよ。また来る」

 水瀬は口角を上げて火鳥を威嚇しながら立ち上がる。今日は顔見せだけにしておこうという腹だ。

「山菜おこわ、美味そうだな」

「この先の商店街で買えますよ。やまと屋という店です」

 火鳥の言葉に水瀬は鼻で笑う。白黒のジャージは先に事務所を出た。ドアノブに手をかけて、水瀬は振り返る。刑事コロンボでも意識しているのだろうか。

「こっちが頭下げてるうちに素直に引き払うのが賢いやり方だぜ」

 口の端を吊り上げて笑っている。半ば脅しだ。見送りにドアの側に立つ火鳥は水瀬の頭上をじっと見つめている。


「忠告痛み入ります。でも、こんなろくでもない仕事をしていると、憑いてますよあなたの周りに、たくさん」

 火鳥の言葉に水瀬は目を見開き青ざめた。チッ、と舌打ちをして乱暴にドアを閉めて去って行く。火鳥はドアを半開きにして階段を下りる足音に耳を澄ませる。一階にさしかかったあたりでリズムを崩し、派手に転倒したような音が聞こえた。

「大丈夫ですか、兄貴」

 ジャージが大声を上げている。

 中華料理店のある1階は油で滑りやすいのだ。火鳥はにやりと笑い、ドアを閉めた。

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