番外編 魔道士ともうひとりのアリス 2

 チビアリスがハーブに水をやっていると、アレックスチームで一番背が高いスニフと言う青年がやってきた。


「水やりか? まだ早くないか?」


 スニフは背が高くて声が低い。だからチビアリスは少しだけ苦手だったのだが、ある事がきっかけでアレックスチームの中で今では一番仲が良い。


「どうした? いつもは煩いぐらい話すのに今日は随分静かだな」

「うん、ちょっと……スニフは結婚ってどう思う?」

「随分急だな! 結婚か。そうだな……好きな人が家に帰ると待っててくれるのはいいな。それが一生続くんだぞ。それは幸せだと思うな」

「そっかぁ、幸せか……私はいっつもうじうじ悩んでばっかりで何にも前進しない。スニフが羨ましいな」


 並んで水やりをしながらそんな事を言うと、スニフがじっとこちらを見下ろしてきた。


「アリスは結婚したいのか?」

「分からない。したくても……多分、出来ないよ」

「何故?」

「だって、私にはあの痣があるもん。それを知ったらきっと皆嫌がるよ」


 そう言ってどうにか笑ったアリスの小さな頭を、スニフの大きな手が撫でた。驚いて顔を上げると、珍しくスニフは困ったような顔をしている。


「そんな痣など気にしない奴は気にしないさ。少なくとも俺は気にしない。アリスはそれを烙印だと思っているのかもしれないが、俺にとってそれは美しいバラの花だ」

「……そんな事言われたのは初めて」

「そうか? 皆見る目が無いな」


 真顔でそんな事を言うスニフを見てチビアリスは目を丸くする。奴隷の烙印をバラに例える人なんて初めてだった。


 何だか少しだけ心が軽くなったようなアリスは鼻歌を歌いながら水やりをしていると、屋敷の方からアランがやってくるのが見えた。


 真っ直ぐこちらにやってきて、チビアリスを見下ろしてくるが、何故かいつもよりも不機嫌そうだ。


「アリス、水やり終わりました?」

「え、えっとまだだけど……もうちょっとで終わるよ!」

「では終わったら研究室に来てください。やっぱりもう少しだけ続きをしましょう」

「でも、もう夕方だよ?」


 水やりが終わったら次は夕飯の支度のお手伝いだ。クラーク家の人たちはチビアリスに何かしろとは決して言わないが、チビアリスはいつも率先して手伝いをしている。それは、ここに居てもいいよと言ってもらうためだと言うことは自分でも分かっている。


 アランが誰かと結婚でもしたら、自分はきっと今のようには扱ってもらえない事をよく理解していた。メイドや下働きとして雇ってもらえたら嬉しいと思うが、ドジなチビアリスにはそれは難しいかもしれない。


 困ったような顔をしたチビアリスを見てアランは少しだけ眉を釣り上げる。


「至急なんです。ほら、急いで」

「う、うん。分かった」

「いいぞ、アリス。今日は俺がやっといてやる。アラン様と行ってきな」

「いいの? スニフ」

「ああ。俺はもう今日の仕事は終えたからな。後はアレックスの評価待ちだ」

「そっか。ありがとうスニフ! それじゃあまた明日」

「ああ、また明日」


 スニフは軽く手を上げてまた水やりに戻っていく。


 チビアリスと違ってスニフは歩くのも早い。やはり足が長いからか。どうしてあんなに足が長くてもつれないのだ。チビアリスがそんな事を考えていると、突然腕をアランに掴まれた。


「行きますよ」

「あ、うん」


 相変わらず不機嫌なアランにチビアリスはビクビクしながらついていく。長い廊下を無言で歩いて、辿り着いたのはアランの研究室だ。


 けれどいざ研究室に辿り着いてもアランは特に何をしていた様子もない。


「何を手伝えばいいの?」


 チビアリスが言うと、アランはハッとしたようにチビアリスを見ていたが、徐に何故かお茶を淹れ始めた。


「あー……さっきアリスさんから栗のお菓子が届きまして。それを食べようと思って……」

「? 栗のお菓子? 急ぎなの?」


 もう少しで晩ごはんなのに? チビアリスの質問にアランは慌てたように頷いた。


「お、お菓子を冷凍して販売してみようって話が出ていてその試作で、だから……とにかく味の評価が欲しいんです。僕ではそういうのはよく分からないから」


 最後は随分早口になってしまったが、アランの言葉にチビアリスはホッとしたように微笑む。


「お菓子の試食なんて初めて! どんなお菓子? 栗って事は期間限定のサイダーみたいにするの?」

「え? ええ、まぁ。そうなるんじゃないでしょうか」


 完全に思いつきで言ったデタラメなので、そこまで突っ込まれると何も言えないアランだ。それでも窓からスニフとチビアリスが楽しげに話しているのが見えた途端、胸がザワついて気づけば飛び出していた。


「じゃあもしかして他にも色々作る⁉ アリスさんが作るお菓子どれも美味しいもんね! 色んなお店のお菓子をどこでもいつでも買えるようになるかもしれないんだね!」

「そ、そうですね。その方向でリー君と相談します」


 嘘なのだが。どうにかチビアリスとスニフを引き離したかっただけなのに、何だか新商品の話になってしまった。


 けれど目をキラキラさせて期待の眼差しを向けられると、今更嘘ですとは言えないアランだ。



 翌日、アランはリアンの家で机に突っ伏していた。


「遅れてごめん! どしたの、アラン」


 書類を持ってやってきたノアがアランを指差すと、リアンは呆れたような顔をしてチラリとアランを見た。


「それがさ、魔道士が何かチビアリスと変な約束しちゃったんだってさ」

「どういう事?」

「あんたが昨日皆に送った栗のケーキあったじゃん? あれを冷凍して商品化しようとしてるとか何とか言い出しちゃったらしいよ」


 それを聞いてノアは何かに納得したようにソファに腰を下ろして頷いた。


「なるほど。アランのいつもの悪い癖か。どうして君はそんなにもアリスと名前のつく人に弱いの」

「……本当にすみません」

「で、具体案は? それがなきゃどうにもならないんだけど?」

「具体案はこれです。色んなお菓子屋さんと提携して、焼き菓子メインで生菓子も冷凍出来たら……なんて」

「なんて、じゃないよっ! その設備とかどうすんのって聞いてんの!」

「まぁまぁリー君、アランだってわざとじゃないんだってば。どうせヤキモチか何か妬いて咄嗟についた小嘘でしょ?」


 ノアの言葉にアランは驚いて顔を上げた。


「み、見てたんですか⁉ ぼ、僕に傍受とかかけてます⁉」

「訳ないでしょ。ちょと考えれば分かるよ。普段無茶を言わないアランがこんな事する時は大抵アリス絡みなんだよ。嬉々としてやったかそうじゃないかの違いでさ。で、ここで項垂れてるって事は喜んでやった訳じゃない。てことは咄嗟に出た話って事だよ。大方チビアリスに何かあってそれを止める為に咄嗟に嘘ついたって考えるのが妥当だよね」

「おー! なるほどなるほど! で、ヤキモチってのは?」

「ん? チビアリスは今年で15歳で結婚出来る年なんだよ。で、あの強大な魔力でしょ? てことはお見合い話か何かが来てるのかなって」

「ほうほう! いいじゃん。応援してあげなよ、魔道士。じゃなきゃあんたが引き受けな。それで万事解決だよ。さ、じゃ今日の商品開発なんだけど――」


 適当に相槌を打つリアンにアランはガバリと顔を上げた。


「僕が引き受ける⁉ そんな事、許される訳ない! 僕は元孤児ですよ⁉」

「それはあんたが勝手にそう思ってるだけで、他の誰もそんな事思っちゃいないよ。皆が思ってるのは、あんたはクラーク家の立派な跡継ぎって事。で、それとチビアリスがくっついたらクラーク家の魔力方面での権力ヤバくない? ってだけだよ。だからどうしたって阻止したい勢力はあるよ、そりゃ。だって怖いもん」

「リー君の言う通りだね。アランだけでもあれなのに、チビアリスの魔力もクラーク家のものに、なんて事になったら大変だよ。ただチビアリスの強大すぎる魔力は同じぐらい力のある人にでないと制御出来ないと思う。おまけにどんくさいし、下手したら街一つ消し飛びかねないでしょ」

「だったらもう封印しかないね。大人になってからの封印って凄く辛いんでしょ? 可哀相に……魔道士がさっさと腹をくくらないばっかりに」

「ほんとだね。幼少期は奴隷として生きて、大人になってもまだそこから逃れられないなんて……いつまでもアランがウジウジしてるばっかりに」


 二人が哀れみの視線をアランに向けると、アランは引きつった顔で息を呑む。


「そ、そんな理由で結婚など……」

「そんな理由じゃなきゃいいじゃん。ヤキモチ妬いてこんな杜撰な計画持ってくるぐらいなんだから、あんたチビアリスの事好きなんでしょ?」

「好き? 僕がアリスを?」

「そだよ。でなきゃこんな事しないでしょ? あんたは。これ持ってきたのが王子とかあいつなら分かるよ。でもあんたはこんな事しないよ」


 何せ既に決まりかけの商品があるのに、それを蹴ってもお菓子を進めようとしたアランだ。普段のアランならこんな事は絶対にしない。


「好き……こんな風になるんですね……恋愛って」

「え? アラン、アリスの事好きだったよね?」

「ええ。でもそれは人間性が好きだったんです。だからノアと結婚した時も素直に嬉しくて心の底から喜べたんですけど……うちのアリスでは喜べ無さそうです……」

「……」


 本気で珍しいアランの恋愛相談にノアとリアンは思わず顔を見合わせた。これは相当深い迷路に潜り込んでしまっている。


「まぁあれだよ。結局さ、魔道士がチビアリスに手を出したいかって事だよ。もしちょっとでもそう思うんなら、それはもう好きなんだよ」

「手、手を⁉ な、何を急に! まだお昼ですよ⁉ あっつ!!!」


 顔を真っ赤にしたアランは勢いよくリアンが淹れてくれたお茶を飲んで、その熱さに思い切り噴き出す。


 一人でワタワタするアランを見てノアは腕を組んで頷く。


「うん、よく分かった。アランはチビアリスの事が間違いなく好きだよ。ていうか、少なくとも女性として見てるんだって事がよく分かった。今日はもう帰っていいからチビアリスに告っておいで。これは君の面子の為にもどうにか進めておくから」

「はぁ⁉ ちょ、化粧品どうすんの⁉」

「大丈夫。同時進行しよう。ついでにちょっと考えてる事があるんだ。後で話すよ」

「まぁ、あんたがそう言うんなら……ほら、魔道士はとっとと帰った帰った。チビアリスとまとまるまであんたは来なくていいよ。先にそっち片付けてきて」


 でなければ鬱陶しいったら無い。そんな言葉を飲み込んだリアンに、アランはこくりと頷いた。確かにリアンの言う通り、これでは仕事になりそうにない。


 しかし告って来いと言われても、人生で誰かに告白などした事がないアランだ。そもそもずっとフードを被ったり顔を髪で隠していたせいで女性とそういう雰囲気にすらなったことがない。


 何をどうすればいいかさっぱり分からないアランは、帰りがけに本屋に寄った。軒先に『恋の伝道師! キャンディハート先生待望の新作本日発売!』などと書かれている。こうなったら本に縋るか……。

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