番外編 良い夫婦の日 2

◆ルイス・キャロライン夫妻


 キャロラインが朝起きるとまず一番にするのは、ルイスの太陽のような金色の髪をそっと手で梳かす事だ。


 サラサラと指の隙間を流れる瞬間がとてつもなく好きで、それだけで何だか凄く幸せな気持ちになる。


 キャロラインは笑みを噛み殺してまだ夢の中に居るルイスを起こさないようにそっとベッドから下りた。


 いつものように寝室にある内扉を使って王妃の部屋へ戻ると、そこには既にチームキャロラインとミアがキャロラインのドレスを持って笑顔を浮かべて待っている。


「おはようございます、お嬢様」


 ミアの挨拶を待ってチームキャロラインの皆が口々に挨拶してくれるのを聞いてからキャロラインは用意されていたお湯で顔を洗う。


 それから王妃の公務を15時までに終わらせてルイスの執務室に向かうと、ルイスはまだ仕事をしていた。


「ルイス、お茶を持ってきたわよ。少し休憩しましょう」

「キャロか。ありがとう。これだけ終わらせる」

「ええ。今日はキャシーのバターサンドなの。アリスが送ってくれたのよ」

「キャシーのバターサンドか! 分かった。すぐ終わらせる」


 キャシーのバターサンドには目がない二人だ。定期的にアリスが何も言わずとも、いつもこうして送ってくれる。


 キャロラインからは毎日アリスの報奨である一生分のおやつを送っているのだから、アリス的にはもしかしたらお返しのつもりなのかもしれないが、大変ありがたい。


 キャロラインがソワソワしながら待っていると、ようやくルイスがやってきてキャロラインの隣に座って紅茶の準備をし始める。


 ルイスが美味しいお茶を淹れる特訓をした日からずっと、15時のお茶だけは毎日ルイスが自らこうして淹れてくれるのだ。


 二人はいつもキャシーのバターサンドを食べながら仲間たちの事を話す。いつから始まったのかはもう覚えていないが、何だか今では日課のようになっている。


「あの子、本当に一度ひっついたら離れないのよ。いつか私、あの子に絞め殺されやしないかしら」

「ははは! アリスは興奮すればするほど力いっぱいキャロに抱き着いているものな!」

「そうなの。もう、本当に困った子よ」


 言いながら笑うキャロラインにルイスも楽しそうに笑う。こんな何気ない二人だけの時間もキャロラインは好きだ。


「キャロは愛情深いからな。アリスもそれがよく分かっているんだ。ほら、動物はそういうのを見抜くだろう?」

「嫌だわ、ルイスったら。アリスはあれでも人間よ? 多分」

「多分、な。ではアリスは唯一キャロが触れる動物よりの人間だと言うことか」

「ふふふ。そうかもしれないわね」


 未だに動物が触れないキャロラインが唯一触れる人間っぽい動物、アリス。こんな話をされていると知ったらアリスはまた頬を膨らませて拗ねるのだろう。


 何だかそれが簡単に想像できてしまったキャロラインが思わず笑うと、ルイスはニコニコしながらそんなキャロラインを見ている。


「どうして笑っているの?」

「いや、楽しそうだなと思って。俺はキャロが楽しそうにしていたり嬉しそうにしている時が一番幸せなんだろうな、きっと」


 恥ずかしげもなくそんな事を言うルイスにキャロラインは頬を染めて俯く。胸の中が何だかむず痒くて思わずソワソワしてしまう。


「も、もう! 恥ずかしいわ」

「何故隠す? キャロは不思議だな。何もしていなくても、ただ隣で笑っていてくれるだけでこんなにも俺を楽しい気持ちにさせるんだから」

「ル、ルイス! おだてても何もでないわよ?」

「ははは! キャロから貰った物は既に沢山ありすぎて、俺には一生かかっても全て返す事なんて出来ないかもしれんな」


 間違いを犯しそうになったら叱って欲しい。毎朝愛おしそうに髪を撫でて欲しい。ただ隣に居てほしい。ずっと笑っていてほしい。


 ルイスがそれをキャロラインに伝えると、キャロラインは顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。


「き、気付いていたの⁉ 毎朝、髪を梳かしていたの」

「気付くさ! 言っておくが小さな物音でもすぐさま起きるように子供の頃から叩き込まれてるんだぞ? 気づかない訳がないだろう!」

「もう! どうして寝た振りなんてしてたの? 恥ずかしいわ!」


 まだ両手で顔を覆って耳まで真っ赤にしているキャロラインの手をルイスは取った。


「恥ずかしくなんかない。俺は、それが幸せなんだ。もしもあの時少しでも何かを間違えていたら無かったかもしれない幸せだ。俺は一生寝た振りをするぞ!」


 一生寝た振り宣言をしたルイスを見て、キャロラインは思わず噴き出した。ルイスもルイスで自分が何を言ったか気付いたのか、顔を赤くして苦笑いを浮かべる。


「幸せだ。毎日心の底からそう思う」

「それは私もよ、ルイス。私だって、あなたに貰ったモノが沢山ありすぎて、きっと一生かかっても返せないわ」

「では、死ぬまで互いに与え続けようか」

「ええ、そうね」


 二人は肩を寄せ合って互いの手を重ねた。これからもずっと、愛を与え続けよう、この人に。そんな事を考えながら。


 

◆カイン・フィルマメント夫妻


 珍しく昼の間に宰相の仕事を終えて家に戻ると、ソファでフィルマメントがうたた寝していた。膝の上には生まれたばかりのルークがむにゃむにゃとまどろんでいる。


 時折フィルマメントが眠っているのを確認するかのように見上げて、フィルマメントが寝ている事を確認したらまたむにゃむにゃするというのをさっきからずっと繰り返していた。


「可愛すぎるだろー……お前ら」


 カインは笑いを噛み殺して二人にそっとブランケットをかけると、フィルマメントとルークの頭頂部にキスをして自室に戻る。


 ついでに冷蔵庫に昼前にアリスから届いた栗で出来たケーキを入れておいた。夕飯の時に食べるつもりだ。


 カインはずっとロビンの背中を見て育ってきた。だからかどうかは分からないが、家に仕事は絶対に持ち込みたくなかった。


 宰相になってすぐの頃はそれこそ要領が分からなくてたまに持ち帰ってしまったが、ある日ノアに言われたのだ。


『大事な優先順位を間違えると、手酷いしっぺ返しを食らうよ?』と。


 後から聞いた話では、新婚なのにカインが家に帰ってきてもずっと部屋に籠もってる。浮気かも、とフィルマメントがアリスに相談したそうなのだが、それを聞いて肝が冷えた。


「フィルは妖精だもんな。いつだって率直だよな」


 読みかけの本を閉じたカインがポツリと言うと、部屋の扉が開いた。顔を上げると、そこにはフィルが眠い目をこすって部屋に入ってくる。


「おはよう、フィル」

「ん、おはよ。いつ帰ってきたの?」

「さっきだよ。あれ、ルークは?」

「ママが連れてった。今日はルークの誕生から276日目だからって」

「……それ、ついこの間もやってなかったっけ?」


 苦笑いを浮かべたカインにフィルも苦笑いしている。


「妖精は何でもお祝いしたいの。思いついたらもうお祝いせずにはいられないんだよ」

「じゃあルークは今日はお泊りか。丁度いい、アリスちゃんから栗のケーキが届いたから夕飯の後に食べようか」


 カインが言うと、それまで眠そうに目をこすっていたフィルマメントの顔が輝いた。


「栗のケーキ⁉ 凄い! どんなのだろう?」

「何かモンブランって言うんだって。いい匂いしてたよ」


 カインは閉じた本を棚に直して立ち上がると、フィルマメントの手を取った。


「アリスちゃんが教えてくれたんだけど、夕飯までまだ時間あるし秋にデートに行くといいスポットがあるんだって。ここから歩いていけるから、ちょっと行ってみる?」

「うん! カインとデート! 久しぶり!」


 二人は手を繋いで屋敷を出て裏の小道を進んだ。少し行くと大通りに突き当たる。そこには大きな川が流れていて遊歩道のようになっている。


「この川沿い?」


 フィルマメントは首を傾げた。よくルークとも散歩する道だが、こんな所に何かあっただろうか? 首を捻ったフィルマメントを見てカインも困ったような顔をしている。


「らしいんだけど、俺もそんな所あったかなぁって思ってる。でも何も無くてもいいよ。こうやってフィルと歩いてるってだけで俺にとってはデートだから」

「うんっ! 私もそう思う!」


 感極まったフィルマメントはカインの腕に抱き着いて色んな話をしながら川沿いをどこまでも歩いた。


 やがて日が傾いて来た頃、辺りはオレンジ色に輝き出した。少し風が冷たくなってきたので二人が戻ろうとしたその時、川に黄色い葉っぱが流れて行くのが見える。


「カイン、あの葉っぱ凄く黄色い」

「ん? ほんとだ。イチョウだな。あ、ほら次はモミジだ。もうちょっと行ってみようか」

「うん。皆どこに流れて行くんだろう」


 よく見ると川上から流れてきた葉っぱは下流にどんどん流れて行く。ここから先にあるのは大きな池だ。やがて池に辿り着いた二人は思わず息を呑んだ。


「アリスちゃんが言ってたのはこれの事かな」

「凄い! 絨毯だよ、カイン! 赤と黄色のおっきな絨毯だ!」


 池には流れ着いたモミジとイチョウの葉っぱが所狭しと浮かんでいる。それはフィルマメントの言うように大きな絨毯に見える。それはもうカラフルな絨毯だ。


「綺麗だな。確かにこれはデートスポットだ」

「乗りたくなる!」


 そう言って駆け出そうとしたフィルマメントをカインは慌てて止めた。


「駄目駄目! 下は水だから。この時間に来たのも正解かもな」

「うん! 光はオレンジで絨毯は余計にカラフル! 写真撮ってママ達に送ってあげよう!」

「俺も親父たちに送ってやろ」


 二人ではしゃぎながらひとしきり写真を撮って遊んでいたが、ふとカインが切り株で出来た椅子に腰掛けて自分の膝を叩いた。それを見てフィルマメントは大人しくカインの膝に座る。


 カインはフィルマメントを後ろから抱きしめて、虹色の長い髪に顔を埋めた。


「俺は良い人間じゃないよ、フィル。良い旦那でもないかもしれない。良い父親になれるかも分からない。それでも……これからもずっと一緒に居てな、フィル」


 秋は何だか感傷的な気分にさせるからいけない。世界が綺麗な景色に溢れるほど、自分がとても滑稽でちっぽけな存在だと思わされる。


 フィルはそれを聞いて座っていた向きを変えて正面からカインを抱きしめた。


「他の人にとってどんな人でも、フィルにとってカインは良い人間で最高の旦那様で世界一のパパだよ。他の人にとって最悪な方がフィルにとっては都合がいいもん。だからカインはそのままで居て。それに死ぬ時もカインとフィルは一緒! ずーっと一緒!」

「はは、そうだった。俺たちは魂を分け合ったんだった。そっか……ずっと一緒か。じゃあ寂しくないな」

「うん! 最後の日もいつも通り手を繋いで寝ようね!」

「まだ当分先であることを願うよ」


 とうとう死ぬ時の話なんてしだしたフィルマメントを見てカインは苦笑いを浮かべて頷く。いつか必ず訪れるそんな日を思いながら、カラフルな絨毯を二人でいつまでも見ていた。

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