番外編 再会は牢の中で 前編
牢の中、アーロは一脚だけ置かれた簡素な椅子に、まるで人形のようにじっと座っていた。
何を見るでもなくただ壁をじっと見つめるアーロに、牢番をしていた騎士達も今朝からずっと怯えている。
顔を半分覆い隠す仮面は不気味でしかなく、隠れていない方の顔も端正すぎるので余計に人形めいていた。おまけに一言も口を利かないし何も食べないし飲まない。ただじっと背筋を伸ばして座っているのだ。
「おい、お前達交代だ」
「やっとか! 助かった!」
「なんだ? あいつ、何かしたか?」
「いや、何も。何もしなさすぎて逆に怖いんだよ!」
「そ、そうか。とりあえず交代だ。ご苦労さん」
そう言って交代でやってきた騎士は牢の中に居るアーロをちらりと見て、鍵を受け取り代わりに中に入ると、アーロに近寄り言った。
「お前に面会だよ」
その言葉にそれまでじっとしていたアーロがふと顔をこちらに向けた。その顔は完全に無の顔だ。確かに何かの魔法で動いている人形だと言われても思わず納得しそうである。
「面会? 俺に?」
「あ、ああ。綺麗なご婦人だ」
低くてもよく通る声に騎士が思わずどもると、アーロは冷たく言い放つ。
「? 帰ってもらえ。俺に女の知り合いなど居ない」
「アーロ!」
牢の外で待っていたエリザベスは、牢の中から聞こえる久しぶりのアーロの声に、たまらず他の騎士が止めるのも聞かずに飛び出した。
その声を聞いて、アーロの目が驚いたように見開かれる。
「……リサ……」
ポツリと自分の唇から漏れた声にアーロはハッとして口を覆った。自分には、彼女の名前を呼ぶ資格などもうないと言う事を思い出したのだ。
けれど、エリザベスはそんな事などまるで気にならないかのように牢に駆け寄ってきて、アーロに向かって牢の外から必死になって手を伸ばしてくる。
「アーロ! アーロ!」
エリザベスは涙を流しながらアーロに向かって手を伸ばすが、アーロは突然現れたエリザベスを見て口を覆ったまま固まっている。
「エリザベスさん、王子にあなた達の邪魔をするなと言われていますので我々はしばし外に居ます。もし何かありましたら、すぐに声を上げてください。あと、この椅子をお使いください」
「あ、ありがとうございます」
エリザベスはそう言って騎士から受け取った椅子をそこに置いたままで、騎士が出て行ったのを見計らって床に座り込んで子供の様に泣き出した。
そんなエリザベスを見てアーロはゆっくりこちらにやって来てエリザベスの前にストンと腰を下ろす。
アーロはこんなエリザベスを見ても何も言わない。ただ黙ってずっとエリザベスが泣き止むのを待つのだ、昔から。
エリザベスはそれが分かっているから気が済むまで泣いた。長い間会えなかったアーロ。
それでも彼の存在はエリザベスの心の支えだった。きっとどこかで生きている。いつかまた会える。そう心に信じて今まで生きて来た。
最愛の人を亡くした日も、エリザベスは泣かなかった。泣くのはアーロの前でだけ。そう心に決めていたから――。
ひとしきり泣き終わったエリザベスの頭を、昔の様にアーロが撫でてくれた。
「君は、本当に変わらないな。昔から怪獣の様に泣くんだ」
「……怪獣って……酷いわね」
袖で涙を拭ったエリザベスが顔を上げると、そこには大分やつれたアーロが居た。昔の様に苦笑いを浮かべるアーロに、エリザベスは思わず笑みを浮かべる。
「アーロ……ところでどうして捕まってるの?」
ふと、ここが牢屋だと思い出したエリザベスが言うと、アーロは顔を強張らせて何かを思い出したようにエリザベスの肩を強く掴んだ。
「それはこちらの台詞だ! どうして君がここに居るんだ!」
「どうしてって、アリスに聞いたからよ。アーロが捕まってるって。多分、ノアがアリスに教えたんだと思うわ。私とあなたの事」
「……アリス? ノア? 誰だ、それは。君は……君は、保養所にいるんじゃないのか……?」
「保養所? ああ! あれは兄さんの嘘よ。ユアンに私とジョーの事がバレないようにする為の」
「嘘……? 待ってくれ、一体何がどうなってるんだ? 君は……ずっと病に伏せっていた訳じゃないのか?」
アーロはエリザベスの肩を強く掴んだ。あまりにも真剣な顔のアーロに、エリザベスは驚いたように頷く。
「順を追って説明するわ。ユアンと離縁が成立した後、ユアンがうちにジョーを渡せと言ってきたの」
「ああ、そうらしいな。あの頃にはもう俺はユアンとは疎遠だったが、わざわざキャスパーが報せに来た」
ユアンはクラスメイトではあったが、特別仲が良かったという訳ではない。ただ勝手にいつもアーロの後をキャスパーと共に付いて来る鬱陶しい男だった。
離縁をしてもしつこくエリザベスにユアンがちょっかいをかけていると知ったアーロが、色々隠れて根回ししていた事はエリザベスには秘密だ。
「ええ。それでもあの人はしつこくジョーを渡せと迫って来た。そこで兄さまがジョーを死んだ事にして私は心を病んでしまって保養所に居ると嘘を吐いたのよ」
「……それでか……」
アーロはあの時の事を思い出して顔を顰めた。
ある日、ユアンがアーロの元に突然泥だらけでやってきたのだ。そしてアーロの顔を見るなり、いやらしく笑って言った。
『おい聞けよ。エリザベスな、一人息子を亡くして心を病んじまったらしいぞ。おまけに子供も流れたって! お前も災難だな! 好きな女がどんどん不幸になってくんだから! キャスパーも大笑いしてたぞ!』
それを聞いた時、アーロは全てを悟った。この男達は、アーロが苦しむ様を見たかっただけなのだ、と。だからわざわざ爵位の低いエリザベスにあんな仕打ちをしたのだ。
ユアンとキャスパーが生きている限り、エリザベスはずっとこの男達に弄ばれるのか! そんな事は絶対にさせない。
公爵家に生まれて当主を継ぐ身だ。どのみちエリザベスと自分が結ばれる事はないとずっと思っていた。だからエリザベスの恋の相談にも乗ったのだ。どこかで自分ではない誰かと幸せになってくれるのなら、それはそれでいい。どこかで幸せに笑ってるなら、この想いには蓋をしてしまおう。いつかまた会った時に笑えるように。
そう思っていたのに――。
ユアンの言葉を聞いた時、アーロの中の何かが切れた音がした。
わざと当主を廃嫡されてしまうように好き勝手に振舞って、その間にユアンの事を調べ上げた。いくら性根の腐っているユアンとは言え、執拗にエリザベスを追いかけ回すのは解せない。
そしてとうとう辿り着いたのだ。ユアンが何人もの妻を殺害し、その罪を全てエリザベスに擦り付けようとしているのだという事を。
アーロはこの頃には計画通り廃嫡され、自由の身だった。
同じ頃、エリザベスの兄、アーサーがユアンを告発しようと証拠集めをしている事を知ったアーロは、こっそり自分の従者を使ってアーサーにユアンの秘密を流したのだ。
そして運命のあの日、ユアンの処刑に立会人としてアーロは自ら名乗り出た。
『お前! お前が俺を嵌めたのか⁉ 許さん、許さんぞ! 絶対に! 俺には女王が付いてる! 俺が死んでも、キャスパーと女王が貴様を――』
そこでユアンはもう二度と口を開けなくなった。跳ねた首を見て、アーロが何を思ったのかは誰にも秘密だ。
この時、アーロは初めて女王と呼ばれる者の存在を知った。ユアンの言っていた事が本当だとしたら、キャスパーと女王とやらが居る限りエリザベスに未来はないかもしれない。どうにかしてこの女王の正体を突き止めなければ。
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