第三百七十七話 アリスと虎

「はは! ほんとに喋ってる! 待ってて、すぐ帰る」


 そう言ってオリバーはドロシーをドンの上に乗せると、ドンが飛び立つのを見送って振り返った。


「な、ド、ドラゴン……だと?」

「お、追え! 人の言う事を聞くドラゴンを女王に献上するぞ!」

「そうだ! そうしたら俺達もキャスパーやアーロのように幹部になれるかもしれん! 追え! あとあの娘も捕まえろ! あれは上玉だぞ!」


 街道にオリバーを追ってきた者達が口々に叫んだが次の瞬間、男たちは気付けば地面に伏せていた。


 一体何が起こった? そう思って視線を走らせると、そこには小型ナイフを構えてこちらを見下ろすオリバーが居る。


「あれは俺のっすよ。二度と手出しはさせない」


 心底冷えるような声に男達はようやく気付いた。自分達の足の腱が全て切られているという事に。


 一体、いつの間に……じわじわと痛みが襲ってきてのたうち回る男達を放り出したまま、オリバーは森に戻って行ってしまった――。



「到着したみたいですね、では、そろそろこれを脱ぎましょう」

「りょうかぁい」


 オリバーとドロシーが居なくなったのを確認したキリとユーゴは、暑苦しいマントを脱ぎ捨てた。


「な、だ、誰だ! お前ら!」


 突然目の前でマントを脱ぎ捨てた妙にセクシーな男とチャラそうな青年に覆面達は驚いた。この世界では皆覆面を被って行動しているが、外では皆顔馴染である。


 だから今目の前の二人を見て男達は慌てた。そこに止めを刺すようにキリが薄く笑って言った。


「言ったでしょう? キャスパー様に頼まれた、と。あなた達の情報など、既にこちらには筒抜けです。女王の正体も、あなた達の氏名も何もかも。もちろん誰があなた達を売っていたのかは言えませんが。この中に居ないといいですね?」

「なん、だと?」


 クスリと笑ったキリに、男達は覆面の下の顔を引きつらせた。そして次の瞬間、全員が互いに罵り合う。


 今回の計画はキャスパーから女王に持ち掛けてきた話だと聞いている。この平和ボケした世界を乗っ取ろう。そう持ち掛けたのはキャスパーだ、と。まさかそのキャスパーがこちらを裏切っている? 


 でもそれはありえないとは言い切れない。何故ならキャスパーは元々こちら側の人間なのだから。この国と手を組んでレヴィウスを逆に乗っ取ろうとしているのかもしれない! そしてその手引きをしている奴が自分達の中に居るかもしれないのだ。


 男達は青ざめたまま口々に互いを責め始めた。


「お芝居が上手だねぇ」


 感心したように言うユーゴにキリは一つ頷いて目の前で唸る声を上げる虎を見てゴクリと息を飲んだ。


 流石のキリも虎を相手にした事は無いし、ネコ科の中でも虎は最も気性が荒いと言われている。勝てるだろうか……低い唸り声を上げた虎を前にキリがそんな事を考えていると頭の上に不自然な影が差す。


「お待たせ、二人とも!」

「だ、誰だ⁉ お、女?」

 突然の声に覆面の男達は辺りを見渡した。

「……」

「……」


 一方キリとユーゴは人知れず胸を撫で下ろしていた。


 アリスの登場に、今までこんなにも安堵した事があっただろうか? いや、無い。


 キリとユーゴが声のした方を振り返ると、さっきまでドロシーが居た小屋の屋根の上にアリスが、何やらポーズを取って立っている。


「……お嬢様……」

「どこまでも目立ちたがり屋だねぇ」


 この状況を見てもなお、アリスはああいう行動をとるのか。呆れ果てたキリと感心したようなユーゴの目の前にアリスはヒラリと飛び降りて来た。


 そんなアリスを見て覆面達は流石に少し驚いたように後ずさる。


 この状況を見て、これだけの覆面に囲まれていながらこのアリスの態度である。覆面達の心の中にほんの少しだけ恐怖が芽生えた。


「いや~参っちゃうよね。目くらましの魔法かけてる人が居てさ! 遅れてごめんね」

「いえ、それは構いませんが、その人はどうしたんです?」

「ん? 兄さまが死なない程度に何してもいいよって言ってたから、女子達とかちっちゃい子に悪さばっかりする所を潰してきちゃった! テヘペロ!」


 そう言っていつもの様にテヘペロをするアリスに、引きつるユーゴ。


「ああ、そうですか。まぁ、いいんじゃないですか。ではここに居る人達も去勢してしまいましょうか」

「おっけ! お! 何だ何だ、虎がいるじゃ~ん!」

「だ、誰だ⁉ お、お前何者だ⁉」


 サラリととんでもない事を言うアリスに動揺した覆面は怒鳴った。そんな覆面にアリスはキョトンとして言う。さも当然かのように、


「誰って、アリスだよ?」


 と。


 そんなアリスの反応に覆面達もお互い顔を見合わせている。


 そんな中、とうとう痺れを切らした虎の一匹が、覆面が繋いでいたロープを食いちぎってアリスに飛び掛かってきた。


 それを見た途端アリスが目の色を変え、飛び掛かってきた虎を避けて頭に思い切りゲンコツを落とす。


「ギャン!」


 虎はその衝撃に脳震盪を起こしたのか、その場でフラフラとよろけた所をしっかりと首根っこをアリスに捕まれる。


 アリスは虎の目を覗き込んで低い声で言った。


「誰襲おうとしてんの? ちょっと考えりゃどっちについた方が得か分かんでしょ? それともすっかり飼いならされて、そんな事も忘れた?」

「……ギャウ……」


 アリスの声に虎は途端に大人しくなった。それを見てアリスが手を離すと、チラリと虎はアリスを見上げてくる。そんな虎にアリスは笑顔で言った。


「よし、良い子。ほら、襲え! 殺しちゃダメだよ。牢屋に生きたまま全員ぶち込むから!」


 その声を聞いた途端、覆面の側に居た虎たちも突然ロープを握っていた男達に飛び掛かりだした。まさか虎が味方を襲いだすとは思わなかった男達は、悲鳴を上げて逃げ惑う。そんな様子を見ていたキリがポツリと言った。


「お嬢様、虎に魔法、使いました?」

「テヘ! もう一個かけるけど皆には内緒にしといてね」

「あなたの魔法は人にかけてはいけないとあれほど――」

「ルーデリアとフォルスとグランの人にはかけないよぅ! でも外の人は禁止されてないも~ん!」

「……そういう問題では……」


 呆れた顔のキリを無視してアリスはこっそりと魔法を使った。覆面達の恐怖や猜疑心を倍にしてやる。


「ふははは! 仲間を疑って疑って疑って病めばいいわ! 愚か者どもめ!」


 仁王立ちして完全に悪役みたいなセリフを言って高笑いするアリスを見て、ユーゴがキリの袖を引っ張った。


「キ、キリ君、流石の俺もちょっと怖いんだけどぉ」

「お嬢様の魔法は怖いですよ。一歩間違えれば、本気で処刑案件です」 

「いや、そっちじゃなくてさぁ……」


 目の前では虎に襲われ逃げ惑う覆面達が居る。アリスの魔法の特性上、恐怖が強ければ強いほどそれは反動で大きくなる。それを分かった上で笑いながら虎をけしかけて恐怖を倍増させるアリスが怖いのだ。


「流石はノア様とずっと一緒に居ただけありますね。やる事がお嬢様もえげつないです」


 感心したように頷いたキリを見て、ユーゴはそっとキリからも距離を取った。


「君も怖いよぉ……」


 しかし、目の前の惨状を見てユーゴは思った。作戦を変更した時、キャロラインがアリスをこちらにつけてくれて本当に良かった、と。もしもここにアリスが居なければ、きっとこうなっていたのは自分達だ。


「お待たせっす。ドロシーは逃がしたっすよ。で、これ今どういう状況なんすか?」


 街道から戻ってきたオリバーが引きつりながら言うと、ユーゴが簡単に説明してくれた。


「あー……なるほど? つまり、アリスは魔法と虎を使ってこいつらの恐怖心を煽っている最中って事っすね?」

「そうだよぉ」

「……リー君ぐらいの処理能力が欲しいっすね」

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