第三百四十六話 古い掟

「何が淑女だ。淑女ってあんなのか?」


 地響きを聞きながらポツリと言うカライスに、レスターは小さく首を振った。


 淑女代表と言えばレスターの中ではキャロラインとライラである。あの二人は走る時でさえ足音一つ立てずに走る、生粋の淑女だ。


「でも、あれがルウの良い所な気がする」


 そして少しアリスと通じる気がするので、何だかルウを見ていると落ち着くレスターだ。


「お前は心が広いな。俺はもっと大人しい子がいい」

「元気な子も楽しいよ」


 そんな事を笑いながら話しているレスターとカライスの会話をミカは背中で聞いていた。ミカはこう見えて人間語が分かる貴重なエントマハンターだ。


 ミカは皆を引きつれて崖を超え、谷に降りた。


 そこには心配そうに崖の内側から外の様子を伺っていた仲間たちが、こちらを見て怯えたような顔をしている。どうやらミカたちが外の妖精に捕まったと思ったようだ。


『皆、客じゃ。安心せい』


 ミカが言うと、今度は驚いた顔をしてそそくさと家の中に戻って行ってしまった。


「やっぱり怖がられてるのかな?」

「ていうより、俺と一緒。エントマハンターは嫌われてるって思ってるから」

「なるほど。僕さ、エントマハンターの肌は緑だって言うから、もっとベタって緑だと思ってたんだけど、カライス見てても思ったんだけどさ、違うんだね。僕の目の緑と似てるんだなって。これじゃあアリスは満足しないかも」


 アリスはエントマハンターの特徴を聞いてすぐさま擬態出来る! と喜んでいたが、思ったよりもエントマハンターの肌はツヤがあり、レスターの目と同じように光の加減で玉虫色に輝くのだ。


「なんで」

「綺麗すぎてこれじゃあ擬態出来ない! って言いだしそう。もっと全身に泥塗って! ツヤ消して! 光らないで! って言われると思うな」

「俺ら別に擬態する為にこの色なんじゃないんだけど」


 そう言って笑うカライスに、レスターも笑った。ずっと嫌だった肌の色。自分では汚いと思っていたが、もっと汚せとはどういう事だ。世の中には変な奴もいるもんだ。


『ほら、入れ』


 ミカはレスター達の話を聞きながら出来るだけ不愛想に家のドア代わりのムシロを捲った。それに続いてゾロゾロと入って行くレスターと妖精達。


『入れないよ~』

『詰めてよ~』


 花の妖精や岩の妖精が言うと、ミカはやれやれと大きく首を振る。昔から何も変わらない妖精達。自己中でワガママで、素直で大らかだ。


『狭いんじゃから皆は無理じゃ。とりあえずカライスと友人だけじゃ。他は出ろ』


 そんなミカの言葉に口々に文句が聞こえてくるが、妖精たちは大人しくそれに従った。


 家の外では入りきらなかった妖精達を見兼ねたのか、若いハンター達が恐々妖精達を家に誘っている。


 ようやく静かになった所で、家の中にはミカとカライスとハーデ、レスターとヴァイスだけになった。目の前にはハーデが用意してくれたお茶がある。


『さて、話を聞こうかの。ワシはミカ。エントマハンターの、長老と呼ばれておる』

『俺はハーデ。カライスの父だ。どうやらカライスが世話になったようだ』

『僕はレスター。ルーデリアから来ました』


 レスターの言葉にハーデとミカは目を丸くした。


『幻の島からか。では、他の妖精の話は本当だったのか』


 ルーデリアは突然現れた妖精達の最後の楽園のような場所だと聞いている。


 レヴィウスやメイリングと違い、奴隷制度や妖精を狩る習慣も無いという。では、カライスが話していた事は本当だったと言う事か。


 ハーデはチラリとカライスを見ると、カライスはこちらを見て不敵な笑みを浮かべていた。


『で、そんな幻の島の人間がどうしてここに?』

『幻かどうかは分かりませんが、実は――』


 レスターは今、ルーデリアで起ころうとしている事を全て話した。自分の出自も、どうしてここにやってくる事になったのかも。そして、どうしても自分達はエントマハンターの力を借りたいという事も全て。


『我らの魔法は禁忌じゃ。それでも使えと言うのか』

『禁忌なんかじゃありません。少なくとも僕はそうは思わない。そして、その力を必要としている人達が居る事も確かなんです』

『……そんな事を突然言われて、今まであったものを簡単には壊せん。エントマハンターはこれからも妖精界で隠れて生きる。それだけじゃ』


 ミカは渋い顔をしてお茶を飲んだ。今まで何人の先祖たちが他の妖精に醜いと罵られてきたか。それを代々聞かされてきたミカたちは、すっかり妖精恐怖症だ。だから未だに信じられないのだ。ルウが迎えに来てやったと言った事も、外で騒がしい妖精達の存在も。


『爺ちゃん、直接他の妖精に何か言われた事あんのかよ?』

『カライス! 血縁はあっても長老だぞ!』

『俺は長老と話してるんじゃない。爺ちゃんと話してるんだ。なぁ爺ちゃん、俺もちっちゃい頃からずっとその話は聞かされてきた。でもさ、じゃあ実際に誰かに何か言われた奴って、今、生きてる?』

『……』

『生きてないよな。だって、エントマハンターが迫害されてたのなんて、もう何百年も前の話なんだから。もし今も迫害されてんなら、俺達が移動する度について来てるあの妖精達は何なんだって話だし、あの人達のおかげで俺達はどこへ行ってもすんなり商売する事が出来てたんだって気づいたらさ、今も迫害されてるなんて言えないんじゃないか?』

『カライス!』 


 ハーデは怒鳴って立ち上がろうとした所を、ミカに止められた。


『今更じゃ。そんな事、とうに気付いておったわ。しかし……今更じゃろう?』


 今更どんな面を下げてまた昔のように他の妖精達と暮らせと言うのだ。本当はずっと感じていた違和感は恐らく、ハーデも感じていたはずだ。


 けれど、それが掟だったから、守らなければならなかったから、今に至る。


 ずっと話を聞いていたレスターが口を開いた。


『僕は遅いなんて事、無いと思います。僕達人間に比べたらあなた達の寿命はとても長い。その分辛い事も苦しい事も沢山あるのかもしれないけれど、間違いを正す時間も長いはずです。どうせ同じように後悔するのなら、スッキリして後悔する方が、きっといい。もちろん今のままの状態があなた達にとって最善だと言うのなら、僕に口だしする権利なんてないし、それでいいのかもしれないけれど、もっとお互いにとっていい関係が築けるのなら、その方がいいに決まってます。ここに来る前に湖の妖精ジールさんに言われました。エントマハンターとの仲を取り持ってほしい、と。彼女はずっと後悔していたそうです。彼らに酷い事をした、と言ってました。でも、もう自分達ではどうしようも出来ないとも。それって、今のミカさんのようだと思いませんか?』


 間違えている事が分かっているのに動けない。それはジールもミカも同じだ。もしもここにキリが居たら、きっとミカにもジールにもお説教が始まっていたのではないだろうか。


『俺は、レスターと一緒に行く。どうせ一度追い出された身だし、こんな力でも必要としてくれる所があるんなら、俺は隠れて暮らすよりそっちを選ぶ。また勘当されてもいい。俺は、俺が正しいと思う道を行く』


 断言したカライスに、ハーデはギョっとした顔をしたが、ミカは小さく、そうか、と呟いただけだった。そこに、突然外から叫び声が聞こえてきた。続いて地響き。


 それだけで誰がやって来たのか分かってしまったレスターとカライスは顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。


『ミカー! 来たぞー! 茶を出せー!』


 そんな叫び声にかき消されそうになっているが、悲痛なレスターを呼ぶロトの声も聞こえてきた。

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