第三百四十話 レスター王子は努力家

 氷の橋を渡って林の入り口まで来たレスターは、ヴァイスから飛び降りて倒れた人の元に向かう。倒れていたのは、レスターとそう歳の変わらない少年だ。


「君、大丈夫⁉ うわ! 酷い怪我してる! ヴァイス、この子乗せてあげて!」

「ウォウ!」


 ヴァイスはレスターの言う通り体勢を下げて背中に怪我で汚れた少年を背中に乗せ、また元来た道を戻った。大きな女の人はそんなレスターとヴァイスの為にずっと氷の橋を維持してくれていたのだ。


 レスターはそんな川の妖精に笑顔でお礼を言った。


「ありがとう、お姉さん!」

「……お姉さん……」


 百年程生きて来た川の妖精はその響きにゴクリと息を飲んだ。お姉さんなどと未だかつて言われた事がない。不思議で奇妙な感覚に、川の妖精は何も言わずそのまま姿を消した。


「……怒っちゃったかな? 僕、失礼だったかも……」

「クゥン」


 何も言わずに沈んでしまった女の人を見て、レスターがしょんぼりしてヴァイスとテントまで戻ると、そこには寝ぼけ眼でテントの前で仁王立ちしているロトが居た。腰に下げたレイピアを握りしめ、焦った様子でキョロキョロしている。


「ロト!」

「お、お前ら! こんな夜中にどこ行ったかと思っただろ! 妖精界は危険なんだからな! どっか行く時はちゃんと俺も連れて行け!」


 つまり、怖いから置いて行くな。そんな本音をロトは飲み込み怒鳴った。そんなロトにレスターは苦笑いを浮かべて素直にごめん、と謝って来る。


「ごめんねロト、気持ちよさそうに寝てたから起こしちゃ悪いかなって思って。でも、ちゃんとテントを守ってくれてたんだね! ありがとう」

「お? お、おう。中にはまだチビ達が寝てるからな! そうだ! 俺はテントを守ってたんだぞ!」


 本当は違うのだが、それは言わない。ロトは視線を泳がせてレイピアを鞘に戻した。そんなロトをレスターとヴァイスが手放しに褒めてくれるので、調子の良いロトも少し居心地が悪くなってくる。


「ま、まぁあれだ。今度からは寝ててもちゃんと声、かけろよな。心配するから」

「うん! そうするよ。やっぱりロトは勇敢だ! かっこいいな」


 えへへ、と笑うレスターにロトは胸の奥がウズウズするのを感じていた。こんなにも良い奴は妖精にも居ない。


「それで、どこ行ってた……ん? う、うわぁぁ! お、お前、そ、それ! ハ、ハンターじゃねぇか! どこで拾ってきたんだよ⁉」


 ロトは鼻の下をゴシゴシ擦りながらふとヴァイスの背中を見て驚いた。そこには血まみれになったエントマハンターがぐったりとした様子で担がれていたのだ。


 ロトの言葉にレスターは目を丸くして少年を見た。


「え⁉ この子、エントマハンターなの⁉」

「そうだよ! 緑だろうが!」

「いや、僕夜目は人よりも利くけど、夜は色まではよく分からないんだよ。大変! 凄い怪我してるんだ! ロト、僕のリュック持ってきてくれる?」

「おう! 待ってろよ! おらチビども、手伝え!」


 そう言ってガサガサとテントに戻っていたロトを横目にレスターはアリスに習った応急処置を始めた。


 ポシェットに入れていた折りたたんだ清潔なシートを地面の上に敷き、そこに少年を寝かせると、『火起こせ~る君一号』で火を付ける。これはノアの魔力と連動しているのであまり変な時間に使いたくはないが、今は緊急事態だ。



 その頃ノアは、夜中の試験勉強をしていたのだが、ふと顔を上げた。


 こんな時間にレスターに渡した『火起こせ~る君一号』が使われたようだ。


 何かあったのか、それとも夜中に喉が乾いたのか。もしも何かあったのならすぐに連絡があるだろうから、きっと喉が乾いたんだな。


 何にしても今日も元気なようで安心安心。


 まるで離れた所で暮らす家族の安否を知らせるポットのような役目をしている事などレスターは知らぬまま、ノアはまた試験勉強に励むのだった。

 


 硬く閉じられた目は、ピクリとも動かない。よっこらせ、と少年をひっくり返すと、少年の背中にはまだ新しい沢山の鞭の痕がついていた。何故こんな事に――。


 レスターは急いで傷口を濡らしたハンカチで綺麗に拭き、そこにアランに貰った傷薬を塗り込んだ。この薬にもアリスの痛くなくなる魔法が溶け込んでいるとかで、レスターも足の傷にこれを散々塗られたので、効果はとてもよく知っている。


 痛みに強張っていた少年の表情が少しだけ緩み、それを見てレスターはホッとした。薄っすらと白んできた空にようやく少年が緑色の肌をしている事に気付いたレスターは、今更ゴクリと息を飲む。


「ヴァイス、この子、本当にエントマハンターなのかな……」

「ウォゥン……」


 首を傾げたヴァイスにレスターもまた首を傾げた。南に向かったというエントマハンターを追ってここまでやってきたが、まさかその道中でエントマハンターの少年を拾うとは思ってもみなかったレスターだ。


『&&……&?(んん……ん?)』


 空がすっかり明るくなった頃、少年は何やらいい匂いにつられて目を覚ました。ふと目を開けると、何やら見た事もない奇妙なドーム型の何かの前で人間っぽい何かと狼っぽい何かと水の妖精たちがうじゃうじゃ集まって何かしている。


 しばらくその光景を凝視していると、人間っぽい何かが視線を感じたのか、ふとこちらを向いて顔を綻ばせた。それを見て慌てて脇に置いてあった矢を番える。


「あ、起きたんだね。気分はどう?」

『……&%#&%! (……ここはどこだ!)』

「あー……そっか、僕じゃ言葉分かんないな……ロト、彼、何て言ってるの? ロト?」


 レスターがロトを見ると、ロトは大きなスプーンを握りしめてワナワナと震えている。そしてしばらく震えていたかと思うと、突然片羽根をビリビリと震わせた。


『’&%(’%&%#! %&’%(’%#! (お前、命の恩人に何やってんだ! レスターにそんなもん向けんな!)』

「ロト? ねぇ、何か物凄く喧嘩腰じゃない? 大丈夫なの?」


 ロトの激しい口調に心配になったレスターが言うと、湖の妖精たちがパンを頬張りながら口々に言った。


「ロトおこってるー」

「けんかだよ~」

「けんかだめなんだよ~」

「え? やっぱり喧嘩してるの⁉ ダメダメ、ロト! 待って待って。君もそれは置いて!」


 妖精達の声にギョッとしたレスターは慌ててロトと少年の間に割って入った。ロトは体は小さいが、気性は結構荒い。


 そんなレスターの態度を見て、ロトが羽根を治めた。それを見て少年も渋々矢を下げる。


「良かった。喧嘩はダメだよ。それから、僕はレスター。よろしくね、えっと……」

『……%(’(’&(#$”(……お前が何言ってるんのか全然分かんね)』

『&’&’$%$’(名前聞かれてんだよ。コイツはレスター。人間だ。仕方ないから俺様が通訳してやるよ)』

『$’&%(’%(%#(別に頼んでないだろ、そんな事。それより、何で助けたんだよ)』

「……腹立つな、コイツ……」


 ボソリと言ったロトにレスターは苦笑いを浮かべている。


 何を話しているのかさっぱり分からないが、レスターは妖精の言葉を勉強しようと心に決めた。妖精界に来たのだから妖精の言葉を話すべきだ。でないと、失礼ではないか。それに、よくよく考えれば通訳を全てロトに任せてしまうのも無責任だ。頼み事をするのに、こちらも誠意を見せなければ。


 そんな訳で、レスターはこの日から水の妖精に断わりを入れてこの場に少しの間留まり、ロトを師匠にして妖精の言葉を勉強する事にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る