第二百八十九話 レヴィウスの第四王子

 東の大国レヴィウスはエミリーの生まれ故郷だ。とてもとても大きな国で、城下町はいつも賑わっていた。エミリーはレヴィウスの城で三人の王子達のメイドをしていた。一番下っ端だったが、可愛い王子達の世話はとても楽しかった。その時、エミリーは十八歳だった。


 朝から晩まで王子達の食事から身の周りの世話を仲間たちとこなしていたが、ある日、大きな失敗をしてしまう。それが原因で、エミリーは三人の王子の世話係を外され、四人目の王子の世話を任される事になったのだ。


 その四人目が、ノアだ。


 四人目の王子は、とにかく変わっていた。物心ついた頃からおかしな事を言い始め、周囲を混乱ばかりさせていた。手を焼いた王と王妃は祈祷師を頼んだが、祈祷師はそんなノアを見て言ったのだ。この子は悪魔憑きだと。


 レヴィウスは教会の力が大きく、祈祷師の言う事は絶対だ。その祈祷師から悪魔が憑いて居ると言われたノアは、わずか十歳で幽閉される事になった。


 それから六年間、ノアは城の地下に閉じ込められる生活を送っていたのだが、不思議な事にノアはそれを嫌がる素振りもなく、ただひたすら毎日何かを書いていた。時にはそれは文字のようなものだったり、誰かの絵だったりしたが、そんなノアをエミリーも他の皆も気味悪がっていた。あの時までは――。


 そこまで話し終えた時、木の影からパキリ、と小枝を踏む音がした。


 ハッとしてキリが振り返ると、そこにはノアが立っている。


「……ノア様……」

「ごめん、聞いちゃった。なるほどね、僕はレヴィウスの第四王子か」

「ノア様! すぐに、すぐに戻ってくださいませ! レヴィウスは……レヴィウスは大変な事になっているんです! もう頼りになるのはあなたしか居ません!」

「エミリーさん! それ以上言ったら、俺はなにするか分かりません。止めてください!」

「いいえ! いいえ、止めません! ノア様は男爵家なんかにいるべき方ではないんです!もっと大きな大国を治められる程のお力があるんです! 戻りましょう! 妖精たちに頼めば、きっと戻してくれます!」


 そう言ってエミリーがノアの腕を取ろうとすると、ノアはそれをひょいと避けた。


「ノア様?」


 触る事を避けられたエミリーはキョトンとしてノアを見上げたが、ノアの視線は既にキリに向いている。


「えっと、まずはキリ。君が僕に聞かせたくなかったのは、この事?」

「……はい」


 キリはそう言って視線を下げた。聞かれてしまった。ノアは行ってしまうかもしれない。もしもノアが居なくなったら、もちろんキリはついて行く。


 けれど、キャラクターに設定されているキリは、この世界を出ればどうなるか分からない。それに何よりも、ノアがこの先本当にレヴィウスの王になどなってしまえば、きっとアリスとは離れ離れにならざるを得ない。それは――絶対に嫌だ。ノアの夢。ノアの願いは、いつだってアリスなのだから。


 俯いたキリの頭を、ノアが優しく撫でた。


「馬鹿だな。僕はずっと君達と一緒に居るって、何度も言ってるでしょ?」

「……はい」

「エミリーさん、そういう訳だから僕は多分、たとえ思い出してもそちらには戻らないよ。そこじゃないんだ。僕の記憶の鍵は、レヴィウスの王子って事じゃない……そこじゃないんだ」


 ノアは口元に手を当てて考え込んだ。そんなノアにキリは目を輝かせ、エミリーは愕然としている。


「ど、どうしてですか⁉ 王様と王妃様が亡くなって王子達は次の政権争いを始めてしまった! そんな王子達に呆れて民衆は暴動を起こして……レヴィウスは……」


 涙を零しながら、エミリーはまた話し出した。聞いてもいないのに!


 キリがそんな事を考えたのは言うまでもないが、ノアは隣で真剣に話を聞いているので、それは言えない。


 平和で幸せだったレヴィウスだったが、ある日、王と王妃が突然、船の事故で亡くなった。原因は航路にない場所へ向かうどこの国の物かも分からない貨物船と衝突した事だった。


 それからはもう、レヴィウスは坂を転がるようにおかしくなっていったのだ。


 三人の王子達はあまりの事に言葉を失い、それぞれの後ろ盾についていた派閥によってお互いを憎み合い、あらゆる手を使って命を狙いあった。群衆は混乱し、あちこちで内戦が起こり、もうどうしようもなくなっていた。いよいよ城の中にも群衆が押し寄せてきた時、エミリーも仲間たちと共に城から逃げ出したのだ。


 逃げ惑って森に入り込んだ時、目の前に何故かノアが居た。どうやらノアは自力で地下牢から抜け出してきたらしい。


『伏せて!』


 ノアに言われてエミリーが頭を下げると、すぐ後ろからうめき声が聞こえてきた。


 振り返ると、そこにはナイフを持った男がうつ伏せになって倒れている。


『ノア様……あ、ありがとうございます』

『うん。行くよ』

『は、はい!』


 エミリーは差し出された手を取って、ノアと共に森の奥に逃げ込んだ。鬱蒼とした森の中は、まだ昼間だというのに薄暗く、鳥の囀りさえ気味の悪いものに聞こえてくる。


 やがて、ノアがエミリーの手を離した。エミリーはそれが何だか名残惜しくてもう一度ノアに手を伸ばしたが、ノアがその手を掴む事は、もう二度となかった。


『今までありがとう。そこに光る輪があるのが見える?』


 そう言ってノアが指さした先には、確かに不自然に光る輪が見えた。コクリとエミリーが頷くと、ノアはにっこり笑ってエミリーの肩を押したのだ。


『ノ、ノア様⁉ 一体何を……!』


 よろけて光の輪に足を踏み入れた途端、エミリーの体が光った。それと同時に目の前のノアの姿がぼやけていく。エミリーはすぐに手を伸ばしノアの手を掴もうとしたが、ノアはやっぱり笑って言った。


『君とは一緒に行けない。僕は行かなきゃいけない所があるんだ。さようなら』


 そう言って、ノアの姿が消えた。そして、自分の姿も足先から消えて行く。


「それで気付いたら、この世界に居たんです……ノア様! 私達のいるべき場所はここではありません! 戻りましょう! 私がちゃんと支えてみせますから!」


 これだけ言えば、きっとノアは決心してくれるはずだ。そう思ったのに、ノアはただ首を傾げただけだった。


「聞いていい? 僕はその時いくつだったの?」

「え? た、確か……十六歳だったかと……」

「ふぅん。十六か……キリ、僕と君が出会ったのは?」

「ノア様は四歳でした。突然俺の目の前に現れて、顔を見るなりキリ! と……」

「……それは、僕はキリを知ってたって事?」

「はい、多分。何故かは分かりませんが、はぁ……もうこの際です。ノア様、これをお返しします」


 そう言って、キリは内ポケットから小さな封筒を取り出した。その中には一枚の絵が入っている。ノアが、キリに記憶を失くす前に渡したものだ。


「これは?」

「ノア様は、こちらの世界にやってきてすぐに記憶を失くした訳ではありません。徐々に忘れていったんです。その時にこれを俺に渡して、必ず持っていて、と念を押されました。ノア様はそれから俺の手を引いて、とにかくバセット家を探そうと言っていました。キリはそこの子になる予定だから、と。最初はこの人頭おかしいのかなと思ってたんですが、アーサー様に二人して保護されて屋敷について……お嬢様にお会いしたんです。しばらくしたら奥様が出て行かれました」

「なるほど。じゃあ僕達がバセット家に辿り着いた時に、妖精王の魔法が発動したのかな」

「おそらく。ノア様はお嬢様に初めて会った時、声を上げて泣いてましたよ。アリス、アリスだ……と。多分、ノア様は全て知っていたんじゃないでしょうか」

「そういう事になるね……う~ん……やっぱり何も思い出せない。とりあえず、これありがと」


 ノアは受け取った封筒を開いて、丁寧に折りたたまれた紙を広げて息を飲んだ。

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