第二百二十一話 衝撃を与えると治るらしいと聞いて
何だか重苦しい空気に堪えかねたのか、ふとミアが思い出したように言った。
「あ、キリさん。そう言えば、お約束のチョコレートケーキなんですが」
「? ああ、そうでしたね。いつ練習しますか?」
「あ、私の方はいつでも大丈夫です。キリさんとアリスさんのご都合に合わせますので」
そう言ってミアがキリにシェーンに行く途中で貰った、コロンボンの手帳を取り出す。この手帳のせいでキリにチョコレートケーキを作るなどという約束をしてしまったのだが、キリがそれを見てポツリと言った。
「……使ってくれてるんですね」
「はい! もちろんです! やっぱりいいですね、コロンボン」
「まだ以前のが使えたのでは?」
「ええ、はい。ですが、せっかくキリさんに頂いたので、早く使いたくて」
「俺に?」
「はい!」
そう言ってはにかんだミアの笑顔を見て、キリの頭の中でカチリと音がした。それを確認しようとアリスを見ると、大丈夫。いつものように猿に見える。
「ノア様、どうやら私のスイッチもオフになったようです。お嬢様がいつも通り、手癖の悪い猿に見えます」
「え! いつの間に? ていうか、キリにはアリスがどう見えてたの?」
「ミアさんの笑顔を見たら音がしました。これで私は通常通りです。いつもはお嬢様は猿に見えるんですが、先ほどまでは普通に、人間に見えていました」
自信満々に言ったキリの正面でミアが顔を真っ赤にして俯いている傍ら、アリスが憤慨した様子で立ち上がった。
「兄さま、やっぱりコイツ殴ってもいい⁉」
「まぁまぁ、落ち着いて。なるほど、確かに衝撃を与えると戻るみたいだね。じゃあちょうどいいかな。ねぇアリス、ちょっと大事な話があるんだけど、聞いてくれる?」
ノアはいつものニコニコ笑いを止めてアリスに向き直った。あまりにも真剣なノアの顔に、アリスがゴクリと息を飲んでストンとその場に腰を下ろして頷く。
「僕ね、実はずっと黙ってたけど、好きな子が居るんだよね」
「……え?」
衝撃的な一言にアリスを始め全員が黙り込んだ。え? 皆口には出さないが、顔にはっきりとそう書いてある。
「アリスが泣き止まないと困ると思って電話ではああ言ったけど、本当は僕はその子と結婚したいんだ」
ノアの言葉に部屋の温度が一気に下がる。というよりも、アリスから冷気が漂っている。
ふと見ると、アリスは俯いて拳を震わせ、今にも湯気が出そうな程顔は真っ赤だ。その顔を見てカインがそっとアリスから距離を取った。
「俺、この顔知ってんな~」
「俺もだ」
「僕も知ってる」
「私も知ってるわ。馬乗りアリスの一歩手前ね」
宝珠を見た者達とループを繰り返している者はこのアリスを知っている。あの史上最悪アリスの前兆だという事を。
アリスはブルブル震えていた。動揺しすぎて縦揺れを起こすアリスをライラが一生懸命なだめようとしている。
「だ……誰? 私の……知ってる子?」
ガタガタするアリスに向かって、ノアは顔色も変えずに頷いた。
「うん。凄く良く知ってる子。僕は多分、相手はその子じゃないと色々無理だと思うんだ」
そう言って嬉しそうに笑ったノアを見てアリス以外は察した。
しかし色々無理って何だ。一体何する気なんだと心の中で一同は突っ込んでいる訳だが、アリスだけはそれに気づかない。そんなアリスにイライラしたのか、リアンが言った。
「いや、気付きなよ! こんなあからさまで何であんたは気付かないの⁉」
横から口を挟んだリアンが悪かったのかもしれないが、その言葉を聞いてアリスがグルリとこちらを振り返った。その目は血走っていて怖すぎる。
「リー君も知ってるの⁉ 誰⁉ やだよ! 兄さま誰とも結婚しないって言ったもん!」
「うん、言ったけど。でも、その子は別。だって、僕の特別な子だから」
「とく……べつ? 兄さまの……?」
その時だった。突然アリスの両目から大粒の涙が零れた。
ノアがずっとずっと大事にしてくれてたのはアリスだけだったのに! 絶対に絶対に結婚しないって言ってたのに! また嘘ついた!
アリスは涙を零しながらも怒り心頭である。もしもこれが漫画とかなら、多分髪とか逆立ってた。それぐらい怒っていた。
「鬼アリスね」
「だな。俺の時より酷いな」
「こわ。変態、今の内に逃げた方がいいんじゃないの?」
心配するリアンをよそに、ノアは立ち上がって怒りで横揺れしだしたアリスの前に膝まづくと、アリスの手の甲に、まるでお姫様にするみたいなキスをして言った。
「バカだね。僕の特別な子は、君以外いないでしょ?」
と。
「……」
カチリ。アリスの頭の中で音がした。そして次の瞬間、今度は怒りではなく恥ずかしさで顔が真っ赤になる。そんなアリスを見てノアはにっこり笑う。
「音した? アリスの推しは誰?」
「音……した……推し……そんなの……そんなの、兄さまに決まってる!」
アリスはノアに飛びつくと、胸にグリグリとおでこを擦り付けた。そんなアリスをノアはよしよしと撫でながら言う。
「こんな感じで衝撃を与えるといいみたい。はい、ルイス達もやって。あ、オリバーはそのままでいいよ。ドロシーとお幸せにね」
いつもの調子でアリスを片腕に抱えながらそんな事を言うノアに、一瞬皆が呆気に取られる。
「はぁ⁉」
「今までの何⁉ 僕達、何見せつけられてたの⁉」
リアンが言うと、キリが静かに言った。
「ノア様の愛は、前にも言ったように底なし沼のように深くてドロドロです。定期的にこういう事をやらないと、ノア様は死んでしまうのです。多分」
ノアは今回に限らず、それこそバセット領に居た時から定期的にこうやってアリスをからかって遊ぶのだ。いや、遊んでいると思っていたが、もしかしたらアリスの中の順位を、いつもこうやって確かめているのかもしれない。はっきり言って怖い。執着愛、怖すぎる。
「や、やってと言われてもだな、一体何をどうすればいいのか……」
「ていうか俺、それする相手すら居ないんだけど……」
そう言って目を伏せたカインに、皆が同情の目を向ける。
と、そんなカインの元にドンブリがスタスタとやってきた。それを見てカインがぱぁっと顔を輝かせて両腕を広げると、ドンブリはそんなカインを見て、フンと鼻で息を吐いて、そのままオスカーの元に向かう。
「ドンちゃ~ん、ブリッジ、おっきくなったね~。今日もラベンダーの良い匂いがするね~」
「や、ちょ、ドンブリ? ほら、俺にもハグさせて、ね?」
「キュ!」
「うぉう」
短く鳴いてプイとそっぽを向いたドンブリは、オスカーの頬にキスして顔を擦り付けている。それを見たカインはヒクリと頬を引きつらせた。
「ド……ドン……ブリ……?」
カチリ。カインの中で音がした。その音はどうやら自分にしか聞こえないようだ。ハッとして顔を上げたカインがアリスを見ると、朝から見えるあのキラキラがない。
「聞こえた……音」
ポツリと言った途端に、ドンブリがカインの所に寄って来て頬にキスしてくれる。
「! ドンブリ~~~~~~! お前達、俺の為に心を鬼にしてくれたの⁉」
「キュウ!」
「うぉん!」
「何て……何て可愛い奴らなんだろ~~~~~!」
大分大きくなったドンブリをギュっと抱きしめるカイン。それを見てリアンが呆れたように言う。
「はいはい、次期宰相はいっちょ上がりっと」
「カインは単純だねぇ」
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