第百七十六話 ジャスパーという男

「その為に私が来たんです。私達は今、とある事業を始めようとしています。発案者はキャロライン・オーグ。彼女はルーデリア国内の全ての領地に特産物や名物を作り、広がり続ける国内の貧富の差を少しでも埋めようと考えています。様々な商品をその土地で開発し、ここに居るリアン・チャップマンとダニエル・チャップマン率いる、チャップマン商会に販売を依頼しているのです。何よりも基盤となる商品開発は、このノア・バセットが立ち上げた会社、アリス工房で行っています。彼の妹のアリス・バセットは私達にも想像のつかないような食材の食べ方や道具を次々と生み出すので、その知識を少しでも人の役に立てる事が出来たのなら、とキャロラインが出資しました。そして今や、販売こそまだですが、既にいくつかの商品が出来上がりつつあります。一つはこれ、スマホ」


 そう言ってカインはスマホを取り出した。隣でノアも同じようにスマホを取り出し、皆に見えるように高く掲げている。


「これは遠く離れた場所に居る友人や家族、恋人と音声、映像を送れるというものです」


 カインはスマホを操作して隣に居るノアにビデオ通話をかけた。すると、カインの画面に隣に居るノアの顔が映し出される。それを見て皆はギョッとした顔をして息を飲んだ。


 これだけでは信じてもらえないか? そう思っていた矢先、一人の男が言った。


「俺、これ知ってる……ストリング伯爵が言ってたってやつだ……」

「ストリング伯爵?」


 男の隣で別の音が首を傾げた。しばらくじっとカインが持つスマホを眺めていた男は、何かに気付き興奮したように話し出した。


「ああ! ストリング伯爵がやってる製鉄工場に知り合いが居て、そいつが言ってきたんだ。ストリング伯爵がガラス製品を扱える工房を探してるって。何でも、面白い事業をキャロライン様が立ち上げたみたいで、見た事もないとてつもなく便利な商品を扱ってるから一枚噛むつもりらしいんだが、お前も噛まないか? って言われて、うちでは今、ガラスの薄い板を大量に作ってるんだ。あの四角いガラスの所のだよ!」


 その言葉に職人たちはどよめいた。どうやらあれは本当に素晴らしい物らしい、と。


「ああ、もううちの商品に携わってくれてる方が居たんですね! それじゃあ話が早いです。既にこのスマホはクラーク家の領地に専用の工場が建てられています。商品化するまで、もう間もなくでしょう。そして、あなた達全ての工房にもお願いしたいのです。どうか、このジュースの瓶を作ってはいただけませんか?」


 ノアの言葉に職人たちは沸いた。ずっとこの領地にはもういらないと言われてきた職人たちだ。こんな風に誰かから求められるのは、職人たちにとっては最大級の誉め言葉である。


 そんな職人たちの反応を見てジャスパーは涙を浮かべた。


 実際の所、ジャスパーだって職人たちが憎かった訳ではない。ああでもしないと、本当にフルッタに未来はなかったのだ。そういう焦りのせいで言葉足らずに無理やり職人たちを虐げてしまった。


 本当は、ジャスパーもまたこの領地のガラス製品が好きで、愛用している一人なのだから。


「お、おい、何か領主が泣いてんぞ?」

「泣きたいのは俺らだっつうの!」


 あちこちから飛んでくるヤジにジャスパーは肩を震わせて耐えた。それ以上の事をジャスパーはしてきたのだ。


 そんなジャスパーの肩を持ったのはカインだ。


「皆さ、何か誤解してると思うよ。この人、本当はあんた達の事を凄い職人なんだって知ってるよ。ねぇ、ノア?」

「そうだね。まさかあんなにも一つ一つの工房の良い所と欠点を聞かされる羽目になるとは思わなかったね」

「や、止めてください!」


 涙を浮かべていたジャスパーが慌ててカインとノアを止めた。そんな事ここで暴露されては恥ずかしすぎるではないか!


 けれどカインとノアは止めない。


「いや~俺も驚いたんだけど、この人のお屋敷の皿とか調度品とかぜ~んぶガラス製品なんだよ、ここの。そのどれにもちゃんとサインが入っててさ、いつ、どこでどの工房から買ったのか全部ノートに書き貯めてんだ。ちょっと気持ち悪いぐらいにさ。逆に他は質素なもんだよ。あんだけあるフルーツも贅沢なもんも何にもない、殺風景な屋敷なんだ。それでもこの人、滅茶苦茶楽しそうにガラス製品の事語るんだもん。何か切なくなっちゃってさ。知ってた? このフルッタって、税金が今までどんな時でも一回も上がらなかった、かなり珍しい所なんだ。その代わり、国に収める税金はしょっちゅう滞らせる。その度に多分、色んな物処分して凌いできたんだよね? ちょっとでも長くここの工房を守る為にさ」


 そう言ってカインがジャスパーを見ると、ジャスパーは肩をビクリと震わせた。顔を真っ赤にして唇をワナワナと震わせている。


「ま、守りたかったんだ! どんな事しても守るって誓った! でも……でも、限界だった。ここには本当に、ガラス以外にはフルーツしか無くて、生ものだから遠くには卸せない。隣のイフェスティオみたいに目ぼしいものも何も無い。だからもう、売り上げの下がる工房を切るしかなかったんだ……。一時でもいい。違う店をやって売上を上げて、また工房に戻ってくれたら、そう思っていたんだ。だから今までに実際に畳んでくれた工房には全部説明したよ。少量だけどまとまったお金を渡して、領地から出てもいいって話もした。もちろん他言は無用だ。出て行った彼らは皆、必ず戻ってくると言ってくれた。僕に気を遣ったんだろうね。僕はこのフルッタを守りたい。何も無い所だけど、それでもここは僕の故郷なんだ。大好きな人達がいる、大切な大切な場所なんだよ!」


 そこまで言ってとうとうジャスパーは涙を零した。


 シンと辺りは静まり返っている。カインまで少しウルウルしてしまった。


「な、何だよ。そんな理由があったんなら、早く言えよ!」

「そうだよ! どうして今まで黙ってたんだ! 俺達を守る為にあんたが倒れちゃ意味ないじゃないか!」


 口々に叫ぶ職人たちの目にもまた涙が浮かんでいる。


 ずっと自分達はもうこの領地には必要ないのだと言われていたからだが、こんな裏話を聞いてしまってはもう彼を責められない。言われてみれば、確かにフルッタは貧富の差がよその領地に比べると少ない。貧乏であったとしても、飢えるまではしない。


 けれど、どうやら肝心の領主がただ一人だけ飢えていたようだ。


「ご、ごめん……皆、本当にごめん……」


 ボロボロと涙を流しながらジャスパーは頭を下げた。そんなジャスパーに職人たちが口々に労いの言葉をかける。

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