第百七十七話 イフェスティオの領主

「で、どうかな? ジャスパーさんからは、もう君達の力を借りる事に賛成してもらってるんだけど?」


 そう言ってカインは皆の前に契約書を差し出した。それはグランに渡した契約書と全く同じものだ。少し高めに設定された、価格固定契約である。そこにはしっかりとジャスパーのサインが既に入っていた。


「断る理由がないじゃないか。俺達にとっても、このフルッタは大事な故郷なんだから」

「そうだよ。これ以上領主を飢えさせる訳にはいかないし」

「言えてる。ジャスパーさんよう、いよいよ食うもん無くなったらうち来ていいんだからな?」

「うちも歓迎するよ。だからそんな、何でも一人で抱え込むなって」


 次々にそんな事を言う領民達に、ジャスパーはキッと顔を上げた。


「しょ、食事はちゃんとしてるさ!」

「じゃあ今朝何食べた?」

「え? 塩のスープとパンを一つ……」


 少し考えて言ったジャスパーに職人たち目を吊り上げた。どうやら本当にこの男は自分の家の家計を削り倒していたらしい。


「うちのがしっかり食べてるじゃねぇか! いいからつべこべ言わずに食べに来い! 跡継ぎのまだ居ないあんたに倒れられちゃ、結局俺達が困るんだから!」

「わ、分かった」


 自分の父親ほどの職人に怒鳴られたジャスパーはシュンと項垂れた。そんな領主を見て職人たちは誰からともなく笑い出す。最後には、ジャスパーも一緒になって恥ずかしそうに笑っていた。


 その後、やっぱり遠慮していつまでも職人の家に食べに来ないジャスパーの屋敷に職人たちが毎日食事を持ち寄って皆で食べるようになったのは、アリス達が帰路についてすぐの話である。


 最初にジャスパーの屋敷に訪れた職人は、屋敷の中に足を踏み入れるなり、カインとノアと同じようにドン引きしたという。


 何も無い割に至る所に置かれた自分達の作ったガラス製品を見て、漏れなくどの職人達も呟いた。


「こんなもん買うなら、飯食えよ……」


 と。


 炭酸ジュースの目処がついたら次は消しゴムである。ついでだとばかりにこの話を職人たちにすると、イフェスティオと手を組むのは嫌だとゴネたジャスパーを叱りつけて、半ば無理やり契約書にサインさせた。


「うぅ、レイに頭を下げるのか……」

「別に頭は下げなくていいですよ? 下げるのは僕達の仕事ですから」


 落ち込むジャスパーを見てノアが言うと、それを聞いたジャスパーは嬉しそうに顔を上げた。現金なものだ。


「そ、そうですか!」

「ええ。まぁでも、これを機会に仲直りをしてみてはどうですか?」

「む、無理です! 大体あいつはいつもこのフルッタを馬鹿にするんです!」


 何が気に入らないのか、レイはいつもジャスパーに突っかかってくる。両親を早くに亡くしたジャスパーは通っていたフォスタースクールを退学して領主になったが、レイはどうやらその事が気に食わなかったようだ。


 子供の様にフイとそっぽを向いたジャスパーは、領主というよりもただの子供に見える。


 そんなジャスパーにカインが笑いながら言った。


「向こうにも何か理由あんのかもよ? とりあえず、俺達はここでゴムを乾かしてる間にイフェスティオに行ってくるよ。リアン・チャップマンを置いて行くから、ジュースの件はリアンと職人たちで話を詰めてくれる?」

「は、はい!」

「リー君も、頼める?」

「もちろん。それじゃあジャスパーさん、場所を変えてお話しましょう。ライラ、行くよ。まずジュース作りに必要な設備なんですが――」


 カインの言葉を受けてリアンはライラとてきぱきジャスパーと職人たちを連れて屋敷に向かっていく。


「さて、俺達は明日からイフェスティオかな?」

「そうだね。キリがもうイフェスティオのレイさんに先触れを出してくれたみたいだから、歓迎はしてもらえると思うよ」


 そして翌日、フルッタを出発して二時間程でイフェスティオの中心街に辿り着いた一同は、フルッタよりも暑い気候にうんざりしていた。


 もしもここにリアンが居たら、暑いから帰りたい、とすぐに音を上げただろう(フルッタに着いた途端に言っていたのだ!)


 そんな中、やはり元気なのはアリスとドンである。ブリッジはずっとはぁはぁしてるので暑いのだろう。


「あっついね~! 蒸し蒸しするね~」

「キュキュ~!」


 元気なアリス達を横目にノアもキリも涼しい顔をしているが、肌に張り付くような不快指数は耐えられないようで、たまに胸元を開けてパタパタと服の中に空気を送り込んでいる。


「あいつら元気だな~」

「お嬢様が元気がない時など私の記憶の限り、見た事がありません」

「言えてる。僕もないよ」

「それもある意味凄いですね!」


 驚いたように目を丸くしたオスカーにカインも頷く。どんな人間でも多少は凹んで元気がなくなる時ぐらいありそうなものだが。


「お嬢様の頭はお花畑故、難しく考える事には向いていないのです」


 キリの言葉に、それまではしゃいでいたアリスがグルリと振り返る。


「聞こえてるんだからね!」

「別に聞かれても構いません。何せ本当の事なので」

「きぃーーー!」

「ほら見てください、カイン様。語彙力が無に等しいので、怒る時もあの様です。あれがお嬢様の精一杯です」

「ぐぬぅぅぅ」


 最早何の言葉も出て来ないアリスは、確かに語彙力が死んでいる。アリスは急いでライラに貰った『お猿さんにも明日から使えるスラング集』を手に取って捲った。


「あ、あんたなんてね! ピーでピーでピーなんだからね! 覚えてなさいよ!」


 よく意味は分からないが、腹が立った時に使いましょうと書いてあるので、きっとこれでいいのだろう。ところで、何故ライラがスラング集などを作れるのかはアリスにも謎である。


「ア、アリスちゃん⁉ そ、そんな事大声で言わないの!」

「アリス、その本貸しなさい?」


 慌てるカインとにっこり笑顔のノアによって、ライラの『お猿さんにも明日から使えるスラング集』はすぐに没収されてしまった。それを見てキリは、マジでバカ、の目をアリスに向けてくる。


 そんな事をしているうちに、一行はレイの屋敷に到着した。


 レイの屋敷はジャスパーの所とはもう、門構えからして違う。火山が近くに沢山あるので、色んな鉱石がゴロゴロ取れるのだろう。


 アリス一行が馬車から降りて待っていると、中からきちっと礼装を着た男性が姿を現した。長い黒髪を後ろで一つに束ね、前髪は右に流している。上背はさほど無いが、アリスよりは十分高く、理知的な鳶色の目が端正な顔をより引き立てていた。


「ようこそいらっしゃいました。私がレイです」

「……あれ? もしかして女性?」


 声を聞くなり、カインが首を傾げた。服装はどこからどう見ても男性の恰好をしているが、声の高さが中高音である。よく見れば男性特有の喉ぼとけもない事に気付いたカインが問うと、レイは目を細めて笑った。


「はい。こんな格好をしているので男性だと思われがちですが、性別は女です。仕事をするのにドレスは動きにくいから嫌いなんです」

「あ、なるほど。確かにドレスは仕事には向いてないね」


 はっきりとした口調のレイに好感を持ったのか、カインは納得したように頷いた。


「どうぞ、何もない所ですが」


 そう言って案内されたのは、これまたジャスパーの家とは大違いの華美な応接室だった。色んな鉱石から出来た調度品がズラリと並んでいる棚は、見ているだけでも楽しい。


「ほう、これ何で出来てるんだろ……あ! いいなぁ、この茶碗……こんな色どうやったら出るの? ふむぅ……」


 感心したように室内をウロウロと動き回るアリスの襟首を、キリが掴んだ。


「お嬢様、はしたない上に、芸術方面からっきしのお嬢様には無用の長物ですよ。見るだけ時間の無駄です」

「な、何よぅ! 綺麗な物はわかるもん!」


 酷い言われ様である。自分で作れはしないが、綺麗な物は芸術性が皆無なアリスとて分かる!


 逆に自分で作れないからこそ、分かると言ってもいい。


「そうですか? ちなみにそれ、茶碗じゃなくてフィンガーボウルですよ、お嬢様」

「え⁉」


 キリの指さした先にはピカピカの茶碗、ではなくて下にきちんとフィンガーボウルと書かれている。


「茶碗とフィンガーボウルの区別もつかないような者に芸術云々を語る資格などありません。猿は猿らしく、焼き物には手を出さず大人しく山で木を削っていてください」

「ふんぬ~~~~」


 言い返せなくて悔しさのあまり地団駄を踏んだアリスに、ノアが楽しそうに笑った。


「ほら、お茶の準備をしてくれたからそろそろ行くよ、二人とも」


 ノアの言葉に睨みあっていた二人はようやく席につく。

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