第百七十四話 プラスチックがないもので……

 しおしおと作業に戻ったアリスは、洗濯ロープに乾いている物からかけていく。


「今はまだ白いけど、完全に乾いたら茶色っぽくなってくるんだよ。そうしたら硫黄の粉とか植物油混ぜて、熱で反応させたら消しゴムが出来上がる! はず!」


 確か消しゴムの作り方を調べた時にそんな事が書いてあった気がする。


 鉛筆と違って、琴子の時代には既にプラスチックが主流だったために、ゴムの木からの消しゴムの作り方を詳しく書いてある物が見つけられなかったのだ。そりゃそうである。誰もプラスチックという便利なものがあるのに、生ゴムからわざわざ作ろうとする人はさほど居ない。


 アリスのそんな心の迷いに気付いたキリが、眉をピクリと上げた。


「はず?」

「うん。はず! だって、私の時代には石油っていう何でも作れる魔法みたいなものがあったんだもん!」


 生憎この世界で石油が出るという話は聞いた事がないので、きっと無いのだろう。


「つまり、それがあったらもっと簡単に作れたという事ですか?」

「ううん。石油から加工ってなったら、絶対これより面倒だと思うよ」


 まず石油を塩化ビニールにして様々な化学薬品を入れて、プレス。この世界で出来る筈もない。


 この世界は魔法が使える分、魔法道具などは発達している。攻撃魔法を使う人達はあまり普段から使う事はないかもしれないが、ミアのように風が使えるとか、ノアのように炎が使えるとかであれば、結構普段から使いまくっている。


 しかし、その分科学の方はからっきしなのだ。おそらく多少不便だと感じても、誰かの魔法でどうにか出来てしまう為にそこまで深く考えないのかもしれない。


 そんな中、アリスの魔法は普段使いが出来ない。だから無い物は自分でどうにかするしかなかったのである。切ない。


「そうですか。では我々は大人しく酸にまみれてそのゴムとやらを作りましょう」

「言い方!」


 本当にいつもいつも一言多い男である。しかしキリはこれでも一応、攻略対象だった筈なのだ。ゲーム内でもキリは辛辣だったが、好感度がマックスになると、それはもうビックリするほど甘かった。琴子の時は頬を染めて、ほぅ、となったが、今は絶対にありえないと思える。 


 これはきっと、キリの事をもうキャラクターだとかは考えていない証拠なのだろう。


「うんうん。良い兆候だ」


 たまに自分を見つめなおして自分を褒める。それがアリスである。


「何がです? お嬢様に良い兆候が表れた事など今までに一度もありませんよ」

「酷い!」


 そして褒めた瞬間にいつもこうやって地に叩きつけられるのである。


 さて、作業はそろそろ終盤だ。洗濯ロープに全てのゴムの元を吊るし終えた所に、ノアから電話が入った。


「もしもし兄さまー?」

『アリス、そっちはどう?』

「今やっと全部吊るし終わったとこだよ! あ! さっきね、ちょっと実験してみたら、ちゃんと鉛筆消えたよ!」

『へぇ、凄いね! 流石僕のアリス! それじゃあそろそろこっちに戻る?』

「うん。今皆が後片付けしてくれてるとこだから、終わったら戻るよ」

『そっか。それじゃあ戻ってくる時に悪いんだけど炭酸泉多めに持って帰って来てくれない? 今ね、ガラス工房の人達が皆、ジャスパーさんのとこに集まっててさ。持ってきた分じゃ足りなくなっちゃったんだ』

「分かった! じゃあシロップも持って行った方がいい?」

『そっちはもうリー君に頼んだから大丈夫だよ。それじゃ、お願いね』

「はぁい」


 そう言って電話を切ったアリスに、オスカーが目を細めた。


「ほんとに仲良しですねぇ」

「うん! 超仲良しだよ!」


 アリスはノアが大好きだ。それはもう絶対に揺るがない。ノアほどアリスを理解して許してくれる人は居ない。ノアはいつもアリスと一生一緒に居る! と言ってくれているが、アリスもアリスで本当にそうなればいいのに、と思っているのだ。


 それをオスカーに伝えると、オスカーは苦笑いして頷いた。それを聞いていたキリが、アリスの肩にポンと手を乗せた。


「大丈夫ですよ、お嬢様。恐らくそれは実現するので」

「なんで?」

「だって、あなた達二人が、特にお嬢様がどこかへ嫁ぐなどと想像出来ませんし、万が一嫁げたとしても、確実に追い出されて出戻ってくるでしょう。そもそも、あなたを領地の外に出すのは不安でしかありません」


 真顔で言い切ったキリに、オスカーもまた真顔で頷いた。


「分かる。アリス様は門外不出ですよね。色んな意味で」

「はい」

「……」


 酷い言われ様である。明らかに褒められてはいないな、これは。


 しかしアリスもそれには納得である。キリではないが、他の領地で上手くやっていける自信は全く無いのだから!


「ま、まぁ、幸せならそれでいいよね! さて、兄さまに言われた水汲んでくるね」


 そう言ってアリスは走り出した。


 その頃、ジャスパー家にはフルッタの殆どのガラス工房で働く人達が集まって来ていた。


 一体どんな風にリアンが触れ回ったのかは分からないが、まさかここまで集まってくるとは思ってもみなかったノアとカインは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


 一番驚いていたのはジャスパーだ。詰めかけてきた職人たちを前にタジタジである。


「皆さん、お忙しい中集まっていただき申し訳ありません。この度、キャロライン様の命でこちらの泉質調査に来たところ、凄い発見がありました」


 よく通るノアの声に職人たちが口を噤んだ。


「あの禁断の森にある泡の出る泉を調査したところ、大変珍しい炭酸泉だという事が分かったんです。炭酸泉は古来より心臓の湯と呼ばれるほど体に良いと言われています。何よりも、炭酸泉は飲む事によって、よりその効果を発揮するんです」


 そこまで一息に言い切ったノアの言葉に、皆俄かには信じられないという顔をしている。


 そりゃそうだ。つい数分前まであの泉は地獄の泉だと言われていたのだから。そんな事を急に言われても、信じられる訳がない。


「飲むなんてありえない! あれを飲んだ奴が口の痛みを訴えたんだぞ!」

「そうだ! あんな泡が出る水なんて、体に良い訳がないだろう!」


 突然呼び出されて突拍子もない事を言われた職人たちは怒り心頭である。そんな中、ノアは大きく頷いて言った。


「ごもっともです。では、論より証拠。本当に痛いかどうか飲んでみますか?」


 そう言ってノアは持ってきていた炭酸ジュースを取り出すと、それを用意していたグラスに注いだ。すると、細かい気泡がグラスにびっしりと付いたではないか。それを見て職人たちは驚いている。そのグラスにノアが口を付けた事でさらに驚きは増した。あちこちから止めとけ、という声が聞こえるが、ノアはそれを無視してグラスの中身を躊躇う事なく飲み干す。


 よく冷えていて美味しい。このシュワシュワとしたのど越しが堪らない。

 美味しそうに飲み干してグラスを机に置いたノアに、皆は唖然としていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る