第百六十七話 いざ、フルッタへ!+オマケ

 かくしてアリスは、ライラの教科書のおかげか、今回はギリギリ赤点は免れた。本当に全教科ギリギリすぎて逆に計算したのか? と教師陣に思わせたほどだ。


 翌週、アリスはいつものように馬車の御者台に乗りこんで喉を軽く抑えた。


「あ~あ~~」


 それが聞こえてきたリアンがうんざりしたような顔をしてそっと耳栓をしている。そんな様子にカインが苦笑いを浮かべて馬車の小窓から御者台に視線を移した。


「発声練習なんてしちゃってんだけど」

「本人は上手いと思ってるから。今日もきっと、僕達に聞かせてくれるつもりで居るんだと思うよ」

「迷惑な話です」


 そう言ってキリもまた早々に耳栓をつけた。


「今日は何を歌ってくれるのかしら!」


 そんな中でライラだけはいつだってアリスの歌を楽しみにしている。怪獣のような歌声はライラの中の何かに訴えかけてくるのだ。そう、まるで大地の歌声のように!


「そっか、ライラの中でアイツは大自然と同じ扱いなんだもんね」

「地響きみたいなものなのかな?」

「雷鳴のようなものでしょうか?」

「いや、どっちも褒めてはないよね?」


 リアンの言葉に頷いたノアとキリに思わずカインは突っ込んだ。どちらにしても人の歌声ではない。どちらかというと獣の咆哮に近い。こんな事でフルッタまで大丈夫なのだろうか?


 そんなカインの心配を他所に、馬車は出発した。


 最初は流石のアリスも歌わず御者と仲良く話し込んでいたが、今日の宿が目前という辺りでとうとうアリスは歌いだした。その歌声を聞いてかどうかは分からないが、一瞬馬車馬達が暴れて馬車が大きく揺れたのは、絶対に気のせいではないはずだ。


「一応聞くけど、あれは何?」

「花嫁の憂鬱」

「絶対嘘。ありえない!」

「言われてみればどことなく……?」


 小首を傾げたライラはようやく始まったアリスの歌にニコニコしている。


「あんな元気な花嫁の憂鬱があってたまるかっての! 全然憂鬱じゃないよ。むしろワクワクしてるよ!」

「お嬢様にはもしかしたら憂鬱という感情が理解出来ないのでは」

「ありえる。今まで拳で何とかしてきたもんね」


 喜怒哀楽のうちの喜怒楽はあるが、哀が無い人である。アリスは大変はっきりした性格をしているのだ!


 道中はとてもではないが快適とは言えなかった。カインなど馬車に酔うわ、他の皆もアリスの歌を延々と聞かされるわで散々だった。


 しかもフルッタは北のネージュよりもまだ遠い。今回の地獄は果てしなく長かった。


「これは?」

「夕暮れの足音」

「……」


 アリスの歌当てクイズの正解をノアが言うたびに皆黙り込む。


 逆にどうしてノアとキリには分かるのだと問いたい。


「何であれで分かるんだろ……」

「ずっと聞かされてるからとか?」


 シレっとそんな事を言うリアンにカインは苦笑いを浮かべる。


「私もアリスの歌を聞き分けられる能力が欲しいわ……」


 ポツリと呟いたライラにリアンは慌ててライラの肩を掴んで前後に揺さぶった。


「駄目だよ! あの感性に慣れちゃ駄目!」

「でも……大地と対話できるなんて羨ましい……」

「いや! 人間! 何回も言うけど、あれでも人間だからね⁉」


 アリスの歌は今日も留まる事を知らない。そして新しい歌が始まる度に御者の大爆笑が聞こえてくるのである。何だかとても楽しそうだ。


 そして夜、ようやくカリドゥスに入る事が出来た。


 アリスの歌と時折混じるドンブリの雄叫びに馬が嘶き御者が大爆笑している。アリスの歌をあそこまで笑えるのは、きっと大物に違いない。


 皆がそう思い始めた頃、ようやく馬車は今日の宿に到着した。


「今日はここで一泊して、明日はいよいよフルッタだから、皆今日はしっかり食べてよく寝るんだよ。きっと、明日は嫌ってほど使われると思うからね」


 ノアの言葉に皆ゴクリと息を飲んだ。アリスの使うは本当に、本当に大変なのが身に染みて分かっているからだ。


 ノアの言いつけを守り部屋に戻り早目に就寝して、翌日出発したのはまだ日が昇り始めた頃だった。


「ねぇ……早くない?」


 まだボーっとしているリアンはライラに手を引かれて辛うじて歩いている。


「アリスがね、昼前にはフルッタには到着したいんだってさ。はい、これ朝ごはんね」


 そう言って皆に配ったのは、アリスの特製即席ハンバーガーである。それを見たカインとオスカーは目を輝かせた。


「ハンバーガーじゃん! おれサンドイッチよりこっちのが好きなんだよね」

「カイン、最近休みの日に部屋で作ってるもんね」


 休みの日に食堂で子爵家のモーニングセットを頼んで、それを部屋に持ち帰りわざわざハンバーガーを作って食べるのが、最近のカインの習慣である。何かをしながら片手で食べられるのがいい。サンドイッチも便利ではあるが、薄くてあまり食べた気にならないのだ。


「なに? これ」

「ハンバーガーって言うんだ。こうやって両手で持ってそのまま齧りつくんだよ」


 そう言ってハンバーガーに齧りついたカインを見て、リアンとライラは頷いた。マナーもへったうれもないが、まぁ次期宰相が率先して食べているので大丈夫だろう。そう思いながら食べてみると……。


「あれ? 美味しいね」

「本当! ちょっと食べにくいけど、パンとお肉と野菜を一度に食べるとこんな味なのね!」


 思っていたよりも美味しい事に驚いたリアンは、その場でダニエルにレシピを送った。すると、早朝にも関わらずダニエルからすぐに、作ってみる、と返信があったので、やはり彼のフットワークはかなり軽い。


 結局、フルッタまでの道中はカインのハンバーガーに挟んだら美味しかった具を延々聞かされるという、アリスの歌とはまた違った地獄が始まってしまった。



おまけ『道中にて』


 舗装された道路を離れると途端に道が舗装されていなくてデコボコになる。そんな馬車の振動に一番に酔ったのはカインだ。


「カイン大丈夫? 水飲む」


 ノアに介抱されながらカインは情けなさそうに顔を歪めた。


 普段カインが乗るような馬車はキャリッジ・コーチと呼ばれるものである。王家や公爵家が乗る、いわゆる富裕層馬車でサスペンションが搭載されている為に車輪からの振動が直接伝わってこない。しかし、今回用意された馬車は遠距離用のハックニー・キャリッジだ。いわゆる辻馬車である。こちらにもサスペンションがついてはいるが、元は貨物用の為さほど利いてはいない。


「ノア、この揺れはどれぐらい続くの?」

「さあ? 僕も南の方は行った事ないからなぁ」


 そう言って涼しい顔をして水を飲むノアをカインは憎らし気に睨むと、差し出された水を飲んだ。


「てか、何でお前は酔わないの?」

「日々の鍛え方が違うからじゃない? アリスの作ったひたすらグルグル回るおもちゃとかに乗せられたりしてたし」

「回旋塔でしたか?」

「それそれ。あれはヤバかったね」

「はい。師匠がお嬢様の寝ぼけメモを見て嬉々として作ったんでしたね。あれのせいで何度地面に打ち付けられた事か」

「修行だ! とか言ってね。喜んでたのはアリスだけだったけど」

「はい。師匠も地面に打ち付けられて脳しんとう起こしてましたから」


 アリスのメモに記されていた遊具は、ぶら下がってただひたすら回るだけというもので、回転が緩いうちはいいが、だんだん早くなってくると体が地面と水平になるほどの遠心力を生み出す。そして何よりも、自分では決して止められないという、地獄のような遊具だった。腕の力が無くなり手を離してしまえば、その時点で結構な距離飛ばされる。


 今思えばアリスのあのメモもまた琴子時代の産物なのだろうが、一体琴子時代というのはどんな所だったのだろうか。遊具というからには恐らく子供が遊んだのだろうが、あんなもので何を子供の頃から鍛えていたのだろう。本気で謎である。


「こわ。アイツそんなちっさい頃から悪魔だったの?」

「むしろ小さい頃の方が悪魔だったよ。可愛いを通り越して、いつか本気で殺されるって思ってた時期もありました――」


 そう言って何かを懐かしむように目を瞑ったノアの隣で、キリも深く頷いている。


「あんた達、本当によく今まで生きてたね」

「全くです。今思えば、お嬢様のヒロイン補正とやらはあの頃から発揮されていたんでしょう」

「そうなんだろうね、きっと」


 アリスは誰も自分のヒロイン補正に気付いていないと思っているのかもしれないが、皆あえて言わないだけでアリスの身体能力に関しては完全に気付いている。あれがアリスの言うヒロイン補正という奴なのだろう、と。


「過去アリスにはそういうの無かったの? 今のアイツだけがあんなハチャメチャなのかな」

「さあ? あったかもしれないけど、隠してたか、今アリスほど元々活発ではなかったか。アリスに記憶がある訳じゃないからそこらへんはよく分からないんだよね。キャロラインの記憶でも、どの過去アリスも絵に描いたような無知さを笑顔だけで乗り切っていたような嫌いなタイプだったって言ってたし、アランの宝珠でもアリスはそんな感じだったんでしょ?」


 ノアの質問にカインが口元を押さえながら頷く。


 宝珠はあくまでアランの記憶を元に作られているので、プライベートの過去アリスの映像はほとんど無かったのである。あったとしても遠目に少し映っているとかその程度で、そのどの過去アリスもよそ行きの笑顔を貼りつけたキャロラインの言う通りの少女だった。


「僕も見たけど、何て言うか過去アリスは小賢しい感じ。ぶりっ子っていうのかな? でも腹の中では違う事考えてるでしょ? って顔してた。あんな露骨にバカじゃなかったよ」

「こら、リー君! アリスはおバカだけどバカじゃないよ」

「一緒じゃない⁉」

「聞こえ方が全然違うでしょ! おバカだと可愛い感じだけど、バカになると途端にただの悪口に聞こえちゃうでしょ!」

「ノア様、お嬢様は本気でバカですよ」

「キリまで! めっ! お口縫うよ!」


 眉を吊り上げたノアを見て、キリは呆れたような顔をしてリアンと共に大きなため息を落とした。


  そうこうしているうちに馬車は一度目の宿に到着した。


 宿ですぐに自室に戻ったカインを見兼ねて、翌日はアリスが道端で千切った南天の葉をカインに真顔で、噛め、と言って迫ってきたので渋々噛んでいると、不思議とその日は酔う事はなかった。


「南天の葉っぱには酔い止め効果があるんだよ。あと、蜂に刺された時とか葉っぱ揉んで刺された所に貼りつけるといいよ。でも、神経毒にもなるから沢山食べちゃ駄目だよ」


 向かいの席に座るノアにそんな事を言われてカインは頷くと、おもむろにそれをメモる。


「何してるの?」

「いや、いつ何時役に立つか分からないから、こういうのは書き留めてるんだよ」

「いい心がけなんじゃない。ほんと、何があるか分かんないし、どこで役に立つかなんて分かんないからね」


 感心したように頷いたノアにカインは照れてみせたが、横でリアンが白い目をしている。


「そんな知識、使わなくていいように、僕は生きたい」

「言えてる」

「だね」

「全くです」


 出来ればこんな知識を使う事なく普通に暮らしたいものであるが、アリスと居るとどうもそうはいかないようだから、やはりバセット家には必須なのだろう、きっとこれからも。

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