第百六十二話 完成した鉛筆
と、そんな事を考えていたのはほんの数日前だったような気がする。あれから二週間。キリはアリスに言われた通り、木の板に細い溝を掘っていた。
黒鉛が無事に見つかり、それをスミスの小屋にあった粉砕機にかけて粉になった物に水と粘土を混ぜて練ると、あんなにも硬かった鉱石があっという間にグニャグニャになった。
それを型に入れて訝しがるイーサンに頼み込んで空気を抜き、アリスお手製の細い穴の開いた器に入れてさらに圧力をかけてもらうと、細長い芯になる部分が押し出されてきた。
出て来た芯をノアが均等な長さに切り揃え、ユーゴが鉄板の上に綺麗に並べていく。一週間程乾燥させたら、次は焼き上げだ。とは言え、アリス曰く約千度の温度で一気に焼かなければならないらしい。
「そんな温度が出る窯なんてありませんよ!」
キリの言葉にアリスはう~ん、と唸った。悩んだまま二日を費やしたが、助け船は意外な所からもたらされた。
「千度以上っスか? だったら、あの鍛冶屋のスミスさんとこに持ち込んでみたらいいんじゃないっスか?」
「それだー!」
「あ! こら、お嬢様!」
キリはスタンリーの言葉を聞くなり駆け出したアリスの後を追い、いつものように説教をした翌日、四人はスミスの鍛冶屋に居た。ちなみに、学園の植物を一手に引き受けているスミスさんと、この鍛冶屋のスミスは全くの他人である。
「突然すみません、ちょっとお願いしたい事があるんですが」
そう言ってノアがスミスに事情を説明すると、最初は訝し気にしていたスミスだったのに、アリスが実際にまだ柔らかい芯で紙に字を書いて見せた途端に顔を輝かせた。
「こりゃ便利だな! 焼けば硬くなる? よし、焼こう。千度だな? ちょっと待ってろ。炉の温度あげっからよ。しかし直接入れたら燃えちまうな……よし、これに入れて焼くか!」
そう言ってスミスが持ちだしてきたのは鉄で出来た筒型の容器だった。そこに手分けして芯を入れ、千度まで上がった炉に放り込み、しばらくするとカリカリに焼きあがった芯が出来上がった。それをアリスが持参してきた熱い植物オイルに付け込みまた待つ。こうする事で滑らかに字が書けるようになるのだという。
この時点では半信半疑だったキリだが、オイルから出した芯をゆっくり冷ますと――。
「出来たぁ~~~!」
粗熱が取れただけの芯はまだ熱いが、持てない程ではない。アリスは早速芯を握りしめて紙に自分の名前を書いてみた。スルスルと書ける。黒鉛から不純物を取り除く作業が完璧に出来た訳ではなかったので少し引っかかりは感じるが、気になるほどではない。
「ほぉぉ、これはまた……便利だなぁ!」
スミスは初めて見る鉛筆の芯に感動したようで、手が真っ黒になるのに構う事もなくさっきからずっと紙にグルグルと円を描いている。
「スミスさん、これで完成じゃないよ! これは中身が出来ただけなんだよ。後は学園に帰って作ってくるからね! 出来上がったらスミスさんにもあげる! ほんとにありがとう!」
「ほう、まだ完成じゃないのか。じゃあ楽しみに待ってよう」
そう言ってスミスは嬉しそうに手を振って見送ってくれた。
こういういきさつでキリはさっきからずっと木に溝を作っているのである。さっきからせっせと四人で無言で作業をしていたが、一番最初にアリスが音を上げた。
「もう無理! 腕がもげそう! 目が飛び出しそう!」
「その状況怖いねぇ~」
笑いながらそんな事を言うユーゴは意外と器用なタイプのようで、さっきからスルスルと木に溝を作っていく。
「アリス、溝つけるのはキリとユーゴに任せて、僕達は溝に芯入れていこ」
「うん。じゃあ兄さまが接着剤ね!」
「分かった」
手作業だから多少の隙間は仕方ない。そう割り切ってノアは芯を入れても溢れないであろうギリギリの量の接着剤を溝に流し込んでいく。その溝の中にアリスが一本一本、芯を入れていきもう一つの溝のついた木で蓋をすると――。
「ふぅぉぉおおおお! 出来た! 鉛筆の完成です!」
出来上がったばかりの鉛筆を握りしめて勢いよく立ち上がったアリスにキリが舌打ちをする。
「お嬢様! 今とても繊細な作業をしているので騒がないでもらえますか⁉」
「ご、ごめんなさい」
キリの怒鳴り声にアリスはストンと座りなおすと、また黙々と作業を始める。
最初は作業をじっと見ていたドンだったが、何かしら手伝いたかったのか、今はキリの隣で自分の爪を使って一生懸命木を掘っている。出来上がったものはドンが作ったと言ってカインにでも渡しておけば喜ぶだろう。
「はぁぁ……何とかニ十本完成~」
「長かったねぇ」
大きく伸びをしたユーゴにアリスも頷く。けれど、こんな作業をしてでも鉛筆には価値があると踏んでいる。
「で、これどうやって使うの?」
まだ削ってもいない鉛筆をしげしげと眺めながらノアが言う。
「これはね、こうやって削って使うんだよ!」
持っていた小型ナイフでアリスは鉛筆を削りだした。すると、木の真ん中から芯が現れる。
「で、消しゴムはこれを消せるって事?」
「そう!」
鉛筆と消しゴムはセットである。少なくともアリスはそう思っている。
アリスの言葉にノアは頷いて、早速鉛筆を使って紙に名前を書き出した。ノアの隣でドンとレッドも一緒になって紙を一生懸命黒く塗りつぶしている(余った黒鉛でレインボー隊用の小さな鉛筆も作ったのだ!)。
「すごいねぇ、これぇ」
「……確かに凄いですね。画期的です」
珍しく素直なキリにアリスはニヤリと口の端を上げた。さあ褒めろ、と言わんばかりの顔にキリはピクリと眉を動かす。
「ですがお嬢様、仕事が雑すぎではありませんか? ほら、これなんてズレてますよ」
「きぃぃぃ! 褒めてよ! たまには飴もちょうだい!」
「誉める事を強要するのは感心しませんよ、お嬢様」
そう言ってキリとアリスは睨みあう。何故だろう。本当に凄いので別に誉めても構わないのに、アリスを見ているとどうにも嫌味が言いたくなるのは。
「ぐぅぅ! いつか、いつかキリをぎゃふんと言わせて跪かせてみせるんだからね!」
「跪かせるの? キリを? 止めときなって。後が怖いよ?」
そもそもそんな光景はこれっぽっちも想像出来ない訳だが。ノアの言葉に付き合いのさほど長くないユーゴも頷いている。
「いつかその日が来るのを楽しみにしていますね、お嬢様」
口の端だけを上げて笑うキリにアリスが引きつる。
こうして、出来上がった鉛筆は優先的にお世話になった人達と仲間たちに配られた。
「何かコソコソしてるなーって思ってたら、あんた達こんな事してたの?」
相変わらず夕食後にルイスの部屋に集まった一同は鉛筆を手に驚いた。
今まで書くものと言えば羽ペンとインクだった。持ち運ぶのもインクを零しやしないかといつもハラハラしていたし、書き間違えたらその場で終了だったのである。それを、この鉛筆とやらは消す事が出来るという。それだけでも驚きなのに、あちこちインクのように飛び散らないし、折れにくいのも利点だ。
「ユーゴが毎日どこかにそそくさと行ってしまうから何をしているのかと思えば、こんな物を作っていたとはな!」
ルイスは鉛筆で花のイラストを描いてキャロラインに渡した。キャロラインはそれを頬を染めて受け取ると、お返しに犬のイラストを描いてルイスに返している。相変わらず、ナチュラルにラブラブな二人である。
「大変だったんですよぉ。もう、アリス様動く動く! 王都から支給されたポシェットなんてすぐに破れちゃってぇ」
そう言って敗れたポシェットをルイスに見せると、ルイスは苦笑いを浮かべて言った。
「ご苦労だったな、ユーゴ。さぞかし大変だったことだろう。新しいポシェットを用意しておこう。トーマス」
「はい。次のポシェットは皮で作ってもらいましょう」
「待ってぇ、それだとまた俺が行かなきゃならなくなるじゃ~ん」
「でも、楽しかったんだろう?」
「いや、それはそうですけどぉ」
楽しかったが疲れた。これが毎日はキツイ。ノアとキリは凄い。
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