第百五十一話 魔法は咄嗟に使えない!

「むご! ふぉぉぉぉ!」


 朝、アリスは簡易ベッドの上で目を覚ました。目を覚ましたはいいが、体中にロープが巻かれていて、そのロープから抜け出そうとモゾモゾしている間に床に落ちた。


 その音に隣の簡易ベッドで眠っていたハンナが目を覚まし、床でモゴモゴしているアリスを見つけておかしそうに言う。


「お嬢、おはよう」

「お、おぉ、ハンナ……私、またしでかした?」

「そうだねぇ。どれ、解いてやるからちょっと待ってくださいよ」


 ベッドから降りたハンナは床に転がっているアリスのロープを解いて、グシャグシャになったアリスの髪を手櫛で整えてやる。


「ありがとう。それでかな、何か変な夢見たんだよね」

「夢? ああ、いつものかい?」

「うん。夢の中でおっきい凶悪なゴリラが出て来てね、襲い掛かってきたの! だから腕へし折って気絶させる夢! 悪いゴリラだったんだよ!」

「……うーん……お嬢の夢では皆ゴリラになっちまうんだねぇ」


 夢ではない。それはアリスが昨夜現実に行った事である。そしてあのクマを倒した日も四足歩行のゴリラを倒したと言っていた。どうやらアリスの中で敵は皆ゴリラで表現されるようだ。


 しかし誤解のないよう言っておくと、アリスはゴリラももちろん大好きである。ただ、夢の中に出て来るのは良いゴリラと悪いゴリラが居るのだ。そして何故ゴリラの姿で現れるのかは、アリスにも未だに分からない。


「とりあえず、まだキャロライン様とミアさんが寝てるから、リビングに移動しようか。お嬢、何か羽織っておいで」

「うん!」


 ハンナの声に元気よく頷いたアリスは、コート掛けに掛けてあったガウンを羽織ってリビングに移動した。


 そこには今日も暖炉の前で毛布を被ってうずくまって寝ているオスカーの姿がある。その腕にはシリ―が抱えられていて、足元にはドンブリが大の字になって眠っていた。


「やれやれ、この子もお嬢に負けず劣らず動物好きだね」


 呆れたように笑ったハンナは暖炉に火を入れて、水差しにあった水をアリスに汲んでくれた。


「ありがとう、ハンナ」

「どういたしまして。私はこのまま朝食の準備に行くけど、お嬢はどうする?」

「もうちょっと暖まってから手伝いに行く!」

「そうかい? じゃあよろしくね」

「はぁい」


 アリスはにこやかに返事をしてレモン味の水をゴクリと飲んだ。夏には最高だが、冬に呑むには寒いしさっぱりしすぎている気がしないでもない。


 ようやく暖まってきた暖炉の前で足の裏を温めていると、そこにノアとキリがきっちり着替えてやってきた。


「おはようアリス、随分早起きだね」

「うん。何か嫌な夢見ちゃって」

「嫌な夢? またゴリラが出て来た? そうだアリス、後でちょっと手伝ってくれる? 昨夜ルイスが襲われたんだ」

「え⁉ だ、大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。正義の使者アマリリスが助けてくれたんだってさ」


 おかしそうに笑うノアを隣でキリが胡散臭い顔をして見ている。


「正義の使者アマリリス? 誰? 名前ダサくない?」


 アリスが真顔でそう言った途端、ノアがブフッと噴き出した。


「言っておきますが、お嬢様だけは誰かのネーミングセンスを笑う権利ありませんからね? ただアマリリスに関してだけは笑ってもいいですよ。俺も心底そう思うんで」

「?」


 お腹を押さえて声もなく笑うノアと呆れたような顔をするキリにアリスは首を傾げながら朝食を手伝いに行く。


 少し遅めの朝食を食べた一同は、再びリビングに戻ると食後のお茶を飲みながら話し出す。


 朝食の時に何故かユーゴが居た事に驚いたアリスだったが、キャスパー伯爵の事を聞いて頷いた。まさか王都でそんな事があっただなんて、思ってもみなかった。


「一晩考えて思ったけど、ルイスはここに来てて良かったよね」


 お茶を飲みながらカインが言うと、トーマスとユーゴが頷いた。もしも学園に居たら、そう考えるとゾッとする。ユーゴでも太刀打ち出来なかったのだ。下手したらルイスは本当に殺されていたかもしれない。


「でもでも、ルイス様の炎の魔法でどうにか出来なかったんですか?」


 ルイスの使う魔法は炎系の攻撃魔法だ。『業火』と言って、対象を焼き尽くすまで何をしても消えないという恐ろしい魔法なのだが、それは使わなかったのだろうか?


 きょとんとした顔をしてそんな事を言うアリスに、ルイスはゆっくりと首を振る。


「はっきり言ってあの状況で詠唱なんてとてもじゃないが出来ないし、咄嗟に魔法を唱えられるほど、どうやら俺は魔法には馴染んでいないようだ」

「まぁねぇ。魔法の授業だけじゃ本物の戦闘みたいにはいかないよね。実地訓練だって月一とかじゃ、そりゃ無理だって。俺だって反射魔法なんて咄嗟に出ないから」


 アリスは言われて納得した。確かに魔法なんて咄嗟にアリスも出ない。それこそアランのように常に魔法に携わっているような家系であればそうでもないのだろうが、一般人はこんなものである。


「学園に戻ったら、それも校長と相談してみた方がいいかもしれないわね。この先の事を考えたら、私達は咄嗟の時に魔法を使えるようになっておくべきだわ」

「そうですね。その方がいいかもです」


 今回の事でアリスは一つ分かった事がある。この世界は限りなくアリスが前世でやっていたゲームと酷似しているし、メインストーリーだけを追っていればいいのだと今まで思っていた。


 けれど、そのメインストーリーの裏には沢山の誰かの思惑が絡んでいて、その思惑が絡まって初めて、メインストーリーのような事が起こるのだ、と。


 そう考えるとルイスの暗殺はメインストーリーには一切出て来ないが、実際はゲームの中のルイスもずっと誰かに命を脅かされていたのかもしれない。


「とりあえずそれは学園に戻ってからだね。それでユーゴ、今どういう状況なの?」

「えっとぉ、とりあえず騎士団が王家に与する人達の警護に当たってますねぇ。キャスパーは恐らくもう国内には居ないみたいなんですよねぇ。でも逃げるとしたらフォルスぐらいしかないでしょぉ?」

「そうだな。海の向こうに渡るには許可証が居るし、今はキャスパーの許可証はもちろん止めてあるんだろ?」

「止めてるよぉ。キャスパーが逃げ出してすぐに手配したよぉ」


 カインの言葉にユーゴは深く頷く。それはもう真っ先にルーイが手配していた。


「じゃあやっぱりフォルスか……こりゃルイスが留学するのは危ないかもね」

「逆じゃない?」


 カインの言葉にノアがお茶を飲みながら言う。


「どうして?」

「だって、今ルイスの命がフォルスで奪われたとしたら、すぐに戦争になるよ。それが例えキャスパーのせいだったとしても」


 キャスパーが裏で糸を引いていたとしても、留学中にルイスが万が一にでも命を落とすような事があれば、すぐに矛先はフォルスに向いてしまう。恐らくフォルス大公と繋がりのあるキャスパーは、それは死んでも避けたいはずだ。


「でもキャスパーがフォルスとルーデリアの開戦を望んでるって線もあるだろ?」

「真っ先に自分がどちらからも追われるのに? もしもそんな事になったらキャスパーが一番に消されるよ、フォルス大公にね」


 ノアの言葉にカインはしばらく考えて納得したように頷いた。


「そういう意味でもルイスはフォルスに居た方が安全だと思う。一番心配なのは、レスター王子だよ。もし彼に何かあったら、そもそも色んな計画が破綻するよね」

「……」


 その一言に皆黙り込んだ。ノアの言う通りだ。レスターが居なくなれば『花冠3』のメインヒーローが一人居なくなるという事だ。それだけは絶対に避けなければならない。


 けれどレスター王子との接点など何もない。

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