第百四十七話 バセット領の名物
時は少しだけ遡り、バセット家では子狼の行く末を案じたノアが一芝居打っていた。
結局、子狼はカインの実家に引き取られる事になり、学園に戻ったらルードが迎えに来る事になったのだ。それが決まった途端。
「はぁぁ……可愛い……何これ、可愛い……」
「お母さんに似て美人さんだねぇ、シリ―」
カインとオスカーはさっきからずっとこの調子である。ちゃっかり名前まで付けて今はシリ―にミルクをあげている最中だ。
「ほんとはルンルンに会わせてやりたいけどなぁ」
「止めた方がいいよ。変に親に情が湧くとシリ―が可哀相だよ」
「だよな」
ノアの言葉にカインは神妙な顔をして頷いてノアの書類を手伝う。
そうなのだ。帰ってくるなり狼事件でバタバタしてしまったが、今回バセット家にやってきたのはあくまでお手伝いをする為なのである。本来ならカインは家畜の世話をする! と意気込んでいたのだが、シリ―の世話をしなければならなくなったので、こうしてノアの手伝いをする事になった。
「てかさ、お前こんな事までしてんの? もう領主じゃん」
「んー? これでも少なくなった方だよ。母さんが出てってから父さんはしばらく使い物にならなかったみたいだし、その間にどんどんバセット家は傾くしで大変だったんだ」
「よくもまぁ、ここまで持ち直したな。あ、これ至急だぞ」
カインはそう言って処理していた書類の中から嘆願書と書かれた書類をノアに渡した。
「ありがと。あー……あそこかぁ。今の季節だからなぁ……」
言いながらノアはメモ用紙に何かを書き付けてまた書類作業に戻る。
「なぁ、ふと思ったんだけどお前さ、テスト、手抜いてるよね?」
それまでノアの作業を見ていてカインはある事に気付いてしまった。いや、気付かざるを得なかった。書類の処理スピードが尋常じゃないのだ、さっきから!
カインの質問にノアは書類から目も離さずに適当に言う。
「そんな事ないない。これはただの慣れだから。カインも宰相になってやってみたら分かるよ」
「そうかぁ? お前が適当な返事する時は大抵嘘なんだよなぁ」
「めんどくさいなぁ、カインは。ルイスぐらいもうちょっと馬鹿素直になりなよ」
「いや、俺までああなったらヤバくない? 国滅びるって」
苦笑いを浮かべたカインにノアはようやくペンを止めて笑った。
「確かに! でもあれはルイスの良い所だからね。宰相さん、手綱しっかり握っといてね」
「それはキャロラインに任せるけど、ルイスとアリスちゃんはちょっと通じるもんがあるよね」
「あー……ね。おバカな所がね」
何かを思い出すノアにカインはとうとう声を出して笑ってしまって、後ろでシリ―を寝かしつけていたオスカーに怒られてしまった。
暖かい部屋で仲良く作業をしていた三人とは違い、残りの三人はちらほらと雪の舞う中、必死になって鍬で畑の畝を掘り返していた。ちなみに三人とは、ルイス、アリス、キリである。
キャロラインは今頃家主の家でぬくぬくと紅茶でも飲んでいるのだろう。窓の外にも聞こえて来るキャロラインとミアと何故かトーマス、そして家主のグリーン夫妻の笑い声がそれを物語っている。
「ど、どうして俺はこっちなんだ」
「ルイス様はお手伝いに来られたからですよ。キャロライン様はノア様が招いたお客様ですから」
「くっ! ではトーマスは⁉ この差は何だ! 一応、王子なんだぞ⁉」
「私達と同じように扱えって言ったのルイス様でしょー? ほら、ちんたらしない! 日が暮れますよ!」
「くそぅ! これでもか! これでもか!」
いちいちうるさいルイスである。親の仇のように畑の土を掘り返すルイスを見てアリスはうんうんと頷く。
この時期にバセット領の畑で一斉に行われる行事、天地返し。
これは無農薬で野菜を育てるにあたり、土を一度掘り返して太陽光で殺菌するという作業なのである。薬品を使わない分土の中には春から秋にかけて雑菌が沢山湧くのだ。だから畑を休ませているこの間に土を殺菌して、また野菜の苗を植え付ける。こうする事で土も野菜も元気になるという、昔ながらの手法である。
「理には、適って、いるが! そんなに、違う、のか⁉」
段々鍬を持つ姿が様になってきたルイスは、コツを掴んだのか話す余裕が出て来たようだ。
その隣でアリスとキリはルイスの倍の畝を普段通りの会話しながら耕していく。そりゃあれだけの筋肉芸が出来る訳である。
王都付近の畑では、最近はもう体には害のない薬品を使っている。その方が生産性が飛躍的に上がるからだ。
「そりゃ王都みたいに沢山人が住んでたらそういうのも使うんでしょうけど、でもほら、ここ田舎ですから!」
それに何よりも薬品を使っていない方が他所で高く売れるのだ。だからこうやって手間暇かけて天地返しをする訳である。
ようやく全ての畝を掘り返すと、そこへグリーン婦人が暖かいお茶を持ってやってきた。
「いやぁ、すみませんねぇ、王子様にこんな事させちゃって」
「いや、まぁ、はぁ……」
何とも煮え切らないルイスに婦人は、わはは! と笑って背中を叩いてくる。
「ルイス、大丈夫?」
「キャロ、楽しかったか?」
「ええ! とてもお話上手なんですもの、グリーンさんってば! それに、チーズのお土産を頂いたのよ。バセット家に戻ったら皆で頂きましょう」
その言葉にアリスの目が輝いた。
「チーズ⁉ キャシーの?」
「お嬢はキャシーのチーズに目がないからなぁ。絶対に戻ってきたらそう言うと思って多めに作っといたんだ。ほら、持って帰って食べな」
「ありがとう! バート、ジョアンナ!」
アリスはバートから大量のチーズを受け取って代わりに鍬を返して小躍りしながら皆で家路についた。
「たっだいま~!」
「お帰りなさい、皆。あらまぁ、ルイス坊ちゃん汗だくじゃないですか、可哀相に」
皆を出迎えたハンナが疲れ切った顔をしているルイスを見て苦笑いを浮かべた。
「畑仕事の大変さを痛感した一日だったな……」
ボソリと呟いたルイスにハンナは声を出して笑うと、ルイスに言う。
「夕飯はまだですから、先にお部屋の露天風呂に入ってらっしゃいな」
「露店……風呂?」
首を傾げたルイスとキャロラインを見てアリスは露天風呂に案内した。
バセット領では温泉が出る。アリスが森の中を駆けずり回っていたら、たまたま温泉の源泉を見つけたのだ。そしてそれを見たその日の夜、アリスは寝ぼけて何かのメモを残したのだという。それは大衆浴場のような大きなお風呂ではなく、部屋に作りつけた小さな露天風呂と呼ばれるものの設計図だった。とは言え、アリスの絵をきちんと清書したのはノアなので、実質ほとんどノアが描いたようなものである。
「あのね、全部のお部屋にほら! こんな風に外に作り付けの温泉がついてるんです~! これ、うちの自慢です!」
「これだけが、ですね」
「うぅ……否定できない……」
悲しいかな、他に誇れるもののないバセット家である。しかし、この温泉はお客様には大変好評なのだ!
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