第百四十六話 郷愁と言う名の副産物+おまけ

 こうして、グランでのオリバーとドロシーの仕事は終わった。グランに住むほぼ全員に見送られながらグランを出て森に入ると、そこにはあの懐かしいチャップマン商会の本体馬車が止まっている。


 馬車の前ではマリーとエマが今か今かとドロシーの到着を待っていたようで、こちらの馬車が見えるなり、二人して息を弾ませて駆け寄って来た。


「ドロシー!」

「っ!」


 マリーとエマは馬車から降りて来たドロシーを力いっぱい抱きしめて、髪をぐちゃぐちゃと撫でまわす。


 ドロシーもそんな二人にギュウギュウに抱きしめられて嬉しそうにくすぐったそうに笑う。


「じゃあ、俺はこのままオリバー送ってくるけど」

「ああ、うん。じゃね、オリバー!」

「気を付けてね」


 あっさりとそんな事言うエマとマリーに苦笑いを浮かべたオリバーは、ドロシーの頭を撫でて髪を整えてやった。


「ドロシー、ついて来てくれて、本当にありがとうっす。風邪引かないようにちゃんと暖かい恰好して寝るんすよ?」


 コクリ。ポロリ。頷いた拍子に零れた涙にオリバーと桃が気づいた。


「泣かないんすよ、ドロシー。桃が居るっス。桃、しっかりドロシーの護衛、するんすよ」


 ビシ! 桃はドロシーの肩で敬礼をしてオリバーの言葉に頷き、オリバーが以前桃に渡したハンカチでドロシーの涙を拭ってやっている。


「それじゃあ、また」


 ……。ドロシーは頷かない。それどころか、首を横に振ってオリバーが学園に戻るのを嫌がった。こんなドロシーの反応はとても珍しい。それだけ仲が深まったということか。


 何かに納得したようにダニエルが頷くと、どっとドロシーの肩に手をかけた。


「ドロシー、次にオリバーに会う時までに、色んな事出来るようになってオリバーを驚かせてやろうな」


 コクリ。ダニエルの言葉を聞いて、ドロシーはようやくオリバーの服の裾を離した。そんなドロシーの頭を撫でて頭頂部にキスを落としたオリバーに、ドロシーの涙がようやく引っ込む。


「餞別っす。次会う時までに、ジャガイモの皮むきの練習しとくんすよ」


 コクリ。顔を真っ赤にして頷いたドロシーはようやく笑顔を浮かべた。


「それじゃ、ほんとに出発するぞ!」

「っす」


 オリバーの返事を聞いて馬車ゆっくりと動き出した。その馬車を止めるエマとマリーの手を振りきってドロシーが走って追いかけてくる。


「ドロシー! 桃と仲良くするんっすよー!」


 コクリ。両手で桃を抱きかかえたドロシーは、寂しそうに視線を伏せて、いつまでもいつまでも馬車をじっと見つめていた……。


「……何もしてねぇだろうな?」

「は?」


 ドロシーが見えなくなってようやく座席に座ったオリバーを、ダニエルが腕を組んで半眼で睨みつけてきた。


「ドロシーのあの懐き方、尋常じゃねぇだろ。お前、何もしてないよな?」

「する訳ないっす。ドロシーはまだ子供っすよ?」


 そういう趣味はオリバーには無い。言い切ったオリバーを更にダニエルは睨みつけて来る。


「子供だろうと女子は女子だろ! その年齢に応じた魅力が分からないのか⁉」

「あの年齢をそんな風に言えるのなんてあんただけっすよ!」


 流石遊び人ダニエルである。ミランダへの対処といい、ドロシーへの対処といい、とてもではないがオリバーには真似できない。頭にキスが精いっぱいだ。


 意味の分からん責め方をされたオリバーが鼻息を荒くして窓の外を見ると、遠く離れたグランの家々から夕飯の支度の煙が見える。


「なんか……寂しいっすね」

「グランか?」

「っす。この時間はミランダの店がかき入れ時で、ドロシーと二人でくたくたになるまで注文受けてたんすよ」


 疲れ果ててへとへとになった所に、いつもミランダがドロシーには甘いホットミルク、オリバーにはレモネードをくれるのだ。二人して雑に頭を撫でられ、ようやく三人で食事を摂る。


 グランでの事を思い出したオリバーが切なくなって鼻をすすると、正面からダニエルが無言でハンカチを貸してくれた。


「はは、まさか泣くとは思ってなかったっす。きっと、自分でも気づかないぐらい楽しかったんっすね」

「お前はずっと心配事抱えたまま気を張ってた状態だったんだろ? 案外ノアがお前をグランに行かせたのも、そういうのがちょっとでも軽くなればいいとか思ったんじゃねぇの?」

「ノアが? ……いや、それは無いっすね」


 真顔で答えたオリバーを見て、ダニエルも真顔で頷いた。


「うん、無いな。すまん、今のは忘れてくれ」

「っす」


 それは無い。この郷愁のようなものは完全にノアの意図からは大きくかけ離れた、ただの副産物だろう。あの男がオリバーごときにそんな気を回すとは到底思えない。


「ノアは基本的にアリスの事しか考えてねぇもんな」

「そっすね」

「オリバー、俺は思うんだ。妹を溺愛するよりは、まだ子供だろうがドロシーを溺愛する方が全然不毛じゃないって」

「一体何の話してんすか⁉ あんたと言いアリスと言い、どうしてそっちに持っていきたがるんすか!」

「おっまえ、あんな美少女に懐かれて嬉しくないとか絶対に言わせないからな! もしも将来ドロシーがそういう事言って来ても、お前から断ったりしたら許さねぇぞ!」

「ある訳ないでしょうが! ったく」


 怒鳴ってはみたものの、何だかおかしくなって笑ったオリバーを見てダニエルも笑う。


 この時間も含めて、オリバーにとっては初めて楽しいと思える仕事だった――。




オマケ『最後の一押し』


※グランでエドワードとダニエルが契約を結んだ後のお話です!



「ところで、その新しい小麦料理というのは一体どういうものなんだい? あまりにも突拍子がなくてイマイチピンと来ないんだが」


 領民達に聞いて回っても、まるで分からないのだ。お湯があれば出来る、だとか二年は持つだとか。一体どういう代物なのか。


 首を捻るエドワードにダニエルはニヤリと笑った。


「きっと驚くと思う。えっと、ケルンさん? 悪いんだけど、これを温めてきてくれないか? 作り方はメモに書いてあるから」


 そう言って足元に置いたバッグから取り出したのは、急遽送ってもらったラーメンセットである。ケルンはそれを受け取って部屋を出て行った。


 しばらくして戻ってきたケルンの手には、湯気がもくもくと出る何かが持たれている。


「そ、それは? とても良い香りだが……さっきのがこれになったのかい?」


 ダニエルが先程バッグから取り出したのは、袋に入った何かだった。それがどうやったらこんなのになるのだ? 実物を見てもまだ理解できないエドワードにケルンが耳元で囁く。


「なるほど、先ほどの袋の中にスープと何かが入っていたと?」


 コクリと頷いたケルンに、ようやく納得したエドワードを見てダニエルが言う。


「ラーメンって言うんだ。これが噂の小麦料理だよ」

「小麦⁉ どこに?」

「その長細いやつ。麺って言うんだけど、それが小麦で出来てるんだ。騙されたと思って食べてみてくれ。ケルンさんも」

「こ、これが……小麦?」


 エドワードはダニエルに言われるがままフォークで麺をすくい、しげしげと眺めた後にラーメンを口に運んでみた。そしてすぐに目を見開く。


「こ、これ、これは! ほ、本当に小麦なのかい⁉」


 ツルツルとのど越しの良い麺にスープが絡まり、鼻の奥に野菜や鳥の出汁の香りが抜ける。麺を噛むと確かに小麦の独特の甘みがして、それと相まって得も言われぬ味を織りなしていた。


「小麦だよ。それに、さっき食べてもらったクリームパンのクリームも小麦だ。これはラーメンって言う食べ方らしいが、他にもパスタやうどん、素麺っていうのもあるらしい」


 それを聞いたエドワードは更にギョッとした顔をする。


「嘘だろう⁉ さっきの甘いクリームが⁉」

「俺も最初はそんな反応をしたけど、実際作ってる所を見て納得した。確かに全部小麦が材料なんだ。うちが商品として扱うのは、その麺だ。こいつが二年も持つ代物になるらしい。まだ開発段階だが、もしかしたらいずれはここにまた乾麺工場を建てさせてくれって頼みに来る事になるかもしれない」


 製粉工場の近くに乾麺工場があるのが望ましいとアリスは言っていた。もちろん最初は手始めにセレアルに乾麺工場を作るらしいが、きっとこれが普及すればセレアルだけでは追い付かなくなる。


 苦笑いを浮かべたダニエルを見て、エドワードもラーメンを後ろから一口食べたケルンもダニエルの一言に大きく頷いた。


「その時はまた是非声をかけてくれ! 必ず力になると約束するよ! これは凄い。画期的だ」

「そうだろう? 作り方は流石に秘密だけど、乾麺は必ずここにも売りに来るよ。レシピもつけて」

「ありがとう! 楽しみだよ、とても!」


 笑み崩れたエドワードを見て、ようやくダニエルもホッとしたように笑った。結局、最後の一押しはアリスだったんだなと思うと何だか悔しいが、それもこれも全部、まるで何かに導かれるように繋がれた縁のおかげなのだと思うと、何だかとても不思議な感じがした。


 そして後日、その事をオリバーに言うと、何故かオリバーはとても申し訳なさそうな顔をしてダニエルに頭を下げてきたのだが、その意味をダニエルは一生、知る事はなかった――。

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