第百四十話 エドワード・グラン

 その日から皆が口々にスマホを話題に出し始めた。一度見た事のある者はいつか手にした時の自分に思いを馳せ、まだ見た事のない者はこぞって宿にやってきた。


 そしてそれと並行してミランダが奇跡の小麦料理についてあちこちで吹聴して回っていたものだから、今やグラン中の人達がチャップマン商会の名前を知る事になった。


「おいミランダ! その小麦料理ってどんななんだよ⁉」

「私も詳しくは知らないんだよ。うちのオリバーのが詳しいから、オリバーに聞いておくれよ」


 そう言って自分の店にそれとなく客を誘導するミランダも中々商売上手である。


「オリバー! 小麦が二年も持つって本当なの⁉」

「っす」

「お湯があればいつでも食べられるって?」

「っす」

「それはどういう料理なの?」

「そこまでは分かんないっす。でも、ダニエル様は食べた事があるって言ってたっす。何でもキャロライン様が資金を出して、男爵家のバセットの人達が開発したらしいんすよ。そこの妹さんがチャップマン商会のリアン様の婚約者の人と友人らしくて、それでチャップマン商会に話が来たみたいっすね」

「詳しいな!」

「アラン様とキャロライン様が友人だから、よく話を聞いてたんっす。面白くて突拍子もない話が舞い込んできたって笑ってました。ちなみに、このスマホもそのバセット家の発案っすよ」

「バセット家凄いな!」

「妹のアリス様が発案したみたいっすね。長男のノア様が近々会社を立ち上げるって言ってたっす。そこで全部取り扱って、チャップマン商会と専属契約結ぶ予定みたいっすよ。それを支援するのがキャロライン様って事みたいっす」

「でも、キャロライン様ってルイス王子の婚約者でしょ? じゃあ王家が出資するってこと?」

「それは違うみたいっすね。あくまでもキャロライン様個人で出資するみたいっす。この件に関しては王家は全く関係ないみたいっす。だから皆注目してるんすよ。国家事業でも何でもない会社を男爵家が立ち上げて、どこまでいけるのか、みたいな」

「そりゃまた思い切ったなぁ! キャロライン様は話に聞いてた感じとは随分違うんだな。もっと大人しいお姫様かと思ってたぜ」

「俺も。でも案外思い切った人なのかもな。しかしそのバセット家も凄いな。スマホに新しい小麦料理か……そのアリスってのは天才か何かなのか?」

 その一言にオリバーは眉をしかめた。そして言う。はっきりと。

「天才かもしれないっすけど、それ以上にかなり変わった一家だって聞いてるっす。関わった人達が皆言うんすよ。あれはちょっと離れた所から見てるのが丁度いいって――」


 あまりにも真顔でオリバーがそんな事を言うものだから、店に来ていた人達もゴクリと息を飲んだ。


 アリスは天才なんかではない。前世の記憶を頼りに次から次へと思いつくだけである。だからそこに関してはオリバーはさほど凄いとは思わないが、彼女の凄い所は、やはりあの身体能力である。あれに関しては凄いを通り越して、怖い。絶対に敵には回したくない。おまけにドラゴンまで拾ってきてしまう破天荒っぷりだ。もう一度言うが、絶対に敵に回したくない。


 黙り込んだオリバーに皆はまた息を飲んだ。相当凄い子なんだろうと勝手に信じ込む。


「そ、そうか。まぁ何だ。どんな変人でも、もしかしたら救世主になるかもしれないんだもんな!」

「そ、そうだな。天才は皆ちょっと変わってんだよ。なぁ?」


 全国の天才の人達に失礼な発言をしつつも、領民たちはまだ見た事のない料理に夢を馳せる。


「あ、そう言えば、その料理ってのが味付け変えるだけで数百種類ぐらいレシピがあるらしいっすよ」

「す、数百種類⁉」

「……マジか……」


 それを聞いた領民達はそれを開発したアリスに恐れ慄き、ゴーサインを出したキャロラインに心の中で拍手を送った。確かに、側にいると毎日が目まぐるしすぎて大変そうである。


 こうしてグランにチャップマン商会を周知させる事と、もうすぐ出来上がる便利な道具スマホ。さらに麺類の情報を小出しにして知らせる、を無事に達成する事が出来た。後は領主のグランの耳に入れて、グランの方からチャップマン商会に連絡を取ってもらうだけである。


 グランにオリバー達がやってきてから三週間が経った頃、いつもと同じようにミランダの食堂を手伝っていると、店内が一瞬にして騒がしくなった。


「グ、グラン様だ!」

「え⁉ 自らいらっしゃったの?」


 店内の声を聞いてオリバーとドロシーは目配せをしてゴクリと息を飲んだ。


 やがて店内に二人の男が入って来た。


 一人は伸ばした黒髪を一つに縛ったいかにも権力者と言った風貌の三十歳半ばぐらいの男性で、その後ろに隠れるようにして入ってきたのは眼鏡をかけた気の弱そうな五十台ぐらいのおじさんである。


「オリバーというのは?」


 三十歳ぐらいの男が店内を見回して言った。態度にも威厳があるが、声にまで威厳がある。


 オリバーは道を開けてくれた領民達の間を縫って歩き出した。すると、オリバーの裾を掴んだドロシーも一緒に着いてくる。そんなドロシーの手をオリバーがしっかりと握ると、同時に男達の前で頭を下げた。


「オリバーと言います。訳あって、ミランダさんの所でしばらくお世話になっています。こっちは妹のドロシーです」


 頭を深々と下げたオリバーとドロシーを見て、男は威厳たっぷりに頷いて何故か一歩下がった。そんな態度にオリバーとドロシーが同時に首を傾げると、それまで後ろに隠れていたおじさんがズレた眼鏡をかけなおして苦笑いを浮かべる。


「勘違いしてる所すまんね。私がエドワード・グランだよ」

「え? あ! も、申し訳ありません!」


 ペコリ! それを聞いた二人は慌てて頭を下げた。そんな二人にエドワードは慌てて手を振る。


「いやいや、よくある事なんだ。こっちはうちの執事のケルンだよ。大抵の人がこのケルンを当主だと思うみたいで、ははは」


 威厳がありすぎる執事を引きつれたエドワードはそう言って何でもないように笑う。フォルスとルーデリアのどちらにもつかず中立を貫いているとは思えない程人が好さそうである。


「とりあえず座ろうか。ミランダ、何か飲み物を注文してもいいかい?」

「もちろん! あんた達はいつものでいいかい?」

「あ、っす。すみません」


 エドワードが腰を下ろしたのを見て、オリバーとドロシーも腰を下ろした。エドワードの後ろにはやっぱり威厳たっぷりの執事が後ろに手を組んで仁王立ちでこちらを見下ろしている。


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