第百三十三話 ノアの愛は底なし沼のように

 皆で部屋に戻ると、トーマスが人数分のお茶を用意して待っていた。


「あぁ~やっと帰ったな~」


 大きく伸びをしたカインに、リアンがすかさず突っ込む。


「あんたほとんど何もしてないじゃん。面倒見てたのはこの変態一家でしょ?」

「リー君、変態一家だなんて酷くない⁉」

「全くです。お嬢様とノア様はともかく、私はまともです」

「キリが一番酷いね」


 確かに何だかんだライリーとローリーの面倒を見ていたのは、主にノアとキリである。食事の世話からお風呂、就寝に至るまでほぼこの二人が面倒を見ていた気がする。


「それでもアリスより全然楽だったよね」

「はい。夜中に殴りかかってきたりしないし、お風呂で泳ぎの練習をしたりしませんし」

「そうそう。木の上から栗爆弾も投げて来ないし、銅像かよってぐらい汚したりしないしね。いや~楽だった」


 優雅にお茶を飲みながらそんな事を言うノアとキリにアリスは縮こまった。そんなアリスにリアンが呆れたような視線を送ってくる。


「あんたの兄貴が変態で良かったね。僕だったらすぐさま野生に還すよ」

「ははは。何度野生に還りそうになったか! ねぇ?」

「はい。半月森から出て来なかった時は流石に焦りましたね」


 方向音痴アリスは未だに地元の森でも迷子になる。だから一人では絶対に森には入るなと言われているというのに、いつも何かに夢中になって言いつけを破って入ってしまうのだ。


 流石に半月山で迷子になった時は師匠を中心にアリス捜索隊を組んで毎日森の中を探し回った。しかし当のアリスはと言えば。


「結局クマが冬眠に使ってた洞穴の中で見つかってね。普通に生活してたから、あの時に思ったんだよね。ああ、アリスはお嫁には行けないな、って。僕が十歳、アリスが八歳の時だよ」

「……早い悟りだったな」

「そこで矯正しようとしないのがバセット家だよね」


 リアンの言葉にノアは腕を組んで困ったように笑う。


「だってね、蕁麻疹が出るんだよ。ドレス着せて他所の領地に挨拶に行くでしょ? そしたら絶対にその日は高熱と蕁麻疹が出るんだ。おまけにその反動が凄くてさ。もうちょっと手が付けられなくなっちゃうんだよね」


 結局、苦肉の策で今のアリスが出来上がった次第である。


「い、今は出ないもん!」

「はいはい」

「そうですね」


 必死になって言い訳するアリスだが、ノアもキリも諦めたように笑うだけだ。


「しかし流石に年頃になれば求婚者は現れると思うぞ?」

「男爵家とは言え王子達と繋がりがあるんだもんね。こんなでもそりゃ求婚者ぐらい既にいるんじゃない?」


 美味しい密をすすろうとする輩はどこにでも居る。リアンの言葉に皆が頷いた。それを聞いてノアの眉がピクリと動く。


「はは、そんなもの僕がいくらでも握りつぶすって。嫌だなぁ、僕のアリスだよ? 誰かの所になんて嫁がせないよ」

「ノア様の愛は底なし沼のように深くてドロドロなので誰も太刀打ちできないかと」


 まずアリスを嫁に貰うなら誰よりもノアが最大の敵になる事は間違いない。そして最後のボスは他の誰でもない、アリスである。


「いいもん。私は兄さまとずっと一緒に居るんだもん」

「そうそう。クマ素手で倒してから言えってね」


 そこまでしてアリスと結婚したいかと言われれば、答えはノーである。皆は無言でお茶を飲んで大きな息をついた。


「で、何の話だったか」

「そうだわ。オリバーの方はどうなってるの?」


 思い出したと言わんばかりに話だしたキャロラインにノアが頷いた。


「今の所は上手くグランでやってるみたいだよ。今はスマホを周知させてもらってる所」

「どうやって? オリバーのしかないだろ?」


 スマホをみせびらかすと言っても、一つしかないスマホでどうやっているのか。


「それについてはアランに至急もう一つ調達してもらったんだ。それをドロシーに渡してあるんだよ」

「そうだったんだ。でもドロシーは話せないんだろ? スマホがあった所で役に立つの?」

「だからこそだよ。メッセージのやりとりを皆の前でやってもらってるんだ」

「なるほど。話せなくても使えるって事か」

「そう。あと、オリバーにはダニエルにしょっちゅう皆の前で電話をしてもらってる。チャップマン商会への面接を取り付けてるっていう体で」

「そこでチャップマン商会が出て来るのね。そのまま契約を取り付けるの?」

「まだ無理だよ。完全にオリバー達をグランの人達に信用してもらわないとね。あと、オリバーにチャップマン商会の株を上げて貰わないと。そこそこ長期戦になると思うよ。だからその間に僕達は乾麺の方を進めよう。あと、フォルスの今後の動きもちょっと気になるね」


 ルードが管理者のままルーデリアに逃げた事はきっともう大公の耳に入っているに違いない。必ず何か仕掛けて来るとノアは踏んでいる。


 けれど、これは考えようによってはチャンスでもある。大公をシャルルに仕立て上げるには、絶好の機会だ。


「オピリアが外に漏れたかもしれない事は大公の耳にも入ってると思うんだよ。あと、銀鉱山ね。生憎こちらのオピリア製造工場は騎士団によって解体されちゃったでしょ? そこからキャスパーには辿り着いたけど、キャスパーと大公が繋がってるって証拠がないんだよね。それさえ見つかれば、大公を退けてシャルルを大公に仕立て上げる事が出来るんじゃないかな」

「そうだね。その為にはフォルスに潜入して何か証拠掴まないと」

「誰が?」


 リアンの問いに皆頭を抱えた。


「流石にこれ以上オリバーを休学させる訳にもいかないし……」

「そうだよな……ルイス、行ってみる?」

「は⁉」

「もちろん、俺も一緒に」


 突然のカインの申し出にルイスが固まった。


「いいかもね。ちょうど来年から短期留学も出来るし……よし、僕も行く」

「兄さま⁉」

「アリスはこっちで皆と乾麺の件を進めておいてくれない? 一か月程でシャルルを大公にしてみせるから」

「で、出来るの?」


 アリスの問いにノアは頷いた。


「出来る出来ないじゃなくて、するんだよ。それに、シャルルは多分――」


 そこまで言ってノアは口を噤んだ。


「シャルルがなに? 兄さま⁉」


 考え込むノアにアリスが声を荒げる。シャルルは強大な魔法の持ち主だ。だからこそ気を付けなければいけない。そう言ったのはノアだ。


 アリスの心配そうな顔にノアは困ったように笑った。


「確信はないけど、多分ループにもこの世界についても僕達より詳しいんじゃないかな。だから今はまだ、手を貸してくれると思う」

「どうしてそう思われるのですか?」

「行動が不審だからだよ。アリスにわざわざ忠告したのも、メグさんの頼みを聞いたのも、まるでこちらのお膳立てをしてくれてるみたいじゃない?」


 アリスにこの世界の事を知っていると匂わせ、メグが任務に失敗するように手を貸し、どうもシャルルの行動は胡散臭い。ゲームの事にまで気づいているとは思えないが、一度腹を割ってシャルルと話してみるべきだとは思う。


「ごめんねアリス、君の推しに僕だけ会いに行くけど」


 からかい交じりでそんな事を言うノアの膝をアリスは叩いた。


「危ないよ! もし違ったらどうするの? ただ単にシャルルの意地悪だったら⁉」

「意地悪をするような人ではないでしょ? その気になればこの世界も壊してしまえる程の魔力があるのに」

「……そうだけど……」


 嫌だ。もしノアに何かあったらと思うと怖い。アリスはノアの服をギュっと握って涙をうかべる。そんなアリスをノアは愛おしそうに撫でた。


「ねぇ、付き合ってるよね?」

「うーん……かもしれない」


 やはりどこからどう見てもカップルのそれである。何なら年季が入ってる分、夫婦にも見える。そんなルイスとリアンにキャロラインはゆっくり首を振った。突っ込んではいけない。探らない方がいい。何となくキャロラインの勘がそう告げているのである。

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