第百三十四話 初めてのバセット領

「と言う訳だから、乾麺は託すよ。ダニエル使って乾麺工場を作る場所を見繕っておいてね。それからもし出来そうなら僕も会社を立ち上げたいから、その時はキャロライン、よろしくね」

「分かったわ。すぐに手配出来るようにしておくわ。とはいっても、会社自体はどこに作るの?」

「バセット領に作るよ。かき集めればすぐにでも従業員も集まるだろうし。僕から父さんに話しておくよ。ルイスとカインの短期留学の手続きの書類は後で渡すから、記入だけお願いね」

「お、お前、そんなものまで持ってるのか⁉」

「あの引き出しの中、一体どうなってんの?」


 役所の書類が詰まった引き出しには、どうやら学校の手続きの書類も詰まっているらしい。もしかしたらノアはただの書類好きなのかもしれない。


「大抵のものは入ってるよ。さて、じゃあリー君は明日から実家だっけ?」

「そう。肖像画を描くんだって父さんが張り切ってたから行かないと。ライラは今回どうする?」

「私も行こうかしら。ついでにうちにも寄ってくれると嬉しいんだけど」

「いいよ。じゃ、決まりね。あ、あんた達は今回来なくていいから」


 しっかり釘を刺したリアンにルイスとカインが分かりやすく項垂れた。どうやら誘われたら行く気満々だったらしい。冬の長期休みは後二週間だ。実家に戻るには短いし、かと言って学園に居ても特にやる事がない。


「お前たちはどうするんだ?」

「僕達? 僕達も明日戻るよ。前回帰らなかったから父さんから預かった書類溜まってるんだ。アリスもキャシーに会いたいみたいだし」

「会いたい! キャシーのミルクとバターが恋しい!」

「と言う訳だから、僕達も戻るよ。それにうちの領はそんな遠くないしね」


 頑張れば日帰りできる距離のバセット領である。近すぎてあまり帰る気にならないのが本音だが、そろそろ皆に会いたいのはノアも同じだ。


「そ、そうか……ふーん」


 来るか? と聞いて欲しい。ルイスはそんな事を考えながらノアをチラチラと見たが、ノアはチラリともこちらを見ない。そんなルイスにカインが隣から肘で小突いて来た。


「ノアは分かってて無視してるんだよ。素直に言えばきっと連れてってくれるって」


 カインの言葉に頷いたルイスは、目の前でアリスといちゃつくノアに言った。


「ノア! 俺をバセット領に招待してくれ!」

「は? どうして?」

「え、ど、どうして? いや、行きたいからだが?」

「嫌だよ。残りの二週間は僕もゆっくりしたいし、何より書類片付けないといけないから」

 

 毎週最低でも一通は領に関する書類が送られてくる。それを捌きつつアリスの相手をするのに二週間で果たして足りるのだろうか。


 考え込んだノアと諦めきれないルイス。そんなルイスにキリが助け船を出した。


「ノア様、ではルイス様に畑の手伝いをしてもらってはどうでしょう?」

「畑?」

「ええ、そろそろ天地返しの時期なので」

「ああ、そっか。そうだね。じゃあルイス、来てもいいけど手伝ってくれる?」


 天地返しというのがどんな作業なのかはさっぱり分からないが、ルイスはコクリと頷いた。


「じゃ、畑とアリスの面倒よろしくね。あと、護衛はどうするの? 今から呼んでも来る頃には帰る羽目になると思うんだけど?」

「待て! アリスはお前が面倒を見てくれ! 俺では手に負えない! それから護衛は別に構わんだろう。お前たちが居るし」


 そんじょそこらの護衛よりもバセット家は強いので問題ない。その言葉にカインも頷いた。


「ねぇ、ドンブリも連れてく?」

「そうだね。いずれうちの領地で引き取る事になるだろうし、領民の皆にも慣れておいてもらわないとね」

「ふーん。じゃ、俺も行こっと。俺は家畜の世話の手伝いするよ」

「ああ、それは助かるよ。キャロラインは?」

「私は何も手伝える事がないわ……」


 しょんぼりと項垂れたキャロラインにノアは苦笑いを浮かべる。


「いや、僕だって流石に公爵令嬢に何か手伝えとは言わないよ。ただ、ゆっくりは出来ないかもしれないけど」

「どういう意味?」

「バセット領にお姫様が来るなんてなったら、あっちこちからお呼ばれしそうだな、と思って」

「お姫様って……」

「いや、お姫様だよ。うちの領民は令嬢と言えばアリスだからね。月とスッポンもいいとこだよ。ね? アリス」

「うん!」


 何故か嬉しそうに頷いたアリスにキリが白い目を向けて言う。


「お嬢様、もちろんお嬢様がスッポンですからね?」

「わ、分かってるよ! やったー! キャロライン様が遊びに来る! 父さまに連絡しよっと!」


 そう言ってアリスはスマホを取り出して父のアーサーに電話をした。


『アリス! 明日戻ってくるんだろう?』

「うん! あのね、ルイス様とカイン様とキャロライン様も来るよ! ハンナに伝えておいてね! それだけ! じゃ、バイバーイ!」

『は? こ、こらアリス! 待ちなさ』


 プツン。アリスは要件だけ伝えて電話を切った。そのすぐ後にノアのスマホにアーサーから電話がかかってきたのだが、ノアはスマホの上にクッションを被せて電話を無視する。


「……」


 こんな息子と娘は嫌だ。恐らくその場にいた誰もが同じことを思ったのだが、誰も口にはしなかった――。


 翌日、リアン達が早朝から学園を出発するのを見送り、朝食を食べたらアリス達もすぐに出発になった。


 学園馬車で橋を渡ると、そこにはジョージが妙にサイズの合わないフロックコートを着て待っている。しかし、御者がそれを着るのはどうだろうか。恐らくルイス達が来ると聞いてアーサー辺りが無理やりジョージに着せたのだろう。


「ジョージー!」

「お嬢! うわわ!」


 ジョージを見つけたアリスが駆け出して勢いを着けてジョージに飛びつくと、ジョージは顔をくしゃくしゃにしてアリスを抱き留めた。流石バセット領の民である。あんなにも勢いをつけて飛びつかれても、ビクともしない。


「ジョージ、忙しいのにごめんね。ありがとう」

「ノア坊ちゃん! また大きくなりましたなぁ。キリも」

「そうかな?」

「そうでしょうか? ジョージが縮んだのでは?」

「お前は全く! 相変わらず口の悪い奴め!」


 そう言ってジョージは嬉しそうに背伸びをしてキリの頭をくしゃくしゃと撫でた。ついでにノアの頭もくしゃくしゃと撫でる。そんなジョージに二人は目を細めた。これがバセット領では普通なのだ。


「紹介するね。うちの庭番兼御者のジョージ。ジョージ、こちら右からルイス王子、キャロライン公爵令嬢、カイン公爵だよ。で、ルイスの従者のトーマスさんとカインの従者のオスカーさん。キャロラインのメイドのミアさん」

「は、初めまして。えっと、お目通り感謝いたします。それから――」


 オロオロするジョージを見てキャロラインが柔らかく笑った。


「初めまして、ジョージさん。私はノアとアリスの友人なんです。なので、そんなに畏まらないでください。二人と同じように扱って下さると嬉しいです」

「俺達は公務でバセット領に行く訳ではないのだから、ノア達と同じように扱ってくれ」

「俺もお願いします。二週間の間お世話になります」


 そう言って頭を下げた三人を見て、ジョージは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


「ではお言葉に甘えて……いやぁ~坊ちゃんとお嬢がお友達を呼ぶようになるなんて、俺はもう嬉しくて嬉しくて! ささ、狭いですが乗ってください」


 そう言って馬車の扉を開けて皆を詰め込むように馬車に乗せると、ジョージはいそいそと御者台に上る。それに続いてアリスもドンブリと共に御者台に上がった。


「あれ? お嬢はこっちでいいんですか?」

「うん! だって狭いもん」

「はは! ちげぇねぇ。じゃあ俺はお嬢の歌を久しぶりに聞けるのか」


 嬉しそうに笑ったジョージにアリスは笑顔で頷いた。そしてそれをばっちり聞いていた馬車の中の人達は既に疲れた顔をしている。


「アリスの歌って……あの子、御者台で歌う気?」


 恐ろしい事を聞いたような顔をしてキャロラインが言うと、ルイスとカインが無言で頷く。


「リー君の所に行った時もずっと歌っていたぞ」

「行きも帰りもね。物凄い声量で」

「ライラ様はうなされてましたね」

「大丈夫だよ。うちはリー君ちよりは近いから。地獄はすぐに終わるよ」


 さらりとアリスの歌を地獄と表現したノアに皆は苦笑いだ。


 こうして、バセット家に向かう馬車は動き出したのだった。

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