第百二十話 ルード一家と銀のブレスレット

 厨房に続く廊下の踊り場までやってきたルードの目に飛び込んできたのは、宙を舞う我が子の姿だった。


「ラ、ライリー⁉」

「あ、お父さ~~~~ん!」

「な、何やって、いや、何されてるんだ⁉」

「きゃはははは! グルグルしてもらってるの~~~」


 そう、ライリーはアリスに腕を掴まれ、その場でグルグルと振り回されていたのだ。


「僕もー! アリスちゃん、僕ももう一回グルグルしてぇ!」


 そして次男のローリーは胸にイエローを抱いて遠目からそれを眺めつつ羨ましそうに振り回される兄を見てリアルに指を咥えている。


「メ、メグは?」

「お母さんはね、皆といるよ。ねぇ、まだぁ?」

「カイン、あの中央でうちの息子を大回転させているのは誰だい?」


 引きつった顔でそんな事を言うルードにカインは苦笑いを浮かべた。


「あれがアリスちゃんだよ。言っただろ? 彼女が何よりも一番の要注意人物だって。そしてもう甥っ子たちが毒牙に……」


 そこまで言って口元を押さえたカインにルードが分かりやすく青ざめた。


 ルードの自慢の二人の息子たちは、ライリー(九歳)とローリー(五歳)。


 二人ともルードに似て頭の回転が速く、母親のメグなど既にライリーには口喧嘩では勝てない。とても利発でどこに出しても恥ずかしくない二人なので、近所でももっぱらの評判だ。 


 ただ心配だったのは、二人とも感情を爆発させるという事がなく、利発すぎるが故にあまり子供らしくなかった所だ。両親共に忙しい毎日で、二人が満足するまで構ってやれないのもいけなかったのかもしれない。


 だから余計に今、驚いている。ライリーが大口を開けて奇声を発し、ローリーが子供らしく指を咥えて順番を待っているのを見る事が出来るなんて!


「アリスちゃ~ん! 一旦ストップしよっか~」

「はぁぁぁいぃぃぃ」


 何とも間抜けな返事をしたアリスは、ライリーを床に下ろすとその場でヨタヨタと歩き回る。目が回っているのである。その様子はまるでゾンビだ。そんなアリスを見てローリーが笑う。


「アリスちゃん、ゾンビみた~い!」

「なにおぉ~。よぉ~し、お前らを仲間にしてやろうかぁぁ」


 ヨタヨタと歩き回りながらローリーを追いかけると、ローリーは奇声を上げて逃げ回り、兄のライリーを盾にした。


「わわ! ローリー、やめろって!」


 逃げ遅れたライリーはあっさりと捕まりアリスに頬にキスの洗礼を受ける。


「ぎゃはは! これでお前もゾンビだぁ~! よし、弟を捕まえろぉ」

「よぉ~し! ローリーぃぃぃぃ」

「きゃーーー!」


 そしてローリーがライリーに捕まりキスの洗礼を受けた所で、リアンがパンと手を打った。


「はい、全員ゾンビになったから全滅ね!」

「きゃはは」

「ゾンビだぞぉぉ」


 全滅という単語すら面白い年頃である。


 ゾンビの真似をしたままルードに抱き着いて来た息子たちを抱きしめたルードは、そのままローリーを抱き上げてライリーと手を繋ぐ。


「はじめまして、アリスさん。カインの兄のルードです。息子たちと遊んでやってくれてありがとう」


 ルードの言葉に一瞬キョトンとしたアリスだったが、やがてニコっと笑っペコリと頭を下げた。


「アリス・バセットです! よろしくです。多分そろそろ出来上がると思うんで案内しますね。いくぞ、野郎どもー!」

「おー!」

「おー!」


 そう言ってしゃがみ込んで腕を出したアリスを見て、その腕に嬉しそうにライリーが抱き着いた。それを見てローリーが下ろせとせがんでくるので、言う通りに床に下ろすと、兄とは反対側の腕に飛びつく。


「アリス爆弾、発射~~~~~!」


 二人がしっかり捕まった事を確認したアリスは、立ち上がり二人をぶら下げたまま走り出す。三人分の奇声が廊下にこだまし、だんだんと遠ざかっていく――。


「さすが化け物」

「ほんとにね。俺なら腕折れるな」

「俺もだ」

「……え?」


 ライリーに繋いだ手を振りほどかれ、ローリーには蹴られて下ろせとせがまれたルードは、今しがた目の前で起こった事にすぐには頭がついていかなかった。


 呆然としたルードの肩を、カインが慰めるように叩く。


「兄貴、あんなのまだまだ序の口だから。ある意味ではドンブリよりあの子の方が珍獣だから」

「ええ⁉」


 話には聞いていた。聞いていたが、心のどこかで『でも女の子でしょ?』だなんて思っていたのだが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。


 アリスが走り去った後を四人はテクテクと無言で追った。ルイスとカインとリアンは何も話さないルードに気を遣ってくれているのだろう。


 厨房について丸窓から中をそっと覗くと、ライリーとローリーは金に近い髪色をした美青年の両腕に座った状態で厨房を見回っていた。いや、絵面がおかしい。


「あれがアリスの兄のノアです。で、あっちの黒髪のセクシーな男がバセット家の従者のキリ」

「あの三人には気を付けてね、兄貴」

「見た感じもう手遅れじゃない? 甥っ子さん達めちゃめちゃ懐いてんじゃん」

「……」


 リアンの言う通り、息子たちはバセット家にすっかり懐いている。それをメグもニコニコして見ているので、どうやらバセット家の人達の人柄はとてもいいようだ。


「とりあえず入ろっか」

「だな。廊下は冷える!」

「ラーメンまだかなぁ。僕もうお腹ペコペコなんだけど」

「……」


 しかしこんな事で戸惑っているのはどうやらルードだけのようで、この光景はきっと、日常茶飯事なのだろう。腹をくくったルードは、大きく息を吸い込んで厨房の扉をくぐった。


「あ! 来た来た~。ルードさん、こっちこっち~」


 まるで昔から知っていたかのようなアリスにルードは面食らいながらもメグの側に駆け寄って耳打ちする。


「だ、大丈夫?」


 けれど、そんなルードの心配をよそにメグは小首を傾げる。


「なにが?」

「いや、なかなか強烈じゃない? あの子達」


 そう言って視線でバセット家の人達を見ると、メグは一瞬考えるように宙を見ていたが、やがてにっこりと笑った。


「最初は驚いたけど、ずっとああやって遊んでくれてるから助かるわ」

「そっか」


 どうやらメグは既に馴染んでいるようだ。それならばもういいか。


「遅れて申し訳ありません。カインの兄のルードと申します」


 頭を下げたルードにあちこちから声がかかり、グルリと厨房内を見回したルードは、ある一点で視線を止めた。


「あ、あれが本物のドンブリ……か、かわいい……」


 アリスの足元でお座りしてこちらを見上げていたのは、夢にまでみたドンブリの姿だ。


 ルードが思わず手を伸ばしてみると、ドンブリは尻尾を振って走り寄ってきた。その様がもう、鼻血が出そうなほど可愛い。


「おや? 君は?」


 ドンの前に真っ赤なヘルメットを被った人形が座っているのでルードが声を掛けると、人形は片手を上げて挨拶をしてくれる。


「あ、その子はレッド君ね。レインボー隊の一人だよ」

「そうだ! レインボー隊も一度全員見てみたかったんだ! 皆いるのかい?」

「居るよ。レインボー隊、集合して~」


 カインが声をかけると、あちこちから皿を洗ったりスープを運んでいたレインボー隊がゾロゾロと集まって一列に並んだ。


 それを見てルードだけでなく、メグも子供達も目を輝かせている。


「君達にお土産を持ってきたんだ。腕を出して」


 ルードの言葉にレインボー隊が腕を差し出すと、一人一人の腕に小さなシルバーで出来たブレスレットを贈った。ブレスレットにはそれぞれのイニシャルの頭文字が彫り込んである。


「そしてこっちはドンちゃんとブリッジ君のね」


 そう言ってルードはドンの腕に同じようにブレスレットを、そしてブリッジの首にもシルバーのプレートを付けた。二人のプレートには『ドン・バセット』『ブリッジ・バセット』と彫ってあった。それを見たアリスは目を輝かせる。


「ルードさん、ありがとう! 良かったね、ドンブリ!」

「キュ!」

「うぉん!」

「ルードさん、ありがとうございます。これ、本物のシルバーですよね?」

「君は……」

「ノア・バセットです。以後、お見知りおきを」

「こちらこそよろしく。そうなんだ、うちはペットショップだけど、それだけではやっていけないからね。こういう素材も取り扱ってるんだ」


 何ならこっちの素材の方が悲しいかな、よく売れる。苦笑いを浮かべたルードに、ノアが何かを考え込むようにしていたかと思うと、リアンを呼んで何やら話し出した。

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