第百十二話 生き物と作り物の境目
翌朝、アリスは授業の前にイーサンに呼び出された。
「イーサンせんせ~、おはよーございまーす!」
魔法学校には職員室などというものはない。職員は各々に部屋を持っており、そこで授業以外の事務作業をしているのだが、完全に個人の趣味丸出しの教師や、逆に余計な物を何も置かない教師もいて、教師の部屋は生徒の部屋よりも個性的だ。
イーサンの部屋はどちらでもなく、適度に趣味のお城の模型や車の模型も置いてあるが、歴史の教師や魔法の術式の教師ほどは部屋が趣味のもので埋め尽くされてはいない。
前に余計なものを置かない理由を聞いた生徒がいたらしいが、『ごちゃごちゃ置くと、辞める時に大変だろう?』と返されたらしい。
アリスはイーサンの部屋のドアをノックも無しに開け放つと、すぐにそれを後悔した。
「お前なぁ、ノックはしろよ」
「ご、ごめんなさい」
慌てて頭を下げたアリスの目の前には、畏まって座るアランと、偉そうにふんぞり返る校長先生が居た。
「アリス・バセットか。座りなさい。イーサン、この子にもお茶を」
「はぁ、こいつはお茶より食べ物の方がいいんじゃないですかねぇ?」
そう言いながらイーサンはお茶の用意をすると、アランの隣に置いた。アリスにそこに座れと言う事なのだろう。
アリスは小声で、失礼します、と断ってアランの隣に腰かけたが、隣でやたらとビクつくアランを見てこれから起こるであろう出来事を考えて拳を握りしめる。
(お、怒られるの? 何かバレた⁉)
あわあわするアリスを見て、突然イーサンが噴き出した。
「校長、こいつら何か勘違いしてるみたいなんで、呼び出した理由を言ってやってくれますか?」
「ん? おお、そうだったな。まずはバセット。ラーメンを食べたぞ。あれは画期的だ! 何よりもこの寒い時期にはぴったりの食べ物じゃないか。噂によると兄と共にさらに手軽に食べられるように研究中なのだって?」
「へ? ラーメン? あ、はい、まぁ。研究中です、はい」
「素晴らしい! ドラゴンを拾ってきて時は正直退学にしてやろうと思ったが、ラーメンで全て帳消しだな! 是非とも今後も精進して早く手軽なラーメンを開発したまえ」
「は、はい……がんばりま……す?」
何だか思っていたのと違うぞ? アリスは首を捻りながらアランを盗み見たが、アランもどうやら同じことを考えていたようで、しきりに首を傾げている。
「校長、そろそろ本題に入ってください。こいつらこの後俺の授業なんです」
「そうだったそうだった! まずはこれを見てくれ」
そう言って校長は一枚の絵姿を胸ポケットから取り出して、机の上にそっと置いた。小さなロケットに入った絵姿には、黒髪の七歳ぐらいの女の子が描かれている。
「私の孫だ」
「あ、はい」
無言で絵姿を凝視するアリスとアランに校長は目尻を下げながら言った。
「可愛いだろう? 孫はいい。本当に目の中に入れても痛くないんじゃないか? と思う程可愛くてな、特にこの豊かな黒髪は私譲りだと専らの評判で――」
言いながら薄くなった頭髪を撫でつける校長に、イーサンが咳払いをする。
「いや、可愛いんだが最近どうも様子がおかしくてな。それまでは明るい子だったのに、急に笑わなくなってしまったんだ。理由は分かっているんだ。下に弟が生まれたばかりで、両親や使用人達が皆そちらに構うもんだから、恐らく拗ねているんだ。娘たちもようやく出来た男の子なもんだから、やはり嬉しいらしくてなぁ」
そう言って絵姿をそっと撫でた校長が悲し気に視線を伏せた。いつまで経っても本題に入ろうとしない校長にしびれを切らせたのか、とうとうイーサンが続きを話し出す。
「まあ、そんな訳で俺がたまたまお前たちの作った空気人形の話をしてしまってな。それをどうしても作って欲しいそうなんだ。とりあえず見せてやってくれるか?」
「うん、分かった。レッド君、出て来ていいよ」
アリスの言葉に反応したように、持っていたポシェットからレッドが顔をひょっこりと出した。それを見て校長が驚いたような顔をする。
「パ、パープル、ど、どうやらわ、悪い話ではない、よ、ようです」
すると、いつものようにパープルはアランのフードから這い出てきてフードを取り、髪を整えるのを見て、イーサンは噴き出し校長はあんぐりと口を開けた。
「凄いな。お前、パープルに面倒みられてるのか?」
「はい。僕のフードを取るのはパープルの仕事なんです。それ以外にも簡単なお手伝いならしてくれますよ」
「へぇ。知らん間にいっちょ前に服まで着やがって。可愛いな」
戦隊もののスーツとヘルメットを被ったレッドと紫のドレスを着たパープルを見てイーサンが目を細めて笑った。
「ちゃんとお着替えも自分で出来るんですよ! キャロライン様の従者のミアさんが皆の分を作ってくれたんです!」
「へえ、器用なもんだな。これ、どうなってるんだ?」
興味津々にイーサンはパープルのドレスを捲ろうとして手を叩かれた。そんな動作に驚いたのは校長である。
「こ、これは魔法式はどうなっているんだ? クラーク、ちょっと見せてくれるか?」
「ええ。パープル、少し見せてくださいね」
パープルがコクリと頷いたのを確認したアランがパープルの体から魔法式を取り出して校長に見せると、校長はその魔法式を覗き込んで何やらブツブツと呟いている。
校長は元々魔法術式の教師である。珍しいものの魔法式は気になって仕方ないのだ。
「ほう、よく出来ているな。しかしこれだけではこんな動きはしないだろう?」
「ええ。ここにアリスさんの特殊な『魅了』をかけてもらったんです。表現する、という魔法をかけた事で、彼らは意志を持つようになりました。まだ発展途上ではありますが、毎日色んな事を覚えていますよ。それに、彼らは離れていても知識を共有できるようなんです」
「それは初耳だぞ?」
顔をしかめたイーサンを見て、アリスはテヘペロで乗り切ろうとしたが、それは許されなかった。代わりに頭にゲンコツが一発降ってくる。
「いだい!」
「何かあったらすぐに言えっていつも言ってるだろ!」
「ごめんなひゃい」
頬を限界まで引っ張られたアリスを見て、校長は慌てたようにイーサンを止めた。
「これ、止めなさい、イーサン。しかしこれは凄い。これも開発中なのか?」
校長の言葉にアリスとアランは同時に首を振った。
これはもう作らない。そう決めたのである。命をもて遊ぶような事はしてはいけない。そう思ったからだ。それを校長に説明したのだが。
「何故? 別に問題はないだろう? これは放っておくと増えるのか? 何かを食べ、排せつをするか?」
「え? い、いいえ」
「なら問題ないじゃないか。命を粗末に扱うというのは、無責任に増やしたり減らしたり、食事を与えなかったり、飽きて捨てたりする事だ。こいつらは他者の命を奪う事もせず、ただそこに居て世話を焼いたり着替えたりするだけの存在だろう? それの何が問題なのだ?」
そう言われると黙り込むしかない三人である。命の定義は人によって違う。カインのように考えて動けば生物だと認定する人もいれば、校長のように例え考えて行動したとしても、食事もとらず排せつもしなければ生物ではないという人もいる。
「確かに校長の言い分も分かりますが、自分で考え行動するという事は、それを使役する個人の裁量になります。よって、扱いとしてはペットと同じことだと思うんです」
結局、面倒になって捨てる人もいるのではないか。
「確かにな。物と同じ扱いという訳にはいかんな、これは。しかし、こうも考えてみてほしい。この子達の存在に助けられる者が居たとしたら? 友人の居ない子に友人のように寄り添い、笑わない子を笑わせ、隠れて泣いてばかりいる子にはハンカチを差し出す。学園で校長をやっていると、思う事がある。全ての生徒に目を向ける事は出来ない。だが、そういう子達はどこかで心のよりどころを求めているものだ。気づくのが遅れると、そういう子達は黙って学園を去ってしまう。我々教師が出来る事はあまりにも少ない、と」
「それは――そうですね」
何か思う所があるのか、イーサンはそれだけ言って黙り込んでしまった。
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