第二十六話  一つのミスが命取り

 メモには一回目のループから皆の名前と爵位が綴られていたが、それがどの回もバラバラなのである。


「うん。もしかしてと思ってアランに宝珠を一から見直してもらったんだよ。で、皆の爵位をまとめてもらったらこうなってた」


 ルイスの爵位はどの回も王位だ。これはもちろん変わっていないが、三回目のループではカインが侯爵家になっている。六回目はキャロラインが伯爵家だ。こんな具合に、ルイス以外の攻略対象やライバル令嬢の爵位が微妙に変わっているのである。


「それでね、キャロライン、ダニエル・チャップマンの今の爵位は?」

「え? 子爵よ。ちなみにチャップマン商会というのを立ち上げているわ」

「え⁉ し、子爵? 伯爵家じゃなくて⁉」

「え? ええ。元々は伯爵家だったみたいだけれど、一度取引で大きな失敗をして多額の負債を抱えたみたいなの。その時に爵位を一つ下げられたみたいよ。それで先代が背水の陣でチャップマン商会を立ち上げたのだと言っていたわ」


 信頼の出来る伝手に聞いたから間違いはない。


「そんな……」


 シャルルだけではないのか。キャロラインの言葉にアリスは息を飲んだ。


「つまり、どういう事なんだ?」


 ノアとアリスの会話を訳が分からない様子で聞いていたルイスが口を開いた。


「えっとね、メインストーリーを進める為には、まず大前提として皆の爵位を合わせなきゃならないと思うんだ」

「どうして? 別に良くない? 最終的にシャルルとドラゴンを倒せばいいんでしょ?」

「それがそうでもないんだよ。爵位の違いによって出来る事が結構変わるでしょ? この世界は。勿論それによって引き起こされる問題も出て来る」

「例えば?」

「例えば、この三回目のループではカインの爵位は公爵じゃなくて侯爵なんだ。アラン、それでこの時の次期宰相はカインだった?」

「いえ。カイン様の兄上でしたね」

「兄貴⁉」


 カインには年の離れた兄がいる。いや、いた。


 けれど彼は随分前に家を飛び出してとっくに廃嫡されている。だからこそカインが公爵家の跡取りなのだ。もしも兄が居たら、確かにカインは侯爵になっていたかもしれない。そうしたらルイスとはこんな仲にはなっていないだろうし、もしかしたら学園にすら入っていなかったかもしれないのだ。


 そこまで考えてカインはゴクリと息を飲んだ。


「なるほどね。選択ミスがループの原因って、そういう事?」


 兄が家を出て行く前夜、カインは兄を引き留めなかった。兄が家の事を、父の事を、そして王の事を憎んでいるのを知っていたからだ。


「カイン? どういう事だ?」

「ん? あーいや、兄貴が出て行く時さ、俺止めなかったんだよね」

「それがどうして選択ミスなの? むしろ止めるべきだったんじゃないの?」


 カインの兄のルードが廃嫡された話はルーデリアでは有名な話だ。彼の優秀さを誰もが知っていたし、ロビンの自慢の息子だった事も分かっているだけに、余計に噂はすぐに広まったが、詳しい理由はライト家は誰にも語らなかった。


「いや、兄貴ずっと好きな子が居たんだよ。その相手っていうのが平民だったんだよね。兄貴ずっと自分の身分隠してその子と付き合ってたんだけど、まあ、その、子供が出来ちゃって」


 貴族によくある話だ。家の為の結婚と恋愛は別だという価値観。それに兄は納得が出来なかったのだ。もちろんこの事を知った父は激怒し、二人を別れさせようとした。


 けれど、兄の意思は固く廃嫡は免れないだろうと思っていた矢先に、王の命令で身重の彼女は貴族の嫡男をたぶらかした罪で、どこか遠くの国にたった一人で追いやられてしまったのだ。


 この事が兄の逆鱗に触れた。兄はとても優秀な人だった。王が手放したくなかったのも分かる。


 けれど、カインも父も流石にこの仕打ちには怒った。


「それで、俺は兄貴の家出を手伝ったって訳。あの時に俺が止めてたら、もしかしたら兄貴はまだ居たかもしんないし、俺は次期宰相じゃなかったかも」

「カイン様はルード様っ子でしたからね……」


 何かを懐かしむようなオスカーの声にカインは苦笑いを浮かべた。


 あの時、兄は必死になって涙を堪えるカインに言った。


『ごめんね、カイン。君を置いてくけど、もしも君に何かあったら、必ず俺は君を助ける為に戻ってくる。もちろん、そんな事はない方がいいに決まってるけれど』


 そう言ってカインの頭を撫でていつもするようにおでこにキスをしてくれたルードの泣きそうな顔を、カインはただの一度も忘れた事はない。


「何が可哀相ってさ、親父は兄貴の赤ちゃん、ほんとはめっちゃ楽しみにしてたんだよね。だから口では怒ってても、まだ俺がいるしさっさと廃嫡して空気の良い所に二人の家まで建てようとしてたんだ。それも知らずに兄貴出てっちゃってさ。親父はたまに今でも突然思い出したみたいに建てる事の出来なかった家の図面取り出してきては一人でヘコんでるよ」


 元々子供も動物も大好きな人なのだ。建前では怒鳴っても、心の中では手を叩いて喜んでいたに違いない。


「だったら、仲直りさせてあげれば良くないですか?」


 何もかも諦めたような顔をしているカインにアリスが言うと、カインは、は? みたいな顔をしてくる。


「だって、どちらの意見も知ってるのカイン様だけなんだったら、二人の橋渡しをしてあげられるのもカイン様だけでしょ?」

「いや、それはそうだけどさ……そんな、今更?」


 確かにカインは今でも内緒で兄と手紙のやりとりをしている。


 兄はあれから彼女を無事に見つけ、フォルス公国に移住して既に子供は二人もいた。爵位はないが、元々出来の良かった兄は実力でフォルスで商いをしている。この世界にはまだそう無い、ペットグッズの専門店だ。やはり血は争えない。


「仲直りするのに今更とかないですって! だいじょーぶだいじょーぶ!」

「そうは言ってもきっかけが無いよ。兄貴は今フォルスでペットグッズ売るのに忙しいからさ」


 そう言って無邪気に親指を立てたアリスを見てカインは苦笑いを浮かべた。


「フォルスでペットグッズ? だったらドンのネームプレート作ってやってよ」

「それはいいですね。ドンはお嬢様によく似てフラフラとどこかへ行ってしまうので、気が気ではありません」


 そう言って相変わらずノアの膝にちょこんと座るドンを見てキリが言った。


「なるほど。兄貴に言ってみるよ。ドラゴン拾ったんだけどーって」

「うん。で、ついでにフォルス公国の内情聞いてくれない? シャルルを来年までに大公にしなきゃだから」


 カインの兄がフォルスに居るのは都合がいい。なりふり構わないノアにカインは頷く。


「分かった」

「つまり、今のカインみたいに過去の選択肢によって今が変わるんだよ。今が変われば、必然的に未来も変わるって事。ゲーム通りに進めるのなら、まず最初の所から合わせてやらないといけないんだ。で、問題なのはここから。ここに居る全員は幸か不幸かゲーム通りだよね。でもそうじゃない人達もいる。まずシャルルが大公じゃない。それから、ダニエル・チャップマンも、伯爵じゃない」

「正にバタフライ効果ですね」


 不意にアランが口を開いた。あまり自分から意見を言わないアランが珍しく自分から口を開いたので、皆の視線がアランに集まる。


「誰かの選択がどこかに歪を与えて未来が変わる。ダニエルの件、もっと調査した方がいいかもしれません。私が見て来たループにはダニエルは出てきませんでした。それは、正しい道筋ではなかったという事。卒業まではいくのにエマも出てきませんでした。これでは2のストーリーさえ始められない」


 ヒロインが最低でも三人は出て来るはずなのに、ループの中にはアリスしか出て来なかった。攻略対象達もノアに言われて最初から最後まで宝玉を見返してみたが、それらしい人物の影すら見当たらなかったのだ。

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