22話:今はまだ言えない

 勉強を教えてもらう約束だったのだが…


「…っ…んっ…」


 何故か私は彼女にキスをされている。相変わらず下手くそだが、なんだか今日は余裕がない。


「っ…勉強を教えてあげるなんて口実で…本当はこういうことしたかったんすか…?」


 飢えた獣のように私を貪る彼女を引き剥がし、問う。「そうよ」と彼女は自嘲するように笑う。


「…いいよ。あんたがその気なら相手してあげる」


 どうせ、本気じゃないのだろう。私が攻めようとすればやめてと抵抗するのだろう。そう思って彼女を抱き上げてベッドに下ろして上に乗り、制服に手をかける。

 しかし彼女は抵抗しようとしない。虚な瞳で私を見つめたまま、私の次の動向を待っている。

 ブレザーのボタンを外す。リボンを解く。ブラウスの上から、膨らみをそっと撫でる。

 ここまでしても、彼女は一切抵抗しない。


「…疲れたの。…もう何も考えたくない。…めちゃくちゃにしてください。…わたしを…わたしの心を、希望を粉々に砕いて…絶望で、失望で満たしてほしい。…こんな世界、もうどうでも良いって思わせてください」


 生気のない声でぽつりぽつりと呟かれた言葉からは諦めが伝わってくる。


「…死にたい」


 あの時ベランダで同じ言葉を呟いた彼女と同じ顔。全てを諦めた顔。


「…私は流石にあの世までは付き添えませんよ」


「…貴女は連れて行かないわ。わたしの居なくなった世界で、わたしを救えなかったことを後悔しながら生きる貴女のことを地獄で見ていてあげる」


「…悪趣味だな」


「…そうですよ。わたしはクズなんですよ」


 虚な瞳からぽろぽろと流れる涙を吸い取る。…甘い。


「…分かりましたよ」


 ブラウスのボタンを三つほど外し、中に手を入れる。「あっ…」と小さな声を漏らした唇を塞ぎ、彼女の想いとは裏腹に、嫌味を込めて優しくそっと触れていく。


「…私はあんたに生きてほしい。…エゴだって分かってる。…でもごめんね。私は、あんたを可哀想な同性愛者にはしたくはないんだ」


 同性愛者の物語は全てではないが、悲恋が多いように感じる。

 世界に絶望して恋人と共に身を投げ出したり、好きな人が異性と結ばれてしまったり。この間見た映画に出てきた女性同士のカップルは、世界に絶望して二人で抱き合いながら屋上から身を投げ出した。あれは時代が現代ではなく、少し昔の物語だったから—そんな選択肢しかない時代だったからかもしれないが。


「…優しくしないで…」


「…嫌だ。優しくする」


「嫌がらせですか…」


「…あんたが死んだ世界で罪悪感抱えながら生きるとかごめんだから。地獄になんて行かせねぇ。この世に繋ぎ止めてやる。…あと、あんたのヴァイオリンの演奏聴けなくなるのも嫌なんで」


「ヴァイオリン奏者なんて…世の中にありふれてるじゃないですか…」


「私はあんたの音が好きなんだよ」


「…誰が弾いても同じでしょう」


「私の心を動かせるのはあんたの音だけだよ」


「…なんなんですか…それ…」


 顔を腕で隠し、身体を震わせる。腕を退かすと歪んだ顔が露わになる。

 邪魔な腕を頭の上で固定し、彼女がつけていた制服のリボンで手首を結ぶ。


「…ちょっと…何よこれ…」


「拘束プレイっす」


「貴女…変態ね…」


「…今日で最後だから私の好きにしていいんだろ?」


「最後だなんて言ってないわ…」


「…次があるんすか?」


 問いには答えず「解きなさい」と彼女は私を睨む。ようやくいつもの実さんの顔に戻ってきた。


「次があるって約束してくれるなら解いてあげる」


「何よそれ…」


「…次、ありますか?」


 彼女は答えない。しばらく彼女の目を見つめたまま待ってみるが、やがて答えないまま目を逸らした。…まぁ、無いとはっきり言わないだけマシか。


「…オプション追加しまーす」


「は…ちょっと…な、何…」


 アイマスクをかけて視界を奪う。人間は五感の一つを遮られると、その分、他の4つが研ぎ澄まされるらしい。


「…実さん」


 耳元で囁きながら素肌をなぞる。「んんっ…」とくぐもった声を漏らしてから「外して」と小さく呟いた。


「…このままの方が多分気持ちいいよ。…ね、私の手の感触…よく分かるでしょ?」


 だんだんと彼女の息が荒くなっていく。「気持ちいい?」と問いかけると何も答えずに快感を我慢するように唇を噛み締めた。

 優しく触れるたび、噛み締めた唇の隙間から吐息と甘い声が漏れる。

 それがたまらなく愛おしくて、可愛くて…。あぁ…そうか。これが愛なのか。

 だけど、好きだとか愛してるとか、そういう言葉は使えない。使うなと言われたから。私達は恋人じゃないから使うなと。

 しかし、可愛いとか、綺麗だとか、そういう褒め言葉を使うなとは言われていない。"好き"と"愛している"以外の言葉で彼女に愛を囁く。

 アイマスクの下から水が漏れてきた。アイマスクを外してやると、彼女は泣きながら私を睨む。


「…誘ったのはあんたの方だからね。このまま最後までドロドロに甘やかしてやりますよ。…死にたいなんて思えなくなるくらい、気持ちよくしてあげる」


「…わたしに生きてほしいなら、お願い聞いてくれませんか」


「ん…何?」


「…わたしを母から…あの家から解放してください」


 それは彼女が初めて私に送ったSOSだった。最初から素直にそういえば良いのに。


「…ごめんね。勇気を出して助けを求めてくれたのに悪いんだけどさ、私にはそれは無理だよ」


「…なら、殺して」


「…はぁ…。わがままな姫だな。…私一人じゃ無理って話だよ。助けないとは言ってない。やれることはする。…だけど…家から解放されたいなんて、そんなのあんた自身が戦わなきゃ無理だよ。最終的にはあんたが自分の力で親に逆らうしかないんだ。…分かってんだろ?」


「…分かってます」


「…うん。…とりあえずさ、話の続きは事が終わってからで良い?」


「…腕、解いてください」


「えー…」


 すると彼女は顔を逸らし「今日で最後にしないので」と小さく呟いた。それはもう死にたいなんて言わないという解釈で良いのだろうか。確認すると「貴女がわたしを解放してくれるなら」と顔を逸らしたまま答えた。

 腕を縛っていたリボンを解く。自由になった手は私の背中にまわされた。


「…


 初めて名前を呼ばれた。…こんな時でさえ、私の心は平常心だ。苦笑してしまう。

 だけど…愛おしいという気持ちはあるのだ。彼女を抱きしめたいという気持ちは。


「…実さん」


 "好き"と"愛している"以外の言葉で愛を囁きながら、彼女に優しく触れる。


「満…満…っ…」


 彼女も"好き"や"愛してる"とは一切言わなかった。だけど、私がほしいという想いは痛いほど伝わる。その感情を向けられることを私はあれだけ嫌がっていたのに、彼女から向けられるそれは酷く心地良かった。


「…ねぇ、いつか私を恋人にしてくれる?」


 昨日と同じ問いを投げかける。相変わらず、答えは返ってこない。代わりに彼女は身体を起こして私にしがみつき「ごめんなさい」と小さく謝った。


「…いいよ別に」


 私はあなたと恋人になりたいわけじゃない。寂しさを紛らわせる相手がほしいだけ。それはあなたじゃなくても構わない。

 あなたじゃなくても構わないけれど…あなたがいい。

 これはきっと恋じゃない。愛…なのかはまだ分からない。いや、愛してると言いたくなるということはやはり愛なのだろう。

 だけどそれはまだ彼女には伝えない。伝えるのは、ちゃんと恋人という関係になってからだ。

 それは何年先のことだろうか。もしかしたら一生来ないかもしれない。

 私はそれでも構わない。最終的に彼女が幸せになってくれさえすれば。そう思ってしまうということはやはりこれは、恋じゃないのだろう。

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