9話:壊れかけていても壊れない絆

 翌日。今日から小桜さん…もとい、ゆりちゃん—昨日の帰りにあだ名で呼び合うことになった—達と時間を合わせて登校することになった。電車に乗り込み、隣の車両を見ると三人と思われる姿を見つけた。

 なっちゃんとはるちゃんが両手を合わせて拝むようにゆりちゃんに向かって頭を下げている。一体どういう状況なのだろうか。うみちゃんが「おはよう」と声をかけると小桜さんが戸惑った声で挨拶を返し、はるちゃんとなっちゃんも顔あげて挨拶を返す。


「朝から愉快なことしてんな」


「満殿、女神ユリエル様の御前ですぞ。頭が高いでおじゃるよ」


 よく分からないが…こうやってふざけられると


「なんと…失礼いたしました。女神様」


 つい癖で乗っかってしまう。演劇部のさがだ。


「女神様…ついに地上に降臨なさったのですね」


 望も同じく乗ってきた。スイッチが入ってしまったのだろう。最初にふざけ始めたなっちゃんも戸惑ってしまっている。


「百合香…」


 うみちゃんは悲しそうな顔をして、ゆりちゃんの手を握った。


「…君が女神の器だなんて…嘘だと言ってよ…百合香…」


「え、えっと…」


 戸惑うゆりちゃん達を他所にエチュードは続く。


「…王子、彼女はもう百合香さんではありません。女神ユリエル様です」


 泣きそうな顔をするうみちゃんの肩にぽんっと手を置き、首を横に振る望。うみちゃんは王子役をやることが多く、望は大体その側近だ。キャラの設定を練らずに即興劇エチュードを始めると、癖でうみちゃんを王子と呼んでしまうことが多い。


「違う…彼女は…彼女は女神なんかじゃ…っ…」


 両手で顔を覆い、泣き始めるうみちゃん。つらそうな顔でゆりちゃんとうみちゃんを交互に見る望。すっかり入り込んでおり、周りの乗客の冷ややかな視線にも気付いていなさそうだ。これ以上盛り上がる前に手を叩いて止める。


「ガチでエチュード始めてんじゃねぇよ。引いてんじゃねぇか」


「あはは…ごめん…つい…」


「…最初に乗ったのはちるだろ」


「そうだけど」


 そもそも一番最初に始めたのはなっちゃんだ。それに乗ってしまったのが私なのは事実ではあるが。


「…三人で予め台本作ってた?」


「まさか。エチュードっていうのは即興劇のこと。私と望と満ちゃんは元演劇部なんだ」


「ふざけてるの見るとつい癖で…」


「一人がふざけると大体こうなるよな。それにしても、女神ユリエルって本当に神話に居そう」


「エルはヘブライ語で神って意味らしいよ」


 出た。どこから仕入れたか分からないうみちゃんの無駄知識。そもそもヘブライ語と言われてもどこの言葉か全く分からない。


「じゃあユリエルは百合の神様か」


「そうなるね」


「おぉ、やっぱ女神様じゃん。ユリエル」


「…で、なんで神様扱いされてるの?」


「女神様みたいに優しいから」


 そう言ってなっちゃんはゆりちゃん…もとい、女神ユリエル抱きつく。何があったかは知らないが相当嬉しいことがあったようだ。…うみちゃんの笑顔がなんか怖い。


「確かに優しいよね。…あと、頭良さそう」


「そうでもないわ。平均だと思う」


 授業すら始まってないからまだ分からないが、少なくとも授業中に居眠りするようなタイプには見えない。真面目にノートを取っていそうだ。


「ユリエルは秀才っぽいけど、王子は天才って感じがする。学年代表に選ばれるってことは頭良いんしょ?」


「まぁねー」


「否定しないんかい」


「こいつ、中学三年間学年トップキープし続けてたからな」


 必死に勉強してそうなったわけではなく、授業を普通に—時にはやる気なさそうにあくびをしながら—受けていてそれなのだから、謙遜する方が嫌味だ。


「三年間って…一年の一学期から?」


「そう。時にはオール満点叩き出したりして…さらに運動神経も良いし、美術音楽のセンスもそこそこある。おまけに見た目も良い。天は人に二物を与えずっていうけど、こいつは天に贔屓されまくってんだよなぁ…」


 性格はクソだが。何があってそんなに神に気に入られたのだろう。彼女のことだから話術で口説き落としたのだろうか。


「恵まれてる自覚はあるよ。特に人間関係。君とか望とか、私は私の個性を認めてくれる人達に囲まれてる。だからありのままの私で居られる。そのことには感謝しかない。いつもありがとね。満ちゃん、望」


「…ほんと、よくもまぁそんな臭い台詞がぽんぽん出てくるなぁ…」


「…全くだ」


 特に、散々八つ当たりしている望に対してそれを言うのはずるい。やっぱり彼女は性格が悪い。


「そういえば、体験入部なに部から行く?」


「あぁ、とりあえず音楽部かなぁ。夏美ちゃん達も一緒に行くんだよね?」


「うん」


 音楽部。昨日聴いた演奏を思い出す。


「ミノリさんのヴァイオリンの生音、近くで聴けるんだな」


 彼女と話せるだろうか。あの胸の高鳴りの正体に、憧れの恋という感情に近づけるだろうか。


「満ちゃん、すっかりミノリさんのファンだねぇ」


「…うん。凄かった。…今でもちょっと、思い出すとドキドキするくらい。あんなの初めてだった」


「ヴァイオリンの音色に惚れちゃったんだね」


「…これも恋の一種か?」


「ある意味そうなんじゃないかなぁ。私もあるよ。音に惚れたこと。私の場合はその対象がそのまま、その音を奏でる人に移っていったんだけどね」


 空美さんのことだ。


「あぁ…ピアノ弾く人だったもんな…」


 空美さんはよくうみちゃんのためにピアノを弾いていた。うみちゃんは彼女の弾くピアノが大好きだった。よく聴きに行っていた。しかし、ばっさりと髪を切って以来、彼女が空美さんの元にピアノを聴きに行っているところを見かけない。好きな気持ちが蘇るから聴くのが辛いらしい。


「なになに?王子の初恋の話?」


 なっちゃんが目を輝かせる。「聞きたい?」とどこか複雑な顔で問ううみちゃん。語りたいのか語りたくないのか微妙な顔だ。そんな微妙な表情に気付いているのかいないのか目を輝かせたまま「聞きたい」と頷くなっちゃんのリクエストに応え、電車を降り、学校までの通学路を歩きながら静かなトーンで語りじめた。


「…小さい頃にの家に遊びに行った時、帰り際に、帰りたくないって駄々を捏ねた私をあやすためにその人が即興でピアノを弾いてくれたんだ」


 ではなくと性別を確定せずに語るうみちゃん。カミングアウトはまだしないつもりなのだろうか。


「即興って…オリジナルの曲ってこと?」


「うん。私のためだけに、初めて作った曲。それ以来、私が落ち込むたびにその曲を弾いてくれるようになって…気付いたらその人のこと、どうしようもないくらい好きになってた」


「そりゃ惚れちゃうわなぁ…歳上?」


「うん。一つ上」


「意外と近いじゃん。今も好きなの?」


「ううん。…その人には恋人がいるんだ」


「ありゃ」


「恋心を自覚した時から、私の入る隙はないって分かってたんだ。何処からどう見ても両片想いで、お似合いの二人だったから」


「そっか…黙って身を引いたんだね」


「いや。告白はしたよ」


 しれっと答えるうみちゃんに目を丸くする望以外の三人。


「えっ。二人が両片思いなのを知っていながら?」


「うん。でも、付き合いたいとは言わなかったよ。ただ、想いを告げただけ。恋を終わらせるためと…あと、煽るための告白」


「煽る?」


「…いっそのこと、さっさと付き合ってほしかったんだ。そしたら私も諦めがつくから」


 望も同じ気持ちなのだろう。昨日からずっとユリエルのことを気にしているように見える。


「なのにどっちも動きださないから…ちょっと煽ってやろうと思って、ライバルさんより先に告白して…事後報告したの。私もずっとその人が好きで、ついさっさ告白してきたけど、君はいつまでそうしてるつもりなの?って」


「性格悪いでしょ私」と、彼女は苦笑いする。自覚はしていると思うが、ここでのその言葉は同情を誘うためのように思えた。実際…


「全然…性格悪くなんてないじゃん…だって…好きな人のために自ら嫌われ役になったわけでしょ…?健気すぎるってぇ…」


 なっちゃんが涙をこぼし始めた。はるちゃんもちょっと涙目だ。ユリエルは…なんだかボーっとしている。当時の話を聞いていたらとても泣けるような雰囲気ではなかった。美化されすぎだ。そんな二人を見てうみちゃんも少し泣きそうになっていた。演技くさい。いやしかし、半分くらいは本気かもしれない。


「…ありがとね。そう言ってもらえると私も救われる」


 この言葉は本音だ。うみちゃんがこの話をしたのは恐らく、カミングアウトしても受け入れてもらいやすくするためだろう。


「でも…私だったら根に持っちゃうな。だって、海菜ちゃんは知ってたんでしょ?その子が海菜ちゃんの好きな人のこと好きだって」


「うん。その件に関してはちゃんと謝罪したよ」


「へらへらしながらな」


「めちゃくちゃキレてたな」


「でも、なんだかんだで二人とは今も仲良しだよ」


 確かに仲はいいが、まこちゃんとはお互いに嫌いあっているように見える。嫌いあっているが、仲が悪いわけではないという…いわゆる喧嘩するほど仲がいいというような状態だ。少なくとも、本音を言い合えない今の望との仲よりは良い状態なのは確かだ。


「…本当に?王子がそう思ってるだけじゃない?」


「お前なんか嫌いだって未だによく言われるけど、なんだかんだで誕生日はきっちり祝ってくれたし、恋人のためにクッキー作るから作り方教えてくれって来るし…好きだった人に嫉妬されちゃうくらい仲良しだよ。可愛い人でしょ」


「めちゃくちゃツンデレじゃん」


「なんか、まこちゃん先輩みたい」


 みたいも何も彼の話だが、うみちゃんは否定も肯定もせずに笑うだけだった。まだカミングアウトするタイミングを伺っていると言っていた。認めてしまえば必然的に好きだった人が空美さん、すなわち女性だということも分かってしまう。

 ユリエルは勘が鋭そうだが、気付いているのだろうか。ちらっと、ずっと黙っている彼女の様子を伺うと、まだボーっとしている。大丈夫だろうか。いや、大丈夫じゃない。赤信号に気付かないほど気になる何かがあるらしい。私が止めるより早く、うみちゃんが彼女の腕を掴んで止めた。


「…百合香!」


 うみちゃんの声でハッとして足を止めた彼女は道路の一歩手前で止まった。ギリギリだ。


「へっ!?な、何?」


「何じゃないよ!信号、赤だよ」


 すれ違う車との距離はかなり近い。あと一歩でも踏み出していたら車と衝突していたかもしれない。


「…ごめんなさい…ボーっとしてた…」


「…今日から六時間授業だし、体育あるけど…大丈夫?しんどかったらちゃんと言いなよ?」


「…ごめんなさい。ありがとう」


「…学校着くまで手繋いでいていいかな。ちょっと…あまりにも心配だから」


「…仕方ないわね」


「どっちがだよ」


 うみちゃんが自然な流れで手を繋ぐ方向にもっていったことより、学校の前に止まる白くて長い車が気になる。漫画やドラマでしか見たことない車だ。


「…なんか、学校の前にめちゃくちゃ高そうな車止まってんだけど」


「えっ!すげぇ!リムジンってやつじゃね?あれ」


 目を輝かせながら駆け寄るなっちゃんを追いかける。あんな車から出てくるのはヤクザかお嬢様くらいだろう。


「ここで構いません。あまり近くまで行くと目立ってしまいますから。…出来れば、明日からは電車で通学させていただけませんか?…大丈夫ですわ。彼女もおりますから。…ええ、お父さまにお伝えください」


 車から聞こえたのはお嬢様口調の女性の声。

 中から女子生徒が出てきた。彼女が声の主かと思いきや、私達に気づくとペコリと頭を下げ、車の中に手を差し伸べた。その手を取って、もう一人の生徒がお礼を言いながら車から降りてきた。さっき聞こえた声だ。


「…あら。日向さんよね?ごきげんよう」


 スカートを持ち上げ、貴族風の挨拶をする女子生徒。リアルでそれやる人初めて見た。"ごきげんよう"という挨拶も初めて聞いた。一体どんな世界で育ってきたのだろうか。少なくとも私やうみちゃんのように、どっちが早く木のてっぺんに登れるか競争することを注意されない家庭ではないのは確かだ。


「ご、ごきげんよう…財前さん…北条さん…」


「…なっちゃんのクラスメイト?」


「おう…同じクラスの財前さんと北条さん」


財前ざいぜん美麗みれいと申します。以後、お見知り置きを」


 名前まで派手だ。


北条ほうじょう舞華まいかです」


 ぺこりと頭を下げるもう一人の生徒。彼女は普通の挨拶だが、お辞儀がやけに綺麗だ。戸惑いつつ、こちらもそれぞれ自己紹介をする。


「…財前さん…お嬢様だとは聞いてたけど…ガチじゃん…」


「明日からは電車で参る予定ですわ。…お父さまの許可が下りればですけれど」


「…下りますかね」


「まぁ!他人事みたいに!許可が下りるかどうかはあなた次第ですのよ!」


「私は車の方が楽で良いんですけど…電車は交通費かかるし…」


 二人は苗字が違うが、同じ家に住んでいるのだろうか。どういう関係なのだろう。


「もー!交通費くらいわたくしが出します!いくらあれば足りますの!?」


「…往復で100万くらいですかね」


「…お待ちなさい。流石のわたくしも騙されませんわよ。せいぜい片道数万円程度でしょう?」


「いやいやいや…片道数百円で済むってば…どんな高級列車乗ろうとしてんの…」


 なっちゃんが苦笑いする。適当なことを言った北条さんも同じく苦笑い。


「…えっ、小銭で電車に乗れるのですか?…本当に?」


「…逆にこっちがびっくりだよ…どんな生活してきたんだよ…」


「…財前さん…面白いね」


 そう呟いたうみちゃんはおもちゃを見つけた悪戯っ子のような顔をしていた。『揶揄いがいがありそう』と顔に書いてある。


「財前さん、これの言うことはあんま信用しない方がいい」


「えー…ひどーい…」


「…えぇ。気をつけますわ」


「私そんなに胡散臭いかなぁ…」


「…そうだな。あと、性格が悪い」


 望が言う。


「えぇ!?望ひどーい!」


「自分で言ってたくせに」


 うみちゃんを揶揄うように笑う望。珍しい表情だ。そんな二人を見て「仲良しですのね?」と財前さんがニヤニヤする。うみちゃんと望、あるいは私と望、もしくは私とうみちゃんはそれぞれそういう関係なのだとよく勘違いされるが、私たち3人はただの幼馴染だ。それぞれの間に恋愛感情は存在しない。…と、周りには言い聞かせているが実際は、望からうみちゃんに対して矢印が向いている。しかしそれを認めることをうみちゃんは許さない。

「幼馴染だからね」と二人は示し合わせたように声を合わせて笑う。望はそう答えることを彼女に強要されている。恋心を表に出すことは許されない。


「幼馴染…ですか…」


「うん。私と、望と、満ちゃん。ここ三人は保育園から一緒なの。だから仲良し。ずっとこの関係は変わらないよ。今までも、これからも。ね?望?」


 いつもなら望は笑って即答するのだが、わざとなのか間を開けて、何処か影のある笑みを浮かべて「うん」と返事をした。うみちゃんに対する反抗心が少しだけ見えた気がした。

 ユリエルと目が合う。二人の間に流れる微妙な空気を察したのだろう。やはり鋭い。いや、今のは誰でも何かあると思うかもしれない。どうかした?と惚けてみせるが、恐らく誤魔化しきれはしないだろう。





「じゃあ、また後でね」


 誰も先ほどの微妙な空気に触れる事なく教室の前で別れたが、教科書の準備をしているとはるちゃんが入ってきた。うみちゃんの席で立ち止まり、机をバンッと叩く。


「…海菜ちゃんに話があります」


「お、おぉ…どうした?」


「正直に言って。海菜ちゃん、星野くんのことどう思ってる?」


 彼女も先ほどの空気を察したのだろう。流石にあんな露骨に何かある風を装われれば、よっぽど鈍感でなければ察する。今まではうみちゃんに合わせていたくせに。


「望?…あぁ、もしかして私が望のこと好きかもしれないって心配してる?大丈夫だよ。私は彼のこと恋愛対象として見れない。彼も同じだと思うよ」


「…本当にそう思ってるの?」


「ん?うん。ずっと一緒に居たんだから、彼が私をどう思ってるかくらい分かるよ。知り合ったばかりの君より、私の方がよっぽど彼のことを分かってる」


 どこか煽るような言い方をするうみちゃん。


「…それは嫌味?」


「…そう聞こえちゃった?ごめんね。けど、これだけは信じてくれるかな。私は君の恋路を邪魔するつもりはないよ。むしろ応援してる」


 望から自分に向けられる矢印をはるちゃんの方に向かせようとしているのだろう。


「…そう。分かった。…ありがとう」


 不機嫌そうな顔をして、教室を出ていくはるちゃん。流石にもう誤魔化しきれないがどうするつもりだろうか。


「…満ちゃん、今日の放課後空いてる?望と三人でちょっと遊びに行かない?」


 ようやく、話をする決心をしたようだ。いや、せざるを得なくなったと言った方が正しいか。


「あぁ?私も巻き込むつもりか?」


「このまま私と望が拗れて気まずくなるのは嫌だろ?」


「…ほんと良い性格してるな。お前」


「褒めないでよー。照れちゃう」


「褒めてねぇよクソが」


 私との関係もついでに終わらせる気なのだろうか。


「…やっぱり星野くんと何かあるのね?」


「…心配しないで。こんなことで簡単に切れる縁じゃないよ。…拗れる前にちゃんと話し合ってくるから」


 望が反抗しなくたってきっと、いつかはそうするつもりだったのだろう。最近は彼のところに行かなくなった。望もそれに気付いていたから反抗したのかもしれない。


「切りたくても切れない腐れ縁だからな」


「切りたいなんて思ったことないくせに。望は大丈夫だと思うけど、問題は小春ちゃんだよなぁ…嫌われちゃったかな」


「そりゃさっきのあれ、はるちゃんからしたら嫌味以外のなんでもないからな」


「でもほらぁ、初恋の話で好感度上げたし…チャラにならない?」


 そのためにあの話をしたのだとしたら、望のあの態度も想定内だったりするのだろうか。


「…お前…まさかそのためにあの話を…?」


「いやいや、振られたから答えただけだよ。でもまぁ…小春ちゃんの好感度は上げておかないと後々めんどくさそうだとは思ってる。望の件もあるし」


「…話した方がいいんじゃないか?あのこと」


 うみちゃんが同性愛者である事はもう話しておいた方がいいと思う。


「…望に代弁してもらうよ。私の言葉は届かないかもしれないから」


「あのこと?」


「…私が望のことを絶対に恋愛対象として見れない理由だよ。…君は察しが良さそうだし、これだけ言えば気付くんじゃない?」


「…星野くんを…恋愛対象として見れない理由…」


 顎に手を当てて考えるユリエル。うみちゃんも、いつもみたいにサラッと言えばいいのに。


「当てにきていいよ」


 ニコニコしながらうみちゃんは言う。よく分からないが、自分で言うより当ててほしいらしい。彼女のことだ、何か意図があるのだろう。


「当ててよ。君は私のこと否定しないでしょ?」


 "否定しないでしょ"その言葉の裏に"否定しないでほしい"という怯える彼女が見えた。まだユリエルのことを心から信用するまでに至らないのだろうか。


「…海菜が…星野くんを恋愛対象として見れない理由…よね…」


「うん。…分からない?」


「…幼馴染だから…じゃないの?幼い頃からずっと一緒に居たから…」


 人目を気にしながら答えるユリエル。わざと外したように見えた。彼女の答えを聞いてうみちゃんはふっと安堵するように笑う。今ので信じる決心がついたのか、自ら答えを打ち明けた。


「私、女の人が好きなの。…望は幼馴染である前に男の人だから、そういう目で見れない」


 そのカミングアウトで教室が静まり返ることはなく、黙ったのはユリエルだけだ。そういうのはもっと人目を気にしながらすべきでは無いかと言わんばかりに、あたりを気にするように視線がキョロキョロとする。


「…私が女性愛者だと困る?気持ち悪い?」


 そんなこと、君は言わないよね?とうみちゃんは彼女に笑顔で圧をかける。


「…そういうこと言わないって分かってるから…打ち明けてくれたんでしょう?」


 圧力なんて必要ないと彼女は優しく返す。


「…うん。遅かれ早かれ君には打ち明けるつもりだったよ。というか、誰に知られても別にもうお構いなしなんだ。気付いた時は戸惑ったけど、大したことじゃないって分かったから。病気でもなんでもなくて、個性の一種であることはもう散々証明されてるしね」


「…えぇ。私もLGBTは障害でも何でもないって思ってるわ」


 ふう…と大きく息を吐くユリエル。やはり彼女も何か話したいことがあるようだ。


「…私ね…女だからって、スカートを穿くことを強制されないから…この学校を選んだの。スカートが嫌いなわけじゃないけど、ズボンを穿いてもいいっていう選択肢があるところに魅力を感じて…」


「うん。分かるよ。私も同じ理由でここを選んだ」


「…うん。けど…結局、ズボンは買ってないの。母に…要らないでしょって言われて…買ってもらえなかった。『女の子なのにそんなの穿いてたらLGBTの人だと思われちゃう』って」


「…すげぇ偏見だな」


 しかし、一部の人間がそういう目で見るのは事実だ。女子はまだマシな方だが、スカートを穿いてくる男子はさらに弄りの対象となりやすいらしい。4組にスカートを穿いて登校する男子がいるらしく、わざわざ見に行く生徒も少なくはなかった。まるで珍獣を見つけたような扱いだ。


「…百合香は私を見て、最初からそうだと思った?」


「…いいえ。…ただ、私と同じようにズボンを穿きたい人だと思った」


「…そっか」


「…あなたがそうであると知っても、全員がそうであるとは思わないわ。母の考えが偏見であることは分かってる」


「うん。ありがとう。君はそんな気がした」


「何?鈴木くんってやっぱLGBTなの?」


 優しい雰囲気に水を差した、通りすがった男子から放たれたその声が、教室を静まり返らせた。視線が彼女に注目する。


「確かにそうだけど、だからズボン穿いてるわけじゃないよ。スカートが苦手なだけ」


 ふっと笑って、サラッと認める彼女。茶化しに来た彼の顔が引きつる。冗談のつもりだったのだろう。ちなみに私もマイノリティなのだが、彼はそんなことは微塵も思っていないのだろう。知らないから仕方ないとはいえ、腹立たしい。


「そうだけどって…」


「クラスに一人の割合で居るんだから、私がそうであっても何もおかしくないでしょう?まぁ、細かいこと言うとLGBTじゃないんだけど…異性愛者じゃないことは確かだよ。恋愛対象は女性なんだ」


「は…はは…マジか…。…体育の着替えどうすんの?男子の方来られてもちょっと困るんだけど」


「トイレで着替えるよ。いつもそうしてる」


「…」


 何も言い返せなくなる男子。


「なぁに?ショック受けたような顔して。あ、まさか私に気があった?ごめんねー男性は恋愛対象外なんだ」


 ケラケラと笑いながら堂々とした態度を貫くうみちゃん。彼女に向けられていたクラスメイトの視線が男子生徒の方に集まる。どこか気まずそうにしている一部の生徒は恐らく、LGBTを馬鹿にしていた人達だろう。


「バッ…!誰がお前みたいな男女おとこおんな好きになるか!」


「あははっ!それ、よく言われるよ。でも、そう言われるの嫌じゃないよ。ありがとね」


「残念だったね山田くん」と、どこからか揶揄うような野次が飛んだ。調子を狂わされた彼は悔しそうに席に戻っていった。


「ね?私がセクシャルマイノリティであることなんて大したことじゃないでしょ?」


 うみちゃんがユリエルに笑いかける。実際、冷ややかな目で見られているのは彼女ではなく、茶化してきた彼の方だ。入学式の日、彼女は率先してクラスのグループLINKを作っていた。まさかとは思うが、あの時既にタネを撒いていたのだろうか。いや、まさか。


「山田、鈴木くんに何か言うことないわけ?」


「謝りなよ」


 彼を責めるような声が飛び交う。耐えきれなくなったのか立ち上がり、うみちゃんの前まで来て頭を下げた。


「…悪かった」


「うん。良いよ。でも、もう二度とああいう揶揄い方しちゃ駄目だよ。私はオープンにしてるけど、そうじゃない人も居るから。笑い者にされて、ストレスで自殺しちゃう人も少なくはない。言葉や態度は時に人を殺すこともあるから、使い方には気をつけてね」


 彼女は一度死にかけていた。肉体ではなく、心が。私や望が居なかったら、味方が誰も居なかったら、世の中を恨みながら何処かに身を投げ出していたかもしれない。自身が抱える闇は笑顔の仮面で隠して、最後の最後まで誰にも悟らせずに。彼女はそういう奴だ。自分の弱みは滅多に見せない。本当にギリギリまで我慢してしまう。

 静かで穏やかな声色の中に隠し切れない殺気が漏れ出している。その殺気が空気を穏やかなものにさせてくれない。教室に入ってきた担任が一瞬にして異様な空気を察して立ち止まってしまう。


「な、なんだ?このお葬式ムードは…」


「三崎先生おはようございまーす」


 あくまでもうみちゃんは空気を読まない態度を貫く。この空気を作り出したのは彼女本人なのに。いや、だからこそなのだろう。


「お、おう…おはよう…」


「ちょっと換気しますねー。こんな空気にしちゃったの私なんで。ごめんねー。窓開けまーす」


 窓際の生徒に断りながら窓を開け始める海菜。空気とは対照的な態度を不気味に思っているクラスメイトも多いだろう。私もこういう時の彼女が一番怖い。とりあえず、いつまでも暗い顔をしている、クラス中から責められていた彼のフォローくらいはしておくべきか。


「…分かりづらいかもしれないけど、あいつはお前のさっきの失礼な態度で傷ついたりしてないよ。無理して明るく振る舞ってるわけでもない。保育園からずっと一緒にいる幼馴染の私が言うんだから間違いない。だから、いつまでもそんなしけた面しなくていい」


 ボーっと突っ立ったままの彼にそう声をかける。"傷ついたりしていない"というのは嘘だが、彼女は多分、彼をこれ以上責める気はないだろう。彼女は元々、自分に差別心を向ける人間を憎まない。憎むのは差別心そのものであり、個人ではない。罪を憎んで人を憎まずというやつだ。きっと、私が彼を責めることを彼女は望んでいない。


「おっ。…まこちゃーん!おはようー!」


 換気していた彼女が、作ったような高めの声—空美さんの声によく似た声—で窓の外に向かって叫ぶ。しばらくして『まこちゃんって呼ぶんじゃねぇー!』というまこちゃんの声が聞こえてきた。


「誰?鈴木くんの彼女?」


「ううん。一つ上の幼馴染。ツンデレヒロインみたいな可愛い男の子だよ」


「…鈴木、今の、安藤さんの声真似か?」


 そういえば三崎先生は去年も一年生の授業を受け持っていたと聞いている。空美さんのクラスの授業も受け持っていたかもしれない。


「ふふ。似てました?」


「あぁ、めちゃくちゃ似てる」


 苦笑いする三崎先生。緊張感が和らいだところでうみちゃんが席に戻ってきた。


「じゃあHR始めるぞー」


 今日1日の流れを説明し、そのまま一時間目のLHR(ロングホームルーム)の時間に突入する。学級委員と委員会を決めるようだ。誰かがうみちゃんを推薦し、彼女に視線が集まる。小学生の頃に数回、中学生の頃にも数回学級委員をやっていた。さらに副部長もやっていた。人の上に立つことには慣れているはずだ。


「構わないよ」


「ね?百合香」と、ユリエルを巻き込もうとするうみちゃん。


「…え?えぇ…って、待って、私も巻き込もうとしてる?」


「え?私がやるなら君もやるでしょ?」


「どうしてそうなるのよ。そこは満ちゃんじゃないの?」


「満ちゃんは断るの分かりきってるからね。どれだけ説得したって嫌だしか言わないよ。今まで散々断られてきたから。…というわけで百合香、どう?強制はしないよ。お願いはするけど」


 それはお願いではなく脅迫だ。ユリエルは自分の意思を強く主張できるタイプには見えない。まぁ、彼女も私がフォローを入れるのを分かってやっているのだろうが。


「やりたくないならやりたくないってはっきり言った方がいい。特にこいつには。流されてばかりいたら良いように利用されるよ」


 悩むユリエル。絶対にやりたくないというわけではないようにみえる。なら少し煽ってみるか。


「…別に私が代わってやってもいいよ」


「えっ?満ちゃん、どういう風の吹き回し?はっ…まさか百合香に私を取られるって心配してる?可愛いやつめー」


 へらへらした顔を向けながら言われると反射的に舌打ちしてしまう。再び、一瞬だけではあるが空気を凍らせてしまった。


「鈴木の他に学級委員やりたいって人」


 私に視線が集まる。まぁ別に誰もやらないのなら仕方なくやってやってもいいが。仕事はうみちゃんに任せればいいし。しかし、スッと男子の席から静かに手が上がったのが見えた。同時にユリエルが上げかけた手を机の下にしまう。私に向けられていた視線は手を上げた男子にいく。


「…あっ…えっと…その前に質問なんですけど、学級委員って、前期だけですよね?」


「あぁ。けど、後期の方が学校行事多いから忙しいぞ」


「…じゃあ…前期だけやってみたいです」


「おぉ。挑戦するのは良いことだ。頑張れよ」


 名乗りを挙げたのは加瀬かせくんという大人しそうな男子だ。下の名前は忘れたが、なんか可愛らしい名前だったような気がする。


「なんだよ加瀬くん、鈴木くん狙いか?」


「そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと挑戦してみようかなって思っただけ」


「女子の好感度アップ狙ってんのか?」


「違うってば」


「とかなんとか言って本当はー?」


「もー…しつこいなぁ…」


 うみちゃんが同性愛者だからといって、他の生徒もそうかもしれないという考えに至る人は少ない。それが現実だ。私達はカミングアウトしなければ、当たり前のように異性愛者だと思われてしまう。そうでないかもしれないと考えてくれる人は稀だ。


「はいはい。茶化すな茶化すな。他に立候補する人は?居ないなら鈴木と加瀬で決まりだけど」


 特に誰も手をあげない。ユリエルの方をちらちら見るクラスメイトも居たが、彼女は首を横に振って意思を示す。私も首を振る。候補者がいるならわざわざ手を上げたくはない。別に、誰もいないならやってあげてもいいという話で、やりたいわけではないのだから。

 そのまま誰も手を上げず、学級委員はうみちゃんと加瀬くんに決まった。二人並んで意気込みを述べる。二人並ぶとどっちが男子かわからない。加瀬くんはスカート穿いても似合う気がする。


「なんか対象的だね。あの二人。女子校の王子と男子校の姫って感じ」


 誰かが呟いた感想が聞こえたのか、加瀬くんが苦笑いする。


「とりあえず決めなきゃいけないのは委員会だけど、来週中に決めれば良いから、残りの時間で決められるところまで決めてくれ」


「俺が板書するね」


「…上、届く?」


「流石に届きます」


「ごめんごめん。じゃあまずは…」





 委員会と係決めは来週に持ち越しになり、LHRが終了した。休み時間に入ると、うみちゃんの周りに人が集まってきた。


「ねぇ、鈴木くん彼女居るの?」


「今は居ないよ」


「今はって、前は付き合ってたの!?」


「いやいや、まだ恋人が出来たことはないよ。長い初恋を終えて、やっと前に進めるようになったばかりだから」


「初恋もやっぱ女の子?」


 県外から引っ越してきた転校生のように、質問責めに合う彼女。嫌な顔せずに、むしろ嬉しそうに一つ一つ丁寧に答えていく。

 ふと、ユリエルが席を立ち上がった。教室を出て行く。トイレかと思ったが、なかなか戻ってこない。まぁ、これだけ騒がしければ居心地が悪くなるのもわかる。


「私ちょっとお手洗い行ってくるね。通してくれるかな」


 一言断って、うみちゃんも教室を出て行った。興味の矛先が私に向かう前に教室を出ると、階段を上がってきた望と目が合う。


「おう望。うみちゃんが放課後話がしたいって」


「…うん。聞いた。…今日、先帰るから」


「ん?体験入部いかねぇの?」


「ちょっと…体調良くないから…休みたい」


「早退すんの?」


「いや…授業はなんとか出るよ。初日から休みたくないし」


「むしろ初日だからこそ休んでよくね?ほとんど自己紹介だろうし。私が代わりに休んであげようか」


「…それ、俺になんの徳があるんだ?」


「ちるが代わりに休んでくれてるから頑張らなきゃ!って「そうはならないだろ」」


 呆れたような顔をする望。冗談なんだから笑ってほしい。


「全く。本当にお前は冗談が通じねぇな」


「君の冗談は反応に困るんだよ…けど…ありがとう。笑わせようとしてくれて」


 そう言って彼は心からの笑顔を浮かべる。その顔を見たのはいつぶりだろうか。彼がうみちゃんを好きだと言って以来見ていない気がする。となるともう二年近く見ていないのか。


「…うん。じゃあまた放課後」


「…うん。また後でね」


 今日、ようやく彼は解放されるのだろうか。そしたらきっと、私の役目ももう終わりなのだろう。

 寂しい。だけど仕方ない。私と彼女は恋人ではない。彼女と触れ合うのは、お互いに寂しさを紛らわせるためだけだったのだから。

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