4話:流れ星に乗せた願い

 私達三人は、示し合わせたわけでもないのに高校の第一志望が同じだった。商業高校の中ではトップクラスだという青山商業高校。


「うみちゃんはともかく、望は普通科じゃねぇの?」


 うみちゃんはいずれ母親が経営するバーを継ぐと言っていた。だから商業科に進学するのは納得だが、望は何故だろう。


「商業にちょっと興味があって。商業科じゃないと学べないからな。ちるこそなんで商業?」


「大学行かずに働こうかと思って。勉強嫌いだし。とはいえ、気が変わるかもしれないから、一応進学の道も残しておきたくて青山にした」


 青山商業は商業高校の中では進学率がそこそこ高いらしい。進学コースがあるくらいだ。

 というのは建前で、実は他にも大きな理由があった。


「あと、冬場にタイツ穿かなくて済む」


 青山商業の制服は男女の差を取っ払って、男子でもスカートを、女子でもズボンを自由に選択できるらしい。どちらか片方を決めたら毎日そっちを穿き続けなくてはいけないわけではなく、日によって変えるのも自由だそうだ。つまり、冬場だけズボン、夏場だけスカートというのもありなわけだ。


「一番の理由はそれか……」


「高校なんて入ってみないとわかんないんだから、制服で選んだって問題ないだろ。……ところでうみちゃんは大丈夫なのか?」


「ん?何が?」


「空美さんとまこちゃんのこと。青商だろ?あの二人」


 彼女が好きだった従姉妹の空美さんも青山商業に進学している。彼氏と一緒に。二人が一緒に居るところを見るのがつらいとずっと言っていた。


「……あぁ。うん。……大丈夫だよ。別に彼女を追いかけてここを選んだわけじゃないし、もう二人を見て辛いなんて思わないよ。とっくに吹っ切れてる。青商を選んだのは単純に、偏差値が一番高かったから。あと、制服ね。スカートって似合わないじゃんね。私」


「まぁ……似合わないことはないと思うがズボンの方がしっくりくるよな」


「……絶対、上級生から男子と間違えられるな」


「あはは。別にそれは構わないよ。ふふ。示し合わせたわけじゃないのに第一志望が同じ高校になるなんて……なんか、運命感じちゃうね」


「キモいこと言ってんじゃねぇよ。まだ受かるとは限らんだろ」


「「特に君がね」」


 ハモる二人。『偏差値的に受からないからやめておけ』と担任からも言われたが『そんなの受験してみないと分からない』と母が押し切ってくれた。だから私も出来ることはやるつもりだ。


「そんなこと分かってんだよ。ちょうど良いから二人とも手伝え」


「言われるまでもなくそのつもりだけど、横暴だなぁ……」


「……人に物を頼む態度がなってないな」


「別にお前が居なくてもうみちゃん一人いれば充分だから」


「ふふ。望は一人でも大丈夫そうだよね。満ちゃん、二人っきりでお勉強しようか」


「……お前が言うとなんか如何わしいんだけど」


「やだなぁ。何想像してるの?」


「何も想像してねぇよクソが」


「やぁん。褒めないでよ」


「どこをどうとったらそんな解釈できんだよ」


「はぁ……俺は一人で頑張るよ。海菜、ちるのことは頼んだ」


「ありゃ。冗談のつもりだったんだけど。大丈夫?」


「……うん。大丈夫。わかんないところあったらLINKで聞く。一対一の方がやりやすいだろ?」


 望も成績が良いとは言えないが、決して悪いわけでもない。推薦が貰えるくらいはある。一緒に勉強しなくとも、一人で大丈夫だろう。あまり一緒に居たくないというのもあるかもしれないが。


「……そういやなんで二人とも推薦貰わなかったんだ?」


 推薦入試なら面接だけだ。特にうみちゃんは会話で人に好印象を与えることは得意だと思うのだが。


「推薦入試って、面接だけでしょ?つまんないじゃん。テストが無いなんて」


「……あー……」


 そういえば彼女は昔からテストが好きだった。テストというか、問題を解くことが好きらしい。だからといってわざわざ推薦を蹴って一般で受ける意味は理解できない。そこまで入試試験を受けたかったのだろうか。


「だってさぁ、入試試験なんて人生においてそうそう経験できる物じゃないよ?」


「……推薦ほしくてももらえなかった人からしたら嫌味だな」


 何故か苦笑いしながら私を見る望。


「こっち見んな。で?お前はなんで推薦もらわなかったんだよ」


「第二志望とで悩んでるんだ。決められないから運に任せようかと」


 なるほど。望の理由はまだ理解できる。しかし、彼も余裕そうだ。二人の余裕が気に入らない。


「大丈夫大丈夫。私が絶対に合格させてあげるから心配しないで」


「面接官脅す気か?」


「いやいや、そんな物騒なことしないって。そんなことしないと受かれないほどじゃないでしょ君は。一緒に頑張ろうね」




 と、言ってくれたのは良いのだが、その日の放課後。


「……うみちゃん、私、勉強しに来たんだけど」


「うん。教えてあげるから分からなかったら聞いて」


 背中に彼女の重みを感じながらペンを走らせる。しがみついているだけで、別に触ってくるわけではないが……こうなるなら望も連れてこれば良かったかもしれない。重い。


「……うみちゃん」


「何?ムラムラしちゃう?」


「しねぇよ。重いから退いて」


「……もうちょっとだけ」


「……なんかあったのか?」


「……ううん。ちょっと甘えたいだけ。変なところ触らないからこのままこうさせて」


 しばらくすると、彼女はそのまま私の肩で寝息を立て始めた。


「……自由過ぎんだろ」


 彼女が自由奔放なのは今に始まったことではないが。私には呆れている暇はない。合格して『絶対に受からないからやめておけ』と言った担任を見返してやりたい。


「……おい、起きろ。ここ分からん」


「んー……どこぉ?」


「ここ」


「……あー……使う公式間違ってるねぇ……ちょっと借りるよー」


 私のノートを取り上げると、私の背中を机にして赤ペンで直し始めた。戻ってきたノートには細かく解説が書き込まれていた。ついでに別の間違えた問題についても詳しく解説されている。


「……なるほど」


「理解した?」


「うん。ありがとう」


「ふふ。頑張ってねー」


 そう言って彼女は私の頭を撫で回してから、再び私の肩に頭を埋めた。勉強しようとする気配は一切ない。彼女は学年トップの成績を一年の頃からずっとキープしている。従兄弟の安藤あんどう和希かずきさんは県内一の難関高と言われる蒼明そうめい高校に通っている。それも一年の頃から成績トップで、さらに、時間があるからと、うみちゃんの兄と一緒に商業の勉強をしていたこともある。蒼明高校は普通科しかないが、うみちゃんの兄は白藍しらあい商業に通っている。最初は彼に教えて貰いながらやっていたが、すぐに立場が逆転したらしい。

 ちなみに、白藍商業——通称、藍商あいしょう——は青商よりは偏差値の低い公立の商業高校だが、私はそこすら受からないと言われているレベルだ。


「……なぁうみちゃん、起きてるか?」


「……どうしたの?受かるか不安?」


「……いや、不安になってる暇なんてないよな」


「ふふ。そうだよ。頑張らないと。集中力が切れてきたならちょっとする?」


 その休憩はただの休憩と捉えて良いのだろうか。


「……しない。それよりここ、分からん」


「はーい。……おっ。ただの計算ミスだねこれ。公式は合ってるよ」


「ん?……あ……ほんとだ。ここ数字書き間違えてる」


「……やっぱちょっと疲れてんじゃない?休憩する?」


 気付けば勉強を始めて一時間以上経っていた。体感時間はまだ数十分だ。そう感じてしまうほど勉強に没頭していたのは初めてかもしれない。


「……それはただの休憩だよな?」


「ふふ」


「その意味深な笑い方やめろ……」


「ごめんごめん。冗談。別に休憩と称してイチャイチャしようって魂胆じゃないよ。頑張ってる君におやつを作ってきてあげよう。脳を働かせるには糖が要るからね」


 そういうと彼女は私を離して部屋を出て行った。かと思えばすぐにまたドアが開いた。


「海菜、また勝手に人の部屋から漫画持ち出して……って、あ、満ちゃん」


「お邪魔してます」


 入って来たのはうみちゃんではなく彼女の兄のみなとさんだった。


「勉強中にごめん。来てるの知らなかった」


「今休憩中なんで大丈夫っす」


「そっか。海菜は?」


「おやつ作りに出て行きました」


「あー、通りでいい匂いするわけだ。ところで、今日は満ちゃんだけ?」


「あぁ、望は一人で勉強するらしいっす」


「そうなんだ。珍しいな。いつも三人一緒なのに」


「一対一の方が教えやすいだろって気を使ってくれて」


「なるほどね。満ちゃん、高校どこ受けるの?」


「青商っす。望も一緒」


「三人で同じ学校行こうねって?」


「別にそういうわけじゃなくて、たまたま被ったんすよ」


「仲良しだねぇ」と湊さんはくすくす笑う。兄妹だけあって笑い方がうみちゃんにそっくりだ。

 今の私たち…特にうみちゃんと望は仲良しと言えるのだろうか。周りからはいつも通りに見えるかもしれないが、今の二人がお互いに向け合う感情はかなり複雑だ。


『俺は二人と、大人になっても友達のままでいたい』


 中学生になる前に、望がそんなことを言い出した。三人で、桜の木の下で永遠の友情を誓った。私の気持ちはあれから変わっていない。きっと、二人も。


「……私達の関係は大人になっても変わりませんよ。ずっと、友達のままです」


 私はそう信じたい。二人にもそう信じてほしい。望には悪いが耐えてほしい。彼女が全てを謝罪するその日まで。


「僕もそんな気がする。三人の関係は大人になっても変わらないんだろうなって」


 他人からそう見えるなら大丈夫だ。きっと。


「満ちゃんお待たせー。ホットケーキ焼いてきたよー。って、あれ、兄貴何しに来たの?」


「あ!そうだった!僕、漫画取り返しに来たんだよ。持ち出したらちゃんと返せっていつも言ってるだろ?」


「あぁ、ごめん。忘れてた。兄貴の分もホットケーキ焼いてあげたから、これで許してよ。ね?」


「……しょうがないなぁ……」


「ははっ。ちょろいな」


「おい」


「ごめんごめん」


 ホットケーキを受け取ると彼は部屋に戻って行ったが、肝心の漫画を忘れて行った。うみちゃんが呆れながら届けに行った。


「……美味しい?」


「……うん。美味い」


「じゃあもっと美味しそうな顔して」


「……悪い。ちょっと、色々考えてた」


 私達三人はこの先、どうなってしまうのだろうか。

 ……あぁ、もう嫌だ。私達の未来のことなんて何も考えたくない。彼女に縋り付く。ハグをするとストレスが三分の一減るというのは、あながち間違いではないのだろう。


「……頭空っぽにしたい……不安で押しつぶされそうなんだ」


「……ん。いいよ。ホットケーキ食べてからね」


 ホットケーキを完食すると、彼女は「おいで」と私をベッドに誘った。私の性欲はいつもそうだ。不安になって不安になって、もう何も考えたくない時にやってくる。大人が忘れたいことを酒で流し込むのと同じように、私は考えを放棄するために快楽の海に飛び込みたくなってしまう。こんな気の紛らわした方はきっと良くない。続けていたらいつか癖になってしまうかもしれない。分かっている。分かっているけれど……。


「……ふふ。気持ちいいね。満ちゃん」


彼女に触れられながらそう囁かれると、何もかもどうでも良くなってしまう。




「……おはよう。満ちゃん」


 いつの間にか私は寝ていたらしい。脱がされたはずの服もきちんと着せられていた。


「今何時……?」


「6時。どうする?帰る?お泊まりする?」


「……まだ足りないのかよ」


「逆じゃない?」


「うるせぇ。……今日は帰る」


「帰っちゃうのー?寂しいなぁー……」


 彼女との関係はもう一年以上続いている。最中に"好き"だとか"愛してる"とか言われたことは一度も無い。"可愛い"はよく言われるが。


「……あのさ、うみちゃんは私のこと好きにならないの?」


 恋する相手は選べないとよく聞く。知らぬ間に落ちてしまうものだと。彼女が私に落ちることはありえ無いと言い切れるのだろうか。


「好きだけど、独占したいとは思わないよ。君はあくまでも恋人が出来るまでの繋ぎだから」


「……なんかその言い方、すっげぇクズっぽい」


「あははー。いっそ恋人なんて作らずに、開き直って遊び歩こうかなー。満ちゃんは私が満ちゃん以外の人と関係持ったって気にしなさそうだし」


 こういうのを世間ではクズというのだろうが、私には何が悪いのか分からない。もちろん、人の恋心を利用して騙して関係を持つのは悪いことだと分かるが、彼女はきっと私のように自分を独占したいと思わない人間しか相手にしないだろう。遊びだとお互いに割り切った関係を築くことは悪なのだろうか。私はそうは思わない。いや、思いたくない。それを悪だとするなら私は悪人になってしまうから。


「……うみちゃんは好きじゃない人とこういうことするのに抵抗ないの?」


「今更何を言ってるの?あったら君とこんなことしてないよ」


「私のことは好きなんだろ?」


「あぁ、うん。でも恋じゃないってのは分かるでしょ?君が私に向ける好きと同じ。不安そうにしてたら慰めてあげたいって思うし、笑ってくれると嬉しい。けど、私だけのものになってほしいとは思わない。望に対する想いも一緒。望の私に対する好意も同じであってほしい」


 残念ながらそれは違うことは彼女も自覚しているはずだが、それに触れることは彼女は許してくれない。


「複雑だよねぇ……人間の感情って。逆に聞き返すけどさ、満ちゃんは私のこと好きにならないの?」


「ならないな。お前に恋人が出来るのは寂しいと思うし……出来ないでほしいとも思う。けど、こういうことをする相手がうみちゃんじゃなきゃいけないわけじゃないんだ。……寂しさを紛らわせるならお前じゃなくてもいい。誰でもいい」


 そう。私は決して、彼女でなければいけないわけではないのだ。だから私は彼女に対して恋をしていないと断言する。

 もし彼女が私に恋をしているのなら、自分じゃなくても良いと言われるのは辛いかもしれない。だけど彼女は平然としている。そのことに安心してしまう。


「……正直なこと言っていいかな」


「うん」


「……私ね、望と第一志望が被ったこと、凄く複雑なんだ。君と彼と三人で同じ学校に通えたなら嬉しい。嬉しいけど……望とは一度、無理矢理にでも距離をおいた方がいいんじゃないかとも思う。……望が推薦貰わなかったのも同じ理由なんじゃないかな。……三人で同じ学校行けたらいいなって気持ちはあるけど、別の学校に行って、距離を置きたいって気持ちもあるんだと思う。推薦貰って受かってしまったら私と同じ学校に通うことがほとんど確定してしまうから」


 聞く人によっては嫌味に聞こえるかもしれないが、彼女のことを知る人なら入試で落ちるとは思わないだろう。


「まぁ……お前は落ちないよな……よっぽど面接で印象落とさない限り」


「ごめんね。嫌味に聞こえちゃった?」


「謙遜される方が嫌味だわ」


「あははー。だよねー」


「だよねーじゃねぇよ。……お前らの間に挟まれる私はたまったもんじゃねぇんだよ……」


「……そうだよね……ごめんねぇ」


 そう言いながら彼女は私に擦り寄ってきた。身体をまさぐろうとする手を払い除けるとぶーと唇を尖らせる。


「……帰るわ」


「えー……帰っちゃうの?」


「……居たら襲われるから」


「あははー。冗談だよ冗談。今日はもう何もしないよ。玄関まで送るね」


 引き止められるかと思ったが、すんなり帰してくれた。

 その夜、ベランダに出ると彼女が居た。今日は下ではなく、空を見上げている。


「UFOでも見つけたか?」


「あ、満ちゃん。さっきね、流れ星が見えたんだ。急だったから、お願い出来なくて、もう一回来ないかなって待ってんの」


「……見えたら何を願うんだ?」


「……世界平和かな」


「嘘つけ」


「あはは。……満ちゃんは?何かお願いある?」


「……」


 空を見上げて考える。今の一番の願いは私達三人の関係が壊れてしまわないことだ。あの日の誓いが守られること。だけどそれは、星に叶えてもらうものではない気がする。


「……私も世界平和かな」


「それこそ嘘でしょ。強欲すぎて一つに絞れないの?」


「……私の願いは星が叶えるものじゃないから」


「……私の願いも同じ。……流石に、神様まで巻き込むわけにはいかないよ」


「……流れ星に乗せた願いが届く先って、神なのか?私、宇宙人的な存在だと思ってた」


「宇宙人がお願い叶えてくれるの?面白い発想だね」


「だってさ、神に願うなら神社行くじゃん」


「あぁ、なるほど。言われてみれば一理あるかも。……まぁ、叶えてくれるのが宇宙人だとしても変わらないよ。私の願いは私が叶えるべきことだから。……だから今、別のお願い考えてるんだ」


 星に願えない彼女の願いは、私と同じ願いなのだろうか。そうだと思いたい。


「……相手が神様じゃないなら、君に話したって叶わなくなったりしないよね」


「願い、決まった?」


「うん。良い出会いがありますようにってお願いする。君は?」


「そうだなぁ……。……あっ」


 考えている間に、夜空を一筋の光が駆け抜けて行ってしまった。


「まだ考えてんだからちょっとくらい待てよ……宇宙人め……」


「あはは。私はお願い出来たよ。ちゃんと三回言えた。私と満ちゃんと望に良い出会いがありますようにって」


「私と望にも?自分のことだけ願えよ」


「満ちゃんの分まで代わりにお願いしてあげたんだよ。ついでに望の分もね」


「……そうか、なら……」


 再び流れた一筋の光に向けて、心の中で三回呟く。

『彼女の願いを叶えてやってくれ』と。


「……お願い出来た?」


「……おう。出来たから寝るわ」


「何願ったの?」


「言ったら叶わなくなるって言うだろ?」


「それは神様宛の願い事の話でしょ?今お願いしたのは宇宙人だからきっと大丈夫だよ」


「……でも言わない。おやすみ」


「あーん……満ちゃん冷たい……」


 部屋に戻り、ベランダの窓の鍵を閉めてからベッドに横になる。神も、星に乗せた願いを叶えてくれるという謎の存在も、実在するかは半信半疑だ。だけど今だけは、居てほしいと強く願う。

 どうか私達に、良い出会いがありますように。

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