2話:分からないけど分かりたい

 それから一年が経ち、彼女が恋した女の子—彼女の従姉妹—とその彼氏が卒業して、私達は中学三年生になった。

 従姉妹が卒業してからは彼女が私を求める頻度は減った気がする。相変わらず不純な関係は続いているけれど、最中に従姉妹の名前を呼ぶこともなくなった。距離が離れて少し気持ちに変化があったのだろうか。

 私は相変わらずだ。誰にもときめかない。もちろん彼女にも。何度抱かれたって変わらない。だけど、彼女と触れ合うことは嫌いではない。むしろ好きだ。しかしこの関係にはいつか終わりが来る。そう思うと寂しくは思うが、彼女との友情が壊れるほうが嫌だ。

 それよりも心配なのは望だ。彼は彼女に恋をしていると言っていた。そして、性別を理由にその恋は絶対に叶わないと彼女本人から告げられた。それなのに最近彼女は、望の家に泊まりに行っているらしい。彼女は彼の気持ちに気付いていると思うのだが。


「…うみちゃんさ、望の気持ちに気付いてんだろ?」


「ん?なぁに?私が望の家に泊まりに行ってることに嫉妬してるの?」


「いや…嫉妬とかじゃなくて…んっ…」


 その話には触れられたくないのか、キスで口を塞がれ、ベッドに押し倒される。


「…心配しなくたって望は私に手出したりしないし、私も望に手出したりしないよ。君だけだよ」


「質問の答えになってな……っ……んっ……ちょ……待て、待てって……」


「やだ」


 どうしてもその話はしたくないらしい。


「……大丈夫。望は私を好きにならないよ。そう言ってくれたもん」


「……はぁ……?望が……?」


 彼は彼女が好きだと、泣きながら私に打ち明けてくれた。好きにならないというのはきっと、彼女がそう言わせたのだろう。


「……そう。だから一緒に寝たって平気なんだ。君より望の方が長さ的に抱き枕としてちょうど良いし」


「抱き枕って……んっ……っ……」


 私に触れる手つきから、イラついているのが伝わる。彼に恋愛感情を向けられるのがストレスなのだろうか。だからと言って、気付いていながら「好きにならない」と言わせるのは、あまりにも酷ではないだろうか。


「お前の……してることは……ただの八つ当たりじゃないのか?」


「……そうだよ。私は望に酷いことしてる。それなのに彼は私を嫌いになってはくれないんだ」


「嫌われたいのか?」


「……ううん。友達でいたいだけだよ私は。だから、恋愛対象として見ないでほしい。邪な感情を私に抱かないでほしい」


「わがままだな」


「分かってる。恋をする相手は自分じゃ選べない。望だってきっと、私に恋をしたくはなかったと思う」


「……そういうものなのか……」


「……厄介でしょ?恋愛感情って」


 理解出来ない。理不尽な八つ当たりをされても彼女を責めない彼の気持ちが。だけど、他人から向けられる恋愛感情に嫌悪感を抱く彼女の気持ちはなんとなく分かる。私も他人から「付き合いたい」とか「俺の彼女になってほしい」と言われることに対して良い気はしない。中には一回断っただけでは諦めてくれない人もいる。誰とも付き合う気はないと言っているのに。


「……私も他人から好きって言われるのは苦手だよ。今まで仲が良かったやつなら尚更。……だから、お前が望に好きって言われたくない気持ちはなんとなく分かる。分かるけど……やってることはクソだと思う」


 私がそういうと、彼女はピタリと手を止めた。


「……満ちゃんだって、私を利用してるじゃない」


 微かに震える声から苛立ちを感じた。


「これはお互いに合意の上だろ」


「……望ともそうだよ。彼は私を責めない」


「……そうかよ」


 説得したって彼に対する八つ当たりをやめる気はないようだ。彼もきっと、彼女の八つ当たりに付き合う気なのだろう。


「……一生続けるわけじゃない。いつかは解放する。彼も……君も」


「私は別に解放してくれなくても良いけど」


「……君が良くても私が嫌なんだ。恋人が出来てもこんなことしてたら浮気になっちゃう」


 分からない。何故一人の人間しか愛してはいけないのか。理解出来ない。


「……まぁ、恋人が出来るまでの繋ぎって約束だもんな」


「……うん」


 ため息を吐くと、私の上に乗っていた彼女は上から降りて隣に移動して抱きついてきた。


「……なんか、今日はもう良いや。君が余計なこと言うから萎えた」

 

「……悪い」


「……良いよ。私こそごめん。今日は触れ合うより話がしたいんでしょ?寝落ちするまでは聞いてあげる」


「ありがとう。……彼女に対する気持ちはどうなった?」


「それはもう吹っ切れてるよ。けど、誰かと付き合う気にはなれない。……怖いんだ。人の好意を信じるのが」


 彼女に好意を向ける女子は決して少なくない。しかしその大半が憧れに終わり、付き合いたいと言ってフラれたほとんどはその後別の男子と付き合い始める。同性カップルはあの学校には居ない。いや、隠れて付き合っているカップルはいるかもしれないが、同性愛者であることをオープンにしているのはうみちゃんくらいだ。中には異性と付き合ったことを理由に、彼女に対する恋心は勘違いだったと言ってくる子もいるらしい。

 街で女性からナンパされることも多々あるが、女だと知るとガッカリされることがほとんどだ。


「だから、君との割り切った関係がすごく楽。だけど、もう恋人なんて要らないかなとは思えないんだ。私は自分が愛した人の特別になりたい」


「……面倒じゃない?束縛したりされたり」


「うん。面倒だよ。多分私は嫉妬深いと思うし。こんな私を本気で愛してくれる人なんて……あー……一人いるけど……」


 その一人は恐らく望のことだろう。


「……彼を好きになれたら、どれだけ良かったか」


 切実な声だった。『恋する相手は選べない』と彼女は言っていた。それが本当ならやはり恋とは厄介な感情だ。それでもまだ恋をしたいと望むのは何故なのだろうか。分からない。けど、分かりたい。




 ある日の放課後のこと。


「先輩、僕、先輩のことが好きです」


 一人の男子から呼び出され、告白をされた。村田むらたという、一つ年下の部活の後輩だった。申し訳ないが、下の名前は覚えていない。


「悪い。私は誰とも付き合わないから」


「知ってます。だから、付き合ってほしいとは言いません」


 付き合わなくていい。そう言われたのは初めてだった。


「……好きなら付き合いたいものじゃないのか?」


「……本音を言えば、付き合いたいです。でも、先輩が誰とも付き合わないって言っているのは知っていたので。……せめて、想いだけでも伝えたくて。……迷惑でしたか?」


「いや。……付き合わなくていいって言われたのは初めてだったから驚いてる。……あと、ホッとしてる」


「……先輩は、どうして誰とも付き合いたくないんですか?」


「誰かの特別になるのが嫌なんだ。私には重い。自分以外の異性と二人で会うなとか言われるのに耐えられない」


「束縛が嫌なんですね」


「そう。……そもそも私は、恋という感情自体分からないんだ。お前は何を根拠に私に対する好きを恋だと決めつけたんだ?」


「えっ、えっと……」


 そんなこと聞かれると思わなかったという顔をする彼。めんどくさい質問をしている自覚はある。しかし彼は、私の質問に対して真面目に悩み、恥ずかしそうにしながらも答えをくれた。


「先輩のことを見てると、こう……胸がドキドキします」


「ドキドキ」


「したことないですか?」


「無いな」


「そ、そうですか……。後は……先輩のこと、しょっちゅう気にしちゃうというか……見つけたら目で追ってしまったり……気になるんです。今、何してるのかなって」


「あー……気にしてる人なら二人ほど」


「ふ、二人?あ……もしかして、鈴木先輩と星野先輩ですか?」


「うん。そう。あの二人のことは好き。けど、どっちに対する感情も恋とは違うと思う。独り占めしたいと思ったり、一緒に居てドキドキしたりしないから。お前にも居るだろ?恋じゃないけど好きな人」


「えっと……はい」


 困ったように苦笑いする彼。


「……悪い。めんどくさい話してるな」


「あ、いや……そんなことないです。ちょっと……哲学っぽいなとは思いますけど」


 哲学っぽいと言われれば確かにそうだ。普通はこんなこと考えたりしないのだろう。


「……ごめん。私は羨ましいんだ。当たり前のように恋をするみんなが」


「……先輩もいつか分かると思います」


 みんなそう言う。言わなかったのはうみちゃんくらいだ。恋愛感情が無い人も居ると教えてくれた。私がそうであっても人間として欠陥があるわけではないと。彼女や彼を見ていると、恋を知らない私は幸せなのかも知れないとも思う。だけど……恋を知らないと、いつか一人になってしまう気がしてしまう。確かに彼女の言う通り、私のように恋という感情を理解出来ない人間は存在するのかもしれない。けど、どこに?どこに居るというんだ。私の周りには当たり前のように恋をしたことのある人間しかいないじゃないか。お前も含めて。


「……先輩……?だいじょう……ぶ……!?」


 私を好きだと言う彼に身を寄せ、背中に腕を回し、ちょうど頭の高さに来た胸に耳を寄せる。心臓の鼓動がうるさい。


「あ、あの……」


 うみちゃんの鼓動は、私が抱きついたってこんなにうるさくはならない。彼女は私に恋をしていないから。


「……せ、先輩……あの……なん……ですかこれ……」


「……悪い」


 身体を離した彼の顔は真っ赤になっていた。動揺して、瞳孔が開いている。私はどう見えているのだろうか。きっと、冷静な顔をしているのだろう。心臓はいつも通り穏やかだから。そんな顔をされたって私は同じ気持ちにはなれない。


「……なにか、きっかけとかあるの?」


「き、きっかけ?先輩に恋したきっかけですか?」


「……うん」


「……俺にもわかんないです。気付いたら、好きになっていたから」


 そういうものだとみんな言う。望も、うみちゃんも。うみちゃんは『強いていうなら、彼女が私のためにピアノを弾いてくれた日から始まっていたのかもしれない』と言っていたが、恋が始まる明確なきっかけというのは、あまりないものらしい。恋はするものではなくものだとよく言われる通り、ある日突然向こうからやってくるものなのだろう。しかし、私の元にはやって来ないかもしれない。


「……先輩は、恋がしたいんですか?」


「したいじゃなくて、知りたい。恋という感情を理解したい。寂しいんだ。恋をしたらみんな私から離れていくから。私との約束をすっぽかして、あとから取り付けた恋人との約束を優先したり……彼女が嫉妬するから遊べないって言われたり……恋人のいる異性と二人で遊べば浮気だとそいつの恋人から疑われるし……」


 浮気のボーダーラインは様々で、大体は二人きりで会う時点で浮気認定するが、束縛の激しい人は自分以外の異性と連絡を取り合うだけでも浮気だと言い、うみちゃんと望は二人きりで会うのはセーフだけどキス以上のことをしたらアウトだと言う。だから恋人が出来たら私との関係も一線を越える前に戻したいらしい。


「村田はどこからが浮気だと思う?」


「あー……難しいですよね……それ。僕もよくわからないですけど……友達なら、自分以外の異性と二人きりで会うのは問題ないと思いますけど……相手にもよると思います。例えば僕と先輩が付き合っていたとすると、先輩が星野先輩と二人きりで会うって言っても浮気だと思いません。幼馴染で仲が良いのは知ってるので」


「相手によるってことか」


「はい。相手が酒井先輩だったらちょっと警戒します」


 酒井先輩というのは私より一つ上の元副部長だ。気さくで優しいため、女子ウケが良い。


「あの人は人の恋人には手出さないと思う」


「それは……信じてますけど……でも二人きりで会われるのは嫌です」


「……なるほど……難しいな。……セフレはアウトか?」


「せふれ……?」


「恋愛感情はないけど肉体関係はある友達のこと」


「……肉体関係……?」


「……友達だけどエッチなこともする関係って言えば分かる?」


「!?ア、アウトですよそんなの!」


「なんでそんな言葉知ってんですか」と、真っ赤になった顔を両手で覆って叫ぶ彼。実際にそういう関係の友人がいるからとは口が裂けても言えない。


「……そうだよなぁ……うみちゃんもキス以上のことをしたらアウトだって言ってたもんな…」


「……先輩、マジで恋心が分かんないんですね」


「マジだよ。もしかしたら私の中には恋愛感情が存在しないのかもしれない」


「……そんな人居ます?」


「いるらしい。うみちゃん曰く、それもセクシャルマイノリティの一種だって」


「セクシャ……なんですか?」


「ほら、LGBTって習ったろ?あれの親戚みたいなもんだよ」


「あぁ、えっと……レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランス……なんでしたっけ……トランスシッター……?」


「トランスジェンダーな。……うみちゃんが当事者なのは知ってるだろ?決して遠い世界の話じゃない。だからちゃんと覚えておけ」


 うみちゃんはLGBTのL……つまりレズビアンにあたる—本人曰く細かいことを言うと違うが、面倒なのでそれで構わないらしい—が、私も他の三つを含むレズビアン以外のマイノリティに会ったことがない。しかし、身近に居ないとは限らない。うみちゃんのことも彼女が好きな人の話をするまで気づかなかった。


「プロの役者を目指すんなら尚更だぞ。いつか当事者を演じる日が来るかもしれないだろ?」


「えっ……先輩に話しましたっけ?」


 言われてみれば、直接彼の口から聞いたわけではない。彼が友人と話しているところをたまたま聞いただけだ。


「あ、悪い。知られたくなかったか」


「あぁ……いえ。先輩になら良いです。……なれるわけないだろって否定したりしないので」


「いや、大根役者のくせにとは思ってたよ。言わなかっただけで」


「言ってるじゃないですか!」


「すまん。けど、初心者だからな。最初はみんなあんなもんだ」


「……鈴木先輩とか、星野先輩は一年の頃から主役やってたって聞いてます」


「あー……まぁ、あの二人……特に望は才能あると思う」


 望も村田と同じく、演技に関する仕事をしたいと言っている。彼の姉は高校生の頃から声優として活動をしており、その影響もあって最初は声優になりたいと言っていたが、今は舞台の方に興味が向いているらしい。


「才能……ですか……僕には……ないんですかね」


「うん。望とかうみちゃんみたいな天才的な才能は無いだろうな」


「うっ……」


「けど……一年の時よりは確実に成長してるよ。見違えるほど上手くなってる。成長出来るってことは、才能が開花する可能性を秘めてるってことだと、私は思う」


「先輩……」


「……まぁ、あくまでも私の意見な。絶対にプロになれるなんて無責任なことは言ってやらん。成長してるとはいえ、お前はまだ種を撒いたばかりの土だ。発芽すらしてない」


「えっ、じゃあその前はなんだったんですか?」


「種のまかれてないただの土」


「……芽吹く可能性すらないと」


「あるわけないだろあんな幼稚園児以下のクソ演技。逆に難しいわ。けど喜べ。種が撒かれたってことは芽が出る可能性があるってことだ。まぁ、100%じゃないけどな」


「頑張ります」


「おう。頑張れよ。努力も才能のうちだ。私にはない才能だからな。誇っていいぞ」


「いや、先輩はもうちょっと頑張りましょうよ……」


 彼は努力家だ。演技に対する熱意は演劇部に入る前から役者になりたいと言っていた望と同じくらいあるだろう。そのまま努力をし続ければプロにはなれると思う。その先は知らないが。


「……そういう厳しいけど優しいところ、好きです」


「ん。……あぁ、そういやそんな話してたな…」


 話が脱線して忘れかけていたが、私は彼に告白されていたんだった。今まで誰かから恋愛感情を向けられることを不快に思うことは多かったが、彼の好意は不快ではない。付き合わなくていいと言ってくれたからかもしれない。


「僕、先輩に想いを伝えられて良かったです」


 彼は眩しいほどの笑顔でそう言う。失恋したというのに。


「……失恋したのに辛くないのか?」


「元々、叶わないことは知ってましたし……失恋したこと以上に、先輩とこうやってたくさん話せて、夢を応援してもらえたことが嬉しくて」


「……純粋だな。お前は」


 好きな人の代わりに別の女を抱いたり、自分に好意を向ける親友に八つ当たりをしたりしている誰かとは大違いだ。まぁ、今は好きな人の代わりとして抱くわけではなく、ただのコミュニケーションの一環となっているが。最初は彼女の方から求めてきたが、最近は私から求めることもある。しかしそれはただの性欲処理に過ぎず、別に相手が彼女でなければいけないと感じたことはない。

 ただ、彼女が男性だったらこんな関係にはならなかっただろう。—最低な考えかもしれないが—リスクが大きい。しかしそれ以前に、男性との行為を想像すると嫌悪感を覚える。試したことはないが、多分男性とはああいうことは出来ない。性欲はあるが、その対象は女性だけなのかもしれない。

 しかし、自分は異性愛者だと思っていた人間が同性に恋をしたり、その逆のパターンも世の中にはあるらしい。うみちゃんの身近に同性愛者だったが異性と結婚して子供を二人も産んだ女性がいるらしい。

 私がアロマンティックかもしれないなんて、今は確証が持てないからうみちゃんや望といった信頼できる友人にしか話していないが、父は当たり前のように、私がいつか異性と恋愛すると思っている。うみちゃんがそのことが辛いと言っていた気持ちが良くわかる。両親もうみちゃんのことは知っており、特に否定するようなことは言わない。自分も男性と恋愛をすることはないかもしれないことは言っておいた方がいいのだろうか。確証が持てるまで黙っておくべきなのだろうか。いや、話そう。異性愛者だと決めつけられてモヤモヤするよりは良いだろう。

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