牡丹雪
妻高 あきひと
第1話 牡丹雪
街に珍しく牡丹雪が降った。
午前中にはかなり降ったが、学校の下校時にはチラホラと舞うくらいになった。
通学路には、帰宅する生徒たちの傘が点々と続いている。
晴彦は高校二年生。
今日はクラブも休みになり、学校からそのまま家に向かっている。
家でのおやつ用に交差点の角にあるコンビニでドーナツを買い、カバンに入れて店を出た。
前を見るとコンビニの駐車場から黒い大きなセダンが出ていく。
後部座席にセーラー服を着た女生徒らしき姿が見えたが、中が曇ってそれ以上は見えなかった。
車道に車が出るのを待って数歩歩くと雪の下に赤い袋のようなものが見えた。
晴彦はしゃがんで雪をはらい拾ってみるとお守り袋だ。
赤糸と白糸で交互に編んだ紐は濡れていたが、お守り袋は透明なビニールの袋に入っていて大丈夫のようだった。
袋は赤地に金の雲のような模様が入っており、表には金糸で”お守り”の文字とその左下には少し小さく”大天津闇夜咲姫命神社”と刺繍で縫い込んであった。
美しいお守り袋で晴彦もしばらくみとれていた。
「誰かの落としものか。大天津闇夜咲・・・どう読むんだろ。どこにあるのか聞いたこともない」
裏を見ると左下に白い布が縫い込まれ、そこには”舞子”と黒い筆文字で名前らしきものが書かれてあった。
「舞子か、持ち主の名前だろうな、書道の先生が書いたように字が上手だ。どんな人なんかな」
春彦はお守りをコンビニに預けようとしたが、戻るのも人ごみの中で渡すのも面倒くさい。
「お守りだし、このお宮も知りたいし、とりあえず持って帰って明日また考えよう」
袋の水気を学生服の袖でぬぐいながらドーナツと同じポケットに入れた。
家に帰り部屋で服をハンガーにかけるとドーナツもお守りも忘れてしまった。
夕食がすんで部屋に戻り、予習をすますとネットを始めて思い出した。
「ああ、そうだ、ドーナツ」
すぐにポケットに手を入れてドーナツを出すとお守りも一緒に出てきた。
「ああ、これもあった、忘れてた」
晴彦は「大天津闇夜咲姫命神社」をネットで探した。
神社の名の読み方が分からないので漢字を拾いながら打ち込んでいった。
クリックする。
出てこない。
もう一度やったが、出てこない。
似たようなものはあるが”大天津闇夜咲姫命神社”は無い。
改めてお守りを見て、ビニール袋から取り出した。
昼間は雪の中から拾って見ただけだが、家で改めて見て晴彦は感動した。
文字と刺繍の細かさと美しさ、布は頬ずりしたくなるくらい柔らかく、そのくせ丈夫そうだ。
赤白の紐は乾いていたが、これも指にまとわりつくように柔らかくて丈夫そうだ。
「こんなお守りの袋、見たことない」
台所にいる母に見せた。
母は友だちとお寺やお宮を巡る史跡や歴史ファンで、あっちこっちのお守りもたくさん持っている。
その母も手にとり見た瞬間にしばし見とれていた。
「へえ~ こりゃすごい、そんじょそこらのお宮じゃないわよ、これは。それに舞子ていうのも、いいねえ。でもこんな神社は知らないわよ。どこにあるんだろ」
「ネットでどう探しても引っかからん。普通なら絶対に引っかかるはずだけど出てこないんだ」
母はよほど興味を持ったのか、史跡ファンの友だち四五人に電話して聞いたが、みな知らない、聞いたこともない、と言う。
「アンタ、この神社は誰も知らないわよ」
そして母は
「その袋を開けてごらん」
と言った。
そういえばそうだと思い、紐を引っ張ると口が開き、小さな白い紙片が出てきた。
何やら分からぬ文字のようなものと絵のようなものが黒い筆文字で書いてある。
母は
「梵字のようだけど、これは違う。こんな絵も見たことない」
と言う。
すると母が命令調で言った。
「アンタさ、そのお守り、明日お宮に詳しい友だちたちに見せて調べてあげるから、そこへ置いときなさい」
「ええよ、オレが持っとくから」
と答えたが、母は”親の言うことはききなさいよ”というような顔で晴彦を見ている。
晴彦は人が変わったような母の態度に少しおどろいた。
晴彦は布団の中でもお守り袋のことを考えたが、考えても何も分かるはずもない。
そのうち寝てしまった。
朝になった。
台所にいくと母は晴彦を見るやすぐ言った。
「アンタ、お守りは私が預かって調べてあげるから貸しなさい」
日頃になく母は強硬だ。
晴彦もまあいいか、そこまで言うならとお守りを母に渡した。
父も姉もお守りを手にとって見たが、返事は同じだった。
「こんな神社知らないぞ」
「初めて見る名よ」
でもやはり二人も言った。
「このお守り袋の美しさと細かさはどうだい、そんじょそこらのお宮じゃねえぞ、こりゃ。袋だけでもこりゃ安くはないぞ」
「この闇夜咲(く)て名前もすごいよね、闇夜に咲くお姫様なんでしょうね、美しくてそして不気味よね、うわ~ 一度見てみたいね、この神社と舞子さんて人」
晴彦は学校へ向かった。
コンビニには今日は寄らずにいくことにした。
歴史の先生がお寺やお宮に詳しかったのを思い出したのだ。
「先生に聞けば、おそらく分かるかも」
雪はやんで青空が出ていた。
学校が終わり晴彦は家に向かっている。
「先生も知らなかった。あのお宮は本当にあるのか、でも無いはずはない、あんなお守りを遊びでつくるはずもないし」
見ればコンビニの前だ。
入ってまたドーナツを買った。
道は雪どけでぐちゃぐちゃだ。
昨日と同じようにすべらないように歩いていく。
見ると駐車場に昨日見たのと同じ黒い大きなセダンが停まっていた。
運転席には男らしい人が座っているが、やはり中は曇ってよく見えない。
セダンの前を通り過ぎようとしたとき、後ろから晴彦を呼ぶ声がした。
「晴彦くん」
振り向くとセーラー服の女生徒が立っている。
見たこともない制服で、このあたりの生徒でないことはすぐに分かった。
そして何より晴彦はその女生徒の可愛さにおどろいた。
横を通る人がみな女生徒の顔を見て通る。
ほとんどが振り向いていく、それほど可愛い顔をしている。
そして髪はまさに漆黒のように真っ黒で細く、風も無いのにふわっと浮いている。
晴彦の心臓が波打ち始めた。
「晴彦クンよね」
濁りの無い清水のように澄み切った声だ。
「そうですけど」
と返事した。
女生徒は言った。
「舞子です、ご存じよね」
晴彦はまたおどろいた。
( あのお守りの舞子、さんか )
「私の大事なお守りを拾ってくれてありがとう、返してくれないかな、お礼はするから」
( やっぱり舞子さんか、でもなんでオレの名を知ってんのよ、なんでオレが拾ったことも知ってんのよ )
聞こうかと思ったが少し混乱し、あわてて言った。
「ああ、あれは母に預けてあります」
「お母さんが持ってらっしゃるのね、じゃ明日でいいから、明日の朝学校へ行く途中に、ここで待っているから。私には命より大事なものなの、お願いね、約束して」
「は、はい、明日の朝登校するときに持ってきます」
「ところで晴彦クン、お守りの中は開けてないわよね」
女生徒の声色が突然変わり詰問調になった。
びっくりした晴彦は開けたと言えずとっさにウソをついた。
「は、はい開けてません」
「じゃ明日待ってるから、必ず持ってきてね、お礼は差し上げるから」
「お礼はいいです」
「ああ、でもそれじゃ私の気がすまないから。明日の朝、待ってますから」
と女生徒は言うとさっさと交差点を渡って街へ消えた。
ふと気がつくとあの黒い大きなセダンも、いつの間にか消えていた。
( 大人のような話し方をしていたけど、すごく可愛いかったな、あの人。でもいきなり声の調子が変わったのにはびっくりした。こりゃ約束を破ったらひどいかもな、それに中も見ちゃったし、お袋たちがみんなであの紙をひら・・こりゃ急いで帰らなきゃ )
春彦が家に帰ると駐車場には買い物用の軽自動車がなく、玄関には鍵がかっている。
台所に回って合い鍵で入るとテーブルの上にメモがあった。
「 あのお守り持って増田さんとこへ行ってます。何かあったら電話してちょうだい 母 」
晴彦はあのお守りが変なことになってないか、それが気になった。
オバサンたちがいじくり回しているのじゃないか、気にし始めるとキリがない。
「もしもし・・・」
増田さんは母に代わってくれた。
これこれと説明すると母も言った。
「なんでアンタの名を知ってんの、なんでアンタが拾ったことを知ってんの、お宮がどこにあるかも聞いてないの、しっかりしなさいよ」
あの人の可愛さにボーとなってたとは言えなかった。
なおも母に聞くと、仲間が集まってお守りを開け、盛り上がっているらしい。
でも普通じゃないお守りの出来の良さにみんなおどろき、そこはさすがに大事に扱っているという。
でもオバサンばかりだから分かったもんじゃないと晴彦は思った。
とにかく母が帰るのを待った。
夕方、車の音とともに母が帰ってきた。
スーパーで買い物もすませたらしい。
すぐに母に言うとバッグからお守りを取り出した。
お守りの袋はそのままだが、中に入っていた紙片を何人もが手に取ってたたんで開いてを繰り返したようだ。
「しょうがないでしょ、まさか持ち主が現れるなんて思いもしなかったんだから。それにさ普通はさ、落としたお守りを探す人ってそうそうはいないもん」
それはそうだと晴彦もその説には賛成できる。
確かにお守りを探して回る人はそうはいない。
母を責めるのは多少無理があるなと晴彦は思った。
母は棚にあった料理全集を取り出して開き、その中に紙片をはさんだ。
紙片のしわを伸ばしておく気なのだ。
開けちゃったものは仕方ない。
拾ったものを開けて持ち主を探すのも誰でもすることだ。
まあいいや、お礼は言われても怒られることはないわ、と晴彦は思った。
( 明日の朝、あの人に返しときゃそれでいいんだ、盗ったわけじゃなし、
文句を言われてもな、そもそも落としたほうが悪いんだから )
その夜、晴彦は晴彦なりに自分を納得させて熟睡した。
朝になった。
雪はやんで青空が出ている。
晴彦は全集から紙片を取り出し、きちんとたたんで袋に入れると、母がこれに入れて持っていきなさいと白い封筒をくれた。
こういう気づかいはさすがお袋だと思った。
封筒にお守りを入れて家を出た。
コンビニに着いた。
あの人の姿は見えない。
見るとあの黒い大きなセダンがまた停まっている。
「この車がいると、あの人がいる気がするけどな」
それとなく横目で見るが、男の人以外、中はやはり曇って見えない。
と、突然後ろから声がした。
「晴彦クン」
晴彦はおどろいて振り返ると、あの人が立っている。
( 今どこにもいなかったじゃないか、昨日もだ、なんでいきなり出てくんだよ )
横を通る人がやはりみな彼女を見ながら歩いていく。
わざわざのぞき込むようにしていく人もいる。
顔はやっぱり可愛い。
ただ可愛いのに、今朝は少し目がきつそうだったのが晴彦は気になった。
晴彦は遅れてもいないのに
「遅くなってすいません、これお守りが入ってます」
となぜか謝りながら封筒を渡した。
あの人は封筒を開いてお守りを取り出した。
「ありがとう大事にしてくれて、本当にありがとう」
と言いながら、お守りの袋を開けて紙片を取り出した。
( 開けるのかい、まずいよ )
その瞬間、顔つきが変わったのが晴彦には分かった。
彼女の手が小刻みに震えはじめた。
晴彦は思った。
( 手が震えてる、そんな大事なもんなの、仕方がないでしょ、怒らないでよ )
「あなた、昨日袋は開けてないと言ったわよね、これはどういうことかしら」
まるでオバサンのような声に変わっている。
晴彦はおどろきながら母の友だちのことを説明した。
「そう、そういうことなのね。でもあなたは開けてないと言ったわよね。
だからわたしは”あの方”に『彼は中を見てはいません。袋は開けてません』と言ったのよ。
あなたはわたしをだましたのね、
理由はどうあれ、あなたはわたしにウソをついた。
わたしが”あの方”から罰を受けるのよ、ウソなんかついて、許せない」
晴彦は、なんだよこの人、と思いながら見ると、顔にしわが浮いてきた。
真っ黒い髪が波打ち、ところどころ灰色になり始めている。
ふわ~と顔も変わっていく。
( 顔が変わっていく )
晴彦は恐ろしくなってきた。
周りを見ると通り過ぎていく人はみな、なぜか晴彦にも彼女にも気づかないように黙って通り過ぎていく。
通りを走る車の音も聞こえない。
昔の無声映画のように総ての音が消え、静かで奇妙な感覚に襲われた。
お守りを持つ彼女の手も指も細くなり、肉がなくなって骨だけのようになっている。
晴彦は怖くなり突然ダッと学校へ向けて走った。
しばらく走って振り返ると誰もいない。
「ああ、びっくりした、いきなり声も顔も変わった。横を通る人もみなオレたちに気づかないようだったし、あれは一体なんだったんだ」
コンビニのほうを見ているが、彼女の姿はない。
ただ黒い大きなセダンが近づいてくるのが見えた。
( あの車だ )
晴彦は学校へ走ろうとして身体が固まった。
後ろに人の気配がある。
( 後ろに誰かいる。誰かすぐ後ろに立っている。あの人だ )
でも晴彦は振り向けない。
振り向いてそこにどのような顔があるのか、それを想像するとその恐怖に身体が動かない。
身体が固まった。
このまま立っておくわけにもいかない。
すると後ろの人物が動いたのが分かった。
顔が近づいているのか、耳の後ろから息遣いまで聞こえてきた。
晴彦の肩越しにヒラヒラッとあの紙片が風に舞いながらゆっくりとどこかへ飛んでいった。
晴彦はそこから先の記憶がない。
気づいたら病院のベッドに寝ていた。
母が晴彦ハルヒコと呼んでいるのが分かった。
薄く目を開けると両親と姉の顔があった。
学校への通学路の途中にある家の塀に寄りかかり、眠るように座り込んでいたそうで、その家の人が救急車を呼んでくれたのだという。
医師は
「こういうことは初めてのようですが、検査ではどこにも異常はありませんよ」
と言った。
晴彦は起き上がり、横にかけてある学生服を着た。
ポケットに何かあると思い手を入れるとあのお守りが出てきた。
それも真新しい。
裏を見ると名前のところに黒い筆文字で”晴彦”と書いてあった。
( あの人が言ってたお礼かな、許してくれたんかな、また会えるかな、いや会わないほうが・・・ええな )
窓を見ると夜になっていた。
病室の明かりに牡丹雪が光りながら舞っているのが見えた。
牡丹雪 妻高 あきひと @kuromame2010
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